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クマが出るのは山だけで十分だ
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「なんで、私を見捨てなかったんですか?」
久しぶりに会った妻に、私はそう言われてしまった。
私は政略結婚という形で、彼女と出会い、そして結婚をした。
まさか、こんな形で自分が結婚するとは思わなかったか、妻になってくれた彼女と言うのは、とても優しい人だった。
ほら、よく言うじゃない、政略結婚ってさ、殺伐としているものだよって、それを聞いて構えていた部分はあったのだが。
「君にならばうちの娘を任せられると思ったんだ」
義父さんからして、こんなことを言ってくださる人なのだ。
「そう仰られるとは思いませんでした、その…なんもというか、お前に娘を任せられるか!と怒鳴られるかと…」
「変な男ならばそう言ってたかもしれないけども、思ったよりも普通だったというか、あれ?うちの娘、幸せになれるんじゃないかなって、ほら、どうしても焦臭いし
」
「それは…確かに」
「だからこそ、年頃でなくても、婚姻関係を結んで置こうと話は出るんだよ、何かが起きてから関係性を作ろうとしても上手く行くもんじゃないだろう」
「はい、そこは…でもその、娘さんにも好みがあるんじゃないでしょうかね」
「実際に話をしてみてどうだった?」
「少しばかり暗い影があるのが気になりますが」
「ああ、それはね、子供の頃体が弱くてね、今は元気でそうは見えないけども」
「持病があったんですか?」
「地方の迷信とやぶ医者のせいだ、良かれと思って空気のいいところで子供の頃は過ごしてもらおうと思ったのだが、裏目に出た」
「それは…」
「最初の妻とはそれで別れたんだ」
「その話は私にこぼされても?」
「身内になるのだから聞いておかなければならないし、そういったものを全部聞いて断るのも自由だ」
この辺は縁談話が出て、実際に夫婦となる結婚式をするまでは断っても実はあまりペナルティがない。断ったら次の相手の話が来るだけだし。
「正直私の身分では断れない相手から話が来ることもありませんから」
一代の軍人、勲章持ちだよ。
「そんなことをいうと、断れない相手から話が来るもんだよ」
「義父さんはあったんですか?」
何気なく聞いたら。
「…」
義父の顔を固くなった
「…すいません」
「気にするな、それもまた務めだし」
「色々あったんですね」
「まあ、うちもね、色々とね、いい家族もいれば、そうでもないものもいるから」
ただわかるのは、義父が現役のうちは安泰だろうとは思う。
「だから、その、うちの娘をだね…いや、これは、親の私から言うことではないんだが…あの子はそんなこともあって、大分色々と言われてきたりもしていた、けども、そういうのをあまり話してくれなくて、本当に終わったあとから話すような子でね、心配をしている」
「心優しいお嬢さんなのはよくわかります、心を許してくれた時の笑顔はホッとする」
「えっ?」
「えっ?」
「ちょっとそれ聞かせてくれる?いつの間に娘と仲良くなったのかな」
「健全です、それは誓って、健全な間柄ですから」
納得はしてないが、とりあえずわかったまで長話になってしまった。
それで冒頭の台詞に戻る。
この時には既に結婚していて、夫婦として暮らしてはいた。
いや、本当に幸せってあるんだな、特に軍役をこなしてからだと、一緒の時間は楽しくてしょうがない。
ただ、政略結婚ならば、立場にも思惑というものが重なるのだ。
立場があるのならば、場合によっては身も心も投げ出さなければならない時がある、それがやってきてしまった。
街は混乱の中にあり、人々は嘆き悲しむ。
そこで動けるかどうかが、権力側の人間として求められることで、その際剣にも盾にもならぬ者には席はない。
私は剣で、彼女は盾として忙しく動き回ることになる。
「大変です」
「どうした?」
珍しく私の元に耳に入れておきたいことがあると、一人やってきた男がいるが、この男は独身時代からの付き合いで、結婚したときは後から話をすることになったが、別に妻を紹介も兼ねて、食事の機会を作ったほどの信頼はあった。
「実は…」
嫌な話だった。
