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秘密 3

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 新見は考え込んでいた。
 山ちゃんという男の存在に、何かしら意図的に導かれた感がある。多分この他の通信記録は全て消されているのだろう……大木の仮説は当たっている。しかし、誰がと。

(日記サイトのEros、エロス……こいつが礼子のサイトネームか……何と言う日記サイトなのか、男女の交遊を目的としたもの……。出会い系か?)

 30分程してから大木の報告があった。
「通信相手が解りました。山本 太一、富士市在住。年式違いのランチアを所有しています。所轄に連絡し捜査員が向かいました。任意同行で引っ張ります」

「いや……」
(被疑者としてだ)という言葉を呑み込んだ。
 
 これだけの証拠があれば、容疑者として身柄を確保出来る。しかし、新見の僅かながらの疑念がそれを押し留めた。

「そうしてくれ……」

「警部、逮捕状を出せませんか」
 新見の胸中を察し、大木が口を滑らせた。

「…………」

「申し訳ありません。出すぎたことを言いました」
 眉間に皺を寄せる新見の顔を見ると、大木は直ぐに謝った。

・・・・

「斎藤は」
「はい、部屋から一歩も出ていない様子です」
 マンションに到着した早川は、張り込みをしていた捜査員に在宅の有無を確認した。

「これから斎藤宅の家宅捜索を始める」
 捜査員4名と鑑識1名が大きく頷いた。張り込みをしていた2名は斎藤の逃亡を防ぐ為、速やかに外の非常階段に向かう。
 モニターを見る斎藤の懸念を考慮し、女性捜査員が部屋番号を押す。他の捜査員は小型カメラの死角に立った。

 程なくインターホンから斎藤の声で、
「はい、どちら様ですか」
 と、応答があった。
 すかさず早川は女性捜査員と入れ替わり、捜索差押許可状をカメラの前に晒しながら、
「三島警察署です。斎藤 政志さんが所有する部屋の家宅捜索令状が発令されました。速やかにドアの鍵を開けて下さい。尚、これは強制捜索となります。あなたに拒否する権限は存在しません。又、捜索妨害行為が発生した場合は、公務執行妨害として現行犯逮捕されることをお忘れなく」
 淡々とした口調で説明した。

「お入り下さい」
 モニターに映る6名を確認した斎藤は、力なく応えた。
    
 斎藤の部屋は六階にある。エレベーターに乗った早川は署に電話をし、捜索開始の報告をした。報告を受けた新見は早々に高島町へ向かう。

 部屋の前に到着した早川は、白手袋をした手でおもむろにドアを開け、斎藤にあらためて令状を見せた後、腕時計を確認しながら、
「これより家宅捜索を開始します。9月19日、時間は17時52分」
 と言うと室内に入った。他の捜査員も後に続く。
 捜索差押許可状の有効は7日間である。


 高島町に向かう車の中で新見は考えていた。
 大木の悔しさは痛い程よく解る。この時点で山本 太一は犯人に最も近い容疑者と言える。
 しかし、あの事件以降新見の捜査方針は、大胆かつ慎み深さを常としてきた。捜査の判断は、被疑者の人生を左右する重要な決断なのだ。一点の疑問もその判断に入れ込ませてはいけない。
 あの事件……10年前の誤認逮捕。警察が冤罪を回避することが出来た、真由理のアドバイス……

 ・・・・

 三島市内のアパートで、26歳の独身女性が性的暴行を受けた後、首を絞められて殺された。被害者は三島市内にある私立高校の英語講師。 地元では新聞各紙が大々的に取りあげ、ニュースやワイドショーではその動向が注目されていた。
 三島警察署に捜査本部が置かれると、捜査開始3日後には容疑者が逮捕された。 犯人は、被害者と不倫関係にあった同じ高校の36歳の既婚の教師である。被害者から犯人の体液は検出されていないが、部屋から採取した指紋が男性教師のそれと一致したのと、当日のアリバイが無かった為、即日の逮捕となった。警察では、動機は痴情の縺れが原因と踏んでいる。

 新見には違和感があった。それは殺害された後の被害者の状態から感じたことだ。
 被害者はベッド上に仰向けで寝ていた。両掌を胸の上に重ね、左右の足は真っ直ぐ伸び、内くるぶしでぴったり閉じている。衣服や髪に乱れはなかった。殺害後に犯人が整えたのであろう、犯人の被害者に対する敬愛の念すら感じた。果たして、痴情の縺れでこのような感情が生まれるものなのか……と。
    
 新聞報道で事件の概要を知った真由理には、自身の疑問を打ち明けてある。

「新見君、この本を読んでみて。解るから……取り返しがつかなくなる前に、お願い」
 
「この小説が、今回の事件と関係があると……」
     
「容疑者はこの小説の主人公と同じ感性をしている。このままだと警察は冤罪を引き起こしかねない」

 渡されたのは、昨年発刊された小説の同人誌である。短編小説が収められた、500ページ程の分厚いB5版の本の中央辺りにしおりが挟まれている。開き見ると、無名の著者による短編小説の題名が記されていた。
『落日の眩耀』とある。

「6千文字足らずの短編小説だから、直ぐに読めるはずよ」  



※次回、作中作『落日の眩耀』
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