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2巻
2-1
しおりを挟む第一話 運命のクラス分け
俺――ルクスは、カイザーという男に平民の少女が罵倒されている場面に遭遇し、その横暴な振る舞いを止めようとした結果、喧嘩を吹っ掛けられていた。
「ラーズ商会のカイザーと第七皇子のルクス様が今からここで戦うらしいぞ……」
「おいおい、マジかよ……!?」
俺とカイザーのやり取りをそれまで見ていた生徒たちが、ひそひそと話す声が聞こえる。
中には危険を察知して立ち去る者もいたが、大半がこの戦いに興味があるのか、距離は取りつつも遠巻きに俺たちを観察していた。
「やめてくださいっ、私のために、こんなっ」
先程までカイザーに罵倒されていた平民の少女が、互いに睨み合う俺とカイザーの戦いを止めようとして割って入ってきた。
俺はそんな彼女に背後に隠れているよう促す。
「俺のことは心配しなくていい。下がっててくれ」
「で、でも……」
「今のあいつは完全にやる気だ。ああなったら多分口で言っても止まらないと思う。ここは俺に任せてほしい」
「わ、わかりました」
俺がそう言うと、逡巡していた少女は頭を下げて俺の背後に隠れた。
「はっ。第七皇子様よ。帝国民の前でいい皇子を演じようって正義の味方気取りか? それもいいけどよ……やっぱ皇族ってのは実力が伴ってなきゃダメだよな?」
俺の行動を見て、カイザーが鼻で笑う。
「……そうかもな」
「だったらよぉ……その実力を今ここで証明してくれよ。ルクス様? 見物してる連中もそれを期待してるぜ?」
カイザーが周りの生徒を顎でしゃくってそんなことを言った。
俺はひたすらカイザーをまっすぐに見据えながら言った。
「言いたいことはそれだけか? 俺はいつでも構わないからさっさとかかってきてくれ」
「……っ」
カイザーの額に青筋が浮かんだ。
今の俺の言葉で完全に火がついたらしい。
「舐めやがって、出来損ないの皇子が……実力の差を思い知らせてやるよ」
魔力の気配が、カイザーの体を覆う。
俺は自分からは仕掛けずに、カイザーの出方を窺うことにした。
「魔弾・二重奏!」
「「「ぉおおおお!!」」」
カイザーが魔法を発動すると、周りの生徒からどよめきの声が上がった。
カイザーの頭上には、二つの魔弾が浮かび上がっている。
「ははははは。見たか、無能皇子! これが俺の魔法だ。魔法を二つ同時に発動する必殺技――二重奏! どうだすごいだろう!?」
「……」
勝ち誇ったように言うカイザーを俺は黙って見据える。
俺からすればなんてことない魔法だが、その感想は口には出さないでおいた。
わざわざ煽ってこれ以上カイザーを怒らせる意味もない。
それに、カイザーを見る新入生たちは驚愕しているし、この時点で二重奏が使えるのは、学園ではある程度筋がいい方なのだろう。
「お前みたいな無能皇子じゃ一生到達できない領域だ! これを今からお前に撃ったらどうなると思う!?」
「……」
「おい、聞いてんのか? これを食らったらお前だってただじゃ済まない。俺に盾突いたことを謝罪して、地面に額を擦り付けて土下座すれば今だったら許してやるぞ? まぁ、一国の皇子がはたしてこの大人数の前で頭を下げられるかは疑問だがなぁ。プライドと命、どちらを優先するか選びな」
カイザーがそう言って下卑た笑みを浮かべながら挑発した。
すっかり勝った気でいるらしい。
「土下座はしない。その必要はないからな」
「あ? どういう意味だ?」
「その程度の魔法、簡単に防げるってことだ。撃ってこい」
「……」
俺が短く答えると、カイザーの目がすぅっと据わったのがわかった。
「じゃあ、お望み通り砕け散れ」
次の瞬間、冷たい一言とともにカイザーが二つの魔弾を放ってきた。
「魔壁・三重奏」
過剰な防御だと思いつつ、万が一に備えて俺は自分の前方に魔壁を三重に展開する。
パァン!!
