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スピンオフ② ~イーサンとダニエル ローレン~
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屋敷の2階、長く延びる西の廊下の突き当たりから、広く広大な庭園が望める。
そこの無数の窓から淡いオレンジ色の夕日が差し込む。
そこにたそがれる様に・・・眉間にシワを寄せ、恨めしそうにその庭園を眺めているロジィがいた。
ダニエルのお付きになって早1ヶ月弱、常にロジィはダニエルに振り回されていた。
いったい、何がしたいのか?
膨大な書物を所蔵している書庫から一つの古い本を探し出せと言われ、かなりの時間をかけて探し出した。が、その本もダニエルは一瞥して未だにページを開いていない。
オレンジを食べたいと言うから持っていくと、気分が変わったからリンゴが良いと言う。
はたまた・・、いや、ここにあげてもキリがない。
何なんだろう?それなりに身分の高いヤツって、こんな感じで気分屋なのか?
「…はぁぁぁ」
大きなため息と共に不服そうに再び庭園を眺める。
「ため息を付くと幸せが逃げますよ」
背後から急に降り注いだ落ち着いた声に、ロジィは慌てて背筋を伸ばし振り返る。
声の主は穏やかに口角を上げ、まっすぐにロジィを見るイーサンが立っていた。
「す、すみません!」
別にサボっていた訳ではなかったのだが、大きなため息を聞かれたことが恥ずかしく、ロジィは夕日に負けないくらい頬を赤く染めた。
「・・・ダニエル様に手を焼いてますか」
ため息の理由の図星を付かれ、正直に言って良いものか分からずイーサンから目をそらした。
返答に困っているロジィをイーサンはじっと見つめ、わずかに微笑むような仕草をして言った。
「・・そんなところは、旦那様とダニエル様はそっくりですね」
「そんなところ?」
ロジィはイーサンが何について言っているのか、理解できず思わず聞き返した。
「試しているのです」
イーサンは真面目な顔をして答えた。
「試す?」
ますます訳が分からない、という顔でロジィはイーサンを見つめ返す。
「我々がどこまで自分自身を受け入れてくれるのか、探っているのです」
「・・・でも、そんな、試さなくてもこっちは仕えている立場だし、言われたことは従うに決まっているじゃないですか?」
「何よりもダニエル様は、ロジィ、あなたのことをかなりお気に召しているようです」
「へ?」
全く予想もしなかったイーサンの言葉に思わず変な返事をロジィはしてしまった。
そんなロジィを見て、ほとんど表情を変えないないイーサンがクスッと笑った気がした。
「まあ、旦那様の場合は、もう少し事情が込み入っていましたが・・」
少し懐かしむような表情のイーサンの言葉に、ロジィは好奇心とこれ以上踏み込んで聞いて良い内容なのか悩み、困惑した表情を浮かべた。
「聞きたいですか?」
素直にロジィが、コクコクと頷く。
イーサンは少し口元を緩め、ゆっくりと話し始めた。
「旦那様にお兄様が居られたことは知っていますか?」
「はい」
ロジィがコクリと頷いたのを見て、イーサンは続けた。
「本来、旦那様は次子であり、家督を継ぐ立場ではありませんでした」
今から約20年ほど前。
ここ、ローレン家では侯爵に2人の息子がいた。長男のダニエルは、体つきもがっしりとした長身で武術に秀でており、誰もが家督を継ぐにふさわしいとその将来を疑う者はいなかった。
次男のダスティンは兄とは違い、競い合う武術よりも文学の方を好む、どちらかと言えば大人しい性格をしていた。
兄のダニエルは、王道と言えるほど侯爵への道を進んでいる。
