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八章
八話 真実への追求 その八
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最後に向かったのは更衣室だ。
ここも検証しておきたいのだが……。
「あ、あの……藤堂先輩。男の子が女子更衣室に入るのはちょっと……」
平村が少しずれた指摘を俺にしてくる。
俺はため息をついて平村の意見を真っ向から否定する。
「寝ぼけているのか、平村さん。女子更衣室に入るわけないだろうが。女子更衣室の場所の確認と、女子更衣室に似た作りの部屋、例えば男子更衣室で検証する。庄川君、男子更衣室は入れそうか?」
「多分大丈夫っす」
これで目処が立ったな。
改めて女子更衣室に向かおうとすると、俺の目にとんでもないものが飛び込んできた。
平村が泣きそうな顔をしているのだ。
「ひ、平村さん? どうかしたのか? もしかして、男子更衣室に入る事に抵抗があるのか?」
平村はぐすんと鼻を鳴らしながら、俺を睨みつけてきた。
「ち、違います! いえ、男子更衣室に入るのははしたないから嫌ですけど、藤堂先輩が悪いんです!」
お、俺が?
自分の行動を思い返してみるが、何が悪かったのかさっぱり分からん。いや、ちょっと、待て。以前にも同じ事がなかったか?
確か……俺と左近、上春、朝乃宮と打ち合わせをしていたときに……。
「藤堂先輩、真子は繊細なんだから気をつけて」
白部に睨まれながら注意され、俺はまた同じ過ちを繰り返したことに反省する。
俺としては普通に接したつもりなのだが、上春や平村にとってはキツかったようだ。気をつけないとな。
俺は平村に頭を下げる。
「すまなかったな、平村さん。傷つけるつもりはなかったんだ。許して欲しい」
謝罪した俺に、平村は呆然としている。
これは……どう反応したらいいんだ? 許してくれるのか? そうでないのか?
「藤堂先輩ってすごいっすよね。藤堂先輩って頭下げるの絶対に嫌な人かと思ってました。特に年下の女の子には」
「悪いと思ったら謝るのは当然だろ? そこに性別や年齢なんて関係ない」
庄川に何か感心されてしまったが、別にたいしたことではない。それが道理だ。
人にあれこれ注意するのなら、道理をわきまえるべきだと俺は思っている。
自分の非を認め、常に正しくあろうとする。それが俺の信念だ。
「……格好いい」
「はっ?」
平村の独り言に俺は間抜けな声を出してしまう。
格好いい? どこが?
「い、いえ! その、藤堂先輩がまるで王子様に見えて」
「お、王子様?」
「いえいえ! 正義……正義の味方みたいに見えたんです! やっぱり、藤堂先輩はすごいです!」
きっと、平村は褒めてくれているのだろう。
だが、俺はそんなことを言われる資格なんてないし、自分の非力さを誰よりも自覚している。
だから、平村の言葉が皮肉にしか聞こえなかった。そして、弱い自分を隠そうとする己がひどく滑稽に思えた。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。だから、行動で示すんだ。
「すごいかどうかは結果を見て判断してくれ。俺はまだ、真犯人を見つけていない。そもそも、俺は平村さんと白部さんの仲裁をお願いされたからやっているだけだ。だから、正義の味方とかそんなものじゃない」
「それって誰に?」
初耳だったのだろう。
白部が警戒したような態度で俺に尋ねてきた。
そうだな、いい機会だ。
もっとも評価されるべき人物が評価されないのは納得いかない。俺は真っ直ぐに白部を見据えて答えた。
「俺の後輩で、伊藤にだ。もしかしたら、同じ中学出身だからどこかで出会っているのかもしれないがな」
同じ中学とはいえ、顔見知りとはいかないだろう。そう思っていたのだが……。
「伊藤……伊藤……伊藤ってもしかして、ほのかちゃんですか?」
知っているのか!
