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二十章 光り輝く明日へ
二十話 光り輝く明日へ その四
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「Fack yourself……」
エイビナスは憤怒していた。
耳障りな観客の声と右拳の痛みに。一番腹が立つのが何度殴っても立ち向かってくる間藤だ。
ダウンしてもすぐに立ち上がり、応戦してくる。
これではまるで、自分の拳の威力が低いと思われてしまう。格下相手にとんだ恥さらしだ。
エイビナスの苛立ちがどんどん積もっていく。その焦りが間藤の活路を開くきっかけとなっていく。
「誰が予測したでしょうか? 残り後二ラウンド。間藤選手はまだ、リングに立っています。逆転はあるのでしょうか?」
間藤は確かに奮闘している。
だが、エイビナスを倒したのは第七ラウンドの一回のみ。ポイントは完全にエイビナスが上だ。
間藤の顔は更に腫れ上がり、瞼も切って血が流れている。セコンドが止血しているが、それもすぐに傷口が開いて悪化するだろう。
間藤は足下がふらつき、押せば倒れそうだ。それでも、間藤の目は全く衰えていない。
エイビナスに関しては、右拳の痛みも麻痺し、徐々に本来の動きを取り戻している。
エイビナスの左ジャブとストレートは間藤の体力を確実に削っていた。
エイビナスは目を血走らせ、一気に間藤を倒しにいく。
エイビナスの左右のジャブやストレートに、間藤はガードしながらロープ際まで追い込まれていた。
「あっ! 危ない! そこから逃げて!」
「いや、うまい……」
悲壮な顔でテレビに向かって避けぶ戸倉。
ジャックは逆に感心していた。
間藤のロープの使い方が上手いのだ。
一件、エイビナスは間藤をロープに追い込み、ラッシュしているようにも見えるが、間藤はロープの反動を使い、体を沈め、パンチをいなしている。
直撃を回避し、あわよくば体を入れ替えようとしている動きを見せるので、エイビナスも迂闊に攻め込めない。
そのせいで体の回転が鈍くなり、腰の入ったパンチが打てない。
それならばとエイビナスは足を使って、間藤の側面に回り、左右のパンチの連打で間藤を押し込むようにコーナーまで押し込んだ。
エイビナスは回数重視の狙いを定めない連打で間藤をコーナーに釘漬けにする。
狙いはKOではなく、レフリーストップだ。
「あれって不味くない?」
「……」
戸倉の嘆きに、ジャックは黙ったまま、試合を見守る。
ジャックは元プロでも、新人王になっただけの実力だ。世界レベルの駆け引きなど、理解の範疇を超えている。
それでも……。
――何かある……。
そう期待せずにはいられない。
ガードの上からも殴り続けるエイビナスに、間藤の体が浮き、リングに食い込んでいく。
このままだと、セコンドにタオルを投げられるか、レフリーにストップをかけられるかどちらかだ。
「あっ!」
ジャックは思わず声を上げた。最悪の事態だ。
戸倉は不安げにジャックに尋ねる。
「ど、どうしたの?」
「間藤選手の左目すぐ上の傷口が完全に開ききった! 血で視界が塞がる」
ジャックの説明に、戸倉は青ざめた。右目の皮膚は腫れ上がって視界を遮り、左目は流血で視界を塞がれる。
これではもう、戦えない。万事休すだ。
レフリーが止めに入ろうとしたとき、間藤のガードがついに崩れる。
「Go to hell!」
エイビナスは渾身の右拳を間藤の顔面目掛けて放つ。
間藤は目を見開き、エイビナスの右ストレートに合わせて左ガードをあげ、肘をエイビナスの右拳に向ける。
エイビナスは目を大きく見開き、右ストレートを無理矢理止め、後ろに引く。その反動を利用して、今度は左ストレートを放った。
間藤はうっすらと開いている目にエイビナスの動きを見据える。間藤の右ストレートがエイビナスの右に合わせて飛び込んでいく。
クロスカウンターだ。
エイビナスはすぐさま、右に首をまた横に振る。そして、エイビナスの右拳が間藤の顔面に吸い込まれ……。
――ダメだ! 二の舞だ!