寄宿学校に在学時代は常に成績上位、在学中は初年度から生徒会に所属。
卒業後も父の元でさまざまな功績をあげていた。
主に領地の保全と拡大。保全と拡大といえば聞こえはいいが、ようは税収と大義を掲げた地域との領地の奪い合いだ。
軍事にも長けていたダニエルは、領地拡大に大きな功績をいくつも挙げていた。
そんな兄を必死に追いかけようとダスティンも努力を怠らず、そこそこの能力はあった。しかし、兄の栄光にほとんどその才能も隠れてしまっていた。
そんなある日のことだ。
領地拡大のため、他国に遠征に出ていた兄ダニエルの訃報がローレン家に届いた。
予想だにしなかった訃報にローレン家は愕然とした。
誰もが信じて疑わなかった跡継ぎのダニエルの死は、いままで表に出ることのなかったダスティンの運命を大きく変えた。
ただただ、兄を目標として過ごす日々。
将来は家督は兄が継ぐもので、自分は政治家か聖職者にでもなるのだろうと、ぼんやりとしか思っていなかった。
それが一変、兄の死を悲しむ間もなくローレン家の跡継ぎとしての教育が始まった。
ダスティンは、兄の名を継ぎダニエルと名を改めた。
元々、兄の専属の執事のイーサンもこの時に次男ダニエルのお付きとなった。
ローレン家は軍事を主にしていたので、次男のダニエルはいままでは、かじる程度にしかやってこなかった軍事学を徹底的に学ばされた。
本来、あまり争いを好まない性格のダニエルは、この一変した生活にかなりの重圧を抱えていた。
しかし、そんな自分の心情なんか気にしている暇はない。ただただ、目の前に与えられた課題をこなしていく。いつまでも消えない、兄の影を背負いながら。
人間、ストレスを抱えると何かで発散しないとやっていけれない。
ダニエルには、気に入らないやつがいた。
兄の専属の執事だったイーサンだ。
歳は、21歳を過ぎたばかりのダニエルより、少し上だと聞いている。
いつもすました顔で淡々と仕事をこなし、ダニエルの父親からもかなりの信頼を得ていた。
しかも、本来は優秀な兄のお付きだったやつだ。
兄と比べているのでは?
兄のようにスマートに様々なことはこなせない。そんな自分は、軽くみられるのでは?
そんなことを1人で悶々と思っていると、イーサンの顔を見るたびに眉間にシワが寄る。
今日も相変わらずダニエルは、ため息が出るほどの量の軍事記録書の山に埋もれていた。
ある程度の軍事学は学んでいたものの、これからは家督を継ぐためにさらに深い内容まで、学び直さなければいけなかった。
スッと音を立てることなく、ダニエルの目の前の机にティーカップが置かれた。
横を見ると、すました顔をしてイーサンが立っている。
ダニエルはイーサンの顔を特に見るわけでもなくすぐに記録書に移し、
「今、この紅茶の気分じゃない、他のにしろ」
と、ぶっきらぼうに呟いた。
イーサンは、軽く会釈をすると今出したばかりのティーカップを下げた。
その後も、紅茶が暑いだのぬるいだの、何だかんだとダニエルの難癖は続いた。
それに全てすました顔でイーサンは答えた。
そんなやり取りが、もう何日も続いている。
ダニエルは、イーサンがなぜいつも嫌な顔一つせず、言われた通りにするのか、自分に関心がないのか、はたまた、相手にさせしてもらえてないのか・・。
そう思った瞬間、心の奥がチクリっとしたような気がした。
それからしばらくした頃、父親の言い付けで、兄が在籍をしていた寄宿学校へ軍事関係の書類を取りに行った時のことだ。
大事そうに受け取った分厚い書類を胸に抱えて、広く長い廊下をダニエルがまっすぐ前だけを見て歩いている。
その様子をうかがう在校生達のダニエルに向ける視線が厳しい。
