パンドラ

須桜蛍夜

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盈月

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諦めの滲んだ声が自分の中に満ちた。その時、わたしは何かに突き飛ばされて転がった。掠めていく風切音、地面を殴った打撃音。突然の事で、何が起こったのか分からない。
「賢太郎、もうこんなことやめなよ」
近くで声がした。それを引き金に、辺りの様子が認識されてくる。さっきよりも遠くに居る少年、わたしに抱きつくボブカットの少女。
ーー……そっか、この子が飛びついてきてわたし、鞭をよけられたんだ。
目の前にある茶色味かかった髪の毛を見つめた。わたしを助けた少女は、強めにわたしを抱きしめて、いじめっ子を睨みつけている。
「巴……」
彼は、驚いたように少女の名前を呼ぶ。しかし彼女は、無視するようにこっちを向いて顔を近づけてきた。
「もう、大丈夫そうだね」
耳元に息がかかり、声が響いて温かさが離れる。そして、少年と少女が対峙する。
「この怯え方は尋常じゃない。賢太郎、あんた、そこまで人を追い詰めていいと思ってんの? これ以上続けるなら私も黙ってないよ」
非難しながらも懇願の響きを持った訴え。クラスの注目を一身に受ける中で、その背中は毅然とそれを言い放つ。
「巴ちゃん……」
集団から呟きが洩れる。声の主は、初日に声をかけてきた沙羅とかいう少女。彼女は目を見開いて、注目の中心を見つめている。
「タケシ、イチロウ、行くぞ」
長く続いた沈黙の中で、何かを訴えるように、悩むように押し黙っていた少年が膠着を解いた。
「賢太郎……」
デブとノッポが不服そうに彼へと駆け寄る。
「行くぞ」
しかし、少年はそう繰り返して、いそいそと教室を後にした。取り巻き二人も慌ててその後を追う。悪が去った教室は、異様な静かさに包まれる。息苦しい静寂、白けたような沈黙。そして空間は、誰からともなく日常を取り戻す努力を始めた。
「はぁ」
対峙していた少女が、安堵の息を洩らす。
「よかった」
「巴ちゃん」
被せるようにパーマの少女が駆け寄った。相手の少女は、苦笑を洩らして言葉を返す。
「沙羅、ごめん。話の途中だったのに」
そして浮かんだ満面の笑み。
「いいよ、許す」
それに満足したのか、彼女はあっさりと謝罪を受け入れる。
「ありがと」
再び笑顔を向けてから、ボブの少女は辺りを見回した。
「あ、そうだ。立てる?」
そして、思い出したように手が差し出される。そっか、まだ座り込んだままだったんだっけ。
「大丈夫」
わたしはそれを無視して立ち上がり、自分の席へと向かう。
「なに、その態度! せっかく巴ちゃんが助けてくれたのに」
噛み付いてきそうなほどの怒鳴り声が鳴って、足音が近づいてくる。いいでしょ、そんなの別に。
「沙羅、いいから」
わたしの心境を代弁するように制止がかかった。
「え、でも……」
「昼休み終わっちゃうよ。ほら、机直さなきゃ」
少女は渋る彼女を促すように机を正し始める。
「…………」
視線でわたしを殺すかのように睨んでから、パーマの少女もそれに倣うように机に手をかける。ちらりと巴という子と視線があった。
ーー『巴ちゃんが助けてくれたのに』か……。違う。この子はそんなんじゃないな。          
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