平村はいつものように深く考えず口に出したのだろう。
だからこそ、俺は不意を突かれたように絶句してしまう。
「藤堂先輩?」
「……いや、伊藤を知っているのか?」
あえぐように出した言葉に、平村は気にせずに嬉しそうな声で応えてくれた。
「中学の時、同じ図書委員だったんです。当番の日も同じで、ほのかちゃんとはいつも本の話をしていました。不思議ですね、こんなところでつながっていただなんて」
全くだな。
実は伊藤と平村が知り合いだったとは。世間は狭いというか、言われてみればというか。
本当に奇妙な縁だと思う。
もしかして、伊藤は知っていたのかもな。だから、二人の仲を取り持とうと俺に提案してきた。
切れた縁はもう戻らないと思っていた。でも、実は縁はずっと繋がっていて、今も繋がっている。そんな気にさせられる。
伊藤の気持ちにしんみりとしていると。
「でも、どうしてほのかちゃんは風紀委員に所属しているんですか? 罰ゲームですか?」
「……」
台無しだ……。
白部は俺から顔を背け、背中が震えている。庄川は爆笑していた。
ったく、風紀委員をなんだと思ってやがるんだ、一年は。罰ゲーム? ふざけるな。
俺は怒りを抑え、黙って歩いていると。
「私も知りたいかも。真子を図書室まで迎えに行っていたことがあるから伊藤さんの事、知っている。あの子、真子と同じで大人しくて本が大好きな女の子だった。でも、突然まるで性格が変わったかのようにあかぬけた子になった。そんな子がお堅い風紀委員になった理由、興味ある」
珍しいな……白部が人のことを尋ねるなんて。平村の親友だから興味が出てきたのか?
だが、本人のいないところで話すような内容ではないな。
伊藤が風紀委員に入ったのは、本人が希望してのことではないし、伊藤があかぬけた性格になったのは、イジメが関わっている。
「それは本人に聞いてくれ」
「……それなら、どうして、伊藤さんと知り合ったの?」
俺と伊藤が知り合った経緯か?
それなら、別に話してもいいあろう。伊藤の過去は話さなければいいだけだしな。
「ハーレム騒動で知り合ったんだ」
「ハーレム騒動?」
「白部さんは押水一郎君のことを知っているか?」
「押水一郎? 誰それ?」
し、知らないんだな。
白部らしい回答だと思った。自分に興味のないことはとことん無関心だな、コイツは。
白部も平村も美少女の類いに入ると思うのだが、押水の毒牙にはかからなかったのか?
しかし、押水の一件を知られていないのは複雑な気分だな。俺にとって、あのハーレム騒動はかなりの大事件だった。風紀委員生命をかけて解決したのにな。
少しショックを受けていると。
「俺、覚えてますよ! そっか! 思い出した! 藤堂先輩って、全校集会で押水先輩にハーレム発言を提案して謝罪した人っすよね! でも、実はハーレム男を成敗した英雄だって言われていますよ! 不良殺しの二つ名は伊達じゃないですね!」
正義の味方の次は英雄か。それに不良殺しって何だ? 誰も殺してなんかいない。
俺は昔のことを思い出し、自然とため息をついた。
「英雄なんかじゃない。ハーレム騒動は解決出来たが、沢山の人が不幸になった。周りの人の気持ちをないがしろにして問題の解消を優先させた結果だ。俺に期待しても無意味だ」
俺はあえて突き放すような言い方をした。
苦手なんだ、期待されるのは。
勝手に期待して、そのとおりでなければ失望される。こんな理不尽はないだろうと叫びたくなる。
正義の味方や英雄なんてその最たるものだ。
俺は俺の意思で行動する。そこに誰かの意図や思惑に左右なんてされたくない。
場が静まりかえってしまう。
いつもそうだ。勝手に期待され、期待どおりいかずに、失望させてしまう。そんなつもりはないのにな……。
「藤堂先輩って悲劇のヒロイン演じたいんですか? ナルシストっぽくてキモい」
白部の冷たい声の指摘に、俺は黙ったまま何も答えない。答える必要もない。
冷たくされた方がいい。そっちのほうがお似合いだし、気軽でいい。
「ちょっと、無視しないで……」
「そんなの悲しいですよ……そんなの……ずっとひとりぼっちじゃないですか」
白部の抗議を平村が遮る。
平村の小さな手が俺の制服の袖を弱々しく握っていた。
握る力は弱いのに、俺はその手を振りほどけない。振りほどいてはいけない気がしたのだ。
なぜなら、平村は泣きそうな顔で俺を見上げているからだ。
俺はため息をつきそうになる。
伊藤も平村も、どうして、俺なんかの心配をするのか? 二人とも抱えている問題があるくせに。