今でもダニエルの兄はこの学校を卒業した英雄として、皆に忘れることなく尊敬され憧れとなっている。
彼を目標として、日々の勉学や厳しい訓練を耐え、はげみにしている者も多い。
そんな兄とは対照的なあまり目立たない弟は、ただ家の名に後押しされているだけ、そう思っているのだろう。
講堂から外に出たときのことだ。
木の陰に置かれたベンチにうずくまっている寄宿生が目に入った。
慌てて、ダニエルが駆け寄る。
ダニエルが声をかけるが、その寄宿生はうずくまったままだ。
無意識にダニエルは、手に持っていた書類をベンチのすみに置き、その寄宿生の肩に手を掛け顔色をうかがおうと覗き込む。
チラリと、うずくまっている寄宿生の目線が一瞬書類に行く。
その視線にダニエルは気づいていない。
と、書類が何かに引っ張られるようにベンチの陰に消える。
寄宿生はそれを横目で見終えると、スッと立ち上がり、
「あ・・、大丈夫です」
そう、ボソッと言ってダニエルを押しやると、そのまますくっと立ち上がり、小走りに立ち去って行った。
「・・・何なんだ?」
しばらく唖然と寄宿生が立ち去った方をダニエルは見ていたが、すぐに気を取り直し書類を置いたベンチに目線を移した。
「っ!え?!」
確かにベンチのすみに置いていた書類が消えている。
慌ててダニエルは、ベンチの裏、下、その奥の植木の周りをしらみつぶしに探した。
「ない!ない!無い!」
真上に近い太陽が西の空でオレンジに光りだしても、夜の闇が濃くなっても、書類はどこにも見あたらなかった。
その夜、右の頬を赤く腫らしたダニエルが、父親の書斎から出てきた。
寄宿学校では学校長に深々と頭を下げ、家では真っ先に拳が飛んできた。
そもそも、重要な書類をなくしてしまったのだ、怒られて当たり前・・・、でも、確かにあのベンチの上に置いたのに、風だってあの時は吹いてはいなかった。それに、少々の風では飛びそうもない重さの書類だった。
だが、ダニエルがその書類をなくしてしまったのは事実だ。また、父を失望させてしまった。
ふと、書斎を出たドアの横にダニエルの姿をじっと見据えるイーサンの姿があるのに気付いた。
ああ、どうせこいつもあきれ返っているのだろうな。そう思い、ダニエルはイーサンから目線を外す。
そのまま、そこにイーサンなんて元々いないかのようにダニエルは歩いて行った。
そんなダニエルの後ろ姿が廊下の向こうに消えるまで黙ってイーサンは見送ると、すぐに踵を返し屋敷の出口へと歩いていった。
翌朝、もう一度書類を探しに行こうとダニエルは寝室で一人支度をしていた。
いつもなら、イーサンが支度を手伝うのだが、なぜか昨日書斎の前ですれ違ってから見掛けていない。
一通り支度を終えたダニエルは、寝室の隣の自分専門の書斎の扉を開けた。
「っ!」
そこには、昨日から姿の見えなかったイーサンが、書斎机に何かを置こうとしているところだった。
「おまえ!どこに行って・・」
そう声をかけつつ、ダニエルの目線はイーさんの手元にあるものに固定された。
「それっ!」
思わずダニエルは駆け寄り、イーサンの手からそれを奪うように掴んだ。
「・・・なんで、お前がこれを持ってんだ?」
それは、昨日ダニエルが寄宿学校でなくしてしまったあの書類だった。
「なんで、お前がこれを持っているんだ?」
もう一度、少し声のトーンを落としてイーサンに問う。
イーサンは相変わらず、顔色を変えることなく無表情に近いままでゆっくりと口を開いた。
「寄宿学校に行っておりました」
「は?だから、なんで、お前がこれを持っているんだって、聞いているんだろ!」
ダニエルの口調からイラつきがこぼれる。
「昨日、ダニエル様が書類をなくされたと聞き、その状況をうかがったところ、気になるところがありまして・・・」
