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間章
間話 クサノオウ -私を見つけて- その四
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「見ました、獅子王さん! 今、いい音しましたよ!」
「うっせえな。まだまだだ」
季節は夏。蒸すような暑さの中、ひまわりが僕達をそっと見守っていた。
いつもの河原で、僕は獅子王さんに教えてもらったジャブを何回も繰り返していた。
獅子王さんから初めて教えてもらったパンチ。基本のパンチ。
最初はジャブを打っても風を切る音はしなかったけど、何回も繰り返していたら、ちょっとだけ音がするようになった。
それが嬉しくて、獅子王さんに見てもらいたくて、僕はジャブを続ける。腕が疲れて重いけど、暑くて汗が止まらないけど、それでも頑張れた。
だって、僕は強くなっている。そう実感できる。少しずつだけど、獅子王さんの指導のもとで絶対に強くなるんだ。
シュッ!
「獅子王さん! 今のはどうですか?」
「……まだまだだ。ジャブっていうのはこうするんだ!」
獅子王さんが面倒臭そうに立ち上がり、ジャブを放つ。
速い! それに風を切る音がはっきりと聞こえる。空を切る振動が離れている僕に伝わってくる。
凄い!
「僕もいつか、獅子王さんのようなジャブが打てますか?」
「お前のようなへなちょこが俺様と同じジャブを打てるわけないだろ」
「そうですか……」
僕には無理なのかな……獅子王さんのように強くなれないのかな……。
やっぱり、強くなるには才能が、選ばれた人間しかなれないのかな……だったら、僕なんかが努力しても……。
「……まあ、なんだ。俺様には及ばなくても、多少マシなジャブは打ててるぞ。多少だがな!」
もしかして、僕の事、元気づけてくれたの? 顔をそむけ、鼻をかいている獅子王さんがちょっと可笑しくて、笑ってしまう。
「……ありがとうございます!」
獅子王さんにお礼をいうと、獅子王さんはこつんと僕の頭を叩いた。僕のジャブは獅子王さんに及ばなくても、近づくことはできるよね? それなら、頑張ろう。頑張って強くなるんだ!
蝉の鳴き声を聞きながら、僕はジャブを繰り返す。
きっと、強くなれることを信じて。
季節は巡り、エリカが咲く頃。
一つの変化が僕達の運命を変えていく。
いつものように河原に向かうと、獅子王さんと……もう一人誰かいる。
誰だろう? 二人向き合って、何か話している。あの女の子……恥ずかしそうにうつむいて……も、もしかして、告白?
ど、どどどどうしよう!
獅子王さんって、格好いいからモテるんだろうな。僕とは大違いだ。
そうだよね。獅子王さんは魅力的な人だ。僕以外にもおしゃべりする人はたくさんいるよね。
どうしてだろう。それが寂しいって思うのは。この場にいたら邪魔だよね。離れよう。
そう思った瞬間、足が止まってしまった。女の子が泣いている。獅子王さんはつまらなそうに何か言っているけど、よく聞こえない。
女の子は涙をぬぐいながら走って去っていった。
獅子王さんと目が合ってしまった。二人の間に冷たい風が吹き抜ける。何を言っていいのか分からない。言葉が出てこない。体が金縛りにあったように指先一つ、動かせない。
「……見てたのか」
獅子王さんの言葉で、我に返る。僕は気まずさから、早口で言い訳する。
「ええっと、いや、あの……あははっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「何回も謝るな。いつものことだ」
い、いつものこと? これはどう解釈すればいいの?
いつも誰かに告白されているってこと? いつもふっているってこと? どっちも凄いんだけど。
でも、気になるところはそこじゃない。
「い、いいんですか? あの子、泣いていましたよ? ぼ、僕が口出しすることじゃないですけど」
「だったら、口出しするな」
「でも……」
どうしてだろう……あの女の子の事が気になる。いつもなら、口を挟む事なんてしないのに……。
それはもしかすると、自分の姿と重ねていたのかもしれない。もし、自分も獅子王さんに拒絶されたら怖くてどうしていいのか分からなくなる。
女の子がいなくなったことには安心しているのに、追いかけるなんて矛盾している。
でも、それでも……。
「……お前、強くなったよな」
「はい?」
僕はつい聞き返してしまう。
強くなった? 僕が? 獅子王さんが僕にそんなことを言ってくれたの、初めてだ。
うれしい気持ちよりも戸惑う気持ちの方が大きくて、不安になってしまう。
「お前は強くなった。だから、もうここには来るな。俺様に会いに来るな」
「えっ?」
獅子王さんは僕に背を向けて去っていく。僕はその背中に手を伸ばすけど、届かなかった。
どうして? なんで急に?
