ラビリンス～悪意の迷宮～

気配

気配1

　静かな空間で体を丸めている空良の耳に、微かな音が届き、空良は顔をあげた。
　その音は男性の声のように聞こえて、空良は眉間にシワを寄せる。

(これは……人の声?)

　そう思い空良は立ち上がると、音がどこから聞こえているのかを探る。
　しかし、音は反響しているのか、どこから聞こえているのかを判断できない。

　空良は少しでも音が綺麗に聞こえないだろうかと思いながら室内を歩き、窓の方に近付く。
　すると、少しだけ音が鮮明になり、確実に音は男性が怒鳴るような声だと理解できた。

　一体何を言っているのかは、よく聞き取れなかったが、男性はかなり切羽詰まっている様子だった。

　窓が開けられればと、空良は窓に触りながら開け方を探るが、はめ殺し窓になっていて、びくともしない。

「だめだ、開かない」

　空良は、あの縛られていた少女と同じように、この建物の何処かに他の人が存在していることに、少し安堵した。
　しかし、のんびりしている時間は無い。
　男性の声は怒鳴り声のような声から、叫ぶような声へと変わっていっていたからだ。

(何か……よくない事が起きている)

　空良はそう思うが、男性のいる場所も、この建物の構造もわからないために、次に何処へ行けばいいのかも見当がつかない。

　空良が焦っていると、男性の声が一瞬途切れ、次の瞬間、窓の外を見ていた空良の目の前を、逆さまの男性が上から下へと通りすぎていく。

　一瞬。
　その一瞬の間に、空良は落ちていく男性と視線が絡んだ。
　メガネを掛け、清潔感のある短い髪をした彼は、目を見開き、口を大きく開けている。
　まるで時間が止まったかのように、空良の目ははっきりと彼のことを捉えた。

　そして、彼は落下していく。
　男性の声が遠退き空良は目を見開いて震えた。

　完全に声が消え、空良は窓に手を触れながら、膝をつく。
　もう、男性の声はどこからも聞こえなくなっていた。

(……え?　さっきのって……?)

　何が起きたのか、理解したくない空良の頭は混乱し、唇が震える。
　理解したくないが、落ちていった男性の顔が鮮明に思い出せて、空良の歯がガチガチと音を立てた。

　きっと、あの男性は死んでしまった。

　その現実に、空良の思考が停止する。

　その時だった。

　ペタ、ペタと、音がする。
　その音は、誰かが裸足で歩いているような音だ。

　その音が近付いて来たのを感じた空良は、恐る恐る振り向く。

　しかし、そこには誰もいなかった。

　代わりに、床には黒い足跡がついている。
　その足跡は、部屋の入り口から続いていて、空良の真後ろで止まっていた。

　足跡を見て震える空良は、慌てて立ち上がる。
　すると後ろの方からバンッと、何者かが窓を強く叩くような音がした。
　その瞬間、弾かれたように空良は走り出す。

「うわぁぁ!」

　声を上げながら、転がるように部屋から飛び出し、迷路のように入り組んだ道を必死に走った。