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前編

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 場所は大きな屋敷の中、その部屋の1つに数名の女性が何かを囲んでいる。
 何だろう?・・・・どうやらお産のさなかの様だ。
 また、別の部屋では、何やら怪しい祈祷師のような者が炎の前で祈祷をしている。
 こっちは男の人ばかり。1人だけ立派な衣をまとった人がいる。
 数刻後、赤ちゃんの産声と年配の女性の声が響く。
「おのこです!」
「皇子です!」
 立派な衣をまとった男の人が大股で入ってきた。
「でかした!でかしたぞ!『とくし』!」
 と叫んだ。
 すぐに子供は乳母に預けられる。
 徳子は、うつろにぼうっとしながらその様子を見ていた。

 数年の月日が流れた。ほとんどは乳母が皇子を育ててはいるようだが、徳子も皇子とよく会って一緒にいる時間も多いようだ。

 そして、さらにまた月日が経ち、皇子も3歳か4歳くらいになった。
 皇子は幼くても礼儀正しい。徳子に会う時にはまず正座をして挨拶をしている。親(年長者)をうやまう事がとても重要だ。
 したがって、皇子が天皇となった時、その時は今度は徳子が正座をして天皇である皇子に挨拶をするのだろう。
 徳子と夫である高倉天皇との関係は、現代の夫婦関係とは全く違う。
 とは言っても、中が悪い訳ではない。むしろ良い方なのではないだろうか。
 二人だけの独特の信頼関係がある。

 また、時は進む。
 屋敷内が慌ただしい。
 甲冑を身につけた男の人がなんにんもいる。その中の1人が徳子と皇子ともう一人の年配の女性・徳子の母である平時子を守るように屋敷から連れ出した。
 牛車での長い逃亡の旅が始まった。
 徳子はその道中、屋敷にいたときとは違って、ずっと皇子のそばに寄り添うことができている。
 嬉しいと言うよりも「皮肉だな」という思いが強い。
 この時、徳子の感情なのか凄く胸が苦しくてどうしようもない感情が流れ込んできました。
 それは「この子を何が何でも守り抜く!」と言う決意。
 道中、牛車から見えた村の人々の様子。自分たちよりもずっと薄い着物を着て、痩せ細っている人々。けれど、親子が一緒にいるのが当たり前の生活を「私もあちら側だったら」・・・。

 何度となく、追っ手に追いつかれそうになる恐怖を感じながら、その旅は続く。
 ある日の夜。
 雲が時折月を覗かせているそんな夜。
 徳子は一人、海辺にある松の木の下に立って波音を聞いていた。
 自然と口から何か物悲しさのある和歌がながれた。
 しばらくそこに徳子が立っていると、背後に人の気配が感じられた。
 振り返るとそこには月明かりに照らされて、息子の安徳天皇が立っている。
「母上…」
 慌てて徳子は駆け寄る。
 そのすぐ後ろにお付きの女官がいて、徳子に説明をした。
 安徳天皇は眠っていたのだが、ふと目を覚まし、自分の母がいないことに気付き、どうしても探す!と言ってここまで来たそうだ。
 女官のさらに後ろには、甲冑をまとった兵が2人ほどいるのが見えた。
「まぁ、ここは冷えます」
 そう、安徳天皇に徳子さんは声をかけた。いくらお付きの者がいるとは言え、小さな子供がこんな暗い夜に探しに来てくれるなんて。
 内心、自分を探しに来てくれたことがとても嬉しく思えた。

 まだこの頃は源氏から逃げてはいるものの、まだ心の安泰の時もあった。
 ただ、この正月は当たり前と言ったら当たり前だが、例年のように新年を盛大に祝うことはできなかった。
 ひっそりと新年を迎え、徳子はただただこの子の無事を願うばかりだった。
 徳子たちには一人の頼もしい武将が常に付いていた。
 年齢は30-40歳位で髭を生やしている。そのためか老けて見えるが甲冑越しでも分かるくらい筋肉質で、日々いかに鍛えているかと言うのか見て取れる。
 徳子はこの逃亡の日々野中、その者から今の現状や状況を知らされ共に行動をしていた。
 また、安徳天皇の前では源氏の名前を皆口にはしなかった。
 源氏と言わずに「かの者」とそのように呼んでいた。。
 これは「ゲン担ぎ」とのこと。宿敵の名前は縁起が悪い。そのため、安徳天皇の前では使わないのだ。

 数日後、雪の降る日、徳子は息子と共に海の中に吸い込まれていく雪を眺めていた。
 息子を寒くないようにしっかりと抱き寄せている。
 徳子は何だか変な感じがした。都にいた頃、不安な日々なんて全く思いもしなかった時より、今の方が息子と一緒にいる時間が多いなんて…。
「何だか皮肉なものね」
 と、ふと呟いた。
「母上?」
 不思議そうに見上げる安徳天皇を徳子はぎゅっと抱きしめた。

