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七章

七話 よろしくお願いします! その三

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 試合は俺の予測通り、点の取り合いになった。
 仙石さんも調子を取り戻し、奮闘しているが、俺がリードしきれていないで打たれている。三田村さんさえいれば……。

 いや、違うな。己の非力さを嘆く前にやれることをやれ。
 何かあるはずだ。きっと、必ず俺に出来る事が何かあるはずなんだ。
 押しつぶされそうな不安をかき消すように、俺はスマホの動画を見つめていた。今は四回の裏、俺達の攻撃だ。

 あのピッチャーはミルレッドという選手で、確かに去年はマイナーリーグにいたが、元はメジャーリーガーだ。
 ミルレッドは肩の怪我で一時、戦線を離脱し、マイナーリーグでリハビリをしているとネットに書かれていた。
 いや、ふざけるなよ。素人相手にメジャーリーガーを連れてくるなよな。
 その球をバンバン打っているみんなも化け物だ。

 とはいえ、打てているのはストレートだけで、ミルレッドのフォークは誰もがクリーンヒットしていない。勘で当たりはするが、まともなヒットにはなっていないのだ。
 俺はミルレッドの過去の試合をスマホで見て、どこかに弱点がないか、探していたが……見つからない……。
 素人ではやはり、手がつけられないのか。
 それにしても、ミルレッド……というか外国人選手ってダイナミックというか、動きがすごいな。
 モーションが大きいから躍動感がある。ストライクが速いのも頷ける。

「なに見てるのよ、正道」
「こんなときにスマホ見て、エッチな動画でも見てるのかい、正道君」

 ベンチに信吾さんと菜乃花が入ってきた。俺は相手にせず、ミルレッドの動きをチェックする。今は少しでも時間が惜しい。
 だが、菜乃花はスマホを取り上げた。

「おい! 邪魔をするな!」
「こんなもの見たって打てないわよ」
「そうだよ、正道君。そんな過去の動画を見ても意味ないでしょ? 相手は今のあのピッチャーなんだから」

 そんなことはない……はず。過去の積み重ねが今を形成しているはずだ。
 しかし、全盛期の動きと今のリハビリ最中の動きが同じとは思えないのも事実。
 だったら、どうしたらいいんだ! 間近でみるチャンスは打席に立ったときだけ。
 スマホなら何度も見直すことが出来るが、リアルタイムだと少し遠くからしか見えない。
 そもそも、弱点なんてあるのか?

「それにしても、あの外人。最後はフォークだけね」
「フォークだけ?」

 そういえば……。
 俺のときもそうだ。最後のキメ球はフォークだった。みんなのときもそうだ。
 だが、それが本当なら、俺達はフォークを投げられる前に、打たなければならない。そうなると、二球ストライクをとられたら、ジ・エンドだ。
 ただでさえ余裕がないのに……。
 息が苦しくなる、プレッシャーで胃が痛い……手の震えが止まらない……。

「正道君、大丈夫だよ」
「大丈夫って何がだ?」

 俺はつい信吾さんを睨んでしまう。
 大丈夫なわけがないだろ! 打てる算段が全くないんだぞ!

「信じればいいのさ」
「信じるって誰を!」
「みんなをさ」

 俺は息をのみ、グラウンドに目をやる。

「伊奈! 死んでも打ってこい!」
「うっせえ、阿部! 黙って見てろ!」

 みんなが頑張っている。あきらめずにあのピッチャーに食らいついている。
 そうだ……みんな、あのピッチャーに食らいついているんだ。
 打てる自信や根拠があるわけではない。でも、俺みたいにビビっていない。
 みんなで戦っているんだ……俺一人ではない。
 息苦しさが収まる。手の震えも止まった。

「おい、正道! 次だぞ!」
「……はい!」

 俺はバットを握り、バッターボックスに入る。
 弱きになったところで打てるはずもない。気持ちで負けるな!
 そう思っていても……。

「ストライク! バッターアウト!」
 
 手が全く出せない。明らかに振り遅れている。三球三振だ。
 くそっ……くそっ……。

「Come out again」

 ミルレッドは舐めきった目で俺を見ながら笑っていた。
 くそっ……くそぉ……。



 俺達は奮闘した。食らいついた。
 しかし、届かなかった。
 七回裏、最後の俺達の攻撃。十一対十。一点差。
 カウントは……。

「ストライク! バッターアウト!」
「くそったれ!」

 八番バッターの伊奈さんもたおれた。これでツーアウト、ランナーなし。
 最後のバッターは……俺だ。

「最後まで諦めるな!」
「根性見せろ!」

 はっきり言わせてもらう。打てる自信が全くない。
 でも、いかなければならない。逃げるわけにはいかない。
 最後まで胸を張って堂々とするべきなんだ。
 分かってる。でも……でも……。