紅葉した葉が風に乗って、僕達の間を流れていく。まるで僕達の間に壁を作るようにさらさらと舞っている。
僕はただ一人、取り残されてしまった。
獅子王さんがいない。
あの日以降、獅子王さんは河原に来ることはなかった。
どうして? 僕、獅子王さんに嫌われること、言ったのかな?
心にぽっかりと穴が開いたような虚しい気持ちで苦しくなる。獅子王さんのあのつらそうな顔……忘れらない。
あんなに強い人がどうして……分からないでも……。
僕はカバンを地面に置いて、獅子王さんから教わったことを練習する。ボクシングは毎日練習を続けるものだって教わったから。
もし、練習をさぼって弱くなったら、きっと獅子王さんは怒る。だから、練習するんだ。獅子王さんが来なくても、やらなきゃ。
僕はがむしゃらに拳をふるう。獅子王さんともう一度出会えることを信じて。
冷たい風が僕の頬を、拳をなでていく。体をいくら動かしても、全然暖かくなってはくれなかった。
寒い……でも、頑張らなきゃ。
日もあっという間に暮れていく。獅子王さんを待つ時間がどんどん短くなっていく。
もうすぐ、冬が訪れようとしていた。
アングレカムが咲く季節になっても、獅子王さんは河原に姿を現さなかった。
僕はひたすら、拳をふるっていた。
吐く息が白い。寒さで手がかじむ。それでも、手を止めず、拳を突き出す。
「お前……」
ふいに言葉が聞こえてきた。
何か月ぶりの声。なのに、僕には誰の声かすぐに分かった。僕が待ち続けていた人。憧れていた人。強さの象徴。
「お久しぶりです、獅子王さん」
獅子王さんが目を大きく見開き、立ち尽くしている。
僕は笑顔で獅子王さんを迎える。
「どうですか? 僕、強くなりました?」
僕は毎日続けていたジャブ、ストレートを披露する。クリスマスも、大晦日も、正月も一日も休むことなく磨き上げてきた。
獅子王さんは苦笑しつつ、その場でジャブとストレートを繰り出す。
「やっぱり、獅子王さんにはかなわないや」
「当たり前田のクラッカーだ」
あ、当たり前だのクラッカー? なんだろう?
獅子王さんって時々、難しいこという。どう反応していいのかわからない。
「お前、ここで何をしている? もう、ここに来る必要ないだろ?」
「獅子王さんを待っていました。僕が強くなったところをずっと見てほしくて。僕、獅子王さんに憧れていたんです。いや、今もですけど」
「俺様のどこに憧れたんだ?」
獅子王さんは冷めた目つきで僕を見つめている。僕はありのままの気持ちを伝えた。
「強さです。獅子王さんもご存じだと思いますけど、僕、子供の頃からずっといじめられてばかりで……もう、仕方ないって諦めていました。毎日をただ無気力に生きていました。でも、獅子王さんは僕の問題を一瞬で解決してみせてくれました。獅子王さんと出会った日から、僕は生きる意味をもらったんです。獅子王さんは僕のヒーローです」
「……」
あ、あれ? なんで獅子王さん、黙っているの?
しかも、口をぽか~んと開けて。何か僕、変なこと言った?
「俺様がヒーローだと……問題児の俺様が? くっ……あっははははははははははははは!」
今度は急に獅子王さんは大笑いした。な、何が面白いの?
「そっか、そっか! 俺様がヒーローか!」
膝を叩いてまだ笑い続ける獅子王さんに僕は恥ずかしくなってきた。
僕、そんな変なこと言ったのかな? でも、それが本心なんだけど。
だから、胸を張って答えなきゃ。
「は、はい。獅子王さんは僕のヒーローです!」
「お前は俺の事、獅子王として見てないんだな」
「? 獅子王さんは獅子王さんでしょ?」
獅子王として見ていない? 意味深な言葉だけど、僕には分からなかった。
獅子王さんはその場に座り、じっと前を見つめている。いつもよりも深い悲しみの表情を浮かべていた。僕はそんな獅子王さんの顔を見ているだけで、胸が苦しくなる。
僕にできることはないのだろうか? 獅子王さんのために恩返しがしたい。
でも、誰にも望まれていない、弱虫な僕に何ができるの? でも、それでも、獅子王さんの力になりたい。
僕は獅子王さんの隣に座った。何も言わないまま、ただ獅子王さんの隣にいる。それくらいしかできなかった。
二人の間にはただ、川の流れる音だけが聞こえてくる。
しばらくして、獅子王さんはぽつりと言葉を漏らした。
「獅子王っていうのは呪いなんだよ」
「うっせえな。まだまだだ」
季節は夏。蒸すような暑さの中、ひまわりが僕達をそっと見守っていた。
いつもの河原で、僕は獅子王さんに教えてもらったジャブを何回も繰り返していた。
獅子王さんから初めて教えてもらったパンチ。基本のパンチ。
最初はジャブを打っても風を切る音はしなかったけど、何回も繰り返していたら、ちょっとだけ音がするようになった。
それが嬉しくて、獅子王さんに見てもらいたくて、僕はジャブを続ける。腕が疲れて重いけど、暑くて汗が止まらないけど、それでも頑張れた。
だって、僕は強くなっている。そう実感できる。少しずつだけど、獅子王さんの指導のもとで絶対に強くなるんだ。
シュッ!
