パンドラ

須桜蛍夜

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盈月

103

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「はぁ」

息をつく。ようやく騒音から逃れられた。

コンピュータ室の前の廊下。ここは大抵は人が居ないから重宝する。

ダンクに対する歓喜。

万引き犯としての好奇。

巴と居ることへの嫉妬。

それらが渦巻き、わたしの周りの雑音を更に大きくする。

別に構いはしない。わたしがどう思われようが、わたしは興味が無いから。でも、面倒くさくはある。黙っていて欲しい。

それに、あの万引き写真はーー。

「…………」

微かな物音だけの空間を見つめる。頬を一筋の汗が伝った。

その時、

「いや~素晴らしかったよ」

背後から、拍手と共に男の声がする。

「その身長でダンクとは恐れ入ったよ。娘のクラスを勝ち進ませてくれてありがとう」

わたしはゆっくり振り向いた。

歳の頃は四十か五十かそこらだろう。いかにも金持ちといった風貌の男が黒服の男を従え、笑みを貼り付けてそこに居る。

「何の用?」

ずっとわたしをつけてきていたのは知っていた。面倒くさいから、そのまま隠れててくれたら良かったのに。

「口のきき方も知らないのかね。まったくーー」

「で、何の用?」

「生意気な小娘だ。確かに私の嫌いなタイプだな。何の用? ちょっと借りを返しに来たんだよ」

ーー借り?

「申し遅れたが、私は安河内文造。安河内沙羅の父親だ。こう言えば、私が何をしに来たか分かるのではないかね? 自分がした事を覚えているだろう」

安河内沙羅……あぁ、巴信者のあの子か。

わたしがした事ね……。

「覚えてない」

男の顔が真顔に戻った。

「本気で言っているのか?」

「言ってる」

わたしが覚えてるのは、校外学習であの子に襲われたところまで。その後は分からない。完全に我を忘れていたから。気がついた時には全てが終わっていた。

「沙羅は鼻の骨を骨折した。打撲は全身にあるし、鎖骨や肋骨にもひびが入っている。女の子の身体を傷物にして、それでも君は自分のした事の責任を取らない気なのか」

真顔のままであるが、その言葉には溢れんばかりの怒りが込められている。

「…………」

「だんまりかね。あまり私を怒らせない方が良いぞ」

「なんでわたしが責任取るの?」

「……そうか、分かったよ。君は私が全力を持って潰すとしよう。もう普通の生活が送れるとは思わない事だ」

語気を震わせ、顔面崩壊を起こした怒りの形相で言い放つ。

「そう。それで話は終わり? なら、もう行くね」

踵を返す。貴重な休憩時間は有意義に使わなくては。もうこんな男に付き合っている暇など無い。

「西山瑠璃クン、君の父親は警察官だったよね」

「…………」

「なら、手始めに君の父親を辞めさせようか」

足を止め、振り返る。

「私は安河内財閥の当主だ。警察にもコネはある。一警察官なんてどうにでもなる」

男はニヤニヤと笑っていた。娘とよく似た笑顔で。

「弘さんには手を出さないで」

「ようやく感情を出したな。彼が君の弱味という訳かな」

わたしを見下すことで自分を取り戻したか、嘲るように告げてくる。

「父親に手を出されたくないのなら、私に従うしかない。違うかね?」

「…………」

無言を肯定と取ったか、ボディーガードらしき黒服の男に目配せをする。

黒服はゆっくりと近づいて来て、わたしの目の前で立ち止まる。

「力を抜け。抵抗するなよ。抵抗したら、君の父親は警察官を辞めることになるぞ」

声を合図に、黒服の蹴りがわたしの腹に入る。

「がっ……」

鋭い痛みが腹を抉り、鈍痛となって広がっていく。そのままわたしは受け身も取ることなく壁に叩きつけられた。
そこに黒服が再び蹴りを放つ。寸分違わず同じ位置。そこに絶え間なく蹴りが注がれる。

逃げる事も、守る事も許されない苦痛。
それは、否が応でもあの地獄を思い出させた。

「けほっ……くっ……」

終わりが無いかのように思えたリンチが終わり、わたしは咳き込み、転がる。打ちつけられたところ、蹴られたところ、そこから派生した痛み。全身が鈍く痛みを訴えている。ガードや受け身すらしない事でのダメージは凄まじい物だった。

しかし、それだけ執拗に腹を狙われながら、内臓損傷をした様子が無い。痛みだけを与えつつ、致命傷にはしない。あの黒服、ボディーガードかと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。

「どうだ? 娘の気持ちが少しは分かったかね?」

そばに立った男は舐め回すようにわたしを見下す。惨めに転がるこの様を心底楽しんでいるようだった。

「分からない」

答えた瞬間、腹を思いきり踏みつけられる。

「ぁ……」

黒服の物とは違う下手だが容赦のない一撃。更にそれをグリグリと動かされ、内臓が掻き回されるような苦しさと傷をいじられる痛みが同時に襲ってくる。

「本当に生意気な娘だ。こんな奴が沙羅と同じクラスに居たなんて。反吐が出る。まったく、君には特別に残酷なコースを用意してやろう。こんな痛みなんて可愛いと思えるほどの地獄で、死にたいと懇願しながら生き長らえさせてやる」