ジャックは心の中で叫んだが、その瞬間、息が止まった。
ジャックだけでなく、会場にいた観客も、戸倉も、目を大きく見開き、見入っていた。誰も声を上げなかった。
エイビナスが……チャンピオンがマットに沈んだのだ。
「……ダウン! エイビナス、ダウンです! 起死回生の一撃が入りました!」
そう、ダウンしたのはエイビナスだ。
エイビナスのクロスカウンターが決まったと思った瞬間、間藤の左フックがエイビナスのテンプルに突き刺さったのだ。
ライトクロスカウンター。
間藤はクロスカウンターにいくと見せかけて、左肩を大きく引き戻し、右肩を押し込むようにして右フックを放ったのだ。
エイビナスは右に首を振ったため、自分からモロに、しかも死角からパンチをもらってしまったのだ。
殴られる、そう覚悟していればパンチを受けても予定調和なので意識を保っていられるが、見えない場所からありえないタイミングで殴られると、何の心構えもないので同じパンチでもダメージが大きくなるのだ。
まさに起死回生の一発。
信じられない。それがジャックの感想だった。
両目が塞がれたような状態で、どうして、あのカウンターを打てたのか? この右フックは偶然当たったのか?
――いや、違う……布石があったんだ……まさか、この一撃のために……仕込んでいたのか!
パンチを打たれ続け、最後にわざとガードを開けたこと。右エルボーブロック。クロスカウンターの失敗。
これらは全てこのときのために、この一撃のため費やした間藤のトラップだったのだ。
エイビナスはトドメの一撃で右ストレートを放った。
エイビナスのフィニッシュブローは右ストレートだと、間藤は何度も打たれて、その角度も体で覚えてから、わざとガードを開けて、誘ったのだ。
エイビナスはあえて誘いに乗って右ストレートを放った。
そこで間藤は第一の矢、右エルボーブロックを仕掛けた。エイビナスは右エルボーブロックで右拳が骨折し、激痛に襲われた。
だから、右拳を引っ込め、左ストレートに変更した。
間藤は第二の矢、クロスカウンターを準備した。
エイビナスは思ったはずだ。間藤のクロスカウンターなど恐るるに足らずと。
一度、打ち勝っている自信が、今まで圧倒的に試合を進めてきた慢心がエイビナスの注意をわずかにおろそかにさせた。
間藤は知っていた。クロスカウンターを放った場合、エイビナスは右に首を傾けることを。
ここで最終の本命の矢、右のフックのおでましだ。
エイビナスの注意を間藤の左拳に向けさせ、右肩を引きながらエイビナスの死角から左フックを放ち、エイビナスのこめかみにたたき込んだのだ。
エイビナスは自分から首を動かしてしまっていたので、間藤の左フックに当たりにいってしまったのだ。
これが間藤の仕掛けた罠。逆転への道のり。勝利の方程式。
ただのカウンターではエイビナスに上をいかれてしまう。だから、三段階の罠を仕込み、ライトクロスカウンターに全てを賭けていたのだ。
たった一撃のためにその身を捧げ、傷つけ、ボロボロになり、まともに見えなくなるまで耐えて、耐えて、耐え抜いた間藤の辛抱強さにジャックは心の底から感嘆していた。
はっきり言ってしまえば、大博打だろう。大穴がきたといっても過言ではない。
もし、罠が発動する前に間藤が力尽きたら……。
もし、レフリーがストップをかけていたら……。
もし、拳を振るうタイミングが失敗し、逆にカウンターをもらってしまったら……。
もし、エイビナスが間藤の罠に飛び込んでこなかったら……。
何かが一つでも失敗していたらこの結果にはたどり着けなかっただろう。それほどの奇跡を間藤は実行したのだ。
――見事。
これしか思いつく言葉はなかった。
間藤の逆転勝利だ。エイビナスは痙攣し、立ち上げれない。
モロに拳が急所に死角からたたき込まれたのだ。セコンドがリングに上がり、エイビナスに近寄る。
終わった……と思ったが。
「ああっと! ゴング! ゴングが鳴っていました! このダウンは無効です!」
「おおぅ……」
ジャックはうめき声をあげながら後ろに倒れ、椅子に深く座り込む。いつの間にか立ち上がっていたようだ。そんなことすら気づかなかった。
ジャックは大きく息をはき、二人の勝負を思い返す。
間藤とエイビナスの間にどれだけの駆け引きがあったのか、それを見極めるだけでも目が痛くなり、疲労が押し寄せる。
肩や拳の位置、視線でフェイクを混ぜながらジャブをうつかと思えば、力で押し切ろうとすることもある。
力押しでさえ、ときまたフェイクを入れ、狙う場所を変更している。
ジャブを打つ拳を不定期に揺らし、打つタイミングと狙いを絞らせない。
体をふったり、逆にじっとすることでお前の攻撃を避けてやるぞといったディフェンス。
それらが間藤とエイビナスとの間で、要所要所で絶妙なタイミングで見られた。
タイトルマッチというプレッシャーの中で、よくもあれだけお互い化かし合いが出来るのかと、ジャックは関心されられた。
「今のおしかったね! もう少し早ければ、KOできたのに」
戸倉は悔しそうに言葉を漏らすが、顔は笑みを浮かべている。ジャックも頷いてみせた。
エイビナスは相手を出し抜いたと思い、勝ったと思っていたはずだ。だが、逆に上をいかれ、カウンターを無防備にくらってしまった。
セコンドが慌てて、エイビナスを両サイドから肩を抱くようにしてコーナーに戻っていったときは誰もが戸倉と同じ事を考えただろう。
たかが一撃で負けるのかって思う人もいるだろうが、ここらへんは実際にボクシングをやってみないと分からない感覚だろう。
テンプルに綺麗に、理想の角度でパンチが入ったとき、頭がぼやっとして、空に浮かんでいるかのようにふわふわした感覚で思考が定まらず、初めて経験したときはこれヤバイって思えるほど、脳へのダメージは大きいのだ。
もちろん、立っていられず、意識はあるが、体が動かせない状態になる。
エイビナスはこの一分でダメージから回復できるのか? 間藤は瀕死の体でどこまで動けるのか?
