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流浪の運命 4

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「大木刑事、そこまでだ」
 新見は右掌を大木にかざし、取調べを中止するよう伝えた。

「……どういうことですか」

「今しがた、非番の早川から連絡が入った。これを見ろ」

 新見が差し出した、スマホのYouTube動画を確認した大木は言葉を失った。
「うっ、これは……」

「そうだ。この投稿動画に映っているランチアは山本さんだ、ナンバーも一致している。事件当夜、箱根に向かう峠でのドリフト走行がアップされていた。時間は22時32分」

「…………」

「な、なんだって……私のドリフトが撮影されていたのか……」
 新見は動画をリセットし、最初から山本に見せた。

「あぁ、そうだ、そうだ……これは私だ。あの時の右回りカーブだ。駐車場に若者が屯《たむろ》していたが、あの時撮影されていたのか……助かった……」
 山本は、両肘を机につき両手を合わせると、目を瞑り何度もうなずいた。

「山本さん、あなたのアリバイは成立しました。しかしドリフト走行とは、また危険な運転をしたものですね。制限速度を優に超えている」

 新見の少し棘《とげ》のある言い方に、ハッとして我に返った山本は瞬時に顔を上げた。

「もう少し、お時間を頂けますか。お伺いしたいことがある」
 新見は大木の横にガタンと椅子を置き、ギギィときしませ座りながら、鋭い眼光で山本に切り出した。

「……はい、わかりました……」

「それはよかった、では質問を続けます。コンサートに行った経緯《いきさつ》ですが、天野さんは、あなたになんと言って誘ったのですか」

「……サイメで、先ず、自分が三島市に住んでいることを告げられました。私は自身のプロフで富士市在住と書いていたので、近いですねと。それから、少し身の上話をしたあと、ランチアデルタの話で盛り上り、彼女が、ドライブに行きたいなと……」
 山本は上目遣いで、礼子とのやり取りを思い出しながら話した。

「その後、3日程してから又、彼女からサイメがあり、コンサートのチケットが手に入ったからご一緒しませんかと。私は知りませんでしたが、新進気鋭のジャズピアニストで、ファンなのだと。直ぐにOKしました」

「ヴォルフガング……」
(ドイツ語で狼の道……アマデウス・モーツァルトとも繋がるか……)
 新見は大木に目配せし、少し沈黙した後、
「それからSMSに移行したのですね。コンサート会場に入ってからの、天野さんの様子はどんなでしたか」
 と、大木がノートパソコンで検索した、ヴォルフガングの情報ページを確認しながら質問を続けた。

「席に腰かけてからは、ずっと黙ったままパンフレットを見ていました。私が話し掛けても上の空で……一頁ごと、ゆっくり見ていて。そのうちに会場が暗くなり、ステージにミュージシャン達が登場しました」

「プレーが始まってからの、彼女の様子はどんなでしたか」

「終始無言で、一曲ごと終わる度に目を瞑って、余韻を楽しんでいるかのように……陰気臭い曲ばかりで私には解りませんが、よっぽど好きなんだなぁと思いました」

「その他に、感じたことは……」

「フライミーなんとかとか、スタンダードジャズの他に、クラシックや、映画音楽をアレンジしたものなんかを演奏した後に、オリジナルの新曲だと言って、女性シンガーが歌い始めたんですが、その時ばかりは食い入るようにステージを見つめていました。英語の歌で、これまた暗い曲でどこがいいんだか、私にはさっぱり……」

「オリジナルの、新曲ですか……」
 直ぐ様パソコン検索するも、情報は出てこない。大木の様子を見ながら山本が話を続ける。

「そうだ未発表で、確か……演奏するのは今日が初めてだと言っていました。歌詞がパンフレットの最終頁に載せてあるとかで、彼女はページを捲ってましたっけ」

「そうでしたか……その他には」

「その後何曲か演奏し、終了後のアンコールでウルフいや、ヴォルフ……ガングひとりだけがステージに現れて、ベートーヴェンの『月光』を演奏したんです。流石にこれは私も知っていたので楽しめましたが、隣で彼女の嗚咽がしたもので、忍び泣きのような……見ると、大粒の涙を溢しながら泣いていました」

「『月光』を聴き、泣いていた……」
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