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二十章

二十話 サボテン -燃える心- その三

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 屋上を出て廊下の静けさを感じたとき、ようやく解放されたんだって思った。
 はあ……怖かったよ~。
 私はその場に座り込んでしまった。廊下の床の冷たさも、今は心地いい。たまっていたため息を思いっきりはきだしてしまう。


「忘れないでよ。騒動は収まっても、私はあんたのしでかしたことはずっと許さないから!」


 美月さんのこの言葉が耳から離れない。恨みは大きければ大きいほど心に残る。
 ハーレム騒動は終わっても、そのとき生まれた感情や遺恨は今もそこにある。
 忘れていた。そして、思い知った。
 失恋した想いはまだ終わっていなかったことを。すぐに新しい恋が始まるわけではないこと。
 でも、いつまで続くの? この苦しみは……。

「大丈夫か、伊藤?」

 先輩が心配そうに私を見つめている。その視線だけでドキドキしてしまう。
 フラれたと分かっていても、好きって気持ちが終わるわけではない。
 だから、余計に苦しい。
 私は無理やり笑顔を作る。

「大丈夫です。助けていただいてありがとうございます」
「……屋上で何をしていたんだ? なぜ、ヒューズに近づいた? 浪花先輩の事といい、少し不用心だぞ」
「……別にいいじゃないですか。先輩には関係ないですよ」

 私はつい、反論してしまった。ただの条件反射だった。いつものように先輩とのやりとりが始まるものだと思っていた。でも……。

「……すまない。そうだな」

 先輩はそれっきり何も言わなくなった。言いようのない不安が湧き上がる。
 どうして……どうして、何も言ってくれないの? 説教してくれないの、先輩。
 いつものやりとりがない。余所余所しい。それは、私と先輩との距離が離れたような気がして、落ち着かない。

 先輩は私に背を向けて、歩いていく。
 私は先輩の後を追うことも、呼び止めることもできなかった。ただ、涙だけがこぼれ落ちた。



「酷い人だね、藤堂って」

 気が付くと、馬淵先輩が隣に立っていた。泣き顔を見られたくなくて、私はぐしぐしと制服の袖で涙をふく。
 もう! どこにいたんですか!
 そう怒鳴ってやろうと思ったけど、言葉が出なかった。

 な、何?
 馬淵先輩の顔……怖い……いつもの馬淵先輩じゃない。先輩を射殺すような、恨みのある目で先輩の後ろ姿を睨んでいる。
 先程のヒューズにも負けない、いやそれ以上の何かを感じる。
 ど、どうしよう……。
 悩んでいると、私の視線に気づいたのか、馬淵先輩の表情がいつもの笑顔に戻り……。

「いる?」

 そっとハンカチを差し出してくれた。私はほっとしてしまい、つい憎まれ口を叩く。

「も、もう、馬淵先輩! 遅いですよ! 私をおいてどこにいっていたんですか?」
「ごめん、伊藤さん。部の方で問題が起こったんだ。申し訳ないんだけど、今日はここまででいいかな?」

 私は渋々しぶしぶ頷いた。
 ちょっと理不尽だと思うけど、さっきの顔を見ちゃうと自然と警戒してしまう。
 馬淵先輩が去った後、私は呆然としてしまう。

 どうしよう? 今の事、先輩に話しておくべき? いや、ダメだよね。馬淵先輩達と関わっていることは風紀委員に内緒にしてくれって馬淵先輩に言われているし、先輩の耳に入ったら橘先輩にも知られてしまう。
 今、橘先輩とは勝負の最中だし、また何か言われるかもしれない。

 不安だけど、仕方ないよね。もし、馬淵先輩が先輩に危害を加える気なら、そのときは橘先輩に相談しよう。
 悪いけど、私は先輩を傷つけようとする人がいたら守りたい。私みたいなよわっちい女の子でも、やりようはいくらでもある。
 ちょっと、馬淵先輩の事、調べてみようかな。

 日は沈み、一日が終わろうとしている。青島祭はもう一ヶ月もない。青島祭まで何事もおきませんように。

「ほ・の・か・クン」
「ひゃ!」

 つ、冷たっ!
 首筋に何か冷たいものを当てられ、私は飛び上がった。
 振り向くと、浪花先輩が悪戯っ子のように笑っている。
 もう! 浪花先輩って男の子みたい。性別が間違ってる! イケメン顔負けなんだから始末に悪い。
 私は頬を膨らませ、抗議する。

