パンドラ

須桜蛍夜

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――あの少女は大丈夫なのだろうか?
あれから一週間が経ったけど、彼女の情報は全くと言っていいほど入ってきていなかった。
「西山、この資料も頼む」
手渡される紙束、任される仕事。いつの間にか机の上は山になっている。脳裏にこびりつく銀の瞳、冷たい身体、憐れな格好。もう気になって、心配が溢れておかしくなりそうだった。
「西山くん」
思考を霧散させる声がする。
「佐々木警部……」
「仕事中に物思いに耽るのは感心しないな」
「すみません」
今は仕事中だし、おれが心配した所で何も変わらない。考えるべきではない。理性では分かっている。でも、どうにも感情がついてこない。それでもなんとか、資料の山に手だけは伸ばす。
「君が助けた子が目を覚ましたよ」
唐突な台詞は理解ができなかった。
「厳密にはもっと早く目覚めていたんだが、色々と不安定でな。ようやく事情聴取ができる状態になった。明日行く。準備しておいてくれ」
呆然としたおれを残して、警部は何事もなかったように立ち去っていく。段々と現実感を帯びていく言葉、右手で作る小さなガッツポーズ。感情が爆発した。嬉しかった。彼女が無事だったこと、そして、こんなおれでも誰かを救えたということが嬉しくて仕方なかった。

翌日、おれは警部と数人の警官とで警察病院に来た。そして辿り着く名前の無い病室。
「これから事情聴取に入る」
おれらの間を警部の声が通っていく。
「だが、その前に頭に入れておいて欲しいことがある」
終わると思った台詞を続け、彼は神妙な面持ちで振り返った。
「もし彼女が錯乱でもしたら、無理やりにでも止めて欲しい」
疑問の波が辺りに広がる。おれも不思議だった。あの子を抱いた感触。細かった、弱々しかった。そんな子が暴れたとしても、念を押す程の脅威があるとは思えなかった。
「大怪我をさせたんだ、何人もに。目覚めた時に混乱していたようで、ひどく暴れ、精神安定剤を投与しなければもっと被害は拡大していたという話だ。少女だからと油断せず、気を引き締めていけ」
そんなおれらを冷酷な言葉が変えていく。「容赦などするな」刑事の瞳が命令していた。
――どうか、暴れないでくれよ。
願わずにはいられなかった。同じ目をした刑事達。いざとなれば、彼女が無事でいられる保証は無かった。そして、警部はその様子を確認し、ゆっくり扉を開いた。

中に居たのは人形だった。薄暗い室内に溶け込む儚さ、作り物の様に白い肌、漆黒とも呼べるほどの黒い髪。どこか幻想的にも思える姿に幾人もが息を呑み、見惚れる。しかし、おれは少し物足りなさを感じていた。神秘に拍車をかけるであろう瞳が、丁寧に巻かれた包帯によって隠されていたのだ。
――怪我でもしているのか?
あの惨憺たる光景を思い返すと、そうだとしても仕方がない気がした。生きていただけでも奇跡なのかもしれない。
「では、事情聴取を始めようか」
唐突に空間を引き締める声がする。警部はその声色に乗るようにして緊張を押しのけ、進み出た。
「名前を聞いていいかね?」
「瑠璃」
間髪を入れずにこぼれたのは、鈴の音。それはまさに音だった。微塵の感情も無く、無機質。こんな声は初めて聞いた。
「ご家族はどちらに?」
驚きをよそに続く質問。
「……いません」
返った声は鈴の音。しかし、今度はそこに間があった。悩む様に言い淀んだ。
ーーもしかしたら亡くなったばかりなのかもな。気分が少し重さを増した。
「それはすまなかったな」
「いえ」
交わされる謝辞。少女は顔色ひとつ変えなかった。

蛇目教じゃのめきょうにはいつからいた?」
優しさの裏に鋭さを含んで声が響いた。
「分かりません」
それでも彼女は感情を示さない。
「では、何をされていた?」
「…………」
淡々と続いた問答の中で、初めて答えは返らなかった。沈黙が流れ、その静寂は重さを増す。
「教団はどうなったんですか?」
質問を無視する小さな言葉。それには僅かな色がついている。
「潰れたよ」
「……団長は?」
「捕まえた信者が多くてな、逮捕できているかが確認できない。顔も分からんしな。今度、君が似顔絵でも描いてくれないかい?」
「…………」
彼女は何も答えない。俯き加減で静止している。
「話を戻そう。蛇目教じゃのめきょうでは何をされていた?」
少女は抜け殻のように動かなかった。もしかしたら、警部の声が聞こえてすらいないかもしれない。
「罪を重くする証拠になるかもしれない。協力してくれないか?」
再度、問われた質問は、しじまに呑まれて消えていく。
「そろそろ潮時かな」
そして、沈黙に紛れるように台詞が吐かれた。
「分かりました、全て話します」
彼女は、落ち着いた様子で留め具に手をかける。何をする気だ? そんな疑問をよそに、包帯は緩み、順調にその拘束を解いていく。ベッドの上へ集中していく好奇の視線、待ちわび、飢えた獣の目。全てを浴びる微塵も少女は動かない。ただ包帯だけが落ちていく。そして、張り詰めた空気の中で二筋の銀眼が煌めいた。
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