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十三章

十三話 タネツケバナ -不屈の力- その三

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 二人の力が一気に解放され、腕が膨れ上がる。お互いの手の甲を机に叩きつけるように、へし折る勢いで腕を動かす。
 勝負は……最初の姿勢のまま、動いていない。
 獅子王先輩は手首を内側に巻き込もうとしている。長尾先輩は相手の指先を手前につり上げ、腕を伸ばしている。

 なんでだろう、不安で手に汗が出てきた。
 負けてるわけじゃないけど、長尾先輩がえて手を抜いているような気がする。

「この程度なの?」
「っぐぐぐぐぐぐ!」

 す、凄い! 長尾先輩が腕相撲中に獅子王先輩に話しかけた! これって余裕ってことだよね?
 獅子王先輩は体全体で全体重をのせて長尾先輩の腕を倒そうとしているけど、ぴくりとも動かない。
 もっと均衡した対決になると思ってたのに。ちょっと、頑張ってよ、獅子王先輩!

 獅子王先輩の腕が震えてるけど、長尾先輩の手はどっしりと大地に立つ大樹たいじゅのように動かない。
 そう思った矢先、徐々に長尾先輩の手が獅子王先輩の手を押し倒していく。ゆっくりとゆっくりと均衡きんこうくずれていく。

 ああっ! 獅子王先輩が負けちゃう!
 ちょっと! まだ初戦! 初戦ですから! まだ四人残ってますから!

「頑張ってください! 獅子王先輩!」

 ダメだ。獅子王先輩の手の甲が机につこうとしている。万事休す!
 そのとき。

「獅子王先輩!」

 古見君がボクシング場に飛び込んできた。その少し後ろで明日香達が私に手を合わせているのが見えた。
 実は明日香達に頼んで、古見君に試合の様子を外から見てもらっていた。これは古見君を説得させるための前準備。

 予定では、獅子王先輩が華麗に長尾先輩に勝利する場面を、古見君に目撃してほしかったんだけど。でも、これはこれでよかったのかも。
 獅子王先輩のピンチにかけつける古見君。ちょっと、ドラマチックかも。

「ぉおおおおおおおおおおおお!」

 獅子王先輩がえた!
 す、すごい!
 押さえつけられてた獅子王先輩の手が、どんどん長尾先輩の手を押し返していく。

 やった! ついにふりだしに戻った!
 やっぱり、愛する人の声って力を与えてくれるんだね!
 私の声は無反応だけど、古見君の声なら頑張れるんだね、獅子王先輩は。ちょっと複雑。

 べ、別にいいだけどね! 私には先輩がいるしね! 喧嘩中だけど! う、うらやましくないんだからね!
 名前を呼ぶだけで通じ合うなんて……ね、ねたましくないんだからね!

 長尾先輩の顔から笑みが消えた。
 本気になったの?
 長尾先輩は目を大きく見開き、体を丸め、体勢を整える。

 あっ! 獅子王先輩の手が止まった!
 獅子王先輩の快進撃かいしんげきが終わってしまった。
 獅子王先輩の腕が更にプルプル震え、顔が赤くなっているけど、長尾先輩の腕は少し震えているだけ。

「古見君! もう一回、応援して! ボクシング部のみなさんもご一緒に!」
「う、うん! 獅子王先輩! ファイト!」
「「「「いけいけ獅子王! いけいけ獅子王!」」」」

 みんなの声援せいえんが獅子王先輩の背中を押すけど、それでも長尾先輩の手は後ろに倒れることはない。
 獅子王先輩が頑張っているのに、歯を食いしばって目玉が飛び出るくらい力を込めているのに、長尾先輩の腕は動かない。

 長尾先輩ってすごい……。
 みんなも私も、獅子王先輩のこと応援していて、居心地いごこちが悪いはずなのに。それでも一人、長尾先輩は戦っている。獅子王先輩を圧倒あっとうしていく。

 ああああああっ! 手が! 長尾先輩の手が獅子王先輩の手を机に押し込んでいる!
 ゆっくり、ゆっくりと手が動いていく!