「なっ!?」
乾いた音が鳴って、カイザーの魔法が弾き返され、霧散した。
予想通り、彼の攻撃は俺の魔壁を一枚も突破することができなかった。
単体の魔法での質が違うのだ。
「なっ!?」
一瞬遅れて、カイザーの目が見開かれる。
「ま、魔壁の三重奏だと!?」
見間違いを疑うようにカイザーが目を擦った。
カイザーがしっかりと俺の防御魔法をその網膜に焼き付けられるように、俺は魔法を維持し続けた。
「あ、あり得ない……そんな……」
カイザーが口をぱくぱくとさせて後ずさる。
「なんで……無能皇子ごときに三重奏の防御魔法が……」
「俺が使えるのは防御魔法だけじゃないぞ」
俺は三つの魔壁を解き、次に自分の頭上に攻撃魔法を展開した。
「魔弾・四重奏」
カイザーの二倍、四つの魔弾が一気に宙に現れる。
それも、一つ一つがカイザーの魔弾を遥かに超える大きさだ。
「あばばばばばばば!?」
カイザーが俺の展開する四つの魔弾を見上げながら変な声を出す。
そのまま尻餅をつき、怪物でも見たかのように顔面蒼白になった。
這いずって逃げ出そうとするカイザーに俺は告げる。
「今度はこっちのターンだ。行くぞ、カイザー」
「ひぃいいいいい!?」
ビュッ!!
空気を切り裂き、四つの巨大な魔弾がカイザーに飛来する。
「あぎゃああああああああ!?」
カイザーが絶叫した。
その場にいた俺以外のすべての人間が、次の瞬間の大惨事を予想して目を閉じる。
パァン!!
だが、俺の魔弾はカイザーに着弾することはなかった。
その直前で音を立てて弾け、空気に溶けて霧散した。
カイザーに放ったのは、見せかけだけの魔弾だ。魔力は魔弾の表面だけに巡っており、中身はスカスカ。当たっても大怪我しないように俺が調整した。
流石にあの大きさで魔力量もある魔弾だと、被弾した側が命を落としかねないからな。
その程度の分別ができない俺ではない。
「あひゅ……」
目の焦点が合っていないカイザーの口から変な声が漏れた。
「あぶぶぶぶぶ……」
そのまま口から泡を噴き、カイザーは地面に仰向けに倒れてぴくりとも動かなくなる。
「おい、大丈夫か?」
俺が声をかけるが、カイザーからの反応はない。
ショックがデカかったのだろうか。
数人の新入生が、カイザーのもとに駆け寄って安否を確認する。
「き、気絶してる……」
「息はあるな……無事みたいだ。ん? なんか酸っぱい臭いがするぞ……」
「なんだこの臭い……げっ、カイザーが漏らしてる!?」
「きゃああっ。ふ、不潔! 穢らわしい!!」
どうやらカイザーは、俺の魔弾の恐怖で失禁してしまったみたいだ。
新入生たちが周囲に充満する臭いに悲鳴を上げて、離れていく。
「少しやりすぎたか……」
俺は何人かの男たちによって校内の医務室に運ばれていくカイザーを見ながら、もう少し手加減しても良かったかもしれないと反省した。
「あの……助けてくれてありがとうございました」
カイザーを遠目で見送っていると、後ろから声をかけられた。
背後に立っていたのは、カイザーに絡まれていた平民の少女だ。
両手を胸の前で合わせて、潤んだ瞳で俺を見上げている。
「あなたがいなかったら、あの人になにをされていたかわかりませんでした……助けていただいて本当に感謝しています」
俺は恭しく頭を下げる少女に笑いかけた。
「構わない。力になれたのなら良かった。名前を聞いてもいいか?」
「はい。私はニーナ。ただのニーナです。平民ですので家名はありません……えっと、あなたは第七皇子のルクス様、ですよね?」
「そうだ。ニーナは新入生なんだよな? 俺と同じで」
「そうです。と、特待生制度を使って、この学校に入りました……はい……」
まるで悪いことでもしたかのように、ニーナは視線を落として気まずそうに言った。
先程カイザーにいびられたせいなのか、平民としてこの学校に通うことに対して気後れしているのかもしれない。
「すごいな、ニーナは」
「え……?」
「平民のために用意された特待生制度の数少ない枠を利用してこの学校に入るなんて。入試も俺たちが受けたのよりずっと難しい内容だったはず。その試験を突破できたのだから、もっと誇るべきだ。本当に頭が上がらない」
「……っ!?」
ニーナが驚いたような表情で俺を見た。
こんなことを言われるなんて夢にも思わなかったのだろう。
「い、いえ……私なんて……別にそんな……」
「謙遜しなくていい。ニーナがしたことは、先程のカイザーよりよっぽどすごいことだと思う。それに引き換え、カイザーの君に対する非礼は目も当てられないものだった。この国の特権階級が全員ああだなんて思わないでくれないか?」
