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二章

二話 押水一郎の日常 その六

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「こんな感じです」
「おい待て」

 やりきった顔をしている伊藤に疑問をぶつける。

「なんでショートホームルームのことを知っているんだ?」
「私もいたからです。掃除ボックスに隠れていましたので」
「……」

 俺は一歩、伊藤から遠ざかった。伊藤は体を密着させるくらいに近寄ってくる。

「ちょ! 遅刻してまで敵情視察てきじょうしさつした私の評価は急上昇では! しかも、上級生のクラスにですよ!」
「サボるな。それでマイナスだ」
「納得いかない!」

 大きな声で抗議する伊藤に、俺は慌てて伊藤の口に手をあて、黙らせる。
 気づかれたか?
 再び、押水に視線を戻す。
 押水は自分達の世界に没頭ぼっとうしているのか、伊藤の叫び声は聞こえていないようだ。
 伊藤の口から手を退け、観察を続ける。

「ちなみに『はいはい分かってました分かってました』は私のツッコミです」
「よくばれなかったな」
「細かいことは気にしない、いいクラスです」

 平和なクラスだ。羨ましい。

「ここからだと、何を話しているのか分かりませんね」

 俺は意識を集中させて、押水の唇を注目する。

 ば……と……ぼ……る……と……る……い。

 バット、ボール、盗塁。野球の話だな。確か、今の体育は選択授業で、野球とサッカーだったはず。
 押水のクラスの体育は確か……三時間目だったか。

「……三時間目の体育のことを話しているみたいだな」
「なんで分かるんですか!」
「唇の動きから推察したまでだ。ここから見える範囲に限るが」

 推察と答えたのは、知らない単語を使われれば理解できない為だ。
 時々、何を言っているのか分からない言葉がある。きっとくだらないことだろう。

「なんすか、その地味じみに凄いですけど、使いどころがあまりない中途半端ちゅうとはんぱな能力は。地獄耳のほうが先輩にあっているような気がします」
「お前の口は毒舌だけどな」
「それより、何をしゃべっているんですか?」

 伊藤が俺の肩に手を置き、のしかかってくる。ふんわりと甘い匂いが鼻につく。
 注意したかったが、集中しないと話の内容が分からない為、放置することにした。

「……ねこ」
「はい?」
「三毛猫がいるぞ」

 伊藤に分かるよう、三毛猫のいる方向を指差す。三毛猫は女子に抱えられていた。迷い込んだのだろうか。
 三毛猫の周りに、みんなが集まってくる。

「三毛猫、可愛いですよね」
「だからって、あんな大勢に囲まれたら怯えるだろ」

 三毛猫は女の子達になすがまま触られていた。 三毛猫をぎゅっと抱きしめているのは生徒会長か?

「生徒会長、猫が大好きなんですよ。ちなみに蜘蛛くもが苦手です。部室に蜘蛛飼いますか?」
「必要ない」
「厄除けになりますよ?」
「そんなものがなくても次は負けん」

 力強く断言すると、伊藤に苦笑されてしまった。

「負けず嫌いですね、先輩。あっ! 今、股間を触りましたよ! こか……いたたたたた!」
「女の子がはしたないことを口にするな」
「先輩は私のパパか!」

 頭をぽかぽかと叩いてくる伊藤をアイアンクローで黙らせる。伊藤は必死にタップしているが、もちろん無視する。
 三毛猫はぼろぼろになって、その場から離れていった。女子達はご満悦まんえつしたようでとびきりの笑顔だ。
 三毛猫が横切ったとき、にゃ~と力のない声で鳴いた。
 まるで、あいつらをどうにかしろと言われているみたいでたたまれなくなった。
 押水の観察を続ける。伊藤へのアイアンクロ―はここで勘弁かんべんしてやった。

「次は弁当の食べ比べか?」

 押水を中心に女子が作ってきた弁当が並ぶ。和洋中わようちゅう、色とりどりの料理が並んでいる様はちょっとしたパーティのようだ。
 あの弁当が全て押水の為に作られているのだと思うと羨ましい限りだ。
 料理に自信がないのだろうか、一人不安そうに押水を見つめている女子がいる。押水はその子の様子に気づいたのか、あえてその女の子の弁当から食べた。
 ああいうところが、モテる理由なのだろうか? それでも、周りにいるのが全て女子なのはマイナスだと思うのだが。
 弁当の味は、押水の笑顔を見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだ。会話もはずみ、なごやかな雰囲気になる。
 問題なさそうだな。少し安心していた。よくよく考えれば、そうそう問題が起こるはずもない。
 女子があ~んと料理を箸にのせ、押水に食べさせようとしている。押水がテレながらも大きく口を開け、料理を食べた瞬間。

