聖典のファルザーン

佐々城鎌乃

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第1章 Ⅱ節 反撃

Ⅱ節 反撃 2

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 ふたりは追ってきた歩兵が、先ほど駆けてきた道に残る馬蹄の跡を辿って来ることを予測していた。その上で、敢えて足跡を消すことはせず、追っ手を森の奥へと呼び込んだ。

 加えて、7頭の馬たちを別々に森中に駆けさせ、陣営近くに餌をチラつかせて、森へのさらなる兵力投入を強いた。元々が掃討するための部隊であったので、餌には容易たやすく食い付き、ぞろぞろと掃討部隊の歩兵が森へと入っていった。より巧妙にするため、追いかけてきた歩兵部隊が次の馬を発見するように馬を置き、断続的な出陣を余儀なくさせた。

 また、7頭の馬は捨て駒に使ったのではなく、後々再利用することを念頭に置いている。これはファルシールの持つ馬を操る技術あってのもので、一度逃がした馬を呼び戻す符号を指笛で吹くと馬が戻ってくる、という騎馬を誇るシャリムならではのお家芸であった。キースヴァルトの馬にも共通して使える所が幸いした。

 次に、西のへリシア山脈に隠れていた半月のおかげで山の影にすっぽり入っていたホスロイの町が、外の森と比べて暗くなっていた事で、ホスロイで何かが起こっても、すぐには気づかないことを想定して、ふたりは作戦とも言えない悪巧みを実行するためホスロイ郊外の茂みに伏せていた。

 この悪巧みの成功には、相手が勝者で余裕綽々としている事が重要になる。与一たちは武器らしい武器を持っておらず、唯一あるのは少年の短剣アキナカだけである。心許なさを埋めるだけのものはそれだけだ。しかし、この悪巧みに武器は全く要らない。

 与一は茂みの隙間からキースヴァルトの陣の様子を窺っていた。

「そなた、このような策を本当にやるのか......?」

 少年が弱気に聞いた。

「今さら怖いとか言わないでくれよ。俺も怖いんだからさ」

「いや、余が言い出した事ではあるが......」

「馬はもう走らせてるじゃないか。もう始まってるんだから遅い。流れに乗るしかないんだよ」

 与一は強い口調で少年をたしなめた。

 とは言っても、与一自身も不安を拭えないでいた。

 サバゲーとは違い、やられたらヒットコールをして安全エリアに"退避"すれば良いわけではなく、永遠にあの世の安全エリアに"退場"する事になる。

 死ねば脱出できるというありきたりなオチを考えなかった訳ではないが、斬られてみる訳にもいかない。

 だからこそ、この悪巧みには成功の文字しかあり得てはいけなかった。

 しかし与一が気掛かりなのは少年の方だった。

 与一は横にいる少年を小突いた。

 少年は小さくビクついた。

「ガチガチに固まってるじゃないか」

「う、うるさい」

 少年が悪巧みの鍵となるのは言うまでもない。それが緊張に固まっていては、見ていて先行きが不安になる。

 与一は気を紛らわせるために、少年に話題を振った。

「なあ」

「......なんだ」

「あんた何で助けに来るやつのことを英雄とか救世主とか呼ばずに"賢者"なんて呼ぶんだ?」

 少年は与一の魂胆を理解して余計なお世話だ、と一蹴したかったが、与一の不安も理解できたので、自分の緊張を解くためにも与一のフリに応えることにした。

「......皇国の古い言い伝えだ。古い昔、初代皇帝アル=シャースフがまだ辺境のいち遊牧民の部族長の末弟であった時、部族が異郷の者の侵略によって危機に瀕したことがあった。出征した兄弟たちはことごとく敗れ去り、部族の集落は敵に囲まれた。その時、アル=シャースフが主神ムクシュ=ハードに願い申し上げた。我に部族を救うだけの力を、と。主神はアル=シャースフの願いにお応えになり、1人の賢者をお遣わしあそばされた。以降、賢者はその智謀を以てアル=シャースフを助け、最後には地上の覇者として皇帝にまで押し上げたという」

「うわぁ賢者すげえ......」

(三国志で言うところの孔明だな......)

「以降、皇族は危機に瀕した時、主神に請願するという古いならわしがある」

「へえ......でも、それって結構都合良いように使えるって事では......」

「全くもってその通りだ。中には罪を犯して斬首される寸前に請願する者も居たと聞く。賢者が現れれば、処断される者は神の名のもとに正義になるのだから」

「一発逆転ってやつだ」

「故に余もそれに習ったということだ。そうしたらそなたのような無礼極まりない不届き者に出くわしたのだがな」

 少年は与一を横目で見下した。

「確かに俺は賢者っぽくないが、それにしてもひどい言われようだな」

「事実であろう。その蒼白の薄い身なりからして気持ちの悪い」

 少年はここぞとばかりに与一に毒づく。

(......まあいいか。それくらいの余裕が持てたって事で。......傷つくげど)

 与一は短くため息を吐いて区切りをつけると、ゆっくりたち上がって後ろに置いていた仕掛けの用意をし始めた。

 太めの木の棒に、少年が回収した馬糞を乾燥させたものと小枝の束を、馬の装備から適当に千切った布切れで巻いたものを2本で1対、合わせて9対作っておいた。少年はさすがに馬糞ともなると、いくら馬の世話を心得ているとは言え嫌悪感を露にしていたが、用途を与一が説明すると、納得して渋々手伝った。

 頃合いを見計らって少年に合図を出すよう促すと、少年は立ち上がり口元に両手を添えて作った歌口に息を吹き込んだ。

 すると甲高いホイッスルのような音が尻上がりに数回鳴り、森の隅々にまで届くかのように反響した。

 しばらくすると、森に放った7頭の馬が少年の元へ何処からともなく戻ってくる。歩兵の追撃は馬の足には追い付けないので、森の中を血眼になって探している歩兵部隊の姿は馬の後方には無い。

 与一と少年は、慣れないながらも素早く馬たちの頭の部分の馬具に先程の木の棒を1対ずつくくりつけ、各々が自分の馬に乗った。馬はふたりのたかぶりを感じて少し落ち着かない様子である。少年は「どう、どう」と馬の頭を軽く叩いていさめる。

 刻は与一の腕時計で深夜の3時過ぎ。森への歩兵部隊おびきだしを始めてから2時間ちょっとの時分である。

 少年は腰に差した短剣アキナカを抜き、与一はそこら辺で見つけた長めの丈夫そうな木の棒を構えた。

「準備は?」

 少年は右手に持った短剣を己の胸にあてがって、目を静かに閉じた。

「──ムクシュ=ハールドとアムシャ=スぺンテの加護ぞあらん......」

 祈りを済ませると、ゆっくりと目を開き、与一の目を見て頷いた。

(整ったな。──んじゃ俺も成功を祈って)

 与一は掛け声とともに馬の腹を蹴った。







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