上 下
1 / 2

前編

しおりを挟む
 場所は大きな屋敷の中、その部屋の1つに数名の女性が何かを囲んでいる。
 何だろう?・・・・どうやらお産のさなかの様だ。
 また、別の部屋では、何やら怪しい祈祷師のような者が炎の前で祈祷をしている。
 こっちは男の人ばかり。1人だけ立派な衣をまとった人がいる。
 数刻後、赤ちゃんの産声と年配の女性の声が響く。
「おのこです!」
「皇子です!」
 立派な衣をまとった男の人が大股で入ってきた。
「でかした!でかしたぞ!『とくし』!」
 と叫んだ。
 すぐに子供は乳母に預けられる。
 徳子は、うつろにぼうっとしながらその様子を見ていた。

 数年の月日が流れた。ほとんどは乳母が皇子を育ててはいるようだが、徳子も皇子とよく会って一緒にいる時間も多いようだ。

 そして、さらにまた月日が経ち、皇子も3歳か4歳くらいになった。
 皇子は幼くても礼儀正しい。徳子に会う時にはまず正座をして挨拶をしている。親(年長者)をうやまう事がとても重要だ。
 したがって、皇子が天皇となった時、その時は今度は徳子が正座をして天皇である皇子に挨拶をするのだろう。
 徳子と夫である高倉天皇との関係は、現代の夫婦関係とは全く違う。
 とは言っても、中が悪い訳ではない。むしろ良い方なのではないだろうか。
 二人だけの独特の信頼関係がある。

 また、時は進む。
 屋敷内が慌ただしい。
 甲冑を身につけた男の人がなんにんもいる。その中の1人が徳子と皇子ともう一人の年配の女性・徳子の母である平時子を守るように屋敷から連れ出した。
 牛車での長い逃亡の旅が始まった。
 徳子はその道中、屋敷にいたときとは違って、ずっと皇子のそばに寄り添うことができている。
 嬉しいと言うよりも「皮肉だな」という思いが強い。
 この時、徳子の感情なのか凄く胸が苦しくてどうしようもない感情が流れ込んできました。
 それは「この子を何が何でも守り抜く!」と言う決意。
 道中、牛車から見えた村の人々の様子。自分たちよりもずっと薄い着物を着て、痩せ細っている人々。けれど、親子が一緒にいるのが当たり前の生活を「私もあちら側だったら」・・・。

 何度となく、追っ手に追いつかれそうになる恐怖を感じながら、その旅は続く。
 ある日の夜。
 雲が時折月を覗かせているそんな夜。
 徳子は一人、海辺にある松の木の下に立って波音を聞いていた。
 自然と口から何か物悲しさのある和歌がながれた。
 しばらくそこに徳子が立っていると、背後に人の気配が感じられた。
 振り返るとそこには月明かりに照らされて、息子の安徳天皇が立っている。
「母上…」
 慌てて徳子は駆け寄る。
 そのすぐ後ろにお付きの女官がいて、徳子に説明をした。
 安徳天皇は眠っていたのだが、ふと目を覚まし、自分の母がいないことに気付き、どうしても探す!と言ってここまで来たそうだ。
 女官のさらに後ろには、甲冑をまとった兵が2人ほどいるのが見えた。
「まぁ、ここは冷えます」
 そう、安徳天皇に徳子さんは声をかけた。いくらお付きの者がいるとは言え、小さな子供がこんな暗い夜に探しに来てくれるなんて。
 内心、自分を探しに来てくれたことがとても嬉しく思えた。

 まだこの頃は源氏から逃げてはいるものの、まだ心の安泰の時もあった。
 ただ、この正月は当たり前と言ったら当たり前だが、例年のように新年を盛大に祝うことはできなかった。
 ひっそりと新年を迎え、徳子はただただこの子の無事を願うばかりだった。
 徳子たちには一人の頼もしい武将が常に付いていた。
 年齢は30-40歳位で髭を生やしている。そのためか老けて見えるが甲冑越しでも分かるくらい筋肉質で、日々いかに鍛えているかと言うのか見て取れる。
 徳子はこの逃亡の日々野中、その者から今の現状や状況を知らされ共に行動をしていた。
 また、安徳天皇の前では源氏の名前を皆口にはしなかった。
 源氏と言わずに「かの者」とそのように呼んでいた。。
 これは「ゲン担ぎ」とのこと。宿敵の名前は縁起が悪い。そのため、安徳天皇の前では使わないのだ。

 数日後、雪の降る日、徳子は息子と共に海の中に吸い込まれていく雪を眺めていた。
 息子を寒くないようにしっかりと抱き寄せている。
 徳子は何だか変な感じがした。都にいた頃、不安な日々なんて全く思いもしなかった時より、今の方が息子と一緒にいる時間が多いなんて…。
「何だか皮肉なものね」
 と、ふと呟いた。
「母上?」
 不思議そうに見上げる安徳天皇を徳子はぎゅっと抱きしめた。

 それから間もなく、源氏がすぐそこまで迫っている。そのためもっと遠くに逃げなければならないと知らされた。
「こちらの味方に付いている水軍は皆手練れの者です。必ず、お守りいたします」
 そう、武将が徳子の目をしっかりと見て言った。


