この婚約、破棄させていただきます!

アザとー

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運命からは逃げられないわけ?①

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 兄からは婚約破棄の許可をもらったものの、モースリンはそれをすぐに実行に移すほど浅薄ではなかった。
 まあ、ハリエットに対する未練があったのも確かだが……この婚約が国内の政治的なパワーバランスをとるためのものであり、つまり王家がその権力を繋ぎ止める必要があるほどの最強家門であるカルティエ家が王家に三行半を突きつけるというのは、これすなわち国家に対して叛逆の意図アリと受け取られる可能性が濃厚すぎるからである。
 だからこそ婚約解消--協議離婚的に穏便な方法で婚約を白紙に戻したいと、これが現段階でのカルティエ家での意向であった。
 ところが、どこの国にも騒乱を求める者はいるわけで、この国では神殿派の最高峰である大神殿の主--キュプラ=ベンベルクがそれに当たる。そう、カエデの身柄を保護している大神殿の主人である。
 彼は二十代という異例の若さで大神殿主の職についた異才であり、まだ若いが故の野心に燃える心を失っていなかった。
 キュプラは異界よりの召喚に応じてこちらの世界に現れたカエデを、人の少ない大神殿の奥深くに住まわせている。神殿側の言い分というものはあって、曰く『聖なる御身に世俗の垢の着かないように』ということらしい。
 元々がカエデの召喚自体が神託によるものだった。南の村に現れた魔物の討伐を依頼された神殿に女神が降り、魔物に対して絶対的な脅威となる光の巫女を異界より召喚せよとのたもうたとか。その神託を受けたのはキュプラ猊下が一人きりの時であったとか、これ、何気に大事。
 つまり、それが本当に神託だったのか、それともキュプラの虚言であるのかを知る人はいないということだ。
 だが召喚されたカエデは実際に女神から光の魔力を授けられて南の村の魔物討伐に参加した。そして見事に魔物を退けたのだから、いまや神殿派はこれを『聖女』として崇め奉り、信仰のシンボルとしてこの世界にとどめおいているのである。
 少なくともこれが表向きの理由--キュプラがカエデをこの世界にとどめおいたのには別の意図がある。
カエデには何人か侍女がつけられているが、これらはキュプラの意のままに動く子飼いの者たちである。むしろ侍女に扮した監視役という方が正解であろう。
 彼女たちは聖女に傅き、細やかに身の回りの世話を焼くと同時に聖女をここから出さず、またここに誰も立ち入らせないように目を配っているわけだ。その甲斐あって、カエデはこの世界の常識をほとんど知らない。それこそがキュプラの狙いであった。
 カエデが学園から帰ってきた頃合いを見計らって、キュプラは彼女の部屋を訪ねた。カエデはちょうど部屋着に着替え終えておやつを食べている最中であった。
 キュプラは侍女たちを下がらせる。豪奢な部屋の中でキュプラとカエデは二人きりになったが、彼女は何も気にしない様子であった。むしろ若くて見目の良いキュプラと二人っきりになったことを喜んでいる節さえある。
 カエデは一際甲高い耳障りな声で叫んだ。
「今日も来たの? 猊下、本当にアタシが好きなのねぇ」
 そう言いながらひらひらと手を振るカエデは、王権に比肩する権力者である大神殿主を迎えるにしては、あまりにもだらしない姿だ。
 部屋の真ん中には天蓋の付いたバカでかい寝台が置かれているが、カエデはその真ん中に胡坐をかいて菓子を頬張っている。黄金色をした焼き菓子のカスがぽろぽろとこぼれてもまったくお構いなし。
 そもそも着衣からしてだらしない。彼女が異界の部屋着だと言って神殿の針子に仕立てさせた『キャミソール』なるものを着ているのだが、これが輪に縫った布を肩ひもで吊っただけという、ほとんど裸に近いものなのだ。
 なんでも聖女曰く「ここにはくーらーがないから暑くって~」だそうだが、この世界の女ならば花も恥じらう盛りを過ぎた年まであっても、こんな破廉恥な格好で恋人以外の男の前に立つことはないだろう。
 つまりカエデはこの世界の若い女性としての常識を一つも持ち合わせていない。ひるがえってこれは、キュプラによる情報操作がうまくいっている証拠でもあるが。
 キュプラは、まるで目の前にあるのが玉座であるかのように、カエデがだらしなく身を投げた寝台の前に恭しく跪いた。
「聖女様におかれましては本日もご機嫌麗しく……」
 カエデがキャーッと恥じらいも慎みもない悲鳴をあげる。
「やばやば、めっちゃ顔がいい!」
「お褒めに預かり光栄にございます」
「あ、やば、これ、スチルで見たかも」
「『すちる』ですか、それは、どのようなものなのです?」
 キュプラはカエデが話す異界の言葉を否定したりせず、「なるほど、なるほど」と相槌を打ちながらその意味を説明させる。
 彼はこうした丁寧な聞き取りを行うことによって、カエデが話す異界の言葉の意味を噛み砕き、自分の知識として吸収するようにしてきた。今ではカエデが元いた世界はには魔法が存在せず、こことは全く違う文明や常識を持つところなのだということもよく理解している。そこは魔法がない分、科学が発展していて、デンキというエネルギーで動く便利な道具に満ちた世界なのだと。
 そして、そんな世界で育ったカエデから見れば、魔法があり、魔獣が存在するこの世界は、『物語の中で見たことがある』感覚を喚起させるものだということも、よーく理解している。
 キュプラは立ち上がり、寝台の端にそっと座った。寝台は大きくて、それだけではカエデとの間に人一人分くらいの余裕があるのだが、そこに片腕をついて彼女に向けて身を傾ける。それでも拳一つ分の間は空いているが、これは貞操観念の壊れたカエデが飛びついてきたとしても咄嗟に身を引くことのできるギリギリの間合いだ。
 それでもカエデから見れば、白皙の美青年が想い人に近づこうと精一杯身を乗り出しているように見えることだろう。それは『勉強』のために取り寄せた少女小説に書かれていた挿絵と同じ構図を真似たもの、つまりは計算なのだが。
「スチルとは挿絵のようなもの……つまり、聖女様はこれをお望みですか?」
 下から見上げるようにして楓を見上げてやれば、彼女は忌々しくも甲高い声で喚く。
「いやぁあああ! 顔がいいー!!!!」
「ご満足いただけたようで何よりです」
「あ、でも、スチルでは手を握ってくれていたかも」
 ニコニコしながら手を差し出すカエデに向かって、キュプラは心の中で悪態をつく。
(調子に乗りやがって、この売女が!)
 しかしそんなことはおくびにも出さずに優しく微笑む。このくらいの演技ができなくては、聖職者の頂点である大神殿主など務まるわけがない。それに、こういう時に魔法のように使える言葉を、キュプラは心得ている。
「ピロン、『好感度』が下がりました」
 途端に、カエデがパッと身をひいた。
「え、困る。無し、今のナシ」
 キュプラはできるだけ無表情で答えた。
「ピロン、『好感度』が戻りました」
「あー、よかった」
 これだ。彼女はやたらと『好感度』というものを気にする。だからこの言葉をうまく使えば、彼女を意のままに行動させることができるのだ。
 実は学園でのカエデの取り巻きとして選び出した美少年たちには、王子とカエデが顔を合わせることがあれば、折に触れて「ピロン、『好感度』が上がりました」と囁くようにと伝えてある。その効果は、そろそろ出ているはずである。
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