聖典のファルザーン

佐々城鎌乃

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第1章 Ⅰ節 帰りたい

Ⅰ節 帰りたい 5

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 少年を追っていると思われた追っ手を撒いて、与一たちは街道に沿って進みホスロイの目前にて立ち止まった。町の方角から酸味を帯びた焦げ臭い匂い漂ってきていたからである。

「人馬が焼ける......って、それどういう──」

 与一は鼻を覆いながら問うた。

「まさか......っ!」

 しかし少年は与一の問いに答えることなく血相を変え、町に向けて馬を駆け始めた。

(なんなんだよ! こっちはもう疲れてるってのに......)

 与一も後を追った。

 だが、与一は手前で明らかに町が異様であることに気付いた。それは決して異世界の町だから、という異様さではなく、ただ木と干しレンガの町の建物が、黒い炭と灰に化しているからであった。所々にくすぶる赤い残り火が、少し離れていても熱を感じさせる。

「──なんだこれ......火事か?」

 与一は少年を追っている途中、横目に明かりを見た。それは街道から見えていた点々と町の外にあった明かりの正体だった。

 丸太を組んで作られた篝火かがりびである。町を囲むようにして並べられ、煌々と夜の闇を照らしている。その横には、昼間の男たちと同じ鎧を着た兵士が辺りを見回している。

 与一は急いで少年を呼び止めた。

「これヤバいって! ここ敵さんの所だって!!」

「......!」

 与一は少年の横につけ、少年を引き留めた。しかし少年の注意は与一にはなかった。

 その時、止まりかけていた与一の馬が何かを踏みつけたので、与一は馬の足元に目を落とした。

 人の腕があった。

 黒く焦げ、表面がでこぼこに焼けただれた人の腕だった。顔を上げると、辺りには無数の人だった物の一部が転がっているではないか。

 さらに少年が見つめる町の大通りの奥には、山積みにされたむくろが折り重なって、その禍々しい姿を篝火に照らされ、浮かび上がらせている。

 与一はこの時少年の言っていた言葉を理解した。

 ──人馬の焼ける臭い。

 与一は途端に胃の中のものが食道を遡る感覚に襲われた。消化しきっていない先ほどの乾パンが胃液と共に込み上げるのを必死に抑えるが、数秒と堪えられずに解放してしまう。

(こんなのって......)

 自分の嗅いでいた匂いが死臭であったと知って、動揺が甚だしい。

 しかし、このまま町の近くに居続ける訳にもいかない。

 与一は口を拭うと、目眩いがするながらも少年の腕を引いていち早く逃げるよう促した。

「──とりあえず逃げよう。ここにいたら俺たちもいずれあの山の住人の仲間入りだって!」

「......」

 少年は自ら飛び込んだ無惨な町の残骸に恐怖して動けずにいる様子だった。手綱を握る手が震えて全身が固まっている。

「あんたが何様で何がしたいか知らないけど、このまま突っ立ってて何するんだよ!」

「......」

 焦りのあまり、与一の声は大きくなる。

「そこにおるのは何者だ!」

 その声には流石の監視兵も気付いたらしく、大声を上げて仲間を呼び始めた。

「怪しい物影が陣の外に居るぞ!! 出合え出合えぇ!!」

(マズいって! ああぁもう!)

 いよいよ余裕の無くなった与一は、嘔吐感も薄れぬうちに、一向に動く様子の無い少年に馬を寄せ、力業ちからわざに出た。

「な、何を?!」

「大人しくしてろっ......!」

 与一は少年の鎖帷子を留める腰の革ベルトを握ると、腰に手を回して体育で習った柔道の大腰の技を使ってひと息に与一の馬に投げ乗せた。

「かはっ......!」

 投げられた少年は与一の手前の鞍の角に腹をぶつけて、馬の鬐甲きこう辺りに横たわる。

「あ、ご、ごめん! でも急ぎなんだよ! 何かに適当に掴まっといて!!」

「な......!?」

 与一は少年が落ち着く間もなく馬の腹を蹴った。

 与一の7頭と、少年の馬も付いて走る。

 案の定追っ手の騎馬が出てきて与一たちを追ってくる。通りの角から姿を現した騎兵は松明と長剣を構え、怒号高らかに迫る。先程のまま留まっていれば今頃は確実に騎兵の剣の餌食になっていた。

 だが、今までよりも与一の馬の動きが悪い。素人な上に、荷物を1人増やしているので、無理もなかった。

 そうして追っ手との距離はまた縮まりかけていたいた。

「何なんだよ今日一日は?! 異世界に飛ばされるわ焼死体の山見るわ追われっぱなしだわ!! 最悪だぁ!!」

 与一は心の中の声を口に漏らしながら、また元の森の道無き道へと逃げこんだ。

 するとどうしたことか、追っ手は森の手前で止まり、与一たちを追わなくなった。

(なんでだ? もう少しで追い付いたはずなのに......)