 徳子たちはその頃とある屋敷にかくまわれていた。
 息子の安徳天皇と共に床に入っていた。


 時刻は、まだ東の空も暗い夜明け前。
 武将がとなりの部屋で平時子に何か話している声で徳子は目が覚めた。
 ほどなくして、平時子と武将が部屋に入ってきた。
「行きますよ」
 平時子がそれだけ言う。
 安徳天皇も眠そうに目をこすりながら起き、ぐずることもなく大人達に付いていく。
 いつからだろう?この子から年相応の幼さをあまりかんじなくなったのは。
 天皇という立場をこの子なりに必死に頑張っているのだろう。
 と、徳子は無性にやるせなさを感じた。


 少しずつ、東の空が白ばんできた。
 暦の上では春だと言うのに、まだ空気は刺すように冷たい。
 徳子たちは頑丈そうな1隻の船に乗り込んだ。
 他にも外見が全く同じ船が何十隻もある。
 一斉に船が海原へと出航した。


 徳子の腕の中には安徳天皇がいる。
 どのくらい時が経っただろう?
 遠くで、男たちの怒鳴る声、叫ぶ声が聞こえるようになった。
 それは、時を追うごとに大きくなってきた。
 女房(女中)たちが耳を塞いで震えている姿が見える。


 男たちの怒鳴る声は、もうすぐそこまで来ていた。
 その時、いつもそばで守ってくれている武将が船内に入ってきた。
 気のせいか、いつも以上に穏やかな顔をしているように思える。徳子はその表情を見て、なぜか恐ろしいと感じた。
 武将が何かを言っている。しかし、言葉を発しているのは分かったが徳子自身は意味を聞き取れない、と言うか無意識に聞かないようになってしまっていた。


 と、急に、平時子が徳子の腕から安徳天皇を奪った。
「安徳天皇は、私と共に参ります。・・・私が連れて行きます」
 と言い、安徳天皇を連れて甲板へと出て行った。
 徳子も慌てて後を追おうとしたが、武将に腕を掴まれすぐに追うことが出来なかった。
 何が起こったのか分からない!いや、今ここで、この手を振り払って後を追わないといけないことだけは分かるっ!
 徳子は、何かを叫ぶと女性のものとは思えない渾身の力で武将の手を振り払った!
 勢いよく甲板へ飛び出す!
 一瞬。
 安徳天皇の姿が船から消えるのが見えた気がした。
 徳子さんは、自分が何をどう叫んでいるのか分からなかった。
 甲板から安徳天皇が消えていった海に身を乗り出す!
 そして、本当に、当たり前のように自らもその身を海の中へと沈めていった。

 徳子は、暗闇の中にいた。
 何も聞こえない、何も見えない、何も感じない。
 どのくらい、そんな中にいただろうか…。
 しだいに自分の周りに光が徐々に感じられだした。
 何か、遙か遠くから音が聞こえる。
 …何の音?音?ああ、鳥の声ね。
 意識がしだいにはっきりとしてきた。
 ゆっくりと、目を開ける。
 まだ、目の焦点が合わないが、板張りの天井らしきものが視界に入る。
 全く、何も分からない。
 ぼぅっ、としながらゆっくりと身体を横に向けた。
 身体中に激痛が走る!
 傷みでしばらく動けないでいたが、ふと、視界の端に何かが居るのが目に入った。
 女中が深々とひれ伏している。
 徳子は、傷みが徐々に引いてくると、ゆっくりと起き上がった。
「…誰?」
 女中は、ひれ伏したまま答える。
「身の回りのお世話をするよう、仰せつかった者です。『鈴花(すずか)』と申します。」
「顔をお上げなさい」
 そう、徳子が言うと、女中は、ゆっくりと、顔を上げた。
 徳子とさほど年は変わらない品の良い印象の女性だった。


 その女性にさらに声をかけようとしたその瞬間!
 徳子は、つい今しがたまで自分に起こった事の記憶が一気に押し寄せてきた!
 フラッシュバックのように全ての記憶が流れ込む!


「安徳天皇!安徳天皇は?!私のっ!」
 叫ぶように鈴花と言う女中に詰め寄る!
 鈴花の方が泣きそうな顔をしながら、
「安徳天皇は、お隠れになりました」
 そう、一言だけ言った。
「なぜ?!なぜ?!私もあの子の元に行ったはず!ここはどこなの??!」
 徳子は、押し寄せてきた記憶に押しつぶされる思いだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

永遠より長く

横山美香
歴史・時代
戦国時代の安芸国、三入高松城主熊谷信直の娘・沙紀は「天下の醜女」と呼ばれていた。そんな彼女の前にある日、次郎と名乗る謎の若者が現れる。明るく快活で、しかし素性を明かさない次郎に対し沙紀は反発するが、それは彼女の運命を変える出会いだった。 全五話 完結済み。