私のことをあまり好きではないだろう、上司がいるのだけど、その上司が私の妻だと知った上で、罵詈雑言を投げた。そして、あいつの妻ならば、こういう時は財産を、私財を多少は使って見栄を張れと、プレッシャーをかけたらしい。
「申し訳ありません、こちらでは止められず」
「…いや、こちらこそ、すまない。君があの男の標的になったら、動きにくくなるだろうし」
「これから奥さまの元にですか?」
「行ってくる、それが夫の務めというか、ただ場合によってはバツイチになるかもしれないが」
「そういう冗談はよしてくださいよ、本当に冗談は下手ですよね」
「ここで機転を利かせて、上手いことを言える奴には憧れるよ、ただ俺はそうじゃない、すまないが、しばらく任せれるか?」
「喜んで!」
こうして夜の闇に紛れて、彼女の元に向かったのだ。
「それで、俺は君を見捨てるのが、君からすると一番最善だと思っちゃったわけ?」
「そうですよ、それが一番でしょうよ」
「…」
「あの手の男はあなたに何があっても、いえ、不幸を喜ぶタイプですよ」
「知ってるよ」
「ですよね」
「昔からそういうところはあって、勲章持ちになってからはしばらくは悪い癖は出てなかったんだがな」
「もしかして、その勲章は…」
「皮肉なもんだよ、逃げようとしたわけではないけども、打ち込むことになったら、これもらって、これのおかげで表だって言えなくなったからね」
「勲章の威光は眩しいってことですね」
「ただまあ、俺としてはそうじゃない部分を見てほしいかな、ねぇ、俺は君にとってどう見える?」
「最初は不思議な感じでしたけどもね」
「不思議ね…」
「馬を見る目がとても優れている人だと聞いて納得はしました」
「あれ?その話したっけ?」
「いえ、あなたから聞いた話では、たまたま同席した、覚えてません?夜会で、ご友人と話してませんでしたか?勝った話をしてて」
「気にも止めない話をよく覚えていたね」
「思い出したんですよね、そういえばそのお話をしていた人だったかなと」
「違っていたらどうしてたのさ」
「違っていたらですか?この結婚のお話は決まらなかったんじゃないですかね、何しろ大した持参をしませんでしたし」
「でもあれは結婚後、とんでもなく価値が出たじゃない」
「あれは思ったよりも出ましたし…」
「ずいぶんと面白いものを持ってきたなって」
「お金を持ってこないならば、文句を言われるかと思ってました」
「そこまでは…う~ん、確かに子供が出来たら違うかもしれないけども、君がそこまで考えてない訳ではないしなって、でもさ、なんで家伝のせき止めに関する権利なんだろうとは思ってた」
「あれが一番無難で、文句なく持ってこれたし、お父様は理解してくれましたが、今はお父様が一番いい顧客になってくれてますわ」
そのため蓄えができている。
「それにあのせき止めは、家伝ではありましたけども、あの時まで実際に実家で販売していたものではなく、先祖が異国の患者を治したときに、代わりに教えてもらったとかで、ただこれの素晴らしいのは、現在この国で販売されているせき止めの材料とは別のもので作れることですから、その代わり多少効果は弱いですが、万人に使いやすいものです」
「君はこういう話をするときはイキイキする」
「…私は男に生まれてくれば良かった、それならば」
「それは困るよ、俺は今の君が好きだからね」
「ずいぶんと変わってますね」
「そう?自分ではあまりそうとは思わないんだけどもさ」
「そういうところですよ、そういうところが女心をくすぐるかもしれませね」
「くすぐられた?」
「いえ、他の女性が…」
「えっ?俺、浮気してないよ」
男社会で働いているので、女と遊ぶ
そんな時間があると、他の人間に寝首をかかれる。
「たまに訓練場にご挨拶に行くと、その~あなたをいつも見に来ていたり、たぶんあなたのことを気に入ってるんだろうなという、ご婦人たちが何人かいましたので」
「嘘、そうなの?」
「気づいてなかったんですか?」
「うん、だって、そういうのと縁がないままだし、そういうのわからないんだけども」
「います、います、あれは、…その知ってたら、この話は私から断ってたかもしれませんね」
「どうしてさ」
「あなたが独身、既婚でもおそらくかまわないという女性も、中にはおられたので」
「俺のこと嫌い?」
「嫌いならば…何を言わせるんですか」
「その先とか聞きたいな」
「もう…」
「そういうところとか、すんごい好き…あれだね、この先のことしっかりと二人で考える時が来たんだなって」