 そのまま森の奥へと入っていったところで、少年が与一に喚いているに気付いた。与一は興奮のあまり少年のことをしばらく忘れていたらしかった。

 少年は与一の馬の手綱を掴んだ。

「馬を止めろ! 死にたいのか!?」

 少年は手綱ひとつで与一の馬を制して止めた。

「え、なんでだよ、追っ手が来るかも──」

「夜の森で、拓かれた道でもないのに馬を駆けるなど、命知らずにも程がある!」

 少年は整った顔の眉間にしわを寄せてすごんだ。

「え」

「そのうち木の幹にでも首を持っていかれて死んでいたぞ!」

(いや、あそこで留まっていても死んでたんじゃ......)

 少年は与一の馬を降りると、少し酔ったようにふらついた。

「ともかく、追っ手は恐らく来ない」

「なら良いんだけど......」

「それより」

 少年は与一の胸の中心を人差し指で小突いた。

「......?」

「そなた何者だ」

 追っ手の追いかけて来ないことを知ると、少年は与一に警戒をし始める。 しかも、いつの間にか少年は腰に掛けている短剣にそれとなく手を掛けている。

(いやまあごもっともな質問......だが)

「そっちこそ誰だよ? あんたが俺をこんな所に喚び寄せたのか?」

「問いに問いで返すな。余が先に聞いておる」

「いや、俺の質問に先に答えろよ!! 俺は何が起きてんだか分からないんだよ! 第一、人に名前聞くときは、まず自分から名乗れってよく言うだろう!?」

 少年は与一の逆ギレとも言える思い付きの正論に口をつぐむ。

「......余は、シャリム皇国第54代皇帝シヴァール2世が第6皇子、ファルシール=フサイ=シヴァール=イル=シャー=プール=シャリムだ。......命の恩人に非礼を致した。許されよ」

 少年は不服そうに答えた。

(は? 皇帝? 皇子? 確かに見た目とか品位あるし、口調も坊っちゃんっぽかったけど、え? リアルなやつ......?)

「余は申した。今度はそなたの番だぞ」

 与一はどう名乗ったら良いか分からず、有り体に答えた。

「俺は長井与一って言う......いや言います以後お見知り置きを......」

 しかし少年はまだ不機嫌そうにしている。

「そなたは皇族を前に、先に名乗らせておいて跪きもせぬのだな」

(え? ああ、そういうスタイル......てか)

「てか俺あんたの臣民とかじゃないし!」

「ならばどこから来た。身なりはキースヴァルトのものと似通っておるが、まさかキースヴァルトの刺客という訳でも無かろう。馬に乗れぬ刺客など、聞いたこともない」

 与一はムッとした。

「日本っていうこの世界よりもずっとずっと近代的で、俺の嫁とイベントが待っている素晴らしい国だよ!」

「にほ、い、いべんと?」

 威勢よく棘を刺したつもりが、予想外のことを言われて少年はキョトンとする。

「......普段通りに家に帰ってたら、あんたの『助けてくれ』って声が聞こえて、いつの間にか森の中に居たんだよ。だから、あんたが俺をこの世界に喚びだしたのかって聞いてんの」

 少年はしばらく黙りこんだ。

「......確かに余は落ち延びるさなか、主神に助けを、と願い奉り申したが、よもやそなたが賢者殿なのか? ......にわかには信じがたい......」

 少年は与一を下から上へと検分した。

「俺も自分がその主神さまとやらにあんたを助けるべく喚ばれた"賢者殿"かとうかは知らないけどな」

 与一は強い口調で返した。

「まあ......そなたが賢者殿かどうかは、この際審議の題として相応しくないであろうな。ともあれ余もそなたも助かったわけであるし」

(いや、自分で振ったんじゃないか)

 少年は先ほどまでの高慢な態度とは変わって、与一の様子を探るような声で言った。

「ところで、見たところそなたもキースヴァルトに追われている身だと思うのだが」

「何でか知らないけどな」

「......そこで、生還の可能性を上げるためにも、このまま2人で行動するのが得策だと思うが......」

 少年は首こそ動かさないが、目は周りを見回していた。

(ん......?)

「どうだろう?」

「いや、まあそりゃそうだけど、あんたが一番追われてそうだし、夜のうちなら追っ手も来ないって言っ──」

「うお!!? な、何の音だ!?」

「な、なんだ!?」

 少年が与一の後ろに隠れた。

 与一が辺りを見回すが、追っ手や、獣といった類いのものは見あたらない。どうやら少年は頭上の幹に止まっていたふくろうの鳴き声に驚いたらしかった。

(ははぁ~ん? なるほどなるほど。差し詰めちょっと落ち着いてきたところでって感じだな?)

「怖いんだろ、1人で行動するのが」

 与一はにやけ顔で後ろに隠れた少年に振り返る。

「断じてそのようなことは......!」

「良いって良いって~」

 少年は恥ずかしそうに顔を俯けた。与一は少年の子供のような部分を垣間見て、少し安堵する。

(悪いやつじゃなさそうだな)

「まあ、俺もここでは何が起こるか分からない以上、あんたと居た方が生存率が高そうだとは思う」

「そうか......!」

 少年は暗がりでも分かるくらい嬉しそうな声で言う。

 この出来事こそ、後世語られるふたりの最初の物語の始まりになることを、ふたりはまだ知らない。
















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