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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
おぎゃあ、おぎゃあ……
どこかで誰かが泣いている。
赤子だろうか。
「おぎゃあ……おぎゃあ……」
違う。
誰かじゃない。
泣いているのは俺だ。
「おぎゃあ……おぎゃあ……」
泣きやみたくても止まらない。
暗くて心地いい場所から明るい場所に引っ張り出されて、俺はひたすら泣いてしまう。
「生まれましたよ、ソーニャ様」
「元気な男の子です、ソーニャ様」
暗がりから引っ張り出された俺の体が、冷たい外気に晒された。
眩しすぎて何も見えない。
瞼を開くこともできないまま、俺はひたすら泣いた。
「生まれたか……」
今まで女性の声しか聞こえなかったのに、突如として低い声が頭上から降ってきた。
誰かが俺のことを見下ろしている気配がした。
「はい……生まれました……あなたの子供です……」
「馴れ馴れしくあなた、などと呼ぶな。立場を弁えろ、ソーニャ」
「すみません……ガレス様……」
女性が謝っている。
その声には恐怖が滲んでいた。
「おい、早く魔力水晶を持ってきて魔力を測るのだ……」
「はい……」
「すぐにご用意します」
周囲で慌ただしく人が動く気配がした。
俺の体に、何か丸くて冷たいものが当てられた。
「なんだこれは……ゴミ同然の魔力じゃないか……本当に私の子供なのか……」
低い声の人物の言葉に落胆が滲む。
「こんな出来損ないを生みやがって……お前には失望した、ソーニャ」
「すみません……ガレス様」
「一応皇位継承権は与えてやる。だが、それだけだ。こんなゴミ同然の魔力ではこの国の皇帝になることは不可能だろう。母子ともども私の視界に映らないところでひっそりと暮らすがいい……」
「すみません……すみません……」
なぜか本能的に親しみを感じる声の女性が、ひたすら謝罪の言葉を繰り返す。
低い声の男は苛立ったような足音と共にその場を去っていった。
「大丈夫……お前は私が守るからね……」
優しい声の女性が、俺を抱いて耳元で囁いた。
「何があっても私が……守るから……私の大切な息子……」
「おぎゃあ……おぎゃあ……」
俺はその女性の声を聞いていると、なぜか酷く落ち着くのを自覚した。
結局その後、俺はろくに周りの様子を確認することもできず、泣き疲れて寝てしまったのだった。
第一話 第七皇子の不遇な日々
どうやら俺は転生したらしい。
いわゆる異世界転生というやつだ。
転生前、俺は日本の中小企業でこき使われる社畜だった。
それが、車に轢かれそうになっていた子供を助けようとして自分が轢かれて死んでしまい、気がつけば剣と魔法の異世界に転生していた。
前世での俺は一般家庭で育ってきたが、今世での俺は皇族という特権階級の生まれ。
と言っても、かなり冷遇されているタイプの皇族だ。
それは、俺がこの国……エルド帝国の現皇帝、ガレス・エルドが娼婦との間にもうけてしまった望まれない子供だからだ。
ガレスは、正妻とは別に何人もの側室を侍らせており、皇帝の子供を孕んだことで、娼婦だった俺の母親のソーニャも皇帝の側室となった。
そしてソーニャから生まれた俺は、皇帝の七番目の息子――第七皇子ということになったのだった。
俺は皇位継承権は持っているが、後宮内での地位はものすごく低かった。
理由は、俺が生まれると同時に即行われた魔力測定で、俺の体内魔力量がゴミであることが判明したからだ。
エルド帝国の次期皇帝は、多くの皇子たちによる権力闘争の果てに決定されるのだが、魔力量が最低レベルで、しかも元娼婦の子供である俺が皇帝になる道はほとんど閉ざされていると言っていい。よって使用人たちからの扱いも適当だった。
皇帝の正妻や愛されている側室たちが広い部屋に住む一方で、母のソーニャと『ルクス』と名付けられた俺が住む部屋はとても小さかった。
「お前は私が守りますからね……大丈夫だから……」
たとえ望まれない子供だったとしても、ソーニャは腹を痛めて生んだ俺のことを心の底から愛しているようだった。
口癖のように私がお前を守る、私の愛しい子供、と俺に話しかけていた。
前世の記憶が残っている俺だが、しかし不思議とソーニャには親近感のようなものが湧いていた。
大きくなったら俺が母親であるソーニャを守らなければならない、という責任感が知らずのうちに俺の中に芽生えていた。
◇ ◇ ◇
冷遇されながらもなんとか生きてきた俺は、気がつけば五歳になっていた。