「ああっ!何だよ!遠回しに言わずに結論からはっきり言えよ!」
言葉を遮られたイーサンは、少し無言のままダニエルを見つめると、ゆっくりともう一度口を開いた。
「なくされたと状況に疑問を持っただけです」
「状況?ただ、ベンチに置いてって、言っただけだろ?」
「ダニエル様が書類を『ただベンチに置いた』、という点が腑に落ちず、寄宿学校に行っておりました」
「・・・」
ダニエルは、黙ってイーサンの次の言葉を待つ。
「そちらの書類は、寄宿生徒のお一人が大切に持っておられたので、私が受け取らせていただきました」
「え?」
「若気の至りと申しますか、ちょっとした悪戯心だったそうですよ。しっかりと、今後はこの様なことをしないように釘を刺しておきました」
にこりと口元だけ笑顔を見せるイーサンに、ダニエルは背筋がヒヤリとするものを感じた。
「じゃぁ、お前・・、その僕の一言だけで・・・」
「はい。ダニエル様が旦那様からお任されになったことを、おろそかにすることはないと思ったからです」
その言葉を聞いてダニエルの胸の奥の方から何か暖かなものが、顔を覗かせたような気がした。
「では、私はこれで。あ、ご朝食には遅れませんように」
イーサンはそれだけ言うと軽く会釈をして、カチャリというドアノブが閉まる小さな音だけをたてて部屋から出て行った。
しばらくダニエルは、イーサンが立ち去ったドアをしばらく見て、そしてぽつりと、
「・・・そっか、僕の一言で」
わずかに口元が緩み、もう一度書類をしっかりと握りしめた。
屋敷の2階、長く延びる西の廊下の無数の窓から差し込んでいた淡いオレンジ色の夕日はいつの間にか消え、代わりに静な夜の帳へと変わっていた。
「それからです。旦那様が少しずつですが、素直・・・心を許して下さるようになりました。ちょうどそのころの旦那様とダニエル様がおやりになっている事がそっくりです。我々がどこまで自分自身を受け入れてくれるのか、探っているのですよ」
嬉しそうにイーサンは目元から微笑む。
「探って・・いるんですか?」
意外だった。あの厳格そうで最初から何でも完璧にこなしていそうなダニエル ローレンにもそんな頃があったなんて。
「大丈夫ですよ。ダニエル様もあなたの事が気になるから、そうやって関わろうとしてるんですよ」
「・・そうなんですかね?」
何となく、胸の辺りのムシャクシャやモヤモヤが弱まった気がしてきた。
「さっ!少し話しすぎましたか。そろそろ、仕事に戻りますか」
先ほどの穏やかな口調から少し引き締まった口調に変えてイーサンが言う。
「はい!」
ロジィは思わず背筋を伸ばして返事した。
イーサンがスタスタと廊下を歩いていく。
その後ろを慌てて追いながらロジィは思った。
『僕もダニエルさまと、旦那様とイーサン様のように・・・』
心なしか足取りと心が軽くなったロジィが、廊下の向こうにイーサンと共に消えて行った。
-END-
そこの無数の窓から淡いオレンジ色の夕日が差し込む。
そこにたそがれる様に・・・眉間にシワを寄せ、恨めしそうにその庭園を眺めているロジィがいた。
ダニエルのお付きになって早1ヶ月弱、常にロジィはダニエルに振り回されていた。
いったい、何がしたいのか?
膨大な書物を所蔵している書庫から一つの古い本を探し出せと言われ、かなりの時間をかけて探し出した。が、その本もダニエルは一瞥して未だにページを開いていない。
オレンジを食べたいと言うから持っていくと、気分が変わったからリンゴが良いと言う。
はたまた・・、いや、ここにあげてもキリがない。
何なんだろう?それなりに身分の高いヤツって、こんな感じで気分屋なのか?