「いい加減にしてください! 子供ですか、浪花先輩は!」
「うん」
「うんって……」

 呆れてつい笑ってしまった。悪意のない笑顔で頷かれたら怒るに怒れない。本当にたちが悪い。
 浪花先輩が私に近寄ってくる。今度は何? 手を出したら、容赦しないんだから。

「やっぱり、ほのかクンは笑っていた方がいいよ」
「えっ?」

 ふいをつかれ、浪花先輩がいきなり抱きついてきた。優しくぎゅっと抱きしめられ、軽く混乱してしまう。

 えっ? えっ?
 顔をあげると、浪花先輩の顔が……ち、近い近い!
 浪花先輩は微笑みながら、そっと……ハンカチで目元をふいてくれる。冷たい……。

「ほのかクンに涙は似合わないよ」
「……」

 私は頬が赤くなるのを感じていた。私が泣いたこと、バレてる! 恥ずかしい!
 それでも私は浪花先輩の手をどけることはできなかった。優しくふいてくれる浪花先輩のハンカチが冷たくて気持ちいい。
 目元をふいてくれた後、浪花先輩はそっと私から離れた。ぬくもりが消えてしまう。それが名残なごりしいと思った。

「ねえ、ほのかクン。キミを泣かせるものはなんだい? 僕には止めることができないのかな?」

 浪花先輩の優しさに甘えたくなる。でも、甘えてばかりではいられない。
 人に頼るのは悪くないと思うけど、それはまず自分で頑張ってからだと思うから……。
 私は首を横に振る。

「これは私の問題ですから。でも、心配いただいてありがとうございます」
「……そう。だけど、無理はよくないよ。どうしても辛いなら僕に相談して」

 浪花先輩の優しさに、私はつい訊いてしまった。

「……あ、あの、どうして、そこまでしてくれるんですか? 私と浪花先輩って会ったばかりですよね? 優しくしてもらう理由がよく分からないんですけど」
「キミのことが好きだからだよ」

 私は一歩、浪花先輩から距離をとった。

「ええっと、好意はありがたいのですが……」
「キミは同性愛に関しては偏見がないと思っていたんだけどな」
「……」

 私は一歩、浪花先輩との距離を詰めた。それを見て、浪花先輩は満足げに笑っている。
 浪花先輩は私が獅子王さん達と関わり合いがあることを知っている。でなきゃ、言えないセリフ。
 告白はこれで四回目だけど、どうしてだろう……浪花先輩の告白が一番グッときてしまった。

 一歩下がったのは同性愛だから下がったわけではない。きっと裏切ってしまいそうだったから。
 ほんの一瞬でも想いが浪花先輩にむいてしまったことを、先輩に対して申し訳ないと思ってしまったから。
 別に先輩とは恋人じゃないけど、それでも、後ろめたい。だから、距離をあけてしまった。

「そんな悲しい顔をしないで、ほのかクン。キミは誰も裏切っていないし、胸を痛める必要もないよ。さっきのほのかクンの質問だけど、誠の恋をするものは、みな一目で恋をする。これでいいかな?」
「……シェイクスピアですね」
「恋するのに時間は関係ないよ。ほのかクン。キミは美しい。獅子王の事、調べさせてもらったよ。同性愛はみんなから嫌悪けんおされているのが現状だ。でも、ほのかクンは真っ向から風紀委員や先生、獅子王財閥に立ち向かい、戦っている。その姿に僕はほのかクンのこと、敬意を表するよ」
「……」

 テ、テレくさい。私のやってきたことを評価してくれる人なんていなかった。ううっ、マズイ。嬉しい……好きになっちゃいそう。
 同性なのに、それでも浪花先輩の真っ直ぐな想いに心を打たれるものがあった。

「本気で考えてくれないかな? 僕はほのかクンの涙を止める存在でありたい。力になりたい。僕のそばにいてほしい」

 浪花先輩が私の頬に軽くキスして去っていった。
 か、かっこいい……。
 もし、これが先輩なら私、速攻でOKしてるよ。先輩は……絶対にあんなこと、言ってくれないよね。
 胸の痛みを我慢し、私は教室に戻った。
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