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五章

五話 伊藤ほのかの傷心 その六

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 別れは突然だった。今でも鮮明せんめいに思い出せる。

 中学一年の冬。
 春はすぐそこまで近づいていた頃だ。
 健司とはもう何か月も、話していない。いじめられている俺なんかに話しかけてくる者は誰もいない。
 俺は一人で登下校していた。
 学校にいってもいじめられるだけで、友達もいない。

 二年になれば変わるのだろうか? クラスメイトが変わり、アイツらと違うクラスになれば、いじめは終わるのだろうか?
 いじめが終わったら……健司とやり直したい。そう思って頑張ってきたが、心も体も疲れきっていた。
 考えていることはいつも学校にいきたくない、それだけだった。

 ある土曜の昼下がり、健司の家の前にトラックが止まっていた。引越しのトラックだ。荷物が運ばれている。
 嫌な予感がした。
 俺は健司の姿を見た瞬間、今までのいさかいいも忘れて問いただした。
 最初は黙っていたが、何度も問い詰めて教えてくれた。この町を出ていくって。
 俺は何度も何度も懇願こんがんした。いかないでくれって。また、一緒にいようって。でも、別れは回避できなかった。子供の俺達にはどうしようもなかった。
 健司の別れ際の言葉が今でも忘れられない。

「ごめんな……正道……」

 健司が泣いていた。
 どんなときも泣かなかった健司が泣いている。
 俺も涙がこぼれた。
 最近はどんなひどい仕打ちを受けても流れなくなった涙があふれて、止まらなかった。
 あの頃に戻りたい。
 二人で笑い合っていたあの頃に。


「正道、ピンチになったら俺を呼べ! 俺はヒーローだからな!」


 帰りたい。
 健司の背中を追いかけていたあの日々に帰りたい。


「俺達ならどんなヤツにも負けない! 俺達は最強のタッグだ!」


 トラックが遠ざかっていく。俺はただ、黙って見送ることしかできなかった。別れの挨拶さえできなかった。
 二人の思い出がふいによみがえる。
 遊んだこと、喧嘩したこと、一緒に戦ったこと……。


「なあ、正道。俺達、ずっと友達だよな?」


 もう、戻れないんだ。
 二度と戻れないあの頃を想って……涙がこぼれた。



 ×××


「それからだ。強くなりたい。理不尽なことに従うのは納得できないって思うようになったのは」

 先輩は疲れたように溜息をつく。
 前に先輩からいじめを受けていたって教えてもらったけど、ここまでひどいとは思ってもみなかった。
 先輩がなぜ、あんなにも強くいじめを憎んでいるのか、分かったような気がする。

「今でも夢に出てくるんだ、健司の泣いている顔が。何もできなかった無力感、絶望感に胸が張り裂けそうになる。もう二度と失敗はしない、そう誓ったのに……失敗した」
「失敗?」

 先輩はしばらく黙っていたけど、ゆっくりと話し始めた。
 これからの話はきっと、少年Aのことだ。先輩をいじめていた相手を病院送りにした事件。それがきっかけで殺人事件まで起きてしまった。
 先輩の口から告げられる事実。
 私は、先輩の過去を知りたい……受け入れたい。
 先輩の力になりたい。
 居住いずまいを正して、先輩の話を黙って聞くことにした。



 ×××


 健司が引っ越した後、俺は強くなる為に近所の道場に通っていた。
 なぜ、失敗したのか? それは俺が弱かったからだ。だから、強くならなければならない。
 誰にも負けない強さ。それさえあれば、きっと失敗しない。
 悪いヤツにも負けることのない、理不尽な思いをしなくてもいい、そんな現実を手にするんだ。

 俺は必死で努力した。
 辛いことはあったが、健司と別れた痛みに比べたらどうってことはなかった。何かに打ち込むことで、この痛みから逃げたかったのかもしれない。
 強くなる為に頑張っているのか、辛い現実を忘れたくて逃げているのか、判断がつかなかった。

 中学二年になってからは、いじめはなくなっていた。
 クラス替えでヤツらとは別のクラスになり、標的にされることはなくなったが、アイツら会わないよう、ひたすら避けていた。