「…はぁぁぁ」
大きなため息と共に不服そうに再び庭園を眺める。
「ため息を付くと幸せが逃げますよ」
背後から急に降り注いだ落ち着いた声に、ロジィは慌てて背筋を伸ばし振り返る。
声の主は穏やかに口角を上げ、まっすぐにロジィを見るイーサンが立っていた。
「す、すみません!」
別にサボっていた訳ではなかったのだが、大きなため息を聞かれたことが恥ずかしく、ロジィは夕日に負けないくらい頬を赤く染めた。
「・・・ダニエル様に手を焼いてますか」
ため息の理由の図星を付かれ、正直に言って良いものか分からずイーサンから目をそらした。
返答に困っているロジィをイーサンはじっと見つめ、わずかに微笑むような仕草をして言った。
「・・そんなところは、旦那様とダニエル様はそっくりですね」
「そんなところ?」
ロジィはイーサンが何について言っているのか、理解できず思わず聞き返した。
「試しているのです」
イーサンは真面目な顔をして答えた。
「試す?」
ますます訳が分からない、という顔でロジィはイーサンを見つめ返す。
「我々がどこまで自分自身を受け入れてくれるのか、探っているのです」
「・・・でも、そんな、試さなくてもこっちは仕えている立場だし、言われたことは従うに決まっているじゃないですか?」
「何よりもダニエル様は、ロジィ、あなたのことをかなりお気に召しているようです」
「へ?」
全く予想もしなかったイーサンの言葉に思わず変な返事をロジィはしてしまった。
そんなロジィを見て、ほとんど表情を変えないないイーサンがクスッと笑った気がした。
「まあ、旦那様の場合は、もう少し事情が込み入っていましたが・・」
少し懐かしむような表情のイーサンの言葉に、ロジィは好奇心とこれ以上踏み込んで聞いて良い内容なのか悩み、困惑した表情を浮かべた。
「聞きたいですか?」
素直にロジィが、コクコクと頷く。
イーサンは少し口元を緩め、ゆっくりと話し始めた。
「旦那様にお兄様が居られたことは知っていますか?」
「はい」
ロジィがコクリと頷いたのを見て、イーサンは続けた。
「本来、旦那様は次子であり、家督を継ぐ立場ではありませんでした」
今から約20年ほど前。
ここ、ローレン家では侯爵に2人の息子がいた。長男のダニエルは、体つきもがっしりとした長身で武術に秀でており、誰もが家督を継ぐにふさわしいとその将来を疑う者はいなかった。
次男のダスティンは兄とは違い、競い合う武術よりも文学の方を好む、どちらかと言えば大人しい性格をしていた。
兄のダニエルは、王道と言えるほど侯爵への道を進んでいる。
寄宿学校に在学時代は常に成績上位、在学中は初年度から生徒会に所属。
卒業後も父の元でさまざまな功績をあげていた。
主に領地の保全と拡大。保全と拡大といえば聞こえはいいが、ようは税収と大義を掲げた地域との領地の奪い合いだ。
軍事にも長けていたダニエルは、領地拡大に大きな功績をいくつも挙げていた。
そんな兄を必死に追いかけようとダスティンも努力を怠らず、そこそこの能力はあった。しかし、兄の栄光にほとんどその才能も隠れてしまっていた。
そんなある日のことだ。
領地拡大のため、他国に遠征に出ていた兄ダニエルの訃報がローレン家に届いた。
予想だにしなかった訃報にローレン家は愕然とした。
誰もが信じて疑わなかった跡継ぎのダニエルの死は、いままで表に出ることのなかったダスティンの運命を大きく変えた。
ただただ、兄を目標として過ごす日々。
将来は家督は兄が継ぐもので、自分は政治家か聖職者にでもなるのだろうと、ぼんやりとしか思っていなかった。
それが一変、兄の死を悲しむ間もなくローレン家の跡継ぎとしての教育が始まった。
ダスティンは、兄の名を継ぎダニエルと名を改めた。
元々、兄の専属の執事のイーサンもこの時に次男ダニエルのお付きとなった。
ローレン家は軍事を主にしていたので、次男のダニエルはいままでは、かじる程度にしかやってこなかった軍事学を徹底的に学ばされた。
本来、あまり争いを好まない性格のダニエルは、この一変した生活にかなりの重圧を抱えていた。
しかし、そんな自分の心情なんか気にしている暇はない。ただただ、目の前に与えられた課題をこなしていく。いつまでも消えない、兄の影を背負いながら。
人間、ストレスを抱えると何かで発散しないとやっていけれない。
ダニエルには、気に入らないやつがいた。
兄の専属の執事だったイーサンだ。
歳は、21歳を過ぎたばかりのダニエルより、少し上だと聞いている。
いつもすました顔で淡々と仕事をこなし、ダニエルの父親からもかなりの信頼を得ていた。
しかも、本来は優秀な兄のお付きだったやつだ。
兄と比べているのでは?
兄のようにスマートに様々なことはこなせない。そんな自分は、軽くみられるのでは?