何度も何度も踏みつける。もう痛みも苦しみ分からない。流動物がせり上がって来て、意識が飛びそうだった。

「旦那様、それ以上は」

黒服が我を忘れた主人を押しのけるように制止した。

「…………」

ようやく止んだ苦痛。しかし、わたしは声を出す事すら出来ない。無防備な急所を攻められ続け、身体が悲鳴をあげていた。意識が白んでいる。頭が痛い。身体を動かせない。痛い。

「山沢、無礼だぞ。私のやる事に文句があるのかね?」

「旦那様、今回は体育祭に支障のない範囲で痛めつける算段だったはずです。これではもう、ゆうにその範囲を超えています。それに、暴力だけに訴えるのが貴方様のやり方ではないはずです」

「…………」

黒服の言葉に納得したのか、抵抗をやめ、服装を正す男。そして、再び笑顔に戻るとおもむろに携帯電話を取り出した。
それを耳に当て、彼は笑みを強くする。その間に、黒服はわたしに近づく。不気味な静寂。それはすぐに終わりを告げる。

「私だ。今、時間大丈夫か? 辞めさせて欲しい奴がいるのだが」

「!?」

男の目的が分かり、止めるために身を起こそうとしたが、途端に腹部に激痛が走り、動きを止めた。

見ると黒服がわたしの腹に軽く蹴りを入れていた。そしてそのまま、ゆっくりと圧迫し始める。

「ぐ……」

壊さないように。でも、最大限の苦しみを。

さっきと同じだ。こいつは人の痛めつけ方を知っている。というよりも多分、そのスペシャリストだ。

緩急をつけて踏みつけられる腹。逃げようとした瞬間に強く踏まれ、抵抗力を奪われる。目の前で何もできないまま大切な物を奪われる。そういう趣向らしい。

「そう言うな。こないだの借りがあるだろう。一人辞めさせてくれるだけで良いんだ」

交渉は難航しているようだが、きっと通すのだろう。自信があるからこんな条件を持ちかけたのだ。身動きがとれず、死刑宣告を待つ。悪趣味な絶望だ。

でも、それは成立しない。わたしはどうなっても良いけど、弘さんに手を出させる訳にはいかない。だからーー。

「ねぇ」

こっちを向いた黒服を銀色で貫く。そして、力が緩んだ隙をついて立ち上がり、男の前へと回り込んで、彼にもチカラを使った。

不意の沈黙。記憶が適合するまでの僅かな時間。その間にわたしは額に手を当て、彼らから少し距離を取った。

『おい、どうした? 文造?』

「……いや、なんでもない。さっきの話は無かったことにしてくれ。ではまた」

顔面蒼白になりながら、呆然と電話を切る。そして、恐る恐るこちらを向いた。

「あぁ……ぁ」

ふるふると震える彼に先程までの傲慢さは無い。むしろ彼の方が惨めな程に怯えている。

「申し訳ありませんでした。どうか慈悲をお願いいたします」

そして、地面に崩れ落ち、頭を擦りつけんばかりに土下座をする。ガクガクと震えていて汗だく。涙を堪えているような嗚咽も聞こえる。視線をずらすと、黒服も同じような様子であった。

「別にいい。気にしてない」

二人を置き去りにし、歩き出す。

「寛大な処置。大変感謝いたします」

後ろで声がしたが、わたしは歩みを止めない。

彼らにとってわたしは、安河内財閥以上の大きさを誇る白井財閥の関係者ということになっている。
男はわたしのことを見たことがある気がしており、唐突にそれが白井財閥のパーティでのことだったと気づいてわたしの正体が判明する。そういう設定。
色々と信憑性を増すような小細工もしておいたし、今日の負い目から、彼らはわたしの話題なんて極力避けて、ひた隠しにするはず。きっと真実がバレることはないだろう。

まぁ、バレたとしてもどうとでもなる。それがわたしのチカラだ。

ゆっくりと進める足。振動の度に腹が悪夢のような痛みを鋭く走らせる。普通だったら、歩くことはもとより、立ち上がることも困難なのかもしれない。
だけど、わたしにとってはどうってこともなかった。痛みには慣れている。痛覚を意識と切り離す術も知っている。機能さえ失われていなければ、この位の傷、耐えることなど簡単だ。

しかし、こんな状態でバスケをするのは最高に面倒くさくはあった。だから、足は体育館へは向かわない。

階段を上り、祭りの喧騒を切り裂いてまた階段を上る。ひたすらに上る。足が少し重いが、気にしない。

そうしてわたしは、屋上の扉を開けた。









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