二人の優しさが身にしみる。
だから、俺は平村の頭にそっと手をのせる。伊藤と同じ小さな頭だ。似ているからこそ、俺は本音で語らなければと思った。
「そんなことはない。平村さん、知っているか? 人は意外にも一人にはなれないんだ。必ずどこかで自分を誰かが見てくれている。それに気づけないから一人だと感じるんだ。たとえ、全てを失っても、一人になることはない」
「……どうして、そんなことが言えるんですか?」
平村の問いは俺に対してなのか、自分自身に対してなのか。
平村も俺と同じで、全てを失った経験者だ。だからこそ、俺は伝えたかった。
俺は優しく平村に言い含める。
「経験談だ。だから、そんな悲しい顔をするな。平村さんも今は一人じゃないだろ?」
平村は目を丸くし、呆然としている。小さな手は袖から離れ、自由になった俺はそのまま歩き出す。
俺は一度、全てを失った。
俺をイジメ、親友の健司を引っ越しまで追い込んだ相手を文字通り半殺しにした。そのことに後悔はない。当然の報いだと確信している。
けど、復讐を果たした後には何も残らなかった。友も親も名字さえも失った。
新たな名字、藤堂が与えられ、住む場所も保護者も代わり、まるで別人になった気分だった。
今までの自分の全てを否定された気がして、俺は荒れていた。目に見えるもの全てに八つ当たりしていた。
そんな俺を救ってくれたのは、今の祖父と祖母、義信さんと楓さんだ。
二人はどうしようもない俺を辛抱強く更生しようとしてくれた。
義信さんはときには俺のことを叱り、ときには何をするべきか道を示してくれた。
厳格で自分にも厳しい姿に、俺は義信さんに父親のようなものを感じるようになった。
楓さんは、俺がどんなに辛く当たっても優しい笑顔を俺に向けてくれた。温かいご飯と居場所を用意してくれた。母親のようなぬくもりをくれたんだ。
俺はいつしか、二人を本当の親のように思い、尊敬と親愛の念を抱くようになった。
二人のようになりたいと願い、俺の生きる目標になった。藤堂の名前が俺の誇りとなっていた。
二人には遠く及ばないが、それでも、いつか追いつきたいと思っている。
平村も、もう一人ではない。平村の隣には親友がいる。その幸せに気づいて欲しい。
そんなことを考えつつ、階段を上がり、更衣室へと歩き出した。
ここも検証しておきたいのだが……。
「あ、あの……藤堂先輩。男の子が女子更衣室に入るのはちょっと……」
平村が少しずれた指摘を俺にしてくる。
俺はため息をついて平村の意見を真っ向から否定する。
「寝ぼけているのか、平村さん。女子更衣室に入るわけないだろうが。女子更衣室の場所の確認と、女子更衣室に似た作りの部屋、例えば男子更衣室で検証する。庄川君、男子更衣室は入れそうか?」
「多分大丈夫っす」
これで目処が立ったな。
改めて女子更衣室に向かおうとすると、俺の目にとんでもないものが飛び込んできた。
平村が泣きそうな顔をしているのだ。
「ひ、平村さん? どうかしたのか? もしかして、男子更衣室に入る事に抵抗があるのか?」
平村はぐすんと鼻を鳴らしながら、俺を睨みつけてきた。
「ち、違います! いえ、男子更衣室に入るのははしたないから嫌ですけど、藤堂先輩が悪いんです!」
お、俺が?
自分の行動を思い返してみるが、何が悪かったのかさっぱり分からん。いや、ちょっと、待て。以前にも同じ事がなかったか?
確か……俺と左近、上春、朝乃宮と打ち合わせをしていたときに……。
「藤堂先輩、真子は繊細なんだから気をつけて」
白部に睨まれながら注意され、俺はまた同じ過ちを繰り返したことに反省する。
俺としては普通に接したつもりなのだが、上春や平村にとってはキツかったようだ。気をつけないとな。
俺は平村に頭を下げる。
「すまなかったな、平村さん。傷つけるつもりはなかったんだ。許して欲しい」
謝罪した俺に、平村は呆然としている。
これは……どう反応したらいいんだ? 許してくれるのか? そうでないのか?
「藤堂先輩ってすごいっすよね。藤堂先輩って頭下げるの絶対に嫌な人かと思ってました。特に年下の女の子には」
「悪いと思ったら謝るのは当然だろ? そこに性別や年齢なんて関係ない」
庄川に何か感心されてしまったが、別にたいしたことではない。それが道理だ。
人にあれこれ注意するのなら、道理をわきまえるべきだと俺は思っている。
自分の非を認め、常に正しくあろうとする。それが俺の信念だ。
「……格好いい」
「はっ?」
平村の独り言に俺は間抜けな声を出してしまう。
格好いい? どこが?
