新見啓一郎の事件簿~終天の朔~

麻生 凪

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仄暗い影 1

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「礼子ちゃん、最近お疲れのようだけど何かあったんか」
 スコップで、ズタ袋から鶏の配合飼料をバケツに分ける礼子に、修行仲間の浩一が声を掛ける。

「浩一さん……別に、いつもと変わらないですよ」

「そうか、それならいいんだ。最近元気が無いんでな、何か心配事があったら相談しろよ、同郷のよしみだからの」
 浩一はそう言うと、気なしにポンと礼子の背中を軽く叩いた。

「はぁーっ!……痛い……」
 礼子は背中をのけ反らせながら、地面に片膝をつく。

「ど、どうしたんだい!」
 礼子の尋常ではない様子に驚き、とっさに浩一は前のめりの礼子の背中を摩《さす》った。

「あぁ、痛い……やめて、触らないで下さい」

 見ると苦痛に歪んだ額には、冷や汗がぷつぷつとわいている。
「れ、礼子ちゃん、何があったんだ……」

「浩一さん……何でもないんです。ごめんなさい、気を遣わないで……」

「そんなことあるかよ、普通じゃないぜ。怪我でもしてるのか、見せてみろ!」
 浩一は悪気無く礼子のジャージの背中を捲り上げると、次の瞬間言葉を詰まらせた。
「こ、これは……」
 白地のTシャツの背中には、うっすらと、太く何本もの血の線が滲《にじ》んでいる。
「怪我、してるじゃないか……」

「大丈夫です、浩一さんごめんなさい。どうか、見なかったことにしておいて……」

「そんなこと……早く手当てした方が良い。医務室に行こう」

「ほんとに大丈夫だから、こんなところ誰かに見られたら……」
 ジャージの裾を直すと、礼子は周りを気にしながら逃げるように駆けて行った。

「あっ、礼子ちゃん待てよ!」
 浩一はすかさず礼子の後を追う。
(ん、あれは……)
 チラと前方の牧草が繁る小高い丘に眼をやると、奥の林の間から射し込む夕陽を背に、天子が腕組みをしてこちらを見つめていた。

 ・・・・・・・


 公舎を出る時に降りだした雨は、国道246号バイパスを北上し、御殿場から山中湖方面を目指す県道138号線に入る頃には本降りとなった。ワイパースイッチを操作していると胸ポケットのスマホが振動した。新見は最寄りのコンビニエンスストアに駐車し、スマホを確認する。原田の携帯からの着信であった。折り返すと直ぐに原田が応答した。

「警部、運転中のところ恐れ入ります。古田芳郎弁護士とアポイントがとれました。20時過ぎ位までなら、富士吉田の事務所に詰めているということですが、警部は署迄、あとどれ程で到着出来そうですか」

「原田さんありがとうございます。古田弁護士はまだ現役なんですね。もうすぐ須走インターに入ります。少し空模様が心配ですが富士吉田署迄30分から40分、19時40分頃には着けるかと思います」

「こちらも少し雨が降っています。署から事務所までは車で10分程ですから、署の入口でお待ちしております」

「雨ですか……いや、現地で直接合流しましょう。少しでも早い方がよい」

「はい、承知しました。ではお気をつけて」


 19時45分。古田弁護士事務所の駐車場に到着すると原田が待っていてくれた。
「警部ご苦労様です、富士吉田にようこそ」

「原田さん遅くなりました。それで弁護士は」

「古田弁護士は先程業務が終わり、応接室でお待ちです。事情を説明すると、快く承諾して頂けました」

「それはよかった」
 新見は胸を撫で下ろす。

「ただ、息子さんが同席したいと。既に息子の誠司さんがこの事務所を引き継がれておりまして、親父ひとりでは不安だからと」

「ん、どういうことですか」

「ええ、それについては、会えば解るからと……」

「会えば、わかる……」

 古田弁護士事務所は白塗りの鉄筋コンクリート五階建てで、一階が駐車場、二階が事務所、三階より上が住居エリアとなっている。設立より四十余年、会社の倒産・再建に特化した業務に於いては、県内でも一目置かれた法律事務所である。
 屋内駐車場の一角に、客用エレベーターが設置された、硝子張り六畳ほどのエントランスホールが設けられ、その入り口には、長さ三尺程の分厚い桧の木板に横書きで『古田弁護士事務所』と黒字の行書で書かれていた。カメラ付きのドアホン、エレベーター上部と屋内駐車場それぞれの角に、合計4台の防犯用カメラが設置されていることからも、建物のセキュリティの高さが伺える。
 ドアホンを押し用件を告げると、遠隔操作でドア鍵が開いた。音声アナウンスに従いエレベーターで二階に上がると、スーツ姿の四十半ばの男性が迎えてくれた。
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