「まあ、そうてわすね、いつでも実家に戻る準備はしますよ」
「そこはしないでよ、頼りない旦那だけどもさ」
「頼りないですか?ご自分ではそう表現しますけども、私はそうは思いませんよ」
「評価高いじゃない」
「そりゃあね」
「…仲直りしたいんだけどもさ、言いにくいこととか、話してくれる?」
「言いにくいことですか?」
「そう、なんで斬り捨てなかったのかって、そういう考えに至ったのか」
「その方が楽じゃないんですかね、あなたからしてみたら、怒鳴って、それはお前がやっておけ!って言えばいい」
「それはないよね」
「ないかもしれませんけども」
「会話が成立してないよ」
「してませんね、でもありますよ、こういうことは」
「まあ、あの人はね」
あの人とは、問題の上司。
「でも君に何かをするのは、許せないかな」
「殺気を出さないでください、どうするつもりですか、ここでキャリアを投げ出すつもりなんですか?それはダメですよ」
「何でさ」
「何でもです」
「それで俺は君への信頼を失うのならば、俺は生まれてきたことを恥じるよ」
「過激だな」
「君のためならばそうもなる」
「そこまでは求めてませんよ」
「でもさ、俺がここに来るまでもすんごい悩んでたでしょ?いつも顔違うもん、ちゃんと寝てる?寝られなかったんじゃない?」
「…本当はこんな顔であなたに会いたくなかった」
睡眠不足が顔に出てしまっているのは自覚しているらしい。
「会いに来て良かったって俺は思ったんだけども、今の言葉で確信はした、やっぱり来て良かった」
「お仕事はどうやって」
「まあ、そこは抜け目なく上手くやりますよ、そのために訓練しているみんなが穴を埋めてくれてますし、今までずっと俺がみんなのフォローしてたこともあってか、ここで俺がちょっと行ってくるっていっても、誰も反対してこなかった、誰かは反対してくると思ったんだけどもね」
「それはあなたは、きちんと人を人として見て、礼儀を尽くすからですよ」
「それは当たり前じゃない?」
「いいえ、それはそうではありませんよ、そういう人は少数派ですよ、形だけでも少数派で、中身が伴っている人はいるのかしらと思ってました」
「それはダメだよ」
「はい、ダメです」
「この辺も考え方が合うから好き」
「どうしたんですか、今日は」
「えっ?なんかおかしい?」
「おかしくはありませんが…」
「俺の方も大分参ってたのかもしれない、君に会えたら、ホッとしているし、時間が許す限り、しばらくでいいから」
「そんなにすがるような目をしないでくださいよ」
「そんなにしてた?」
「してます、手を払い除けないでみたいな目です」
「…」
「どうしました?」
「君に他にもそういうことをした人いたのか」
「あれは…金の無心が本当の目的で私を好きではなかったやつですね」
「へぇ、そいつ誰なの?」
ちょっと斬ってくるから、そんな気分。
「もしも二人一緒にいるときに会ったら教えますよ」
「よろしくね、何かあったときのためにピカピカにしておかなきゃダメだね」
「怒ってますか」
「まあね、君にそういう話をする人間は俺は好きではないから」
「そうですね」
「何がそのときは怖かったの?」
「たまたま話で終わりましたよ、でもそうでなかったら、事件になってたかなって」
「そういうときは俺を呼びなさい、ただ先に安全確認してからね」
「はい」
「素直でよろしい、本当さ、巻き込まれてほしくはない、欲しくはないが。全く巻き込まれないと断言できるのならば、嫌な話や不快な例を出さなくてもいいかもしれないけども、それじゃあ、守れないんだよな」
「なんです?現実的な話をしたら、女性から引かれましたか?」
「ドン引きだったね」
「貴方なりの愛情なんですけどもね」
「俺にはこんなことしか出来ないからね、…そこまでバレてたの」
「バレバレとはいいませんが、ああそういうことかと、人によっては嫌味でしょうが、あなたという人を知れば、あれは嫌味ではなく、むしろ頑張って伝えようとしてくれているのがよくわかる」
「肝心なことボカシて伝えられないからな」
「その時もゴメンねって顔をしてますし、なんでそんな顔をしているのかなって、気にしなくていいのに」
「でもやっぱり楽しい話じゃない」
「そんな顔しないでくださいよ」
「俺はこういう時ダメだな、元気を出してほしいのに、上手くいかない」
「大丈夫、大丈夫ですから」