「い、いえ! その、藤堂先輩がまるで王子様に見えて」
「お、王子様?」
「いえいえ! 正義……正義の味方みたいに見えたんです! やっぱり、藤堂先輩はすごいです!」
きっと、平村は褒めてくれているのだろう。
だが、俺はそんなことを言われる資格なんてないし、自分の非力さを誰よりも自覚している。
だから、平村の言葉が皮肉にしか聞こえなかった。そして、弱い自分を隠そうとする己がひどく滑稽に思えた。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。だから、行動で示すんだ。
「すごいかどうかは結果を見て判断してくれ。俺はまだ、真犯人を見つけていない。そもそも、俺は平村さんと白部さんの仲裁をお願いされたからやっているだけだ。だから、正義の味方とかそんなものじゃない」
「それって誰に?」
初耳だったのだろう。
白部が警戒したような態度で俺に尋ねてきた。
そうだな、いい機会だ。
もっとも評価されるべき人物が評価されないのは納得いかない。俺は真っ直ぐに白部を見据えて答えた。
「俺の後輩で、伊藤にだ。もしかしたら、同じ中学出身だからどこかで出会っているのかもしれないがな」
同じ中学とはいえ、顔見知りとはいかないだろう。そう思っていたのだが……。
「伊藤……伊藤……伊藤ってもしかして、ほのかちゃんですか?」
知っているのか!
平村はいつものように深く考えず口に出したのだろう。
だからこそ、俺は不意を突かれたように絶句してしまう。
「藤堂先輩?」
「……いや、伊藤を知っているのか?」
あえぐように出した言葉に、平村は気にせずに嬉しそうな声で応えてくれた。
「中学の時、同じ図書委員だったんです。当番の日も同じで、ほのかちゃんとはいつも本の話をしていました。不思議ですね、こんなところでつながっていただなんて」
全くだな。
実は伊藤と平村が知り合いだったとは。世間は狭いというか、言われてみればというか。
本当に奇妙な縁だと思う。
もしかして、伊藤は知っていたのかもな。だから、二人の仲を取り持とうと俺に提案してきた。
切れた縁はもう戻らないと思っていた。でも、実は縁はずっと繋がっていて、今も繋がっている。そんな気にさせられる。
伊藤の気持ちにしんみりとしていると。
「でも、どうしてほのかちゃんは風紀委員に所属しているんですか? 罰ゲームですか?」
「……」
台無しだ……。
白部は俺から顔を背け、背中が震えている。庄川は爆笑していた。
ったく、風紀委員をなんだと思ってやがるんだ、一年は。罰ゲーム? ふざけるな。
俺は怒りを抑え、黙って歩いていると。
「私も知りたいかも。真子を図書室まで迎えに行っていたことがあるから伊藤さんの事、知っている。あの子、真子と同じで大人しくて本が大好きな女の子だった。でも、突然まるで性格が変わったかのようにあかぬけた子になった。そんな子がお堅い風紀委員になった理由、興味ある」
珍しいな……白部が人のことを尋ねるなんて。平村の親友だから興味が出てきたのか?
だが、本人のいないところで話すような内容ではないな。
伊藤が風紀委員に入ったのは、本人が希望してのことではないし、伊藤があかぬけた性格になったのは、イジメが関わっている。
「それは本人に聞いてくれ」
「……それなら、どうして、伊藤さんと知り合ったの?」
俺と伊藤が知り合った経緯か?
それなら、別に話してもいいあろう。伊藤の過去は話さなければいいだけだしな。
「ハーレム騒動で知り合ったんだ」
「ハーレム騒動?」
「白部さんは押水一郎君のことを知っているか?」
「押水一郎? 誰それ?」
し、知らないんだな。
白部らしい回答だと思った。自分に興味のないことはとことん無関心だな、コイツは。
白部も平村も美少女の類いに入ると思うのだが、押水の毒牙にはかからなかったのか?
