パンドラ

須桜蛍夜

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盈月

83

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「西山が違う? どういう意味だよそれ。別に普通だったぞ」

「ぱっと見は同じ。だけどなんか違う。繕ってるだけで本当は恐い瑠璃。そんな気がしたの」

言葉が進むほどにすうっと体温が下がっていく。目の前にフラッシュバックする恐怖を超えた恐怖。

ーーそんな、馬鹿な……。

「賢太郎が気づけなかったのも無理ないと思う。あれは多分、あの子に似た私だから気づけた。瑠璃もそれに気づいたからすぐ退散した」

俯いた重い口調は、それが真実だったと迫ってくる。巴はこんな冗談は言わない。あれは本当に、関わりたくない方の西山だったのだ。

「なんでだよ」

思わず吐き捨てる。短い期間だが、そばであいつを見てきた。その間、変貌したのはあの一度だけ。切り替わりのスイッチが何処にあるのかは分からない。でも、浅い所にあるとも思えない。
ならなんで今日はーー。

「分かんないよ……分かんない。瑠璃がどこで何やってたのか。何が本当の瑠璃なのか。全然」

巴も戸惑っているようだ。会話は途切れ、動くことすら憚られるような沈黙へと空間が沈んでいく。

思い浮かべる謎多き少女、近づいても離れる孤高の少女。

ーーあいつは一体何者なんだ?

答えなんて出ない問い。答えなんて無い質問。
だけど、俺はその答えが欲しかった。俺はあいつを知りたかった。

「あ……」

明後日を見ていた瞳がこちらを向く。無限ループな思考の中でふと閃いた一つの手がかり。それをゆっくり口にする。

「消臭剤だ」

「しょう……?」

巴は訝しそうにしわを寄せる。俺はそんな彼女を正面から見つめた。

「西山がそばを通った時、匂いがしたんだよ。爽やかな匂い。知ってる気がしたけど、思い出せなくて。それが、消臭剤だ」

「……じゃあ、瑠璃は何かの匂いを消したかったってこと? 何を?」

聞かれても、それは俺には分からない。それは俺の役割ではない。俺は助手だ。ヒントは出せても答えは出せない。探偵と助手じゃあ頭の作りが違うのだ。

現に少女は自分の世界で思考を展開している。俺の助力なんか頼りにしていない。

「流石に分かんないな……」

推理を終えた探偵は手がかりの無さに顔をしかめる。証拠の無い回答はただの推測。その推測にすら辿り着けない状況で彼女は、無力を嘆くことしかできない。

「考えてもしょうがねぇなら、聞いてみればいいんじゃねぇか? 西山、割と素直なとこあるし」

「そうかな。そうだね。その可能性も無くはないかもね……」

俺のアドバイスは遠くを見るようにかき消された。何を思っているのか分からない。ただ少し寂しそうに見えるその表情はいつも、俺が探偵じゃないことを悔やませる。立場が逆ならこいつを助けてやれるのに。

「でも、ま、いっか。今日は写真の事で来たんだし、余計な事に首突っ込まなくても」

こうして笑って誤魔化させずに済むのに。


巴の笑顔は綺麗で哀しい。

俺に対しては仮面を被らない。そう言ってくれた。でも、俺は彼女に届かない。俺は彼女に及ばない。俺は彼女の世界に入っていけない。俺は結局、巴と悩みを共有できない。

俺はこいつを孤独から救えていない。

「本当にいいのかよ。聞かなくて」

「うん、いい。やぶ蛇は怖いし、今日は収穫あったから、これ以上望んだらバチが当たりそうだし」

「収穫?」

「うん。ほら」

巴が掲げたのは自分のスマートフォンだった。そこには『今日はごめんね。瑠璃をよろしく』 の文字。

「瑠璃の家族と面識が出来た。どさくさに紛れて西山さんのメアドを交換した。これ、学校での瑠璃しか知らない私達にはかなりの収穫でしょ?」

「あぁ、そうだな。収穫があったならいいか」

ニカッと笑う友人に同意する。正直、西山さんとのパイプがどこまで効果を持つかなんて知らない。でも、巴が収穫というくらいだ。きっと意味を持つのだろう。そしてきっとーー。

こいつはいつか西山の謎を解く。秘密を知る。そしてもっと仲良くなる。その時には俺はお払い箱。助手なんて物語を盛り上げるためのモブでしかない。探偵に本当に必要なのは、同じ頭脳を持つ相棒だ。

読み手の居ない物語で、巴の隣に相応しいのはもう一人の完璧超人。 

ぼんやりと夕陽に染まる幼馴染の横顔を見た。今は手が届く少女。今しか手が届かない少女。

西山の事を知りたいと思う反面、俺はその日が来るのが途轍もなく恐ろしかった。 



 
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