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御光の家のこと 4

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 午前9時、三島中央病院の病室を見舞うと、ベッドに横になった川村が七海と話をしていた。

「川村さん、大丈夫ですか」 
    
 新見の顔を見た七海は安堵からか、無意識にこぼれ落ちた涙を、照れ隠しの笑みを浮かべながら後ろを向いて人差し指で掬った。川村はそんな娘の様子に、新見を見ながら頭を掻いて苦笑いをした。 

「ご心配を掛けて、申し訳ありません」
 川村は静かに首を傾けた。

(話が出来るなら……よかった)
 新見は胸を撫で下ろしながら、
「穿孔の疑いと聞き、驚きました。それで胃の方は」
 と、川村に尋ねた。
    
「酷い胃潰瘍でした。ただ、MRI画像からは穴はなかったようで、腹は切らずに済みました。点滴と飲み薬でなんとかいけそうです」

 川村の返答に、
「食事も暫くは気を付けないとね、当分はお粥ですよ。全く変な菌を飼っているんだから。ここで一気に、ピロリ菌を退治してしまえばよいのに」
 と 、七海が付け加えた。

「そんな時間はない。明日には署に戻らなければ、俺は死んでも死にきれない。なぁ頼む、事件が解決したら治療に専念するから。ここはひとつ」

「もう解っているわよ、止めたって無理なことは。啓一郎さんにも約束してよ、事件が解決したらちゃんと治すって」
 笑いながら新見を見つめる瞳には、よすがの想いが込められている。
    
 今ここで、川村が居なくなっては捜査本部に支障をきたす。新見の気持ちを汲んでの、ふたりの会話なのだ。
 その気持ちが痛い程解るだけに、新見は辛い。

「七海さん、川村さんに無茶はさせません。私が責任を持ちます」
 ふたりに頭を下げた。

「啓一郎さんありがとう。父を慕ってくれて……」
 七海の目頭が潤んだ。

 
 「啓一郎さん」
 帰り際、七海は病院のロビーで新見を呼び止めた。

「父は啓一郎さんを誇りに思っているんです、三島署の時から。彼ならノンキャリアながら警視長迄上り詰める男さって、いつも口癖のように……だから、今回の事件でご一緒出来て幸せだって」
   
「僕の方こそ、川村さんの指導があったからこそ今の自分があると思っているよ。今回の事でふたりには申し訳なく思ってます。ななちゃん、ありがとう」

「いいえ……。でも ふふっ、父の前では 七海さん だったのに、いつもの啓一郎さんに戻った」
 七海は白い歯を溢しながら、たおやかに笑った。
(この笑顔に救われる)
 新見もつられて笑った。

 午前9時を少し回った頃、斎藤宅から母親が出て行った。張り込みをしていた捜査員の一人が尾行すると、歩いて10分ほどのスーパーマーケットに入った。店内で買い物をする様子に怪しい気配はない。
 母親がレジで会計を始めた頃合いを見計らい、捜査員が自宅前で張り込みをしているもう一人に携帯で連絡を入れたその時、レジ後ろの自動ドアから斎藤らしき男が入店した。
 母親とは申し合わせた様子は無く、会計をしている彼女に気が付くと、周りを見渡し、直ぐにきびすを返して外に出て行った。
 捜査員は、
「斎藤発見。至急◯◯スーパーに急行願います」
 と伝えながら、斎藤の後を追った。母親は、その時初めて尾行された事を知ったと、後から供述している。
 捜査員は速歩きで車に向かう斎藤に、
「斎藤 政志さんですね。警察の者ですが、少しお話を聞かせて頂けますか」
 と、後ろから声を掛けた。向こう側の県道からは、警察車のサイレン音が徐々に近づいている。斎藤は観念したようにうなだれ、捜査員の指示に従った。

「斎藤 政志さんですね」

「はい、そうですが……」

「三島警察の者です。天野 礼子さんをご存知ですね」

「…………」

「天野さんの事でお伺いしたいことがあるのですが、署までご同行願います」

「天野 礼子さんの事は知ってます。でも……、私ではないですよ」

「そうですか、礼子さんが亡くなったのは、ご存知なんですね」
    
 斎藤は、しまった という顔をして捜査員から目を逸らした。
「署で詳しいお話をお伺いします。乗車下さい」
 到着した捜査員が車から降りる姿を見た斎藤は、渋々同行に応じる。運転免許証で身元確認すると本人に間違いは無かった。スーパーに車を止め、徒歩で自宅に向かうつもりだったと言う。
 遠くから斎藤の母親が、不安げに見つめていた。 
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