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十七章 尊い明日の為に

十七話 尊い明日の為に その四

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 ――戦えなくなるか……。

 ジャックはエリンの言いたいことが痛いほど分かった。
 この世界はあまりにもリアル過ぎた。壮絶な死に顔も、人を殴る感覚も、血の臭いも、頭蓋事が割れる音も……。
 たった一つ、凶器で肉を切られる痛みや殴られる痛みはシステムで調整できるので、それだけが救いだが、NPCも同じようにカットされているのかは不明だ。
 いや、彼らの壮絶な死に顔から見て、痛みはそのままなのだろう。
 だからこそ、胸が痛むのだ。

 仮想世界が全て作りモノの偽物の世界だとしても、そこで感じる感情は本物だ。
 だからこそ、割り切らないと人を殺したときの罪悪感、NPCや仲間を護れなかった後悔に押しつぶされそうになるのだ。
 それでも、ジャックは自分が感じたモノに素直でいたかった。それは先ほどのムサシ達のやりとりで痛感していた。

 ジャックはただ黙り込むことしか出来なかった。
 自分から正義の為に立ち上がろうとムサシに意見したのに、エリンに現実を指摘されただけで、主張が鈍る。なんと情けないことか。

 それでも、違うと思ったのなら、考えなければならないとジャックは感じていたのだ。
 曖昧にはできない。戦う理由を、信念をハッキリとさせておきたい。
 だが、答えが見つからず、ジャックは苦しんでいた。
 リリアンは悩むジャックにかける言葉がなく、沈黙が続いている。
 ただ、時間だけが過ぎていく……はずだった。

 くぅう~~~~。

 小さなお腹の虫が鳴く音がした。リリアンのお腹からだった。

「ううっ……ごめんね、ジャック。こんなときにお腹の虫がなっちゃって」
「……ううん、いいよ。そういえば、朝から何も食べてないよね? 少し遅いけど、ご飯にしよっか」

 ジャックはリリアンを手招きし、ポーチからクッキーを取り出した。リリアンは嬉しそうにクッキーを受け取ると、もぐもぐと食べ始める。
 ジャックはポーチからお弁当を取り出す。片目を失い、右手が失っても、お腹はすく。
 それどころではないとは思うのだが、ジャックはこの世界で生きていくために、明日への活路を得るために、無理矢理食べる事にした。

 ジャックの取り出した弁当は宿屋の亭主、マーレスから特別に作ってもらったものだ。
 スパイデーを倒してくれたお礼として、旅立つジャックに餞別せんべつとして腕によりをかけて作ってくれたのだ。

 お弁当の中身を見てみると、色鮮やかなおかずが並んでいる。特に鶏肉がいっぱい入っていた。
 マーレスに聞いたのだが、肉はそうそうとれるものではないとのこと。スパイデーのこともあって、更に肉は貴重な食料だ。
 ジャック達がカースルクームに初めて来て、酒場で食べた料理に肉はあったが、それはたまたま冒険者がクエストで羊の肉を納品してくれたので、ジャック達は偶然ご馳走にありつけただけらしい。
 次の日は野菜のクズや木の実がメインとなっていた。

 今度のお弁当は狩猟で生計を立てているマテオが頑張って肉を準備してくれたのだ。
 ジャックは一口、鳥の蒸した肉を口にする。ジャックの住む世界の肉と違って、固くて味けがない。それでも……。

「美味しい……」

 ジャックのために頑張って用意してくれたお肉なのだ。美味しくないわけがなかった。

「ジャック……元気出して。泣かないで」

 リリアンが同じく泣きそうな顔でジャックに呼びかける。ジャックは気がつくと泣いていた。

 夕日が丘に沈もうとしている。今日も一日が終わろうとしていた。
 夕日の日差しがアレンバシルの大地を照らし、赤に近い橙色の光が川に反射して、キラキラと光っている。
 鳥の鳴き声が遠くの空から響き、美しい緑はオレンジに染まり、風がささやくようにジャックとリリアンを包み込み、アレンバシルの大地は静かに夜の訪れを待っている。
 ビルや車、ネオンといった人工物は存在せず、ただ美しい自然がジャックの目の前に広がっていた。

 ジャックは思う。
 ここはこんなにも美しい世界なのに、悲しみと悪意に満ちている。
 そして、もう二度と作ってもらえない料理がジャックの心を締め付けていた。
 それがせつなくて、ジャックの目から涙が溢れてくるのだ。

「ごめん……目にゴミが入っちゃって」

 今日一日でジャックは何度も悔し涙を流し、枯れていたと思っていた涙がまた頬を伝って地面にこぼれ落ちていく。
 生きていくことは辛いけど、尊くて貴重なものだと、ジャックは思い知らされた。
 現実の世界で普通に生きていれば、絶対に気づかなかっただろう。
 ジャックは弁当を食べる手を止めた。