「も、もちろんです! ル、ルクス様は私を助けてくださいましたし……」
「ありがとう。それから俺に対して敬語は必要ない。帝国魔法学校の中には身分の差は存在しないからな。タメ口で構わない」
「で、でも……皇子様に対してそんな……」
「俺が構わないと言っている。お互いにラフな口調の方が、仲良くなりやすいだろ?」
「ル、ルクス様がそう言うのでしたら……」
ニーナがおずおずと頷き、一拍置いてから口を開く。
「こ、これからは……こんな感じの口調でいいかな? ル、ルクス」
「ああ、いい感じだ。よろしくな、ニーナ」
俺は身分の差のない新入生同士としてニーナと握手を交わしてから、入学式の会場へ向かう。
二百名を超える今年の新入生とともに整列すると、式が始まった。
オズワルドと名乗る理事長が壇上に上がり、俺たちの入学に対する祝辞を述べる。
そして続けて、この学校の仕組みの説明に移った。
「この帝国魔法学校の敷地内では身分の差は存在せず、権力が強い者が、それを振りかざすことは認められない。また一学年あたり、魔法の知識や実力の優劣でAクラスからDクラスの四つに分けられる。定期的に行われるクラス対抗戦の成績いかんによっては、一度決まったクラスに入れ替わりが発生することもあり得るぞ。最後に、進級についてだが、年に一回の試験を突破した者のみが、次の学園へ上がれる。反対に、合格しなければ次の学年へ進級することはできない」
帝国魔法学校を創設した目的は、とにかく強い魔法使いを育成し、帝国の国益に役立つ人材を輩出することだ。
理事長が話していた実力順のクラス分けも対抗戦も、そういった優秀な魔法使いを選定するために競争させているだけにすぎない。
そうやって厳しい競争を勝ち抜いて卒業した生徒こそが、エルド帝国の社会から一流の魔法使いであると認められるのである。
「分かってはいたけど……やっぱり過酷だな。ここの環境は……」
「ああ……ぼやぼやしてるとすぐに落第しそうだ……」
「クラスによって待遇も全然違うらしいぜ……なんとか上のクラスにしがみつかないと……」
オズワルドの説明を聞いて、新入生たちはだいぶ怖気づいているようだった。
俺からすれば、この学校での競争なんて、後宮内での後継者争いと比べれば、それ程大変なものでもない。別段この学校の校則や方針に対して思うことはなかった。
結局後宮にいようが、帝国魔法学校にいようが、日々研鑽を積んで魔法を極めるという方針は変わらない。
大切な人たちを守るために、俺はこれからも努力を続けるつもりでいた。
「それでは次に、新入生たちのクラスを発表しようかの」
一通り校則を語り終えたオズワルドがそう言い出した。
入学試験の点数を基準に、新入生たちをAからDの四つのクラスに振り分けるのだろう。
新入生の名前と一緒に、所属クラスが告げられていく。
「トール・ゼノン ……Aクラス!」
「よっしゃぁ!」
「エリヴィン・マリアス……Cクラス!」
「くっ……ギリ耐えたか……」
「ニーナ……Dクラス」
「こ、ここから頑張らなきゃ……」
一喜一憂する新入生たちの様子を見ていると、あっという間に俺の名前が呼ばれる。
「ルクス・エルド」
俺が皇子だからか、あるいは先程のカイザーとの騒ぎを見られていたからなのかはわからないが、名前が呼ばれた途端、みんなの注目がいっせいに集まった。
大勢の視線を一身に浴びながら、俺はクラスが告げられるのを待つ。
「……Dクラス」
「「「えっ!?」」」
「「「まじ!?」」」
無言で聞いていた俺に対し、会場にいたほとんどの新入生がざわつく。
そのまま彼らは、俺を見ながらヒソヒソと話し始めた。
俺は特にリアクションをすることもなく、そのまま元の姿勢と視線を保ち続けた。
その後も残った生徒の名前が呼ばれ、クラスが告げられていったが、新入生たちの間に広がったざわめきは消えることはなかった。
◇ ◇ ◇
入学式の会場でクラス分けをされた俺たちは、その後それぞれの教室へと移動することになった。
廊下を歩いている間も、周囲の人々は俺を見ながらひそひそと会話していた。
「おい、ルクス皇子はDクラスだってよ」
「一番下のクラスじゃないか……」
「大丈夫なのか? 皇族なのにDクラスって……下手したら卒業できないんじゃないか?」
「帝国魔法学校を卒業できなかったら、帝国民の支持は得られないだろうな……次期皇帝の座から遠のいたと見るべきか……」
「で、でも……私、見たよ? ついさっき、あのラーズ商会のカイザー様との一騎打ちで三重奏魔法を使ってたところ……あんなすごい魔法を使えるルクス様がDクラスだなんて信じられない……」
