パンドラ

須桜蛍夜

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盈月

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「はぁ……まったく」

足を速めながら吐き捨てる。体育の時間に自分のバドミントンラケットを教室に置いてきてしまった。体育館から教室までの割と遠い。億劫で、歩く足が段々と重たくなっていく。

ーーん? 誰かいる?

ようやく辿り着いた教室。そこに一つの人影があった。

「…………」

音を立てずにドアをくぐる。目の前でこそこそと動いているのは小さなジャージ姿。あれはーー。

「昇くん、な~にしてんの?」

小柄な彼は私の声に大袈裟なほどに肩を震わせ、恐る恐るという感じで振り返る。

「篠崎……巴……。なんだ、あんたか」

そして、ホッとしたように一息をつく。その腕には見覚えのある有名ファッションブランドの紙袋が抱かれていた。

ーーなるほどね……そういう訳か。

彼の行動の意味に気がつき、こっそりとほくそ笑む。

「それ、沙羅のでしょ? なんで昇くんが持ってるの?」

「……違う、僕のだ。僕が持っててもいいだろ」

目を合わせようともしないでぼそぼそされる言い訳。

「なら、中見てみようか」

「駄目だ。ここには大切な勉強道具が入ってるんだから」

手を伸ばした私に、取られないように彼は紙袋を抱きしめて背中を向ける。意地でもそれを渡さず、シラを切るつもりらしい。

ーーこのままじゃ埒があかないか。

彼がそのつもりなら、突っ込んでいくとしよう。

私は、彼の前へと回り込んで言った。

「西山さんの事、好きにでもなった?」

多分、核心に迫る問い。それを広すぎる教室は、必要以上に響かせた。

「なんで……。そ、そんな訳ないだろ」

彼は面白い程に動揺する。あからさまに目を逸らして、紅潮した頬を隠す。そんな態度が言葉以上に肯定しているなんて気付かずに。

ーーま、好きになるのも分からなくはないけどね。彼も、あの子に助けてもらった一人なんだから。

でも、だからこそーー。

「好きでも嫌いでもいいけどさ、本当にやるの? いじめを止めたいんでしょ? そのリスク、分かってるよね? 昇くんがやったってバレたら、またいじめられっ子に逆戻り。せっかく戻ってきた平穏を失って、地獄の日々が帰ってくる。本当にそれでもやる?」

決意を揺るがす言葉をかけた。目の前の顔には、迷い、苦しみ、不安……次々と表情が浮かんでいく。

興味があった。いじめられる辛さを知っている彼が、私がやろうとしなかった事をやろうとしている彼が、どんな決断を下すのか。

「…………」

昇くんは物言わぬまま固まる。空気は彼に纏わりつくように重くなっていく。決意しきれない彼を責めるように変質していく。

「じゃあ、私、体育館に戻るね。安心して。もしそれを破棄したとしても、私は誰にも言わないから」

静かな空間に声を乗せた。そして、コート掛けからラケットを取って、出口に向かう。

これ以上待っていたら、遅すぎると怪しまれるかもしれない。沙羅達や先生が探しに来て、彼の決意がご破算になるのは不本意だ。

パタパタと私の上履きの音が響く。彼はまだ動かない。そしてーー。

「あんたは何も感じないのか?」

あと一歩で教室から出られる時、彼は問いを私に吐いた。
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