そんなことを1人で悶々と思っていると、イーサンの顔を見るたびに眉間にシワが寄る。
今日も相変わらずダニエルは、ため息が出るほどの量の軍事記録書の山に埋もれていた。
ある程度の軍事学は学んでいたものの、これからは家督を継ぐためにさらに深い内容まで、学び直さなければいけなかった。
スッと音を立てることなく、ダニエルの目の前の机にティーカップが置かれた。
横を見ると、すました顔をしてイーサンが立っている。
ダニエルはイーサンの顔を特に見るわけでもなくすぐに記録書に移し、
「今、この紅茶の気分じゃない、他のにしろ」
と、ぶっきらぼうに呟いた。
イーサンは、軽く会釈をすると今出したばかりのティーカップを下げた。
その後も、紅茶が暑いだのぬるいだの、何だかんだとダニエルの難癖は続いた。
それに全てすました顔でイーサンは答えた。
そんなやり取りが、もう何日も続いている。
ダニエルは、イーサンがなぜいつも嫌な顔一つせず、言われた通りにするのか、自分に関心がないのか、はたまた、相手にさせしてもらえてないのか・・。
そう思った瞬間、心の奥がチクリっとしたような気がした。
それからしばらくした頃、父親の言い付けで、兄が在籍をしていた寄宿学校へ軍事関係の書類を取りに行った時のことだ。
大事そうに受け取った分厚い書類を胸に抱えて、広く長い廊下をダニエルがまっすぐ前だけを見て歩いている。
その様子をうかがう在校生達のダニエルに向ける視線が厳しい。
今でもダニエルの兄はこの学校を卒業した英雄として、皆に忘れることなく尊敬され憧れとなっている。
彼を目標として、日々の勉学や厳しい訓練を耐え、はげみにしている者も多い。
そんな兄とは対照的なあまり目立たない弟は、ただ家の名に後押しされているだけ、そう思っているのだろう。
講堂から外に出たときのことだ。
木の陰に置かれたベンチにうずくまっている寄宿生が目に入った。
慌てて、ダニエルが駆け寄る。
ダニエルが声をかけるが、その寄宿生はうずくまったままだ。
無意識にダニエルは、手に持っていた書類をベンチのすみに置き、その寄宿生の肩に手を掛け顔色をうかがおうと覗き込む。
チラリと、うずくまっている寄宿生の目線が一瞬書類に行く。
その視線にダニエルは気づいていない。
と、書類が何かに引っ張られるようにベンチの陰に消える。
寄宿生はそれを横目で見終えると、スッと立ち上がり、
「あ・・、大丈夫です」
そう、ボソッと言ってダニエルを押しやると、そのまますくっと立ち上がり、小走りに立ち去って行った。
「・・・何なんだ?」
しばらく唖然と寄宿生が立ち去った方をダニエルは見ていたが、すぐに気を取り直し書類を置いたベンチに目線を移した。
「っ!え?!」
確かにベンチのすみに置いていた書類が消えている。
慌ててダニエルは、ベンチの裏、下、その奥の植木の周りをしらみつぶしに探した。
「ない!ない!無い!」
真上に近い太陽が西の空でオレンジに光りだしても、夜の闇が濃くなっても、書類はどこにも見あたらなかった。
その夜、右の頬を赤く腫らしたダニエルが、父親の書斎から出てきた。
寄宿学校では学校長に深々と頭を下げ、家では真っ先に拳が飛んできた。
そもそも、重要な書類をなくしてしまったのだ、怒られて当たり前・・・、でも、確かにあのベンチの上に置いたのに、風だってあの時は吹いてはいなかった。それに、少々の風では飛びそうもない重さの書類だった。
だが、ダニエルがその書類をなくしてしまったのは事実だ。また、父を失望させてしまった。
ふと、書斎を出たドアの横にダニエルの姿をじっと見据えるイーサンの姿があるのに気付いた。
ああ、どうせこいつもあきれ返っているのだろうな。そう思い、ダニエルはイーサンから目線を外す。
そのまま、そこにイーサンなんて元々いないかのようにダニエルは歩いて行った。
そんなダニエルの後ろ姿が廊下の向こうに消えるまで黙ってイーサンは見送ると、すぐに踵を返し屋敷の出口へと歩いていった。
翌朝、もう一度書類を探しに行こうとダニエルは寝室で一人支度をしていた。
いつもなら、イーサンが支度を手伝うのだが、なぜか昨日書斎の前ですれ違ってから見掛けていない。
