浜薔薇の耳掃除

Toki Jijyaku 時 自若

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灯火のひとつ 60話

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マッサージのお客さんが来るとわかっているならば、爪のチェックも忘れない。
(先輩は仕事に人生捧げているようなものだからな)
それこそ、それ以外は何もなくてもいいみたいなところがあった。
「じゃあ、僕はお先に失礼します」
「ああ、お疲れ」
この道を選んだことに悔いはないが…
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
お客は女性であった。
「おいおい、男に嫉妬されるんじゃないか?」
「まあ、別れたし」
彼女とは知己というか、元カノである。
「しょうがないんだけどもさ、うん」
何しろ彼女も蘆根と同類、自分の人生を何かに捧げてしまったというやつであった。
「店はどうした?」
「ああ、トラブル起きた」
「大丈夫かよ、それ」
そういってクロスを巻いた。
「大丈夫にするわ!」
この強気なところが彼女の魅力であり、蘆根が痺れたポイントである。
「…その割には疲れているんじゃないの?」
「わかる?ほれ、クリーム塗るから」
「はいはい」
首にクリームを塗る。
「首さ、触られるの怖い?」
「あ~そういえばそういう話もあったね」
「アホか!こっちは心配して、気にしないならいいけどもさ」
「蘆根は大丈夫ってわかるし」
「ああ、そうか」
彼女は昔、男性に暴力をふるわれたことがあった、そこから触れられるのはトラウマがある。
(マッサージとかストレス解消に行ってたのに、そっからしばらくっていうか、行けなくなるなんてさ、こいつが何をしたんだろうな)
「あれ?もしかして気を使わせてる?」
「そうだな、場合が場合だから」
「はっはっはっ」
平和、平穏が一番と思う蘆根の考え方は、おそらくこの元カノの影響がでかいと思われる。
(俺だったら腹立ってぶん殴るはあるのに)
仕返しは考えてないの、うん、それはやめて…

ムニッ
「あら、ちょっとお肉ついたんじゃないの?」
「お肉じゃなくて浮腫みだもん、やっぱり疲れていて、食べれなくて」
「おいおい」
「だからこうして気を許している人間にマッサージをしてもらいに来たのよ」
「へいへい、お嬢様、しっかりと綺麗にさせていただきますよ」
顔や首というのは、足をマッサージするのも違う、繊細な力加減が必要になる。
(相変わらず指の使い方、浮腫みとるの上手いわね)
骨の上を滑らせて、余計な力を入れずに浮腫みだけをとる。
「っていうか、自分でケアもちゃんとやってんだな」
「そりゃあね、お年頃ですもん」
「そうだな、いつまでも可愛くいてくれよ」
蘆根の口説き文句はさておいて、ここはマッサージや耳かきの話なので、少しばかり解説をすると、マッサージ類の効き目がよくなるように日頃から自分でケアをすることが大事なのである。
例えば蘆根の元カノのサキの場合は、多忙のために短時間でケアができるが、それを毎日の習慣のようにしなければならない、簡単なツボ押しやマッサージをしてから寝たりしてる。
非常に面倒くさく、ああもう!すぐに寝たい!と思っているタイプには向かないのだが、これが長く続ける性格であった。
蘆根も自分の体の維持にはそういったことを施しており、お客さんがいない時間であっても、自分の体と向き合い体調の向上に務めていた。
こういったことをしていると何が起こるかというと、だんだん年相応から離れた外観になっていくのである。
「やっぱり、家を継がない方が良かったんじゃないか?」
「それは思うけども、それ以外なかったから、火の車を建て直しても、また火の車にされるとは思わなかったから」
「灰も残らないじゃないか」
「やーね、灰が残るなら山菜の灰汁でもとるわよ」
「お前はそういうやつだもんな」
「そうそう、それぐらいやんないと釣り合いがとれないわ」
世界で一番幸せになれるぐらいじゃないとね。
昔、その言葉の続きを口にしていたのを蘆根は思いだした。
「最近、景気どうよ」
「気にする間もないわね」
「違いない」
ひたすら忙しくて、忙しくて、いつの間にか時間がここまで経過していたというタイプの二人である。
「それでも今の世の中便利なものがたくさんあるから、昔よりは大分楽」
「違いない」
学生時代よりはとても楽になりました。
「そのぶん、腕を磨く時間に使えるからな」
「わかる、わかる!本を読める時間が増えるとは思わなかったし、諦めていた講義も無料で聞けたときはサイコーになったわ」
「Enjoyしてるな」
「修羅場中だからかしら、なんかもうトラブル起こされて、心を折りに来るのがよく見えていると、ああ、もう!わかったわ、落ち込む必要全く無しになるわ」
ここら辺が蘆根の嫁になったら、それはそれは良かったのにと言われる由縁ではあった。
どんな時でも明るい。
(そういうのに救われるんだよな)
落ち込まないわけではない、ただ人と落ち込むポイントが違うのである。
だから何でもない時に落ち込み、逆にみんなが落ち込みそうな、絶望の時に光を掲げることができるタイプなのである。
「うわ、また腕をあげたんじゃない?」
「これで落ちたとか言われたら、俺は自棄を起こします」
「そうね、また来るわ」
「またのご来店をお待ちしてます」
自分のことを知っているからこそ、気合いが入るお客さんというのがいる。
蘆根にとって彼女は、自分の迷いを見透かされてしまうような客であり、また灯火の一つ。
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