「獅子王さん! 今のはどうですか?」
「……まだまだだ。ジャブっていうのはこうするんだ!」
獅子王さんが面倒臭そうに立ち上がり、ジャブを放つ。
速い! それに風を切る音がはっきりと聞こえる。空を切る振動が離れている僕に伝わってくる。
凄い!
「僕もいつか、獅子王さんのようなジャブが打てますか?」
「お前のようなへなちょこが俺様と同じジャブを打てるわけないだろ」
「そうですか……」
僕には無理なのかな……獅子王さんのように強くなれないのかな……。
やっぱり、強くなるには才能が、選ばれた人間しかなれないのかな……だったら、僕なんかが努力しても……。
「……まあ、なんだ。俺様には及ばなくても、多少マシなジャブは打ててるぞ。多少だがな!」
もしかして、僕の事、元気づけてくれたの? 顔をそむけ、鼻をかいている獅子王さんがちょっと可笑しくて、笑ってしまう。
「……ありがとうございます!」
獅子王さんにお礼をいうと、獅子王さんはこつんと僕の頭を叩いた。僕のジャブは獅子王さんに及ばなくても、近づくことはできるよね? それなら、頑張ろう。頑張って強くなるんだ!
蝉の鳴き声を聞きながら、僕はジャブを繰り返す。
きっと、強くなれることを信じて。
季節は巡り、エリカが咲く頃。
一つの変化が僕達の運命を変えていく。
いつものように河原に向かうと、獅子王さんと……もう一人誰かいる。
誰だろう? 二人向き合って、何か話している。あの女の子……恥ずかしそうにうつむいて……も、もしかして、告白?
ど、どどどどうしよう!
獅子王さんって、格好いいからモテるんだろうな。僕とは大違いだ。
そうだよね。獅子王さんは魅力的な人だ。僕以外にもおしゃべりする人はたくさんいるよね。
どうしてだろう。それが寂しいって思うのは。この場にいたら邪魔だよね。離れよう。
そう思った瞬間、足が止まってしまった。女の子が泣いている。獅子王さんはつまらなそうに何か言っているけど、よく聞こえない。
女の子は涙をぬぐいながら走って去っていった。
獅子王さんと目が合ってしまった。二人の間に冷たい風が吹き抜ける。何を言っていいのか分からない。言葉が出てこない。体が金縛りにあったように指先一つ、動かせない。
「……見てたのか」
獅子王さんの言葉で、我に返る。僕は気まずさから、早口で言い訳する。
「ええっと、いや、あの……あははっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「何回も謝るな。いつものことだ」
い、いつものこと? これはどう解釈すればいいの?
いつも誰かに告白されているってこと? いつもふっているってこと? どっちも凄いんだけど。
でも、気になるところはそこじゃない。
「い、いいんですか? あの子、泣いていましたよ? ぼ、僕が口出しすることじゃないですけど」
「だったら、口出しするな」
「でも……」
どうしてだろう……あの女の子の事が気になる。いつもなら、口を挟む事なんてしないのに……。
それはもしかすると、自分の姿と重ねていたのかもしれない。もし、自分も獅子王さんに拒絶されたら怖くてどうしていいのか分からなくなる。
女の子がいなくなったことには安心しているのに、追いかけるなんて矛盾している。
でも、それでも……。
「……お前、強くなったよな」
「はい?」
僕はつい聞き返してしまう。
強くなった? 僕が? 獅子王さんが僕にそんなことを言ってくれたの、初めてだ。
うれしい気持ちよりも戸惑う気持ちの方が大きくて、不安になってしまう。
「お前は強くなった。だから、もうここには来るな。俺様に会いに来るな」
「えっ?」
獅子王さんは僕に背を向けて去っていく。僕はその背中に手を伸ばすけど、届かなかった。
どうして? なんで急に?