しかし、押水の一件を知られていないのは複雑な気分だな。俺にとって、あのハーレム騒動はかなりの大事件だった。風紀委員生命をかけて解決したのにな。
少しショックを受けていると。
「俺、覚えてますよ! そっか! 思い出した! 藤堂先輩って、全校集会で押水先輩にハーレム発言を提案して謝罪した人っすよね! でも、実はハーレム男を成敗した英雄だって言われていますよ! 不良殺しの二つ名は伊達じゃないですね!」
正義の味方の次は英雄か。それに不良殺しって何だ? 誰も殺してなんかいない。
俺は昔のことを思い出し、自然とため息をついた。
「英雄なんかじゃない。ハーレム騒動は解決出来たが、沢山の人が不幸になった。周りの人の気持ちをないがしろにして問題の解消を優先させた結果だ。俺に期待しても無意味だ」
俺はあえて突き放すような言い方をした。
苦手なんだ、期待されるのは。
勝手に期待して、そのとおりでなければ失望される。こんな理不尽はないだろうと叫びたくなる。
正義の味方や英雄なんてその最たるものだ。
俺は俺の意思で行動する。そこに誰かの意図や思惑に左右なんてされたくない。
場が静まりかえってしまう。
いつもそうだ。勝手に期待され、期待どおりいかずに、失望させてしまう。そんなつもりはないのにな……。
「藤堂先輩って悲劇のヒロイン演じたいんですか? ナルシストっぽくてキモい」
白部の冷たい声の指摘に、俺は黙ったまま何も答えない。答える必要もない。
冷たくされた方がいい。そっちのほうがお似合いだし、気軽でいい。
「ちょっと、無視しないで……」
「そんなの悲しいですよ……そんなの……ずっとひとりぼっちじゃないですか」
白部の抗議を平村が遮る。
平村の小さな手が俺の制服の袖を弱々しく握っていた。
握る力は弱いのに、俺はその手を振りほどけない。振りほどいてはいけない気がしたのだ。
なぜなら、平村は泣きそうな顔で俺を見上げているからだ。
俺はため息をつきそうになる。
伊藤も平村も、どうして、俺なんかの心配をするのか? 二人とも抱えている問題があるくせに。
二人の優しさが身にしみる。
だから、俺は平村の頭にそっと手をのせる。伊藤と同じ小さな頭だ。似ているからこそ、俺は本音で語らなければと思った。
「そんなことはない。平村さん、知っているか? 人は意外にも一人にはなれないんだ。必ずどこかで自分を誰かが見てくれている。それに気づけないから一人だと感じるんだ。たとえ、全てを失っても、一人になることはない」
「……どうして、そんなことが言えるんですか?」
平村の問いは俺に対してなのか、自分自身に対してなのか。
平村も俺と同じで、全てを失った経験者だ。だからこそ、俺は伝えたかった。
俺は優しく平村に言い含める。
「経験談だ。だから、そんな悲しい顔をするな。平村さんも今は一人じゃないだろ?」
平村は目を丸くし、呆然としている。小さな手は袖から離れ、自由になった俺はそのまま歩き出す。
俺は一度、全てを失った。
俺をイジメ、親友の健司を引っ越しまで追い込んだ相手を文字通り半殺しにした。そのことに後悔はない。当然の報いだと確信している。
けど、復讐を果たした後には何も残らなかった。友も親も名字さえも失った。
新たな名字、藤堂が与えられ、住む場所も保護者も代わり、まるで別人になった気分だった。
今までの自分の全てを否定された気がして、俺は荒れていた。目に見えるもの全てに八つ当たりしていた。
そんな俺を救ってくれたのは、今の祖父と祖母、義信さんと楓さんだ。
二人はどうしようもない俺を辛抱強く更生しようとしてくれた。
義信さんはときには俺のことを叱り、ときには何をするべきか道を示してくれた。
厳格で自分にも厳しい姿に、俺は義信さんに父親のようなものを感じるようになった。
楓さんは、俺がどんなに辛く当たっても優しい笑顔を俺に向けてくれた。温かいご飯と居場所を用意してくれた。母親のようなぬくもりをくれたんだ。
俺はいつしか、二人を本当の親のように思い、尊敬と親愛の念を抱くようになった。
二人のようになりたいと願い、俺の生きる目標になった。藤堂の名前が俺の誇りとなっていた。
二人には遠く及ばないが、それでも、いつか追いつきたいと思っている。
平村も、もう一人ではない。平村の隣には親友がいる。その幸せに気づいて欲しい。
そんなことを考えつつ、階段を上がり、更衣室へと歩き出した。
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