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七章

七話 よろしくお願いします! その四

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「……」
「「「……」」」
「ほ、ホームラン!」

 俺の打ったボールは空高く舞い上がり、柵を越え、場外まで飛んでいった。文句なしのホームランだ。
 ここにいる全員が黙り込んでいる。何が起こったのか、すぐには理解できていないのだろう。
 審判がホームランをコールし、少し遅れてから、背中に歓声を浴びた。



 俺は悠々と塁を回り、ホームインした。
 ミルレッドはただ呆然としている。
 そりゃそうだろう。素人に、今までかすりもしなかった相手にホームランを打たれたのだ。

「おい、待て!」

 俺はベンチに戻ろうとしたとき、相手のキャッチャーに呼び止められた。俺はその場で足を止める。

「どうしてだ? どうして……分かった? 最後のボールが……ストレートだと。お前は最後までフォークが決め球だと思っていたはずだ! なぜ、ストレートだと分かった!」

 なんで分かったか、だと?
 俺はキャッチャーに厳かに言ってやった。

「……ミルレッドには致命的な弱点があるから分かったんです」
「致命的な弱点? なんだ、それは!」
「敵に教えるわけないでしょ?」

 俺はキャッチャーにそれだけを言い残し、今度こそみんなの待つベンチに戻った。

「よくやった! 正道!」
「おいおい、どんなトリックを使ったんだよ! 俺にだけ教えてくれよ、正道!」
「流石は俺の弟子! やるときはやると信じてた! 時給アップだぜ!」

 俺は苦笑しつつ、チームメイトに背中を叩かれた。起死回生の一発だ。たまってたフラストレーションをあの一打でぶっ放してやった。
 これで十一対十一。ふりだしだ。
 今度は俺がみんなに発破はっぱを掛けないとな。

「みなさん、空気が読めなくてすみません。塁に出れば、逆転の演出が出来たんですけど、ホームランを打ってしまいました。でも、市橋さん、県さん、井戸さん、榊原さんで決めてくれますよね?」

 俺の言葉に代一打者の市原さん、代二打者の県さん、代三打者の井戸さん、代四打者の榊原さんは呆けていたが、すぐにニカッと笑い、俺の肩を乱暴に叩いた。

「当たり前だ、こら! おじさんにナメた口きくんじゃねえぞ、若造が!」
「ガキがほざきやがって! 大人を舐めたら沈めちゃうよ?」
「お前も場外までぶっとばしてやろうか? ああん?」
「時給下げちゃうぞ、こら!」

 四人は俺に絡んでくる。これは青島流のやってやるから、見てろってことだ。
 だから、安心して任せられる。
 流れはこちらにあるし、この気合いの入れようと雰囲気ならやってくれるだろう。勝敗はついたようなものだ。

「おい、お前達! まだ勝負はついていない。気を引き締めろ。いいな!」
「「「応!」」」

 義信さんの一声に、全員が怒鳴るように返事をする。
 俺は義信さんと視線があう。
 義信さんは何も言わないが、笑顔を向けてくれた。きっと、よくやったと言ってくれたんだと思う。
 俺の役目は終わった。後は応援だけさせてもらおう。
 ベンチに座り、背もたれに背を倒すと、どっと疲れが出てきた。ははっ、今頃体が震えてやがる。
 本当に情けないな。

「やったね、正道君! 流石は僕の息子だ!」
「私の自慢の兄さんです!」

 はいはい……俺は信吾さんの息子でもないし、上春の兄でもない。いちいちツッコむのが面倒なので言わせておいた。

「正道さん、頑張りましたね」
「……はい」

 楓さんの泣きそうな笑みに、俺まで目頭が熱くなった。
 ほんと、ガキか、俺は。あまり親を心配掛けさせるな。

「おい、藤堂の孫」

 ベンチの端に座っていた俺に、仙石さんが隣に座る。聞きたいことは大体分かる。

「どうして、最後の球がストレートだと分かった? フォークをバントしようとしてなかったか?」

 仙石さんはお見通しのようだ。
 確かに俺はバントをするつもりだった。フォークをバントでとらえて、一か八かで塁に出ようとした。
 だが、俺はあるものを見て、フルスイングに変更した。ミルレッドが最後に選んだのはストレートだと確信したからだ。
 俺が見たあるものとは……。