この五年間、俺が何をしていたのかというと、ただぼんやりと母親の乳を飲んでいたわけではない。
ソーニャと自分自身を守るために色々とこの世界について学んだり、検証したり、自分自身を鍛えたりしていた。
この世界には魔法が存在する。
俺が元いた世界にはない非常にファンタジックな概念だ。
魔法の発動は体内の魔力を消費することを条件としており、その強さは、体内魔力の量によって決定される。
この魔力量が少ないために、俺は冷遇され続けたが、俺は今の地位を甘んじて受け入れるつもりはなかった。
俺はソーニャのことがすでに大好きになっていたし、将来権力闘争に巻き込まれて呆気なく死ぬなんて結末はごめんだった。
ソーニャと自分自身を守るために、俺は自分にできることを最大限する。
あと、せっかく魔法のある世界に生まれたのだから、魔法を極めてみたいという好奇心もあった。
兎にも角にも、魔力が少なくては魔法は使えない。
なので、俺はまず自分の体内の魔力を増やそうと試みた。
この世界に関して全く知識がなく、手探り状態で色々と検証する必要があったが、様々な苦労を経験したことで、俺は一つの学びを得た。
魔力を使い切った後、次に魔力が回復する時に、まるで筋トレ後の超回復のように魔力が増えるのだ。
ただし、この魔力の超回復には壮絶な苦しみがともなう。
正直めちゃくちゃ苦しくてキツかったが、しかしそれ以外にすることもなかったため、俺は毎日のように魔力を発散しては、苦しみながら超回復し、体内魔力を少しずつ増やしていった。
努力の甲斐あって、俺の体内魔力量は人知れずどんどん上昇した。
そうやって魔力を増やす一方で、歩けるようになった俺は、いろんな本を読んでこの世界に関する知識を集めた。
後宮にはどでかい書庫があり、そこには政治や農業、宗教、魔法、歴史など、あらゆる分野の本が保管されていた。
皇子の特権でその書庫に好きに出入りできた俺は、それらの本を読み漁り、生き残るために必死に知識を蓄えていったのだった。
◇ ◇ ◇
「ほら、逃げろよ! 逃げろ逃げろ! 獲物みたいに逃げ回れよ」
「……っ」
七歳になった。
俺は絶賛いじめられている最中だ。
後宮の中庭、そこでたくさんの使用人たちと皇帝の妻たちに嘲笑されながら、俺はいじめっ子気質の第二皇子、ダストの魔法の練習台にされていた。
「ああくそっ……おっしい、なかなかすばしっこいなぁ、ルクス。ほら、これは避けられるかな? あははははは」
ダストは笑いながら俺に対して魔法を撃ち込んでくる。
俺は中庭を走り回り、決して反撃することなくなんとかダストの魔法をかわして魔力が尽きるまで逃げ回っている。
「見てあれ」
「うふふ、面白い光景だわ」
「娼婦の子供にはお似合いね」
「ダスト様の魔法は流石だわ」
「あの娼婦の子供は魔力がないから反撃もできないのよ」
「肉食獣から逃げるウサギのようね。惨めだわ」
皇帝の妻たちがそんな俺を見て、小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
皇帝に冷遇されている俺たち親子は、もはや後宮内で何をしてもいい相手として扱われ、母子ともども散々な扱いを受けていた。
そのため、第二皇子のダストだけではなく、他の皇子とその母親も、俺たち親子に対して色々と意地悪をしてくるのだ。
「やめてくださいっ……お願いしますっ、やめてください……!」
第二皇子ダストにいじめられている俺を見て慌てて駆けつけてきたのは、母親のソーニャだ。
ダストの母親のもとに膝をついて、ダストのいじめをやめさせるように懇願している。
「お願いします……ルクスを許してやってください」
「おほほほ。惨めですこと。反撃もせずに逃げ回るなんて、あなたの子供は本当に意気地なしの出来損ないね」
「お願いします! なんでもしますから、ルクスを助けて……」
「一応あなたの子供も皇位継承権を有しているのでしょう? 皇族たるもの、自分の身は自分で守るものです。それができないのなら後宮を去るべきでは?」
「そうよ」
「その通りだわ」
「おほほ……娼婦はどこまでいっても娼婦。その子供も程度が知れているというものだわ」
皇帝の妻たちは、泣いて許しをこうソーニャを相手にしていない。
彼女たちを説得することができないとわかると、ソーニャはたまりかねたのか俺のもとに駆け寄ってきた。
「ルクス、逃げて……」
「ほら、捉えたぞ、ルクス」
「母さん! 危ない! ここに来てはダメだ」
俺の目の前に庇うようにして飛び出してきたソーニャ。
そんな彼女にダストの放った魔弾が命中しそうになる。
「魔壁」
俺は咄嗟に魔力の壁を展開してソーニャを守った。
バァン!