「俺はルクス様と同じ試験日程だったけどよ……や、やばかったぜ……的を破壊したり、暴走した試験官を倒したり……」
「マジかよ!?」
「噂は本当だったのか……」
「ますますクラスに配属された理由がわからないな……」
「もしかしてこれも皇族たちの権力闘争の一環なのかな?」
「可能性はあるな。なんにせよあまり関わらない方がいいだろうな」
仮にも帝国の皇子が最下位のクラスに配属されたのを見て馬鹿にして笑っているのだろうか。
あるいは、先程のカイザーとの戦いを見た者は、意外に思っているかもしれない。
俺としてもDクラスに配属されるのは多少予想外だった。
とはいえ、別段大きな落胆はない。
どのクラスに配属されようが、全力を尽くし、のし上がるまでだ。
今日まで後宮で行われてきた皇族たちの熾烈な権力闘争に比べたら、帝国魔法学校内の生徒同士の競争など児戯に等しい。
対抗戦でのクラス替えのチャンスがそのうち巡ってくるだろうし、その時に上のクラスを目指せばいい話だ。
「ル、ルクス……お、同じクラスだね……!」
「どうやらそうみたいだな。よろしくな、ニーナ」
「う、うん! よろしく」
俺の前に名前を呼ばれていたが、ニーナも俺と同じDクラスだ。
Dクラスに配属された他の新入生たちが悲嘆に暮れている中、ニーナの表情はやる気に満ちていた。
「い、一番下のクラスになっちゃったけど……ここから頑張らなきゃ」
自らに言い聞かせるようにそんな呟きを漏らしながら、気合を入れるように両の拳をぐっと握っている。
「ル、ルクスも一緒に頑張ろう? 頑張って次のクラス替えで絶対に上に上がろうね?」
「そうだな、一緒に頑張ろう」
俺が頷きを返すと、ニーナは嬉しそうに微笑んだ。
「で、でも……ちょっと意外だったな。ルクスだったら絶対にAクラスだと思ったのに……」
「自信はあったんだがな。しかし、帝国魔法学校が俺に下した評価は予想と違ったみたいだ」
「そ、そんなことないよ絶対に……だって、ルクスは私を助けてくれた時みたいな、すごい魔法を使えるんだよ? 絶対に実技は新入生で一番のはずなのに……どうして?」
「さあ、な。どういう判断基準でクラスが決められるのかは俺にもわからない」
「も、もしかしてルクス、入学試験の筆記試験ですごい手を抜いたりした?」
「してないぞ。筆記も実技同様全力で挑んだ」
個人的には、筆記だって限りなく満点に近い成績を出せたと思っていた。
だが、いかに採用基準が不明といえど、実技も筆記も満点ならAクラスに入れるはずだ。
ということは、筆記の方で何かしら問題があったと推測できるのだが――
「まさか……」
何かしら工作されていたのか? 実技での担当のおかしな対応といい、違和感がないと言えば嘘になる。
「……?」
ニーナが横で俺の様子を窺いながら首を傾げた。
「いや、考えすぎか……」
誰かの陰謀か、なんて考えが頭をよぎったが、仮にそうだったとしても証拠がない。それに今さら試験について考えてもあまり意味がないだろう。
そうこうしているうちに、Dクラスの教室の前までやってきた。
「あ、着いたみたい」
「え、ここが……?」
「嘘でしょ?」
前方で、教室を覗き込んでいた生徒たちの表情が芳しくない。
なんだか絶望している様子に見えた。
俺は彼らの視線を追って教室の中に目を移す。
「なるほど……これは……」
「こ、これがDクラスの教室なんだね……」
さながら物置きの様相を呈している空間がそこにはあった。
かろうじて人数分の机と椅子は並べられているが、そのすべてが埃まみれだ。
整理も掃除もまったくされていない。
最後に掃除されたのは、いつなのだろうか。
入学式の時にクラスによって待遇も違うと理事長のオズワルドが説明していたが、最下位のDクラスともなるとここまで酷い環境なのか。
「マジかよ……ここで授業やるのか……?」
「これが帝国魔法学校の洗礼……」
「ここでずっとすごすなんて嫌だ……」
「絶対に上のクラスに上がらないと……なんとしても……」
Dクラスに配属された新入生たちは、現状の惨めさを噛み締めていた。
こうやってクラスによって待遇に差をつけることでさらに競争を加速させるのが帝国魔法学校の狙いなのだろう。
「とりあえず掃除からになりそうだね」
「そうだな」
苦笑しながらそんなことを言うニーナに、俺は首肯を返した。
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