「君を笑顔にさせるつもりで来たのに、俺の方が頑張って言われちゃうんだもん」
「それは…いいんじゃないんですか?落ち込んでいる人がいたら、大丈夫ですか?何かありましたかと、声をかけるということは」
「うん、そうだね、本当、君の顔を見れて良かった」
「良かった要素はあります?私、出来ればこういう顔は見られたくない」
「そう?」
「そうですよ、クマが出るのは山だけで十分だ、もっと私が美しければ良かった…」
「美人さんになったらどうするの?」
「それならばあなたを…」
「俺を?」
「聞かなかったことにしてくださいよ」
「こういう時じゃないと本音を口にしてくれないんだもん」
「狙ってます?」
「ちょっとね、こういう話も出来れば、こんなことを意味もないという人もいるけども、俺はそうは思わない、君と交わす言葉の一つ一つを大事にしたいしさ、たまに君の言葉で打ちのめされたい」
「えっ?」
「やっぱりほら、旦那さんだし、その夫婦の会話といいますかね、そういうのが気になるから、何も話してくれないよりは、いつも話してくれた方が…」
「そういうのに付き合うと眠くなりますよ」
「それがね、体力だけは昔からあってさ」
「それでもきちんと休憩は取ってくださいよ」
「もちろん君もね」
「私は、お話が来たらすぐに対応しなければなりません」
「それはわかってるけどもさ」
「それだとあなたの時間も使うことになりますが」
「そこは夫婦だからさ、存分に使って頂戴よ」
「夫婦ってこういうものなんですか?」
「さぁ、でも他の所はよく知らないし」
「それは私もですけどもね」
「そうだね、俺は顔を見たし、戻るよ」
「…あっ、はい、お気をつけて」
「ただし、俺に居てほしいというのならば、それも可能ということを伝えておきます」
「それ…」
「君の口からどっちがいいのか聞かせてくれるかな」
「私は…」
「どっちかな?」
「おはようございます、とても良い朝ですね」
「どうしたんだ?何か良いことでもあったのか?」
「私はいつでも元気ですよ」
「そうか、そうか…」
その後、小声になった先輩から。
「あまり同じ手を使うとバレるから、次は俺を出汁に使え」
「ありがとうございます、それでは今日はどのように、何でもお申し付けください」
直接ではないが、わかりやすくその案に了承したようである。
久しぶりに会った妻に、私はそう言われてしまった。
私は政略結婚という形で、彼女と出会い、そして結婚をした。
まさか、こんな形で自分が結婚するとは思わなかったか、妻になってくれた彼女と言うのは、とても優しい人だった。
ほら、よく言うじゃない、政略結婚ってさ、殺伐としているものだよって、それを聞いて構えていた部分はあったのだが。
「君にならばうちの娘を任せられると思ったんだ」
義父さんからして、こんなことを言ってくださる人なのだ。
「そう仰られるとは思いませんでした、その…なんもというか、お前に娘を任せられるか!と怒鳴られるかと…」
「変な男ならばそう言ってたかもしれないけども、思ったよりも普通だったというか、あれ?うちの娘、幸せになれるんじゃないかなって、ほら、どうしても焦臭いし
」
「それは…確かに」
「だからこそ、年頃でなくても、婚姻関係を結んで置こうと話は出るんだよ、何かが起きてから関係性を作ろうとしても上手く行くもんじゃないだろう」
「はい、そこは…でもその、娘さんにも好みがあるんじゃないでしょうかね」
「実際に話をしてみてどうだった?」
「少しばかり暗い影があるのが気になりますが」
「ああ、それはね、子供の頃体が弱くてね、今は元気でそうは見えないけども」
「持病があったんですか?」
「地方の迷信とやぶ医者のせいだ、良かれと思って空気のいいところで子供の頃は過ごしてもらおうと思ったのだが、裏目に出た」
「それは…」
「最初の妻とはそれで別れたんだ」
「その話は私にこぼされても?」
「身内になるのだから聞いておかなければならないし、そういったものを全部聞いて断るのも自由だ」
この辺は縁談話が出て、実際に夫婦となる結婚式をするまでは断っても実はあまりペナルティがない。断ったら次の相手の話が来るだけだし。
「正直私の身分では断れない相手から話が来ることもありませんから」
一代の軍人、勲章持ちだよ。
「そんなことをいうと、断れない相手から話が来るもんだよ」
「義父さんはあったんですか?」
何気なく聞いたら。
「…」
義父の顔を固くなった
