パンドラ

須桜蛍夜

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盈月

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周りは深い闇だった。何も見えない、聞こえない。暗黒がゆっくりと身体にまとわりついてくる。

『さて……今日は……何しようか』

そこに、優しい男声が混ざり込んだ。痛いほどの静寂が、この世で一番聞きたくない声に遮られる。

ーーやだ、やめて。

固く目を閉じてしゃがみ込む。何度も同じ声が繰り返され、きつく塞いだ耳に嘲笑うように入ってくる。聞きたくない。怖い。

身体が震えた。怯える自分なんて見たくない。感情に突き動かされる自分なんていらない。

冷静さを保とうとしても上手くいかない。震えはどんどん激しくなっていく。身体の内からどろどろとした恐怖が際限なく溢れてくる。嫌だ。嫌だ。怖い。居なくなれ。わたしは……。

『瑠璃、君はただの道具なんだから』

突然、やけにはっきりとした声がして、空間が歪んだ。


「はぁ……はぁ」

勢いよく飛び起きる。息が吸えない。身体は必死で呼吸を繰り返しているのに、空気がなかなか入ってこない。

「わたしはーー」

それでもなんとか、取り入れられた酸素を使って言葉を紡いだ。

「わたしは人間だ」

左肩を握りしめ、言い聞かせる。そうしないと、わたしは道具だと、物なのだと認めてしまう気がした。

闇がわたしを呑んでいく。馴染んだはずの昏さが血の匂いを、壊れそうなほどの恐怖を蘇らせる。
怖かった。怖くてたまらなかった。全てを拒否しようと目をきつく閉じる。温かさが頬を伝った。

「わたしは人間だ」

涙を拭う事ができない。動く事が恐ろしい。


「わたしは人間だ。わたしは人間だ。わたしはーー」

そのまま何時間にも思える時が過ぎ、何百回も同じ言葉を唱え、ようやく金縛りが解けた。

「わたしは……」

身体の力を緩め、背中からベッドに倒れ込む。生ぬるい柔らかさが全身を包み込んだ。疲れていた。眠っていたはずなのに、寝る前よりも遙かに疲弊している。

眠りたい。解放されたい。でも、寝たくない。怖い。

「弘さん……」

口から父の名がこぼれる。温かく抱きしめて欲しかった。震え続けるこの身体を、怯える自分を慰めて欲しかった。彼の光でわたしの闇を払って欲しかった。

「……わたしらしくもないな」

左肩を握る手を緩めた。今まで、人を求めた事なんて無かったのに、今は、仕事でしばらく帰ってきていない彼に、会える日を心待ちにしていた。この間まで他人だった青年が、いつの間にかとてつもなく大きくなっていた。

「弘さんが優しすぎるせいだよ」

文句を言う。脳裏でお人好しな青年が苦笑を浮かべた。『そんな事で文句言われても……。優しすぎるって悪い事じゃないだろ』そう、温かい声で言ってくる。

ーーほんと、わたしらしくない。

首を振って妄想を消す。恐怖は大分薄らいでいた。震えは止まらないが、眠くなってきた。時計を見るとまだ三時。

ーーもう一回寝よう。

軽さを得た心を抱えてわたしはゆっくり目を閉じた。
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