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運命の始まり③
しおりを挟む「きゃあああああ!」
奇声をあげて飛び起きたモースリンは、まず真っ先に自分の首を撫でた。当然だが、首には傷一つない。
「……そうね、夢……ですものね」
しかし、あまりにも生々しい感覚のある夢だった。まるで一度死を体験したかのように--しかし俄には信じ難い未来であった。
モースリンから見たハリエット王子は、優しすぎて心配になるほど心優しい青年だ。例えば王宮の庭に怪我を負った小鳥が落ちていたことがあったが、心優しい王子はこれを拾って手ずから看病し、再び野に返してやったことがある、そういう優しい男なのだ、あの王子は。
「まさか、あのハリエット様が私を……」
辺りは明るいが太陽はまだ顔を出し切ってはおらず、窓の外に朝焼けが見えた。その桃色の光に照らされた部屋の一角には、大小取り揃えて十枚ほどのハリエット王子の肖像画が飾られている。その手前にはガラス張りの陳列台がしつらえてあり、ハリエット王子から贈られた大事な『コレクション』が綺麗に並べられている。説明するまでもなく明らかに『推しを崇めるための祭壇』である。
その推しが見たこともないほど恐ろしい--慈悲も憐憫も感じさせぬほどの冷たい表情で、これから断頭台に上がろうという罪人を睨みつけているというのは……モースリンにとっては明らかに『解釈違い』であり、それだけでもダメージは大きい。
「少しは……私に愛情を感じてくれていると思っていたのに……」
モースリンの呟きを拾うものがいた。
「お嬢様、大丈夫でございますか?」
いつからそこにいたのだろうか、コットンがベッドの傍に立って、心配そうにモースリンの顔を覗き込んでいる。もっとも彼女は母親こそ普通の乳母であるが、父親は代々隠密を務める家系であり、その隠密術の全てを仕込まれているのだから、こうした神出鬼没っぷりにモースリンが今さら驚くことはない。
「まさかコットン、一晩中そこにいたの?」
モースリンが聞けば。
「一晩中ではありませんよ、たまたま、お手洗いに行くついでに様子を見にきただけです」
そう言いながら、コットンはスイッと視線を右上にそらす。
「うふふ、うそばっかり」
「それより、夢は見たんですか、どんな夢でした?」
そう聞かれて、モースリンはきゅっと唇を噛む。
「あのね……」
「はい」
「私、ハリエット様に殺される運命なのだわ、それも断頭台に送られて」
コットンがキョトンと目を見開いて黙り込んだ。長い沈黙が続く。
「あの……コットン?」
「……あ、はい、申し訳ございません。あまりに理解できない話ゆえ、ちょっと意識が飛んでおりました」
この侍女は、ハリエット王子がどれほどモースリンにのぼせているのかを知っている。
侍女としてモースリンについて城に上がれば、件の王子はいつだって『恋人を待つ男の顔』でモースリンを出迎える。ありていにいえば「衆目がなければ軽くチュウして、腰に手を回して、そのまま甘い言葉を囁きながら寝室に連れ込んでしまいたい」みたいな男の欲望が、表情からもダダ漏れなのである。
それでいながらいざ二人きりにされると、ヘタレて手を出すことができない。隠密としてモースリンにつくこともあるコットンは、デート中に物欲しそうな目でじっとモースリンの手を見ながら、それでも手を繋ぐことさえできずにオロオロしているハリエット王子の姿をなんどもみている。
だから、モースリンの言葉が俄には信じられなかったのだ。
「あの『モースリン大好きー!』しかないような王子がですか?」
モースリンは悲しそうに顔を伏せた。
「夢の中で……ハリエット様の隣には可愛らしい女性がいたわ。きっと、これからあの女性と出会って、本当の恋をなさって……私とはしょせん政略結婚の間柄だと気づくのでしょうね」
その声がしっとりと涙を含んでいることに気づいたコットンは、あわててモースリンの肩に手を置いた。お嬢様に仕える侍女としてではなく、乳姉妹を慰める姉として。
「ごめんなさい、モースリン、一番辛いのはあなたなのに……あのハリエット様に殺されるなんて、あなたにとっては一番残酷な運命だもんね……」
モースリンの方も姉に甘える幼子みたいに、無遠慮に鼻を啜り上げて泣く。
「ううっ、コットン、ねえ、あれ、本当に予知夢だったのかしら、普通の悪夢だったってことはないのかしら……」
「残念だけど……」
コットンはモースリンの左の手首を指した。そこには数字の5を表す文様が浮かんでいる。
「私、あなたのおばさまの侍女だった母から、色々とカルティエ家の女神の祝福について教わったの。これ、女神の祝福によって夢を見られる回数なんですって」
「つまり、あと5回、あのイヤな夢を見るってこと?」
「そうじゃなくて、これから私たちが運命を変えるべく動くでしょ、そうしたら、未来が変わるでしょ、そうやって変化した未来を見せてくれるってことよ」
「未来を変えるチャンスが5回あるってことね」
「そういうこと。だから、焦らないで。その、王子の隣にいた女性は、まだ現れてないんでしょう?」
「ええ、見たこともない子だった」
「じゃあ、こういうのはどう? 王子と出会うよりも先に、その子を探し出して、私がこっそり始末してあげる」
「そういう物騒なのはダメよ」
「ちっ!」
「舌打ちしないで」
モースリンは笑いながら涙を拭った。
「でも、ありがとう、おかげで元気出てきたわ。そうよね、まずはその子がハリエット様と出会わないようにするって手があるわよね」
「だから、私が始末を……」
「物騒なのはダメだってば。なんとか穏便に済ませられないか、お父様たちに相談してみるわね」
コットンはホッとしたように少し笑った。その後で一歩下がって、いかにも侍女らしく腰を折って恭しくお辞儀をしてみせた。
「善は急げという言葉がございます。さっそく、それを旦那様にお伝えして参りますので、今暫しそのままでお待ちください」
そうして、時間は真夜中だったのだが、モースリンの両親と兄が呼ばれた。今夜はモースリンが女神の祝福を受ける夜ということで、みんな寝もせずに待ち構えていたのだろう、ものの5分もしないうちに、屋敷中の全員がモースリンの部屋に集まった。
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