「踏み込みですよ」
「踏み込みだと?」
「ええっ、ゆっくりと大きく振りかぶって、足をおもいっきり踏み込んでいましたからね。全力投球のストレートだとヤマを張ったんです。大当たりでした」

 確かに、ミルレッドはフォークを決め球にして相手を討ち取っていた。
 過去の試合もそうだ。だから、俺は最後にフォークが来ると信じて疑わなかった、
 だが、最後のミルレッドのモーションは、ある人物を思わせる動きをしていた。その人物とは、強だ。
 強とよく投球練習をしているが、最後はいつも渾身のストレートで締めくくっている。その強の動きと、ミルレッドの動きが重なって見えたのだ。

 後は体が反射的に動いた。
 バントをやめ、思いっきりバットを振り抜いたわけだ。
 ミルレッドが渾身のストレートを放ってくれたのもよかった。俺は咄嗟に動いたので、いつもよりも速くバットを振ってしまったのだ。
 今までのミルレッドのストレートには散々、振り遅れてストライクを取られていた。
 早めに振ったら偶然当たったのだ。

 もちろん、それだけが理由ではない。
 俺は今日の午前中、菜乃花の提案でバッティングセンターでバッティングの練習をしていた。
 そのとき、バッティングセンターを経営している阿部さんに出会い、百五十の台で練習させられたのだ。
 これくらい早ければ、どんな球でも打てる! そう言われて……。

 そんなわけがないとツッコみたかったが、相手は経営者であり、人の話を全く聞かない阿部さんだ。
 とりあえず、それで練習したわけだが、それも少しは役にたったのかもしれない。

 結果は俺の予想をはるかに上回り、ホームランだったわけだ。
 打った本人が驚いてるんだもんな。ここにいる全員が驚いたに違いない。
 俺の野球は全て付け焼き刃だ。もし、もう一度、打席が回ってきたとしても、ミルレッドから打てる自信などない。

 でも、俺はホームランを打てたことを奇跡だとは思っていない。そんなチープな言葉で表現したくなかった。
 いくつもの偶然が重なったとしても、俺が今まで練習してきたことは、今日のこの打席のためにあったと信じたい。
 それと、俺を信じてくれた家族のためにも……。

 楓さんがいてくれたから、逃げずに戦えた。
 相手は強いのに、俺が一番下手くそでお荷物だった。それはプレイしていて痛感した。
 この試合に出場しても、笑いものになるか、戦犯になるかの二択だった。もしくは両方の可能性もあった。
 怖かった……足手まといになるのが耐えられなかった。
 そんな弱気な俺を楓さんは支えてくれた。
 この世で一番美味しいカツ丼と作ってくれて不安を消してくれた。勇気を与えてくれた。
 俺がビビっていたとき、いつも手を握ってくれた。

 義信さんは最後まで俺を信じてくれた。代打を出さずに、俺を送ってくれた。
 きっと、打てなくても義信さんは俺を責めることはなかったと思う。
 いや、もしかすると、俺ならヒットしてくれると確信していたのかもしれない。
 俺のことをずっと見守ってくれた。

 強がいてくれたおかげで、俺は正捕手の試験を突破でき、最後にホームランが打てた。
 強とキャッチボールや投球練習に付き合うことで、キャッチャーとしての経験を積み、正捕手の試験に合格できた。
 強のモーションがミルレッドと同じに見えたので、ストレートに対応できた。

 野球が上手くなったのは強のおかげだが、強を引き合わせてくれたのは信吾さんだ。
 俺は最初、新しい家族なんていらない、鬱陶しいと思っていた。でも、信吾さんの説得のおかげで、俺は家族と向き合うことにした。
 それがなかったら、俺と強の仲は発展しなかっただろうし、野球の練習をしなかっただろう。

 上春と女の気遣いには感謝している。
 上春はいつも応援してくれた。着替えを洗濯してくれた。家事を手伝ってくれた。
 上春の貢献は野球の技術には関係ないけど、メンタルの面で助けられた。
 女は、デート中だったのに、いろんな店をまわってくれて、カツ丼の材料を探してくれた。
 そして、俺に発破を掛けてきた。


「打ってきなさい! ここで打たなかったら、承知しないわよ!」

「うるさい、黙れ! 正道は打てるの! 絶対に打てるんだから!」

「私の息子だからよ! お父さんとお母さんの孫だからよ! それ以外、なにがあるって言うの! しっかりしなさい! 自分を信じなさい! やればできる子だって証明しなさい!」