「きぇえええええええええええええええええええええええええええええええ!」

 押水がいきなり奇声きせいをあげ、倒れた。
 場が一気に凍りつく。
 俺も凍りつく。事態の急展開についていけない。
 まさか……。

「ちょっと、先輩。どこに行くんですか? 今、出て行ったらバレちゃいますよ」
「あれはヤバい。見ろ、押水の口から泡が出ている。毒殺かもしれん」

 ついにやっちまったか。嫉妬した女子による押水への報復。
 容疑者はあの二十四人のうちの誰か。押水に飯を食わせたヤツか? いや、あの弁当の中から無造作におかずをとったはず。だったら、弁当を作ってきたヤツか?
 とにかく、犯人が逃げないよう現場を押さえなければ。

「先輩、マジぼけはいいですから」
「俺がふざけているように見えるか?」
「いや、先輩はあれは……ああっ~、そっか。先輩、あれもお約束なんです」

 伊藤は目を丸くしているが、すぐに何かに思い当たり、
俺の行動を制した。

「お約束だと?」
「はい。あの、あ~んを要求した人、壊滅的かいめつてきに料理が下手な人ですね。料理の見た目は綺麗なんですけど、味はこの世とも思えないほど不味まずいらしいです。彼、和やかな雰囲気に油断していましたね」

 そうか……あれは料理が怪奇的に不味くて起きた現象か……。
 んなわけねえだろ!

「いや、おかしいだろ? 料理を食って顔が青ざめて、泡を吹いて、白目をむいているんだぞ。毒でなくて、なんだって言うんだ? 普通に料理を作って、人をあそこまで苦しめる事が出来る料理なんてあるのか?」
「えっ、いや……その……ほ、ほら、見てください!」

 俺は伊藤が指さした方向を見る。
 場は一気にカオスになっている。犯人を糾弾きゅうだんする者、大笑いする者、人工呼吸しようとする者等いるが、実際は誰も押水を助けず、押水は痙攣けいれんしたままだ。助けてやれよ、おい。
 生徒会長が手を叩き、注目を集める。みんなに軽く説教してから、女子に指示をする。まるで大奥おおおく総取締そうとりしまりだ。
 この光景にドン引きしてしまう。
 押水姉は、痙攣する押水に何かを飲ませている。

「あれは何ですかね?」
「塩を溶かした大量の茶じゃないか? 毒を中和しているのかもしれん」
「変な知識だけはあるんですね」
「……」

 応急処置が終わった後、押水は幼馴染の一人、大島さとみにおんぶされ、屋上を出ていこうとする。

「先輩、どうします?」
「俺達も保健室にいく。押水の容体が気になるからな」

 保健室へ先回りする為、すぐさまここから離れた。



 保健室は一階にあるので、校舎の外に出て、窓から様子を確認することにした。校舎の奥にあるので他の生徒に見られることはない。
 しばらくして。

「失礼します」

 押水を背負った大島が入ってきた。

「どうかしたのかしら?」
「腹痛の生徒がいるのでつれてきま……」

 大島が絶句している。
 なんだ?
 養護教諭ようごきょうゆ(保険の先生)を見てみると、絶句した理由が分かる。
 ボンテージに白衣の姿はとても先生には見えない。足も胸元をあますことなく露出している。体のラインがハッキリわかってしまう服装に、俺は眉をひそめる。
 この色気は男子生徒には目の毒ではないのだろうか。教師が風紀を乱すような事はやめてほしい。迷惑だ。
 この学校、もとい学園は問題教師が続出しているな。PTAや教育委員会は何をやっているんだ?