「…すいません」
「気にするな、それもまた務めだし」
「色々あったんですね」
「まあ、うちもね、色々とね、いい家族もいれば、そうでもないものもいるから」
ただわかるのは、義父が現役のうちは安泰だろうとは思う。
「だから、その、うちの娘をだね…いや、これは、親の私から言うことではないんだが…あの子はそんなこともあって、大分色々と言われてきたりもしていた、けども、そういうのをあまり話してくれなくて、本当に終わったあとから話すような子でね、心配をしている」
「心優しいお嬢さんなのはよくわかります、心を許してくれた時の笑顔はホッとする」
「えっ?」
「えっ?」
「ちょっとそれ聞かせてくれる?いつの間に娘と仲良くなったのかな」
「健全です、それは誓って、健全な間柄ですから」
納得はしてないが、とりあえずわかったまで長話になってしまった。
それで冒頭の台詞に戻る。
この時には既に結婚していて、夫婦として暮らしてはいた。
いや、本当に幸せってあるんだな、特に軍役をこなしてからだと、一緒の時間は楽しくてしょうがない。
ただ、政略結婚ならば、立場にも思惑というものが重なるのだ。
立場があるのならば、場合によっては身も心も投げ出さなければならない時がある、それがやってきてしまった。
街は混乱の中にあり、人々は嘆き悲しむ。
そこで動けるかどうかが、権力側の人間として求められることで、その際剣にも盾にもならぬ者には席はない。
私は剣で、彼女は盾として忙しく動き回ることになる。
「大変です」
「どうした?」
珍しく私の元に耳に入れておきたいことがあると、一人やってきた男がいるが、この男は独身時代からの付き合いで、結婚したときは後から話をすることになったが、別に妻を紹介も兼ねて、食事の機会を作ったほどの信頼はあった。
「実は…」
嫌な話だった。
私のことをあまり好きではないだろう、上司がいるのだけど、その上司が私の妻だと知った上で、罵詈雑言を投げた。そして、あいつの妻ならば、こういう時は財産を、私財を多少は使って見栄を張れと、プレッシャーをかけたらしい。
「申し訳ありません、こちらでは止められず」
「…いや、こちらこそ、すまない。君があの男の標的になったら、動きにくくなるだろうし」
「これから奥さまの元にですか?」
「行ってくる、それが夫の務めというか、ただ場合によってはバツイチになるかもしれないが」
「そういう冗談はよしてくださいよ、本当に冗談は下手ですよね」
「ここで機転を利かせて、上手いことを言える奴には憧れるよ、ただ俺はそうじゃない、すまないが、しばらく任せれるか?」
「喜んで!」
こうして夜の闇に紛れて、彼女の元に向かったのだ。
「それで、俺は君を見捨てるのが、君からすると一番最善だと思っちゃったわけ?」
「そうですよ、それが一番でしょうよ」
「…」
「あの手の男はあなたに何があっても、いえ、不幸を喜ぶタイプですよ」
「知ってるよ」
「ですよね」
「昔からそういうところはあって、勲章持ちになってからはしばらくは悪い癖は出てなかったんだがな」
「もしかして、その勲章は…」
「皮肉なもんだよ、逃げようとしたわけではないけども、打ち込むことになったら、これもらって、これのおかげで表だって言えなくなったからね」
「勲章の威光は眩しいってことですね」
「ただまあ、俺としてはそうじゃない部分を見てほしいかな、ねぇ、俺は君にとってどう見える?」
「最初は不思議な感じでしたけどもね」
「不思議ね…」
「馬を見る目がとても優れている人だと聞いて納得はしました」
「あれ?その話したっけ?」
「いえ、あなたから聞いた話では、たまたま同席した、覚えてません?夜会で、ご友人と話してませんでしたか?勝った話をしてて」
「気にも止めない話をよく覚えていたね」
「思い出したんですよね、そういえばそのお話をしていた人だったかなと」
「違っていたらどうしてたのさ」
「違っていたらですか?この結婚のお話は決まらなかったんじゃないですかね、何しろ大した持参をしませんでしたし」
「でもあれは結婚後、とんでもなく価値が出たじゃない」
「あれは思ったよりも出ましたし…」
「ずいぶんと面白いものを持ってきたなって」
「お金を持ってこないならば、文句を言われるかと思ってました」
「そこまでは…う~ん、確かに子供が出来たら違うかもしれないけども、君がそこまで考えてない訳ではないしなって、でもさ、なんで家伝のせき止めに関する権利なんだろうとは思ってた」