「正道さん」

 席を立たずにうつむいている俺に、楓さんがそっと俺の震える手を包んでくれた。そのぬくもりに泣きそうになる。

「正道さん、胸を張っていきなさい。後悔だけはしないよう、自分を信じていきなさい」

 後悔をしないよう、自分を信じてか……。
 楓さん……俺は自分が……信じられないんです。弱くて……未熟で……この土壇場でビビってしまう情けない男で……。
 でも……俺は男だから……。
 俺は楓さんの手を握り返す。見栄を張るんだ。

「もう、大丈夫です……ありがとうございます」
「……正道さん」

 ダメだ……悟られるな……不安を気取られるな……。
 でも、本当は……本当は……。

「正道! 打ちなさい!」

 俺の耳に……いや、心を殴りつけるような鋭い声を掛けてきたのは女だった。
 女は俺を睨みつけ、あの苛立たせる声で怒鳴る。

「打ってきなさい! ここで打たなかったら、承知しないわよ!」
「む、無茶言ってるんじゃないわよ! 正道は一回も打てなかったのよ! かすりもしてないのに、プレッシャーを与えるなんて……」
「うるさい、黙れ! 正道は打てるの! 絶対に打てるんだから!」

 菜乃花を押しのけ、女は俺に発破を掛けてきた。
 なぜだ……なぜ、お前がそんなことを言うんだ? お前が……お前が……。


「お前なんて、生まれてこなければよかったんだ!」


 俺を捨てたお前がぁああああああああああああ!

「勝手な事、ぬかすな! 俺が打てる? 何の根拠があって、言ってるんだ!」

 俺はつい怒鳴ってしまった。
 そう、認めてしまったのだ。俺では打てないと。
 必死に押し殺していた不安をよりにもよって女にぶつけてしまった。みんなの前に晒してしまった。
 台無しだ……全部、台無しだ……。

 こんなヒステリックな俺を誰も認めてくれないだろう。期待に応えるどころではなかった。それ以前の問題だった。
 完全に俺がチームの足を引っ張っている。俺のせいで負ける。
 人に当たり散らした情けない俺を、女は憤怒の形相で俺の襟首を掴んだ。

「私の息子だからよ! お父さんとお母さんの孫だからよ! それ以外、なにがあるって言うの! しっかりしなさい! 自分を信じなさい! やればできる子だって証明しなさい!」

 なに勝手な事を抜かしてやがる。誰がお前の子供だって? 捨てたくせに……。
 偉そうに……楓さんと同じ事、ぬかしてるんじゃねえぞ、こら!
 俺は黙ったまま、女に背を向ける。
 メットをかぶり、バッターボックスへと歩いて行く。
 不安や焦りは怒りでかき消され、ただこの苛立つ気持ちを何かにぶつけたい気分だった。

「ま、正道、大丈夫か?」

 前のバッターの伊奈さんに声を掛けられるが、俺は無視し、バッターボックスに入る。
 審判やキャッチャーは俺をいぶかしんでいたが、すぐにコールした。

 これで最後になるのか? それとも……。

 ミルレッドは俺の顔を見た瞬間、安堵したような顔をした。余裕の笑みでガムを噛んでやがる。ムカつく野郎だ。
 俺は一息つき、怒りを抑える。そう抑えるだけだ。必ず爆発させてやる!
 俺に有利な点、それは相手が油断しているってことだ。その隙を狙うしかない。
 ヒットでいいんだ。塁に出れば、第一打者に戻る。きっと、みんななら、なんとかしてくれる。
 俺は全神経を集中させ、ミルレッドの動きを観察する。
 ミルレッドの第一球は……。

「ストライク!」

 ストレートだった。完全に振り遅れた。
 このままだと打てない。ストレートかフォークか、どちらかに狙いを定めるしかない。
 だとしたら……。
 ミルレッドの第二球は……。

「ストライクツー!」

 フォークだった。多少キレはなくなっているが、それでも、かすりもしなかった。裏をかかれてしまった。
 これでツーアウト、ツーストライク。完全に追い込まれた。
 きっと、ボールは投げないだろう。投げる価値もないと思われているのかもしれない。

「正道! 打ちなさい! 外国人野郎の土手っ腹、ぶちぬけ!」

 だから、そういう物騒なスポーツじゃないんだ、菜乃花。けど、ありがとな。少し、落ち着けた。
 最後のボールはきっと決め球のフォークだ。フォークなら、一か八か、バントでいくしかない。
 一度も見せたことがないバントなら……。
 ミルレッドはゆっくりとワインドアップ(両手を頭上に上げる)し、足を上げ、力強く踏み込み……。

「!」

 軸足の重心を左足に乗せ、ボールを投げた。
 いっけぇええええええええええええええ!
 ボールはバットに……。
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