「先輩も気になります?」

 伊藤のにやついた顔に眉をひそめる。

「あほか。あの養護教諭、よく採用されたな」
色仕掛いろじかけで採用されたんじゃないですか?」
「……」

 そうでないと信じたい。信じていいんだよな? そう問いかけるがもちろん誰も答えてはくれない。
 考えても仕方ないので、大島と養護教諭の会話に集中する。

「病人ってことでいいのかしら?」
「は、はい」
「じゃあ、そこのベットに寝かせて。診察するわ」
「診察ですか?」

 あの格好でベットに誘導しているのだから、大島が戸惑う気持ちはよく分かる。
 そんな大島に養護教諭は一言告げた。

「気絶してるじゃない。ただの腹痛ではないでしょ?」
「ですよね」

 大島は申し訳なさそうにベットに押水をおろす。こうなった原因が弁当を食べたからとは言いにくいのだろう。
 
「後はこっちで対処するから帰っていいわよ」
「え? でも」
「ここは保健室よ。騒がしくしたら迷惑になるでしょ」
「……分かりました。お願いします」

 大島は渋々しぶしぶ出ていった。大島が去ってからしばらくして、養護教諭の様子が変化した。

「さてと、邪魔者は消えたところで」

 舌舐したなめずりしながら押水えものに近づく養護教諭。その姿はまるでハンターみたいだ。
 ここでようやく押水は目覚めた。

「あれ? ここは?」
「ようこそ、楽園パラダイスへ」

 養護教諭は腕を組み、仁王立におうだちして押水を見下ろしている。押水は養護教諭の目つきに尋常じんじょうではないものを感じているみたいだ。

「楽にしたまえ。天井のシミを数えているうちに終わるわ」
「何が終わるんですか!」
「学園一のタラシがどの程度のものか、見極めさせていただきます」
「ちょっと! 腹痛で動けない、いたいけな生徒に何をするつもりだ! い、いや~ん」

 これも、茶番の続きか? そうだとしても、ほおっておくわけにはいかないか。止めに入ろうとするが、伊藤が俺の袖を掴む。

駄目だめです、先輩」
「何が駄目なんだ。押水を退学にするチャンスだが、見過ごせないだろ」
「いえ、これからが面白くなるんじゃないですか。サービスシーンですし」
「……」

 無言で伊藤ののど地獄突じごくつきをお見舞みまいする。苦しんでいる伊藤を無視して、窓から侵入せずに保健室のドアから中に入った。
 保健室の中では、想像していたものと違い、二人の女子生徒が養護教諭の左右の腕を掴んでいる。
 二人の女子生徒と目が合った。

「こんにちは、藤堂ふじどう先輩」
「藤堂先輩、どうかされまして?」
上春うえはるに黒井か。ここで問題が発生したと聞いてな。二人はどうしてここに?」

 同じ風紀委員の後輩がタイミングよく現場にいたことに驚きを隠せない。
 上春が俺の疑問に答えてくれた。

「養護教諭をマークしていたんです」
「マーク?」
「はい。養護教諭はその……手の早い女性でして、問題にならないよう見張っていたらあんじょう……」

 顔を真っ赤にしている上春を見て、この養護教諭がどんな性格かこれではっきりとした。頬を赤くして説明しようとする上春の言葉を止める。

「ああ、分かった。すまないな」
「いえ……」
「さて、養護教諭。何をしようとしていたのか、説明していただけますこと?」
「ちっ!」

 おいおい、教師が生徒に向かって舌打ちしたぞ。黒井のヤツ、笑顔が凍り付いている。
 養護教諭が俺の顔を見て、舌舐めずりする。

「あなた、お名前は?」
「藤堂です。黒井の質問に答えてください」
「いい男ね。押水君と藤堂君。若いつばめ達をつまみぐいもよし、交わらせるもよしだわ。受けは強気な藤堂君。普段は強気なんだけど責められるとなすがされるままで……ああ、創造の翼が楽園へと羽ばたいてゆく」

 養護教諭の目つきに、俺は寒気を感じた。養護教諭は流し目で俺の瞳を見つめている。

「やはり、私が美味しくいただくべきだわ。でも、どっちをとるか問題ね。二兎にとを追う者は一兎いっとをも得ず。一人はああ……残念だけど燕返しだわ。ふふっ、残りの男の子に燕返しされちゃって……」
「黒井さん、どうします?」
「連れていくしかありませんわね」
「夢がどんどん膨らむわ。まるで宮本武蔵を待ち続ける佐々木小次郎のよう。彼もこんな気持ちで待ち続けていたのかしら……って、ちょ、ちょっと!」

 養護教諭は風紀委員に連行されていった。ベットに視線を向けると、押水がいない。
 押水はそそくさと帰ろうとしていた。

「おい、待て」
「え、えっと、あなたは誰ですか?」
「風紀委員の藤堂だ。保健室に来たのはどこか悪いんだろ? 先生はいないが、俺が代わりに手当て出来る。どうだ?」

 ついでにお前の手癖の悪さも治してやるがどうだ、と言ってやりたかった。押水は俺から視線をそらし、うつむく。

遠慮えんりょします」

 押水はしっかりとした足取りで帰っていった。その後姿を俺はじっと睨みつけた。
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