あやかしがくえん

橋真和高

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 蝙蝠?

 今、蝙蝠って言ったのか? 蝙蝠って、あの間近で見ると結構きつい顔した悪魔みたいな、二対の羽を生やした、あの蝙蝠?

「体を、いえ、実際には──実体を吸われるようになくなった」

「……」

「意味がわからないわよね、別にいいのよ。これ以上、私に付き纏わなければ全て丸く収まるのよ。だから、喋ったのよ。ねえ、夜神吉良君」

 朝比奈は。

 僕の名前を、強く、呼んだ。

「私には実体がない。体が虚像、存在が、儚い。全く困ったものよね。これが、何かの病気であるならば、どれだけ、楽だったことか」

「……」

「私の秘密を知っているのは、私の知る限りでは、この世に三人だけよ。私が通っている病院の先生と、私のお母さんと、それと──あなただけよ。夜神君」

 頭の理解が追い付かない。言葉が、出てこない。

「さて、私はあなたに事の詳細を語ったわけだけど、これから先、あなたに私の秘密を黙ってもらうために、一体、何をしたらいいのかしら? 「はらわた」がぶちまけても秘密を洩らさないと、どうしたら、あなたに、夜神君に誓ってもらえるのかしら? どうやって、声が出ないようにすればいいのかしら?」

 ペティナイフ。

 その刀身がさらに強く押し付けられている。

 本気だ、こいつは、仮にも同級生に対して、三年間同じクラスである、僕に対して、なんて追い込み方をするんだ。こんなサイコパスがいていいのか?

 残虐非道。

 悪逆非道。

 残忍酷薄。

 そんな奴と、およそ、二年間同じ空間で、机を並べて生活を共にしていたと思うと、正直、ぞっとする。

「病院の先生の話では、原因不明、というより、原因はないんじゃないかと言うの。何度も何度も、精密検査をして、そんな結論しか出てこない。なんて、最初から言うなれば、産まれた時から、私は──元々こうだったのではないのかと、なんて言われてはたまらないわよね」

 朝比奈はまるであざけ笑うように、自嘲する。

「あまりにも、酷い話だとは思わない? 私、昔はとても可愛くて、クラスの人気者だったのに」

「……」

 自身が可愛いと、容姿端麗、クラスの人気者だという、自覚はあったのか。

 だけど、病院に通っているというのは、どうやらあながち嘘ではなかったのか。

 早退に、欠席。

 一体どんな、気分だったのだろうか。

 僕みたいに、僕のように──たった数ヶ月の経験ではなく、中学校をいれると、およそ、六年間に渡る時間を、その謎を抱いたまま日々を送るということは。

 何を選び取り。

 何を切り捨て。

 何を望み。

 何を諦めたのか。

 この六年間は朝比奈にとって、十分な時間だったのやもしれない。

「へえ、随分優しいじゃない」

 やはり、エスパーの力も備わっているらしい。朝比奈は僕の心を読んでいる。その言葉は優しいはずなのに、朝比奈の声音は、冷たいままだった。

「優しさなんて、欲しくないのよ」

「私が欲しいのは、これまで通りの平穏な日々。それさえ守ってくれれば、その、綺麗な白いワイシャツに赤い染みを作らなくて済むのだけれど、クリーニング代が勿体ないでしょう?」

 朝比奈の顔は伺えないが。

 背中から、くすりと笑む声がする。

「私の日常を脅かさないと誓えるのなら、そのまま、体を正面に戻して、進みなさい、夜神君。こちらを振り向けば、その瞬間、あなたの腹部から内臓をぶちまけることになるけれど」

 一寸の迷いのない言葉。

 僕は、体を正面に向けた。

 そのまま、前だけを向いて、歩き出す。

「そう、ありがとう」

 僕の行動を見て、肩の荷が下りたらしい。

 選択を与えられているように見えて、事実、選択の余地はなかった。こちらとしては、それに同意をするしか選択肢はなかったに等しい。

 それでも、朝比奈はその素直な行動に少なからず、安堵したのだろう。

「それじゃあね」

 そう言って、これで別れると思っていたのだが、僕が甘かった。

「うぐっ……」

 スパっと。

 予想もしていなかった。

 ペティナイフを、あろうことか、勢いよく、切り裂いた。その熱さにも似た感覚が押し寄せる。その刀身に着いた僕の血を、朝比奈はペティナイフを軽く振り、綺麗に落としていた。

 痛みに堪えきれずに、その場に蹲る。

 止まるかもわからない、右腹部を抑えながら。

「……ふぅーっ」

「あら、泣き叫ばないの? 強いのね」

 まるで、他人の絵空事のように。

 今も尚、蹲っている、僕を見下すかのように。

「今はこれで、見逃してあげる。でもね、私は夜神君を信用していない。ここまでされれば、少しは身をもって理解したはずよ。それくらい──私の問題は大きいの」

「お、お前……」

 きらりとペティナイフが光を放つ。

 僕の抗議の念を聞くまでもなく、遮るように、ペティナイフを僕に向けている。

 僕の体が、恐怖している。

 条件反射というやつだろう。

 一度の攻撃で僕の体は、条件反射が刻み込まれていた。

「夜神君、たった今、これからも私たちは他人として、接してね。よろしくね」
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