「なっ?」
ダストの魔弾が弾かれたのを見て、周囲が驚愕する。
「い、今魔法を……?」
「一体どうやって……?」
「嘘だろ……俺の魔法が……ルクスごときに弾かれた……?」
ダストが驚きに見開かれた瞳で俺を見る。
まずい。
然るべき時まで実力は隠しておきたかったのに。
ソーニャを守ろうと思って、考えるより先に魔法を使ってしまった。
「ルクス……? あなた今魔法を……?」
「よくわからないよ、母さん。それより早くここを離れよう」
「え、えぇ……」
俺はソーニャと共にすぐにその場を離れた。
「今のは本当にあの娼婦の子供が?」
「たまたま運良く魔法を発動できたのでは……?」
「魔力が乏しいあの子供に魔法が使えるとは思えませんわ……きっと他の誰かが……」
「誰か他のものが魔法を発動して親子を守ったのでは……?」
人々がざわめく中、俺はソーニャの手を取って中庭を離れたのだった。
「危なかったな……」
薄暗い森の中で俺はそう独りごちた。
俺を魔法の練習台にしていたダストたちからソーニャと共に逃げてきて、しばらくが経過している。
あの時……ダストの放った魔弾がソーニャに当たりそうになった時、俺は咄嗟に魔法を使ってソーニャを守ってしまった。
そのこと自体に後悔はない。
自らの愛する母親を大怪我から守れたのはいいことだ。
しかし、できればダストや他の後宮の側室たちの前では魔法は使いたくなかった。
彼らには、いつまでも俺が娼婦の女から生まれた魔法がろくに使えない無能だと思っていてほしかった。
その方が、俺にとって都合がいいからだ。
だが今日、俺はソーニャを守るために咄嗟に彼らの前で魔法を使ってしまった。
ソーニャに怪我がなかったのは喜ぶべきことだが、あのような状況を作り出してしまったのはどう考えても失敗だった。
「まだ俺の実力について確信しているわけじゃないだろうし……今後は気をつけよう」
彼らの頭の中には、俺はろくに魔法を使えず冷遇されている無能であると刷り込まれている。
一度あのような形で魔法を発動したからといって、俺を実力者だとは認めず、彼らに都合の良いストーリーを頭の中で作り出すはずだ。
たとえば、俺ではない他の誰かが隠れて魔法を発動してソーニャを守ったのだ……といったような。
だが、その刷り込みも、俺が何度も何度もダストの魔法を打ち消すようなことをしていれば完全に解消され、皆が俺の本当の実力に気づいてしまう。
そうなれば、正式に俺も次期皇帝の座を争う権力闘争における障害であるとみなされて、彼らの戦いに巻き込まれてしまうかもしれない。
それはごめんだった。
少なくとも、今はまだ彼らの争いに巻き込まれるわけにはいかない。
然るべき時が来るまで、自分の魔法の実力は秘匿しておかなければ。
「さて……今日もモンスター狩りといきますか……」
改めて今後の方針を頭の中で確認しながら、俺は暗い森の中を進んでいく。
ここは後宮の裏手にある、深くまで潜ればモンスターと容易に遭遇してしまうような魔の森と呼ばれる危険な場所である。
とても七歳の子供が一人で立ち入っていいような場所ではないのだが……俺は自分の魔法を鍛え上げるために、定期的に後宮を抜け出してはここでモンスター狩りを行っていた。
『ブモォオオオオオオオ!』
「オークか」
魔の森の中をしばらく進むと、突如として近くの茂みから二メートルを超える巨体のモンスターが姿を現した。
豚の頭部。
脂肪に包まれた胴体。
太い手足。
豚人間とでも言うべきそのモンスターは、オークという名称で呼ばれていた。
『ブモォオオオオオオオ!』
俺を見るや否や、怒り狂ったように突進してくるオーク。