命短し恋せよをとこ

うかかなむらる
歴史・時代
平家物語『忠度の都落ち』の、知られざる真実とは。 ※この話はフィクションです。

江戸情話 てる吉の女観音道

藤原 てるてる
歴史・時代
この物語の主人公は、越後の百姓の倅である。 本当は跡を継いで百姓をするところ、父の後釜に邪険にされ家を出たのであった。 江戸に出て、深川で飛脚をして渡世を送っている。 歳は十九、取り柄はすけべ魂である。女体道から女観音道へ至る物語である。 慶応元年五月、あと何年かしたら明治という激動期である。 その頃は、奇妙な踊りが流行るは、辻斬りがあるはで庶民はてんやわんや。 これは、次に来る、新しい世を感じていたのではないのか。 日本の性文化が、最も乱れ咲きしていたと思われるころの話。 このてる吉は、飛脚であちこち街中をまわって、女を見ては喜んでいる。 生来の女好きではあるが、遊び狂っているうちに、ある思いに至ったのである。 女は観音様なのに、救われていない女衆が多すぎるのではないのか。 遊女たちの流した涙、流せなかった涙、声に出せない叫びを知った。 これは、なんとかならないものか。何か、出来ないかと。 ……(オラが、遊女屋をやればええでねえか) てる吉は、そう思ったのである。 生きるのに、本当に困窮しとる女から来てもらう。 歳、容姿、人となり、借金の過多、子連れなど、なんちゃない。 いつまでも、居てくれていい。みんなが付いているから。 女衆が、安寧に過ごせる場を作ろうと思った。 そこで置屋で知り合った土佐の女衒に弟子入りし、女体道のイロハを教わる。  あてがって来る闇の女らに、研がれまくられるという、ありがた修行を重ねる。 相模の国に女仕入れに行かされ、三人連れ帰り、褒美に小判を頂き元手を得る。 四ツ谷の岡場所の外れに、掘っ立て小屋みたいな置屋を作る。  なんとか四人集めて来て、さあ、これからだという時に…… てる吉は、闇に消えたのであった。

朱元璋

片山洋一
歴史・時代
明を建国した太祖洪武帝・朱元璋と、その妻・馬皇后の物語。 紅巾の乱から始まる動乱の中、朱元璋と馬皇后・鈴陶の波乱に満ちた物語。全二十話。

御懐妊

戸沢一平
歴史・時代
 戦国時代の末期、出羽の国における白鳥氏と最上氏によるこの地方の覇権をめぐる物語である。  白鳥十郎長久は、最上義光の娘布姫を正室に迎えており最上氏とは表面上は良好な関係であったが、最上氏に先んじて出羽国の領主となるべく虎視淡々と準備を進めていた。そして、天下の情勢は織田信長に勢いがあると見るや、名馬白雲雀を献上して、信長に出羽国領主と認めてもらおうとする。  信長からは更に鷹を献上するよう要望されたことから、出羽一の鷹と評判の逸物を手に入れようとするが持ち主は白鳥氏に恨みを持つ者だった。鷹は譲れないという。  そんな中、布姫が懐妊する。めでたい事ではあるが、生まれてくる子は最上義光の孫でもあり、白鳥にとっては相応の対応が必要となった。

壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ
歴史・時代
──曰く、新撰組には「壬生狼の戦姫」と言われるほどの強い女性がいたと言う。 土方歳三には最期まで想いを告げられなかった許嫁がいた。名を君菊。幼馴染であり、歳三の良き理解者であった。だが彼女は喧嘩がとんでもなく強く美しい女性だった。そんな彼女にはある秘密があって──? 激動の時代、誠を貫いた新撰組の歴史と土方歳三の愛と人生、そして君菊の人生を描いたおはなし。 参考・引用文献 土方歳三 新撰組の組織者<増補新版>新撰組結成150年 図説 新撰組 横田淳 新撰組・池田屋事件顛末記 冨成博

竜頭

神光寺かをり
歴史・時代
幕末の信州上田藩。 藤井松平家の下級藩士・芦田家に、柔太郎と清次郎の兄弟が居た。 兄・柔太郎は儒学を学ぶため昌平黌へ、弟・清次郎は数学を学ぶため瑪得瑪弟加塾へ、それぞれ江戸遊学をした。 嘉永6年(1853年)、兄弟は十日の休暇をとって、浦賀まで「黒船の大きさを測定する」ための旅に出る。 品川宿で待ち合わせをした兄弟であったが、弟・清次郎は約束の時間までにはやってこなかった。 時は経ち――。 兄・柔太郎は学問を終えて帰郷し、藩校で教鞭を執るようになった。 遅れて一時帰郷した清次郎だったが、藩命による出仕を拒み、遊学の延長を望んでいた。 ---------- 神童、数学者、翻訳家、兵学者、政治思想家、そして『人斬り半次郎』の犠牲者、赤松小三郎。 彼の懐にはある物が残されていた。 幕末期の兵学者・赤松小三郎先生と、その実兄で儒者の芦田柔太郎のお話。 ※この作品は史実を元にしたフィクションです。 ※時系列・人物の性格などは、史実と違う部分があります。 【ゆっくりのんびり更新中】

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...