 俺が中学三年生になって、一学期が終わろうとしていた時だった。偶然アイツらを見つけてしまった。
 心臓を鷲掴わしづかみにされたような痛みで体が硬直した。
 アイツらはまた別のヤツをいじめていた。俺は足が震えて、動けなかった。
 何の為に強くなったんだ? アイツらが許せないんじゃなかったのか?
 今の俺なら勝てるはずだ。昔の弱虫な俺じゃない。あの時から体は成長し、筋肉も倍以上はついている。
 それでも、あのときの痛みを思い出すと足がすくむ。
 いじめで受けた恐怖はそう簡単に克服こくふくできなかった。
 アイツらにいじめられている生徒が俺を見た。その生徒は俺に助けを求めていた。

 やめろ! 俺を見るな! 俺もいじめられるだろ!
 いじめていたヤツらも俺を見た。
 逃げ出したかったが、足が動かない。顔がこわばる。
 そのときだ。


 正義は必ず勝つ。


 健司の声が聞こえたような気がした。これは偶然なのか?
 俺は震えながらも、止めに入った。

「な、なあ。嫌がってるし、やめてあげたらどうだ? いじめを続けるのは、その……よくないと思う」

 この一言が精一杯せいいっぱいだった。怖くて、声が裏返ってしまう。
 なんて無様ぶざまだろう。あれほど鍛えたのに。強くなるよう頑張ってきたのに。
 ヤツらの表情が変わった。なんだ? 笑っている? でも、あの頃に見た、人をさげすむような笑いじゃない。何かを誤魔化ごまかすかのような笑いだ。

「べ、別に俺達、コイツのこと、何もしてないから」
「ちょっとじゃれていただけだよ、なあ?」

 俺のことに気づいていない?
 どうやら、アイツらは俺の顔色をうかがっているようだ。
 俺の強張こわばった顔がにらんでいると勘違かんちがいしたのだろう。

 俺の事を忘れているのか? あれだけひどいことをしてきたのに?
 心の奥底で何かがこみあげてくる。でも、まだそれは弱くて抑えきれるものだった。
 一年の時と比べて、俺はだいぶ成長したから分からないのだろうって思うことにした。

「あの……こいつと知り合いなの?」
「……違う」
「なら、別にいいじゃん。知り合いじゃないっしょ? ほっといてよ」

 安心したようにアイツらは顔をほころばせ、いじめていたヤツに暴力をふるう。

「ねえ、キミさ、俺達の仲間にならない?」
「それいいね! キミ、強そうだし!」

 何を言っているんだ、こいつらは……。

「なあ、アンタ、力貸してくれよ。すっげームカつくヤツがいてさ、服従ふくじゅうさせてやりたくってよ」
「そいつのせいでノルマ達成できないし、悩んでるんだよね」

 コイツら……何も反省していない。それどころかひどくなっている。


 ……イ。


「俺達さ、服従帳ふくじゅうちょうって作ってるの! みてよ、コレ。俺達に服従しているヤツのリスト、結構いるだろ?」

 自慢げに一人の男がアイフォンを俺に見せてくる。そこには、コイツらが苛めている生徒の名前が並んでいた。俺の知っているヤツもいる。

「毎月五人、リスト入りしよって思ってるんだけど、邪魔してくるヤツがいてさ。遊びなのにマジになるなんてバカでしょ?」
「このリスト、俺達の自慢なんだよね。どう、いいっしょ? 今ね、焼印やきいん作ってるんだ。俺達だけのイカしたオリジナルのヤツ。早くつけたいよな~」

 焼印だと? 正気なのか、コイツらは。なぜだ……なぜ、コイツらはこんなにも悪意に満ちているんだ?

「キミもさ、一緒に遊ぼうよ。楽しいよ」
「……や、やめてください」

 地面で這いつくばっている生徒が許しを懇願しているが、ヤツらはそれを無視し、生徒を蹴りつける。

「うっせえよ! このボケ! 底辺のゴミが俺に意見するな!」
「ゴール! 見た、俺の蹴り! 黄金の右!」

 手が震える。なんだ、この光景は?
 どうしてここまで人を傷つけることができるんだ? こいつらに罪悪感はないのか? なんで、笑って相手を蹴れるんだ?
 吐き気が止まらない。頭が痛い。


 ……エ。


「どったの? 怖いの?」
「大丈夫だって! すぐに面白くなるから」
「キミ、絶対才能あるって! うわっ! この筋肉すげーよ!」

 面白い? 泣いて許しをうヤツを蹴飛ばして、何が面白いんだ?
 泣いているヤツが見えないのか? 見えていて、こんな酷いことができるのか?
 才能? なんだ、それは? 俺はお前らと同一と思われているのか?


 ユ……セ……イ。

 ロ……テ……エ。
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