お互い、限界を迎えている。ここからは精神力が勝敗のカギとなるだろう。
「そうっすね。次が泣いても笑っても最終ラウンド……間藤選手にはもう、KOで勝つしか道はないけど、期待はできると思います」
ジャックはもう、試合の行方は全くわらかなかった。神のみぞ知るといったところだろう。
「よし! 応援しよう! 僕達の応援はきっと、間藤選手に届くよ」
「ですね」
最終ラウンド。どんなドラマが待っているのか。
最初はエイビナスが勝利するとジャックは確信していた。ボクシングを少しでもかじった者なら、誰もがその予想をしていたはずだ。
実力差からくる絶望感。絶対に成功しない挑戦。
間藤は何も出来ないまま、何も残せないまま、無様にエイビナスにねじ伏せられる。
それが現実だと諦めていた。
だが、今は違う。期待してしまうのだ。
殴られても殴られても前へ進み、何度倒れても立ち上がる不屈の男、間藤。
この試合を見ている全ての日本人が彼に期待している。その期待に間藤は応えることが出来るのか?
願わくは、戸倉と一緒に勝利の乾杯をしたいとジャックは切に願っている。
しかし、誰もが予測できなかったあまりにも残酷な未来が待っていた。
エイビナスは憤怒していた。
耳障りな観客の声と右拳の痛みに。一番腹が立つのが何度殴っても立ち向かってくる間藤だ。
ダウンしてもすぐに立ち上がり、応戦してくる。
これではまるで、自分の拳の威力が低いと思われてしまう。格下相手にとんだ恥さらしだ。
エイビナスの苛立ちがどんどん積もっていく。その焦りが間藤の活路を開くきっかけとなっていく。
「誰が予測したでしょうか? 残り後二ラウンド。間藤選手はまだ、リングに立っています。逆転はあるのでしょうか?」
間藤は確かに奮闘している。
だが、エイビナスを倒したのは第七ラウンドの一回のみ。ポイントは完全にエイビナスが上だ。
間藤の顔は更に腫れ上がり、瞼も切って血が流れている。セコンドが止血しているが、それもすぐに傷口が開いて悪化するだろう。
間藤は足下がふらつき、押せば倒れそうだ。それでも、間藤の目は全く衰えていない。
エイビナスに関しては、右拳の痛みも麻痺し、徐々に本来の動きを取り戻している。
エイビナスの左ジャブとストレートは間藤の体力を確実に削っていた。
エイビナスは目を血走らせ、一気に間藤を倒しにいく。
エイビナスの左右のジャブやストレートに、間藤はガードしながらロープ際まで追い込まれていた。
「あっ! 危ない! そこから逃げて!」
「いや、うまい……」
悲壮な顔でテレビに向かって避けぶ戸倉。
ジャックは逆に感心していた。
間藤のロープの使い方が上手いのだ。
一件、エイビナスは間藤をロープに追い込み、ラッシュしているようにも見えるが、間藤はロープの反動を使い、体を沈め、パンチをいなしている。
直撃を回避し、あわよくば体を入れ替えようとしている動きを見せるので、エイビナスも迂闊に攻め込めない。
そのせいで体の回転が鈍くなり、腰の入ったパンチが打てない。
それならばとエイビナスは足を使って、間藤の側面に回り、左右のパンチの連打で間藤を押し込むようにコーナーまで押し込んだ。
エイビナスは回数重視の狙いを定めない連打で間藤をコーナーに釘漬けにする。
狙いはKOではなく、レフリーストップだ。
「あれって不味くない?」
「……」
戸倉の嘆きに、ジャックは黙ったまま、試合を見守る。
ジャックは元プロでも、新人王になっただけの実力だ。世界レベルの駆け引きなど、理解の範疇を超えている。
それでも……。
――何かある……。
そう期待せずにはいられない。
ガードの上からも殴り続けるエイビナスに、間藤の体が浮き、リングに食い込んでいく。
このままだと、セコンドにタオルを投げられるか、レフリーにストップをかけられるかどちらかだ。
「あっ!」
ジャックは思わず声を上げた。最悪の事態だ。
戸倉は不安げにジャックに尋ねる。
「ど、どうしたの?」
「間藤選手の左目すぐ上の傷口が完全に開ききった! 血で視界が塞がる」