「あれが一番無難で、文句なく持ってこれたし、お父様は理解してくれましたが、今はお父様が一番いい顧客になってくれてますわ」
そのため蓄えができている。
「それにあのせき止めは、家伝ではありましたけども、あの時まで実際に実家で販売していたものではなく、先祖が異国の患者を治したときに、代わりに教えてもらったとかで、ただこれの素晴らしいのは、現在この国で販売されているせき止めの材料とは別のもので作れることですから、その代わり多少効果は弱いですが、万人に使いやすいものです」
「君はこういう話をするときはイキイキする」
「…私は男に生まれてくれば良かった、それならば」
「それは困るよ、俺は今の君が好きだからね」
「ずいぶんと変わってますね」
「そう?自分ではあまりそうとは思わないんだけどもさ」
「そういうところですよ、そういうところが女心をくすぐるかもしれませね」
「くすぐられた?」
「いえ、他の女性が…」
「えっ?俺、浮気してないよ」
男社会で働いているので、女と遊ぶ
そんな時間があると、他の人間に寝首をかかれる。
「たまに訓練場にご挨拶に行くと、その~あなたをいつも見に来ていたり、たぶんあなたのことを気に入ってるんだろうなという、ご婦人たちが何人かいましたので」
「嘘、そうなの?」
「気づいてなかったんですか?」
「うん、だって、そういうのと縁がないままだし、そういうのわからないんだけども」
「います、います、あれは、…その知ってたら、この話は私から断ってたかもしれませんね」
「どうしてさ」
「あなたが独身、既婚でもおそらくかまわないという女性も、中にはおられたので」
「俺のこと嫌い?」
「嫌いならば…何を言わせるんですか」
「その先とか聞きたいな」
「もう…」
「そういうところとか、すんごい好き…あれだね、この先のことしっかりと二人で考える時が来たんだなって」
「まあ、そうてわすね、いつでも実家に戻る準備はしますよ」
「そこはしないでよ、頼りない旦那だけどもさ」
「頼りないですか?ご自分ではそう表現しますけども、私はそうは思いませんよ」
「評価高いじゃない」
「そりゃあね」
「…仲直りしたいんだけどもさ、言いにくいこととか、話してくれる?」
「言いにくいことですか?」
「そう、なんで斬り捨てなかったのかって、そういう考えに至ったのか」
「その方が楽じゃないんですかね、あなたからしてみたら、怒鳴って、それはお前がやっておけ!って言えばいい」
「それはないよね」
「ないかもしれませんけども」
「会話が成立してないよ」
「してませんね、でもありますよ、こういうことは」
「まあ、あの人はね」
あの人とは、問題の上司。
「でも君に何かをするのは、許せないかな」
「殺気を出さないでください、どうするつもりですか、ここでキャリアを投げ出すつもりなんですか?それはダメですよ」
「何でさ」
「何でもです」
「それで俺は君への信頼を失うのならば、俺は生まれてきたことを恥じるよ」
「過激だな」
「君のためならばそうもなる」
「そこまでは求めてませんよ」
「でもさ、俺がここに来るまでもすんごい悩んでたでしょ?いつも顔違うもん、ちゃんと寝てる?寝られなかったんじゃない?」
「…本当はこんな顔であなたに会いたくなかった」
睡眠不足が顔に出てしまっているのは自覚しているらしい。
「会いに来て良かったって俺は思ったんだけども、今の言葉で確信はした、やっぱり来て良かった」
「お仕事はどうやって」
「まあ、そこは抜け目なく上手くやりますよ、そのために訓練しているみんなが穴を埋めてくれてますし、今までずっと俺がみんなのフォローしてたこともあってか、ここで俺がちょっと行ってくるっていっても、誰も反対してこなかった、誰かは反対してくると思ったんだけどもね」
「それはあなたは、きちんと人を人として見て、礼儀を尽くすからですよ」
「それは当たり前じゃない?」
「いいえ、それはそうではありませんよ、そういう人は少数派ですよ、形だけでも少数派で、中身が伴っている人はいるのかしらと思ってました」
「それはダメだよ」
「はい、ダメです」
「この辺も考え方が合うから好き」
「どうしたんですか、今日は」
「えっ?なんかおかしい?」
「おかしくはありませんが…」