紅葉した葉が風に乗って、僕達の間を流れていく。まるで僕達の間に壁を作るようにさらさらと舞っている。
僕はただ一人、取り残されてしまった。
獅子王さんがいない。
あの日以降、獅子王さんは河原に来ることはなかった。
どうして? 僕、獅子王さんに嫌われること、言ったのかな?
心にぽっかりと穴が開いたような虚しい気持ちで苦しくなる。獅子王さんのあのつらそうな顔……忘れらない。
あんなに強い人がどうして……分からないでも……。
僕はカバンを地面に置いて、獅子王さんから教わったことを練習する。ボクシングは毎日練習を続けるものだって教わったから。
もし、練習をさぼって弱くなったら、きっと獅子王さんは怒る。だから、練習するんだ。獅子王さんが来なくても、やらなきゃ。
僕はがむしゃらに拳をふるう。獅子王さんともう一度出会えることを信じて。
冷たい風が僕の頬を、拳をなでていく。体をいくら動かしても、全然暖かくなってはくれなかった。
寒い……でも、頑張らなきゃ。
日もあっという間に暮れていく。獅子王さんを待つ時間がどんどん短くなっていく。
もうすぐ、冬が訪れようとしていた。
アングレカムが咲く季節になっても、獅子王さんは河原に姿を現さなかった。
僕はひたすら、拳をふるっていた。
吐く息が白い。寒さで手がかじむ。それでも、手を止めず、拳を突き出す。
「お前……」
ふいに言葉が聞こえてきた。
何か月ぶりの声。なのに、僕には誰の声かすぐに分かった。僕が待ち続けていた人。憧れていた人。強さの象徴。
「お久しぶりです、獅子王さん」
獅子王さんが目を大きく見開き、立ち尽くしている。
僕は笑顔で獅子王さんを迎える。
「どうですか? 僕、強くなりました?」
僕は毎日続けていたジャブ、ストレートを披露する。クリスマスも、大晦日も、正月も一日も休むことなく磨き上げてきた。
獅子王さんは苦笑しつつ、その場でジャブとストレートを繰り出す。
「やっぱり、獅子王さんにはかなわないや」
「当たり前田のクラッカーだ」
あ、当たり前だのクラッカー? なんだろう?
獅子王さんって時々、難しいこという。どう反応していいのかわからない。
「お前、ここで何をしている? もう、ここに来る必要ないだろ?」
「獅子王さんを待っていました。僕が強くなったところをずっと見てほしくて。僕、獅子王さんに憧れていたんです。いや、今もですけど」
「俺様のどこに憧れたんだ?」
獅子王さんは冷めた目つきで僕を見つめている。僕はありのままの気持ちを伝えた。
「強さです。獅子王さんもご存じだと思いますけど、僕、子供の頃からずっといじめられてばかりで……もう、仕方ないって諦めていました。毎日をただ無気力に生きていました。でも、獅子王さんは僕の問題を一瞬で解決してみせてくれました。獅子王さんと出会った日から、僕は生きる意味をもらったんです。獅子王さんは僕のヒーローです」
「……」
あ、あれ? なんで獅子王さん、黙っているの?
しかも、口をぽか~んと開けて。何か僕、変なこと言った?
「俺様がヒーローだと……問題児の俺様が? くっ……あっははははははははははははは!」
今度は急に獅子王さんは大笑いした。な、何が面白いの?
「そっか、そっか! 俺様がヒーローか!」
膝を叩いてまだ笑い続ける獅子王さんに僕は恥ずかしくなってきた。
僕、そんな変なこと言ったのかな? でも、それが本心なんだけど。
だから、胸を張って答えなきゃ。
「は、はい。獅子王さんは僕のヒーローです!」
「お前は俺の事、獅子王として見てないんだな」
「? 獅子王さんは獅子王さんでしょ?」
獅子王として見ていない? 意味深な言葉だけど、僕には分からなかった。
獅子王さんはその場に座り、じっと前を見つめている。いつもよりも深い悲しみの表情を浮かべていた。僕はそんな獅子王さんの顔を見ているだけで、胸が苦しくなる。
僕にできることはないのだろうか? 獅子王さんのために恩返しがしたい。
でも、誰にも望まれていない、弱虫な僕に何ができるの? でも、それでも、獅子王さんの力になりたい。
僕は獅子王さんの隣に座った。何も言わないまま、ただ獅子王さんの隣にいる。それくらいしかできなかった。
二人の間にはただ、川の流れる音だけが聞こえてくる。
しばらくして、獅子王さんはぽつりと言葉を漏らした。
「獅子王っていうのは呪いなんだよ」
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