ジャックの説明に、戸倉は青ざめた。右目の皮膚は腫れ上がって視界を遮り、左目は流血で視界を塞がれる。
これではもう、戦えない。万事休すだ。
レフリーが止めに入ろうとしたとき、間藤のガードがついに崩れる。
「Go to hell!」
エイビナスは渾身の右拳を間藤の顔面目掛けて放つ。
間藤は目を見開き、エイビナスの右ストレートに合わせて左ガードをあげ、肘をエイビナスの右拳に向ける。
エイビナスは目を大きく見開き、右ストレートを無理矢理止め、後ろに引く。その反動を利用して、今度は左ストレートを放った。
間藤はうっすらと開いている目にエイビナスの動きを見据える。間藤の右ストレートがエイビナスの右に合わせて飛び込んでいく。
クロスカウンターだ。
エイビナスはすぐさま、右に首をまた横に振る。そして、エイビナスの右拳が間藤の顔面に吸い込まれ……。
――ダメだ! 二の舞だ!
ジャックは心の中で叫んだが、その瞬間、息が止まった。
ジャックだけでなく、会場にいた観客も、戸倉も、目を大きく見開き、見入っていた。誰も声を上げなかった。
エイビナスが……チャンピオンがマットに沈んだのだ。
「……ダウン! エイビナス、ダウンです! 起死回生の一撃が入りました!」
そう、ダウンしたのはエイビナスだ。
エイビナスのクロスカウンターが決まったと思った瞬間、間藤の左フックがエイビナスのテンプルに突き刺さったのだ。
ライトクロスカウンター。
間藤はクロスカウンターにいくと見せかけて、左肩を大きく引き戻し、右肩を押し込むようにして右フックを放ったのだ。
エイビナスは右に首を振ったため、自分からモロに、しかも死角からパンチをもらってしまったのだ。
殴られる、そう覚悟していればパンチを受けても予定調和なので意識を保っていられるが、見えない場所からありえないタイミングで殴られると、何の心構えもないので同じパンチでもダメージが大きくなるのだ。
まさに起死回生の一発。
信じられない。それがジャックの感想だった。
両目が塞がれたような状態で、どうして、あのカウンターを打てたのか? この右フックは偶然当たったのか?
――いや、違う……布石があったんだ……まさか、この一撃のために……仕込んでいたのか!
パンチを打たれ続け、最後にわざとガードを開けたこと。右エルボーブロック。クロスカウンターの失敗。
これらは全てこのときのために、この一撃のため費やした間藤のトラップだったのだ。
エイビナスはトドメの一撃で右ストレートを放った。
エイビナスのフィニッシュブローは右ストレートだと、間藤は何度も打たれて、その角度も体で覚えてから、わざとガードを開けて、誘ったのだ。
エイビナスはあえて誘いに乗って右ストレートを放った。
そこで間藤は第一の矢、右エルボーブロックを仕掛けた。エイビナスは右エルボーブロックで右拳が骨折し、激痛に襲われた。
だから、右拳を引っ込め、左ストレートに変更した。
間藤は第二の矢、クロスカウンターを準備した。
エイビナスは思ったはずだ。間藤のクロスカウンターなど恐るるに足らずと。
一度、打ち勝っている自信が、今まで圧倒的に試合を進めてきた慢心がエイビナスの注意をわずかにおろそかにさせた。
間藤は知っていた。クロスカウンターを放った場合、エイビナスは右に首を傾けることを。
ここで最終の本命の矢、右のフックのおでましだ。
エイビナスの注意を間藤の左拳に向けさせ、右肩を引きながらエイビナスの死角から左フックを放ち、エイビナスのこめかみにたたき込んだのだ。
エイビナスは自分から首を動かしてしまっていたので、間藤の左フックに当たりにいってしまったのだ。
これが間藤の仕掛けた罠。逆転への道のり。勝利の方程式。
ただのカウンターではエイビナスに上をいかれてしまう。だから、三段階の罠を仕込み、ライトクロスカウンターに全てを賭けていたのだ。
たった一撃のためにその身を捧げ、傷つけ、ボロボロになり、まともに見えなくなるまで耐えて、耐えて、耐え抜いた間藤の辛抱強さにジャックは心の底から感嘆していた。