 まずい! 負けちゃう! 頑張ってください、獅子王先輩! ここで負けたら、私も終わりですから!
 獅子王先輩の動きは、年末のテレビでみた腕相撲大会の負けちゃう人のような動き!
 このままだと……いや、止まった! ぎりぎりの位置で獅子王先輩がふんばってる! でも、逆転なんてありえるの? あの体制で? 獅子王先輩の手は机から十センチくらいしか離れていない。
 獅子王先輩の負けが決定したかと思った瞬間。

 ッキ。

 ? 何か音が?

 バキバキバキッ!

 大きな音がしたと思ったら、机にヒビが入って壊れちゃった! 机が二人の力に耐えられなかったんだ!
 二人がもつれるように倒れる。こ、これってダブルノックアウト? いやいや、腕相撲だから同体どうたい? それは相撲だよね?

 みんなが獅子王先輩の周りに集まってくる。
 倒れた二人の手を見ると……ウソ! 獅子王先輩の手が上に、長尾先輩の手が甲が下についている。な、なんで?
 もしかして、倒れながら押し返したの? 逆転したの? 信じられない! 偶然なの? でも、でもでも! これって獅子王先輩に勝ちだよね!
 放心状態の審判に私は強めの口調で呼びかける。

「審判! ジャッジ!」
「……はっ! しょ、勝者、獅子王!」

 やった! 勝った勝った! 獅子王先輩の逆転勝利!
 古見君が獅子王先輩に抱きつく。獅子王先輩は拳を高々と天に向かって上げた。
 カッコいい……。
 私はつい、獅子王先輩に見惚みとれてしまった。

 長尾先輩が立ち上がり、獅子王先輩に手を差し伸べる。獅子王先輩がその手をがっちりと握る。
 いいよね、男の子の熱戦の後の握手って。爽やかでカッコいい。

 長尾先輩は何も言わずに立ち去っていった。
 私は獅子王先輩に軽く頭を下げる。獅子王先輩は手を振り、さっさと行けとジェスチャーする。
 私はもう一度、頭を下げた。長尾先輩を追いかけなくちゃ。



「長尾先輩!」

 私の声に長尾先輩の足が止まり、振り向いた。長尾先輩の顔を見て、私は呆然ぼうぜんとしてしまう。
 長尾先輩の顔は今までに見たことのない、晴れやかな笑顔だった。試合中に見せていた怖い表情はもうない。

「その……ごめんなさい。私、風紀委員なのに、長尾先輩のこと応援しなくて」

 縮こまる私に、長尾先輩は私の頭をぽんぽんと叩いた。

「しかたないっしょ。今回は敵だったんだし。気にしなくていいよ。それより、こっちこそありがとう。いい勝負だった。僕の負けだ」

 すっきりした顔をした長尾先輩に、私はつい訊いてしまう。

「……私が言うのもなんですが、あんな決着でよかったんですか? 長尾先輩が圧倒的に有利だったのに、机さえ壊れなかったら、勝てたのに」
「勝負は時の運だから。倒れそうになっても獅子王先輩は勝ちにいった。その差で負けたんだよ」

 そうは言うけど、私なら絶対に納得できなかっただろうな。それに長尾先輩が最初から本気なら、絶対に勝ててたよね?
 本当に長尾先輩はすごい。

「……今日の長尾先輩、とてもカッコよかったですよ」
「惚れるなよ」
「惚れませんから。私には先輩がいますので」
「ちえっ。次も頑張りなよ。こっからが本番だから」

 長尾先輩のご指摘通り。まだ、一人目。残り四人の風紀委員と勝負しなければならない。
 一度でも私が負けたら即ゲームオーバー。まだまだ気が抜けない。

「そのことなんですけど、早速協力してもらえませんか? 負けたら勝った人のいうこと、きいてもらえるんですよね?」

 私はにっこりと笑って長尾先輩に協力を求めた。次の対戦相手は、長尾先輩の協力が必須ひっす
 だから、協力してもらいますよ、長尾先輩!
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