この世界のモンスターはこのように、人間を見ると襲いかかってくるのだ。
「魔弾」
ズバァアアアアアアアン。
俺は静かに魔法を発動した。
魔力の塊を弾丸のように飛ばす魔法……魔弾によって、オークの体のど真ん中に穴が開く。
『ブ……モォオオオ……』
魔弾はオークの分厚い肉体を貫通しただけではなく、背後にある大木の幹にも穴を開けた。
致命傷を負ったオークは、しばらくゆらゆらと揺れていたが、やがてドサッと地面に倒れる。
「だいぶ威力が上がったな」
俺はオークを一撃で仕留めた自分の魔法をそう評価した。
最初に魔弾を使えるようになったのが今から三年前。
その時は小枝にぶつけて折る程度の威力しかなかったのだが、今ではオークを一撃で仕留められるほどまでに成長している。
もちろん、俺を魔法の練習台にしてきていたダストが放っていた魔弾よりも格段に威力は上だ。
俺が本気でダストに反撃すれば……おそらくダストは死なないまでも大怪我を負うことになるだろう。
「もっともっと強くならなきゃ……自分とそれからソーニャを守るために……」
すでに一般的な七歳児では考えられないほどの魔法の実力を得ていた俺だったが、この程度で満足するつもりはなかった。
厳しい権力闘争を生き残り、自分と母親の身を守るためにはもっと力が必要だからだ。
第二話 王女との邂逅
「かっこいいですよ、ルクス」
「母さんもとても綺麗だよ」
「うふふ……そんなお世辞も言えるようになったのね……」
「お世辞じゃないよ」
実際、お世辞で言ったつもりはなかった。
目の前にいる今世の俺の母親、ドレスを身に纏ったソーニャは、齢三十を超えているとは思えないほどに若々しく美しかった。
俺がソーニャを綺麗だと褒めると、ソーニャは嬉しそうに目を細めて笑った。
「ありがとう……ルクスも今日はビシッと決まっててかっこいいわよ」
ソーニャが俺の襟を正しながらそんなことを言う。
今日こうして俺とソーニャが互いに着飾っているのには理由があった。
今日は、二人で帝城へと赴き、そこで隣の王国からやってくるエリザベート王女の歓待式に参列することになっているのだ。
エリザベート王女は、隣国であるブリターニャ王国の国王の娘で、王位継承権第二位にあらせられる方だ。
帝国と王国はこの頃、勢力を拡大してきている魔族たちに対抗するべく接近していた。
そして二国間の連携をより緊密にするために、エリザベート王女と帝国の皇位継承権を持つ皇子の誰かが婚約するだろうと囁かれていた。
つまり、今日のエリザベート王女の歓待式は、そのまま次期皇帝の座をめぐる権力闘争の戦場であると言っていい。
なぜならば、隣国の王女と婚約を取り結び、関係を強化できれば、一気に帝国内の権力闘争においても有利な立場を得られるからだ。
ゆえに他の皇子たちは今日、きっと躍起になってエリザベート王女に取り入ろうとすることだろう。
かく言う俺はというと、特にそういう努力をするつもりはなかった。
そもそも冷遇されており、すでに無能の噂が隣国にまで知れ渡っているため、エリザベート王女に目にかけてもらえるはずもないだろう。
最初っから諦めているため、とにかく歓待式を無難に乗り切ることしか考えていなかった。
「それじゃあ、行きましょうか、ルクス」
「うん、母さん」
とにかくやらかさないように、無難に全てをやり過ごそう。
そう何度も自分に言い聞かせながら、俺はソーニャと共に帝城行きの馬車に乗り込んだのだった。
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