はっきり言ってしまえば、大博打だろう。大穴がきたといっても過言ではない。
もし、罠が発動する前に間藤が力尽きたら……。
もし、レフリーがストップをかけていたら……。
もし、拳を振るうタイミングが失敗し、逆にカウンターをもらってしまったら……。
もし、エイビナスが間藤の罠に飛び込んでこなかったら……。
何かが一つでも失敗していたらこの結果にはたどり着けなかっただろう。それほどの奇跡を間藤は実行したのだ。
――見事。
これしか思いつく言葉はなかった。
間藤の逆転勝利だ。エイビナスは痙攣し、立ち上げれない。
モロに拳が急所に死角からたたき込まれたのだ。セコンドがリングに上がり、エイビナスに近寄る。
終わった……と思ったが。
「ああっと! ゴング! ゴングが鳴っていました! このダウンは無効です!」
「おおぅ……」
ジャックはうめき声をあげながら後ろに倒れ、椅子に深く座り込む。いつの間にか立ち上がっていたようだ。そんなことすら気づかなかった。
ジャックは大きく息をはき、二人の勝負を思い返す。
間藤とエイビナスの間にどれだけの駆け引きがあったのか、それを見極めるだけでも目が痛くなり、疲労が押し寄せる。
肩や拳の位置、視線でフェイクを混ぜながらジャブをうつかと思えば、力で押し切ろうとすることもある。
力押しでさえ、ときまたフェイクを入れ、狙う場所を変更している。
ジャブを打つ拳を不定期に揺らし、打つタイミングと狙いを絞らせない。
体をふったり、逆にじっとすることでお前の攻撃を避けてやるぞといったディフェンス。
それらが間藤とエイビナスとの間で、要所要所で絶妙なタイミングで見られた。
タイトルマッチというプレッシャーの中で、よくもあれだけお互い化かし合いが出来るのかと、ジャックは関心されられた。
「今のおしかったね! もう少し早ければ、KOできたのに」
戸倉は悔しそうに言葉を漏らすが、顔は笑みを浮かべている。ジャックも頷いてみせた。
エイビナスは相手を出し抜いたと思い、勝ったと思っていたはずだ。だが、逆に上をいかれ、カウンターを無防備にくらってしまった。
セコンドが慌てて、エイビナスを両サイドから肩を抱くようにしてコーナーに戻っていったときは誰もが戸倉と同じ事を考えただろう。
たかが一撃で負けるのかって思う人もいるだろうが、ここらへんは実際にボクシングをやってみないと分からない感覚だろう。
テンプルに綺麗に、理想の角度でパンチが入ったとき、頭がぼやっとして、空に浮かんでいるかのようにふわふわした感覚で思考が定まらず、初めて経験したときはこれヤバイって思えるほど、脳へのダメージは大きいのだ。
もちろん、立っていられず、意識はあるが、体が動かせない状態になる。
エイビナスはこの一分でダメージから回復できるのか? 間藤は瀕死の体でどこまで動けるのか?
お互い、限界を迎えている。ここからは精神力が勝敗のカギとなるだろう。
「そうっすね。次が泣いても笑っても最終ラウンド……間藤選手にはもう、KOで勝つしか道はないけど、期待はできると思います」
ジャックはもう、試合の行方は全くわらかなかった。神のみぞ知るといったところだろう。
「よし! 応援しよう! 僕達の応援はきっと、間藤選手に届くよ」
「ですね」
最終ラウンド。どんなドラマが待っているのか。
最初はエイビナスが勝利するとジャックは確信していた。ボクシングを少しでもかじった者なら、誰もがその予想をしていたはずだ。
実力差からくる絶望感。絶対に成功しない挑戦。
間藤は何も出来ないまま、何も残せないまま、無様にエイビナスにねじ伏せられる。
それが現実だと諦めていた。
だが、今は違う。期待してしまうのだ。
殴られても殴られても前へ進み、何度倒れても立ち上がる不屈の男、間藤。
この試合を見ている全ての日本人が彼に期待している。その期待に間藤は応えることが出来るのか?
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