あやかしがくえん

橋真和高

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 八百万の言った、準備しろとはそういうことだ。つまり、この悪魔を倒すのは同じ悪魔の力を持つ、僕なのだ。

「おい! 夜神、早くしろ! こいつに逃げられるとお嬢さんの体はこのままだぞ」

 わかってる。だけど、流石に知り合いにあの姿を見せたくないと思ってしまう。全くの他人なら、構わないけれど、同じクラスのましてや三年間も同じクラスの奴に見せてこの先大丈夫なのだろうか。

 だが、くよくよ迷っている時間はなさそうだ。僕の迷いのせいで、朝比奈の体が元に戻らなければ、朝比奈の懺悔は、覚悟は全て無駄になってしまうのだから。

 そう覚悟を決めると、僕は自身の左小指に嵌めている指輪を──外した。

「悪い、朝比奈、これを預かってくれないか?」

「嫌よ」

「何でだよ! 持っているだけでいいからさ」

「こんなこと言うのもあれなのだけれど、私たち、今日知り合ったばかりなのよ。それなのに、いきなりそういうのはもう少し、順序を踏んでいかないといけないと思うの」

「……は?」

 僕には朝比奈の言っている言葉がわからない。順序とは一体何のことなのか、そして、何故少し顔が赤くなっているのか、わからない。

「その、求婚するのなら、まずはお付き合いから始めたいと思うのだけれど……」

「違う! 今から僕がこいつと戦うから指輪を持っていて欲しいってだけだ!」

「……あなた、私を弄んで楽しい?」

「お前が勝手に勘違いしたんだ! いいから、持ってろ」

 そう言って、僕は朝比奈に目掛けて指輪を投げつけた。だけど、朝比奈の奴、まずはお付き合いからって、もしかしてあいつは僕のことを好きなんじゃないのか? いや、ダメだ、まずは目の前の問題を片付けなければならない。朝比奈のことはそれからでもいいだろう。

 指輪を外して自身の心臓に意識を向ける。意識を向けると、僕の中に眠るもう一人の僕の中に居る──悪魔に語りかける。

《汝に告げる──縛りは解かれた、契約に従い我が願いに答えよ》

《その願い聞き入れましょう》

 眠りに就いていた悪魔が目を覚ました。それと同時に、僕の意識が悪魔と入れ替わる感覚に襲われる。

 悪魔が目を覚ましたと言っても、僕の意識は存在する。単に今まで僕が握っていた主導権を悪魔に明け渡しているということだ。意識はあっても体は動かせない。

 この状態になるといつも思うのだが、本当に自身の中には悪魔が眠っていると感じてしまうのは。鏡に映る姿を見ると髪は白くなり、黒い瞳孔に深紅の瞳。この姿を見ただけでもこれは──人間ではないと思ってしまう。

「クフッ、久々に出る外の世界はなんと気持ちがいいんでしょうね」

「変わったか、おい、私と変われ。それとこれを使え」

「いえ、結構ですよ神楽さん。なるほど、理解しました。今回私が呼ばれたのは、この方を倒せという願いでしたか、マスターからの願いは朝比奈未来という方を守れと言われていましたから」

 それから、この悪魔は今も八百万と戦っている悪魔に視線を移し、何やらやれやれと肩を竦めていた。

「はぁ、この程度の相手では私の準備運動にもなりませんね」

 タイミングを見計らって、八百万は悪魔を蹴り飛ばし、戦線を離脱した。それと同時に僕の体を操る悪魔と、蝙蝠の悪魔が相対した。

「どこからでも、お好きにどうぞ」

 僕の悪魔が挑発をすると、蝙蝠の悪魔は物凄い速さで間合いを詰めて攻撃をしてくるが、それを意図も介さず躱し続けている。時折、わざと欠伸をするような所作も含めて余裕なのが露見できるように。

「まあ、こんなものでしょう。あなた程度では」

 その言葉を最後に、僕の悪魔は小森の悪魔を一瞬で、その長く強靭な爪でバラバラに切り裂いていた。

「さようなら」

 僕たちの目の前で、蝙蝠の悪魔は消失した。灰になるかのようにちりちりと上空に舞い上がるように。

「さて、マスターの願いは叶えましたし、私はこれで失礼しますよ。そこのお嬢さん、私にその指輪を返してもらえますか?」

「は、はい」

 朝比奈は流石に恐怖を隠しきれてはいなかった。まあ無理もない。朝比奈の目の前に居るのは紛れもない本物の悪魔なのだから、朝比奈が育て上げた悪魔とは訳が違う。何百何千と生きてきた悪魔の中の悪魔なのだ。

 恐る恐る、震える手で朝比奈は指輪を返した。そして、悪魔が指輪を嵌めこむことで僕に肉体的な主導権が返ってきたのだ。

 確認の為に朝比奈の手に触れると、恐怖を抱いてるにも関わらず、僕の手は──朝比奈の手に触れていた。

 朝比奈は自身の思い、業を取り戻すことができたのだ。言ってはいけない言葉を言ってしまった思いと後悔を取り戻し、それを楽にするために捧げていた願いの代償である実体を取り戻したのだ。

「これにて一件落着ということか、いやいや流石に私も疲れたよ」

「よく言うよ、あれが悪魔じゃなければ、お前でも倒せるだろうに」

「今回は例え、悪魔でなくとも私は倒せなかったよ」

「何でだよ」

「許可が下りていないからね」

「あぁ……、そういうことか」

「あの、八百万さん」

 僕と八百万の会話に割って入るように、朝比奈は八百万に言葉をかける。

「ん? 何かね?」

「ありがとうございました」

「例には及ばないよ。私は特に何もしていないんだからね」

「それでも、ありがとうございます」

 八百万はおっさん臭い仕草で、煙草に火を着けながら肺の奥まで行き通るようにしっかり吸い込んでこう言った。

「いい人生経験ができたんじゃないか」

「はい!」

 こうして、六年間にも及ぶ朝比奈の苦悩は今日を以て完全に解消されたのである。だが、なぜだか一番の功労者である僕に何の労いもなかったのはかなりショックだったのは秘密だ。
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