「俺の方も大分参ってたのかもしれない、君に会えたら、ホッとしているし、時間が許す限り、しばらくでいいから」
「そんなにすがるような目をしないでくださいよ」
「そんなにしてた?」
「してます、手を払い除けないでみたいな目です」
「…」
「どうしました?」
「君に他にもそういうことをした人いたのか」
「あれは…金の無心が本当の目的で私を好きではなかったやつですね」
「へぇ、そいつ誰なの?」
ちょっと斬ってくるから、そんな気分。
「もしも二人一緒にいるときに会ったら教えますよ」
「よろしくね、何かあったときのためにピカピカにしておかなきゃダメだね」
「怒ってますか」
「まあね、君にそういう話をする人間は俺は好きではないから」
「そうですね」
「何がそのときは怖かったの?」
「たまたま話で終わりましたよ、でもそうでなかったら、事件になってたかなって」
「そういうときは俺を呼びなさい、ただ先に安全確認してからね」
「はい」
「素直でよろしい、本当さ、巻き込まれてほしくはない、欲しくはないが。全く巻き込まれないと断言できるのならば、嫌な話や不快な例を出さなくてもいいかもしれないけども、それじゃあ、守れないんだよな」
「なんです?現実的な話をしたら、女性から引かれましたか?」
「ドン引きだったね」
「貴方なりの愛情なんですけどもね」
「俺にはこんなことしか出来ないからね、…そこまでバレてたの」
「バレバレとはいいませんが、ああそういうことかと、人によっては嫌味でしょうが、あなたという人を知れば、あれは嫌味ではなく、むしろ頑張って伝えようとしてくれているのがよくわかる」
「肝心なことボカシて伝えられないからな」
「その時もゴメンねって顔をしてますし、なんでそんな顔をしているのかなって、気にしなくていいのに」
「でもやっぱり楽しい話じゃない」
「そんな顔しないでくださいよ」
「俺はこういう時ダメだな、元気を出してほしいのに、上手くいかない」
「大丈夫、大丈夫ですから」
「君を笑顔にさせるつもりで来たのに、俺の方が頑張って言われちゃうんだもん」
「それは…いいんじゃないんですか?落ち込んでいる人がいたら、大丈夫ですか?何かありましたかと、声をかけるということは」
「うん、そうだね、本当、君の顔を見れて良かった」
「良かった要素はあります?私、出来ればこういう顔は見られたくない」
「そう?」
「そうですよ、クマが出るのは山だけで十分だ、もっと私が美しければ良かった…」
「美人さんになったらどうするの?」
「それならばあなたを…」
「俺を?」
「聞かなかったことにしてくださいよ」
「こういう時じゃないと本音を口にしてくれないんだもん」
「狙ってます?」
「ちょっとね、こういう話も出来れば、こんなことを意味もないという人もいるけども、俺はそうは思わない、君と交わす言葉の一つ一つを大事にしたいしさ、たまに君の言葉で打ちのめされたい」
「えっ?」
「やっぱりほら、旦那さんだし、その夫婦の会話といいますかね、そういうのが気になるから、何も話してくれないよりは、いつも話してくれた方が…」
「そういうのに付き合うと眠くなりますよ」
「それがね、体力だけは昔からあってさ」
「それでもきちんと休憩は取ってくださいよ」
「もちろん君もね」
「私は、お話が来たらすぐに対応しなければなりません」
「それはわかってるけどもさ」
「それだとあなたの時間も使うことになりますが」
「そこは夫婦だからさ、存分に使って頂戴よ」
「夫婦ってこういうものなんですか?」
「さぁ、でも他の所はよく知らないし」
「それは私もですけどもね」
「そうだね、俺は顔を見たし、戻るよ」
「…あっ、はい、お気をつけて」
「ただし、俺に居てほしいというのならば、それも可能ということを伝えておきます」
「それ…」
「君の口からどっちがいいのか聞かせてくれるかな」
「私は…」
「どっちかな?」
「おはようございます、とても良い朝ですね」
「どうしたんだ?何か良いことでもあったのか?」
「私はいつでも元気ですよ」
「そうか、そうか…」
その後、小声になった先輩から。
「あまり同じ手を使うとバレるから、次は俺を出汁に使え」
「ありがとうございます、それでは今日はどのように、何でもお申し付けください」
直接ではないが、わかりやすくその案に了承したようである。
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