一通り支度を終えたダニエルは、寝室の隣の自分専門の書斎の扉を開けた。
「っ!」
そこには、昨日から姿の見えなかったイーサンが、書斎机に何かを置こうとしているところだった。
「おまえ!どこに行って・・」
そう声をかけつつ、ダニエルの目線はイーさんの手元にあるものに固定された。
「それっ!」
思わずダニエルは駆け寄り、イーサンの手からそれを奪うように掴んだ。
「・・・なんで、お前がこれを持ってんだ?」
それは、昨日ダニエルが寄宿学校でなくしてしまったあの書類だった。
「なんで、お前がこれを持っているんだ?」
もう一度、少し声のトーンを落としてイーサンに問う。
イーサンは相変わらず、顔色を変えることなく無表情に近いままでゆっくりと口を開いた。
「寄宿学校に行っておりました」
「は?だから、なんで、お前がこれを持っているんだって、聞いているんだろ!」
ダニエルの口調からイラつきがこぼれる。
「昨日、ダニエル様が書類をなくされたと聞き、その状況をうかがったところ、気になるところがありまして・・・」
「ああっ!何だよ!遠回しに言わずに結論からはっきり言えよ!」
言葉を遮られたイーサンは、少し無言のままダニエルを見つめると、ゆっくりともう一度口を開いた。
「なくされたと状況に疑問を持っただけです」
「状況?ただ、ベンチに置いてって、言っただけだろ?」
「ダニエル様が書類を『ただベンチに置いた』、という点が腑に落ちず、寄宿学校に行っておりました」
「・・・」
ダニエルは、黙ってイーサンの次の言葉を待つ。
「そちらの書類は、寄宿生徒のお一人が大切に持っておられたので、私が受け取らせていただきました」
「え?」
「若気の至りと申しますか、ちょっとした悪戯心だったそうですよ。しっかりと、今後はこの様なことをしないように釘を刺しておきました」
にこりと口元だけ笑顔を見せるイーサンに、ダニエルは背筋がヒヤリとするものを感じた。
「じゃぁ、お前・・、その僕の一言だけで・・・」
「はい。ダニエル様が旦那様からお任されになったことを、おろそかにすることはないと思ったからです」
その言葉を聞いてダニエルの胸の奥の方から何か暖かなものが、顔を覗かせたような気がした。
「では、私はこれで。あ、ご朝食には遅れませんように」
イーサンはそれだけ言うと軽く会釈をして、カチャリというドアノブが閉まる小さな音だけをたてて部屋から出て行った。
しばらくダニエルは、イーサンが立ち去ったドアをしばらく見て、そしてぽつりと、
「・・・そっか、僕の一言で」
わずかに口元が緩み、もう一度書類をしっかりと握りしめた。
屋敷の2階、長く延びる西の廊下の無数の窓から差し込んでいた淡いオレンジ色の夕日はいつの間にか消え、代わりに静な夜の帳へと変わっていた。
「それからです。旦那様が少しずつですが、素直・・・心を許して下さるようになりました。ちょうどそのころの旦那様とダニエル様がおやりになっている事がそっくりです。我々がどこまで自分自身を受け入れてくれるのか、探っているのですよ」
嬉しそうにイーサンは目元から微笑む。
「探って・・いるんですか?」
意外だった。あの厳格そうで最初から何でも完璧にこなしていそうなダニエル ローレンにもそんな頃があったなんて。
「大丈夫ですよ。ダニエル様もあなたの事が気になるから、そうやって関わろうとしてるんですよ」
「・・そうなんですかね?」
何となく、胸の辺りのムシャクシャやモヤモヤが弱まった気がしてきた。
「さっ!少し話しすぎましたか。そろそろ、仕事に戻りますか」
先ほどの穏やかな口調から少し引き締まった口調に変えてイーサンが言う。
「はい!」
ロジィは思わず背筋を伸ばして返事した。
イーサンがスタスタと廊下を歩いていく。
その後ろを慌てて追いながらロジィは思った。
『僕もダニエルさまと、旦那様とイーサン様のように・・・』
心なしか足取りと心が軽くなったロジィが、廊下の向こうにイーサンと共に消えて行った。
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