 私の息子だからか……。
 俺は応援席にいた女と目が合った。
 女も俺も何も言わず、三秒ほどでお互い目をそらした。言葉など必要ない。そんなものがなくても、伝わる想いはあるから……。
 それに、見なくても分かる。俺もそうだ。
 きっと口元を緩めていることだろう。

 家族みんながいてくれたからこそのホームランだ。これを奇跡だなんてチープな言葉で片付けたくないだろ?
 本当に感謝している……一応、菜乃花にもな。
  
「そっか。ナイスファイトだ……正道」

 仙石さんは席を立ち、応援に加わった。
 正道か……やっと名前で呼ばれたな。
 認められたような気がして、こそばゆい気持ちになる。いいもんだな、誰かの期待に応えられるのって。

 俺の中で何かが変わったような気がする。そして、重みのようなものがなくなり、心が軽くなり、吹っ切れた気がするのだ。
 期待に応えられなかった後悔から解放された気がした。
 俺は一息ついた。適度な疲れを感じながら、きっと今夜はいい夢が見れそうだと予感していた。



 試合の結果は予想するまでもなく、俺達『青島ブルーフェザー』の勝利で幕を閉じた。
 メジャーリーガーが素人である俺に(まぐれの)ホームランを打たれたショックから立ち直れず、キャッチャーは俺が言い残したミルレッドの致命的な弱点という言葉に踊らされていた。

 ミルレッドの致命的な弱点。それは……ただのブラフだ。
 キャッチャーはもちろん、疑うだろう。致命的な弱点などないと。
 だが、素人の俺がホームランを打てたからこそ、俺の言葉に信憑性がうまれるのだ。
 致命的な弱点などあるはずがない。けれども、もしかして……いや、まさか、本当に……といった具合に。
 ピッチャーもキャッチャーも不安定。こんな状態でまともに実力が発揮できるわけがなく……。

 連続ファーボールでツーアウト一、二塁。
 ストライクをとるために投げたストレートはあまいコースに投げられ、井戸さんは外野スタンドまでかっとばした。
 これがツーランホームランとなり、十一対十三。

 逆転サヨナラ勝ち。去年の雪辱は果たせたのだ。
 勝敗が決まったとき、夜子沢はどんな顔をしていたのだろうか? それが見れなかったことだけが心残りだ。
 ちなみに榊原さんは「俺の出番は?」と少し残念そうな顔をしていた。

 たったの二日間だったけど、長い二日間だった。
 いや、菜乃花が来たことも考えると、ハードな三が日だな。菜乃花はまだ帰らないから、まだ続くのかと思うとうんざりしてしまう。

「兄さん……私、感動しました! 兄さんはやるときはやる人です!」

 上春の目が充血している。もしかして、泣いていたのか? 恥ずかしいヤツめ……。
 俺は上春の頭を少しだけ乱暴に掴んだ。

「も、もう! 止めてください、兄さん! 髪が乱れます!」
「……おだてても何もでないぞ。それより、荷物を家に置いたら迎えに行くぞ」
「迎え? ああっ、そうですね! はい! 千春を迎えに行きましょう!」

 今は午後三時半。家に帰って少し休めばちょうどいい時間になるだろう。
 上春と一緒に家に帰ろうとしたとき、強が俺をじっと見つめていた。

「なんだ、強? 強も一緒に行くか?」
「……アンちゃん、格好よかった」

 それだけを言い残し、信吾さん達の方へ走っていった。
 そんなことをわざわざ言いに来たのか?
 ああっ、なんだ……鼻がかゆくなってきた。

「みんな、ちゃんと見てましたから。兄さんの頑張りを。兄さんは私達のヒーローです」
「……別に今日はたまたま活躍できただけだ。変に期待されても困る。それに俺はヒーローじゃない」

 家族の期待には応えたいと思うが、なんでもかんでも期待されても困る。調子に乗られても面倒だ。
 俺と上春は肩を並べ、歩き出す。上春のおしゃべりに耳を傾けながら、のんびりと帰り道を歩んでいく。

 今日のヒーローはサヨナラホームランを打った井戸さんだ。俺はヒーローでなくても、チームに貢献できただけで満足だ。
 俺がなりたかったものはヒーローじゃない。


 俺がなりたかったものは……欲しかったものは家族の笑顔だ。


 もちろん、そんなこっぱずかしい台詞、死んでも言えるわけがないけどな。
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