 それから間もなく、源氏がすぐそこまで迫っている。そのためもっと遠くに逃げなければならないと知らされた。
「こちらの味方に付いている水軍は皆手練れの者です。必ず、お守りいたします」
 そう、武将が徳子の目をしっかりと見て言った。


 徳子たちはその頃とある屋敷にかくまわれていた。
 息子の安徳天皇と共に床に入っていた。


 時刻は、まだ東の空も暗い夜明け前。
 武将がとなりの部屋で平時子に何か話している声で徳子は目が覚めた。
 ほどなくして、平時子と武将が部屋に入ってきた。
「行きますよ」
 平時子がそれだけ言う。
 安徳天皇も眠そうに目をこすりながら起き、ぐずることもなく大人達に付いていく。
 いつからだろう?この子から年相応の幼さをあまりかんじなくなったのは。
 天皇という立場をこの子なりに必死に頑張っているのだろう。
 と、徳子は無性にやるせなさを感じた。


 少しずつ、東の空が白ばんできた。
 暦の上では春だと言うのに、まだ空気は刺すように冷たい。
 徳子たちは頑丈そうな1隻の船に乗り込んだ。
 他にも外見が全く同じ船が何十隻もある。
 一斉に船が海原へと出航した。


 徳子の腕の中には安徳天皇がいる。
 どのくらい時が経っただろう?
 遠くで、男たちの怒鳴る声、叫ぶ声が聞こえるようになった。
 それは、時を追うごとに大きくなってきた。
 女房(女中)たちが耳を塞いで震えている姿が見える。


 男たちの怒鳴る声は、もうすぐそこまで来ていた。
 その時、いつもそばで守ってくれている武将が船内に入ってきた。
 気のせいか、いつも以上に穏やかな顔をしているように思える。徳子はその表情を見て、なぜか恐ろしいと感じた。
 武将が何かを言っている。しかし、言葉を発しているのは分かったが徳子自身は意味を聞き取れない、と言うか無意識に聞かないようになってしまっていた。


 と、急に、平時子が徳子の腕から安徳天皇を奪った。
「安徳天皇は、私と共に参ります。・・・私が連れて行きます」
 と言い、安徳天皇を連れて甲板へと出て行った。
 徳子も慌てて後を追おうとしたが、武将に腕を掴まれすぐに追うことが出来なかった。
 何が起こったのか分からない!いや、今ここで、この手を振り払って後を追わないといけないことだけは分かるっ!
 徳子は、何かを叫ぶと女性のものとは思えない渾身の力で武将の手を振り払った!
 勢いよく甲板へ飛び出す!
 一瞬。
 安徳天皇の姿が船から消えるのが見えた気がした。
 徳子さんは、自分が何をどう叫んでいるのか分からなかった。
 甲板から安徳天皇が消えていった海に身を乗り出す!
 そして、本当に、当たり前のように自らもその身を海の中へと沈めていった。

 徳子は、暗闇の中にいた。
 何も聞こえない、何も見えない、何も感じない。
 どのくらい、そんな中にいただろうか…。
 しだいに自分の周りに光が徐々に感じられだした。
 何か、遙か遠くから音が聞こえる。
 …何の音?音?ああ、鳥の声ね。
 意識がしだいにはっきりとしてきた。
 ゆっくりと、目を開ける。
 まだ、目の焦点が合わないが、板張りの天井らしきものが視界に入る。
 全く、何も分からない。
 ぼぅっ、としながらゆっくりと身体を横に向けた。
 身体中に激痛が走る!
 傷みでしばらく動けないでいたが、ふと、視界の端に何かが居るのが目に入った。
 女中が深々とひれ伏している。
 徳子は、傷みが徐々に引いてくると、ゆっくりと起き上がった。
「…誰?」
 女中は、ひれ伏したまま答える。
「身の回りのお世話をするよう、仰せつかった者です。『鈴花(すずか)』と申します。」
「顔をお上げなさい」
 そう、徳子が言うと、女中は、ゆっくりと、顔を上げた。
 徳子とさほど年は変わらない品の良い印象の女性だった。


 その女性にさらに声をかけようとしたその瞬間!
 徳子は、つい今しがたまで自分に起こった事の記憶が一気に押し寄せてきた!
 フラッシュバックのように全ての記憶が流れ込む!


「安徳天皇!安徳天皇は?!私のっ!」
 叫ぶように鈴花と言う女中に詰め寄る!
 鈴花の方が泣きそうな顔をしながら、
「安徳天皇は、お隠れになりました」
 そう、一言だけ言った。
「なぜ?!なぜ?!私もあの子の元に行ったはず!ここはどこなの??!」
 徳子は、押し寄せてきた記憶に押しつぶされる思いだった。
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