「ジャック?」
「僕……行ってくるよ」

 ジャックは弁当を大事に抱え、ゲルト達を追いかけていった。



「待って! ちょっと待って!」

 ジャックはゲルト達に追いつく。アノークとリラはこわばった顔で抱き付き合い、ゲルトは眉をひそめていた。
 オオカミに襲われた後だと、また何かあったのではないかと三人は警戒してしまう。
 ジャックは三人を怖がらせないよう、距離をとり、左手でお弁当箱を差し出す。

「これ、食べて。美味しいから。あっ、少しだけ食べちゃたけど、まだいっぱい残っているから」

 ジャックは肉を噛みしめたとき、もっと食べたいと思った。生きる気力がわいてきたのだ。
 それならば、必要な人にも分けてあげたいとジャックは考えた。
 生き残った二人の為に……たとえ、明日に希望がなくても、絶望が待っていたとしても、ジャックは二人に生きていて欲しかった。

 こんなことをしても、たったの一食分しかお腹を満たせない。これから先の生活の足しにはならない。
 それはエリンの言葉で痛いほど分かっている。
 けれども、ジャックは何かしたかった。
 ジャックの行動がたとえその場しのぎの行動だったとしても、二人が少しでも生きる活力を取り戻せるのなら、その行動に意味はあるのでは、とジャックは思ったのだ。

 ジャックのお弁当を三人は受け取ろうとしない。
 体はホコリと血で汚れ、片手と片目を失った男の施しなど、怖くて受け取れないのだろう。
 それでも、ジャックはお弁当を差し出す。

「美味しいんだよ。ほら、肉がたっぷり入っているでしょ? 僕にはこんなことしか出来ないけど、元気になって欲しいんだ。お腹がふくれれば、きっと元気になれる。今日を生きていける。だから……」
 
 お弁当の中身を見たアノークからうねり声が響いてきた。

「その肉は……孫のマテオが捕ってきた肉だ……あの子が言ってたよ……英雄様の旅の無事と幸あらんことを祈って、美味しい肉をとってくるんだって……マテオ……ああっ……マテオ……どうして……私を置いてったんだい……マテオ……」

 アノークはその場に座り込み、両手を顔で覆い、泣き出した。
 彼女はもう、知っているのだろう。孫のマテオには二度と出会えないことを。
 アノークの家族は全員死んでしまった。
 夫も息子夫婦、孫さえも自分を置き去りにして天に召されていく。
 なぜ、自分を置いていくのか? 一緒に連れて行ってくれないのか?

 ジャックの弁当は逆効果だとゲルトは感じ、ジャックにその弁当を持って去るよう怒鳴ろうとしたが……。

「リラ?」

 アノークに寄り添っていたリラが唇をぎゅっと閉じ、ジャックからお弁当をかっさらう。そして、お弁当箱の中身を口に放り込むように食べ始めた。
 ジャックもゲルトもリラの姿に唖然としていた。
 リラは素手で肉を掴み、アノークに差し出す。

「食べて!」
「ううっ……うううっ……」
「おばちゃん、食べて! 食べて!」

 リラは何度もアノークに肉を食べるよう催促する。彼女は本能的に、生き延びるために食が必要だと知っているのだ。
 理不尽な世の中に逆らうように、抗うように、必死に体の小さいリラは生きようとしている。
 くじけてはダメだと、屈してはいけないのだと、彼女の心がこの残酷で美しい世界と戦っているのだ。

 そんな姿を見て、ゲルトはもう何も言葉に出来なかった。強く生きようとするリラに、アノークは肉を受け取り、かじり始めた。
 二人の姿を見て、ゲルトは改めて誓った。
 絶対に無法者達を許さないと。必ず復讐してみせると。
 だから、ゲルトはジャックの肩に手を置き、本音を伝えた。

「ありがとう、心優しきマルダークよ。私はフリメステアの名において誓う。必ず復讐を果たすと。そのとき、キミが私達の隣にいることを切に願う」

 ゲルトはジャックを一度抱きしめ、背を向ける。ジャックは頭を下げ、その場から離れた。



 ジャックは考えていた。
 これから、どうするべきかを。

 正しい選択をするのであれば、このままカースルクームを離れ、次の街へ行き、予選を勝ち抜く為に自身の強化に努めるべきだろう。
 テツの言う通り、もう、カースルクームでやれることはない。護るべき相手はここにいない。

 ジャックの目的はかつての相棒である、リリアンを探し出すことだ。その合間に、助ける事が出来る人達を手助けすればいい。
 それに強くなれば、いつか無法者達と戦う事があっても勝てる可能性がでてくる。
 ここで無理して、今すぐ無法者達に挑めば、返り討ちにあって、今度こそゲーム参加資格を失うかもしれない。
 それこそ、レッキーやレベッカの想いを踏みにじることになる。
 だから、一時の怒りや憎しみにとらわれず、前を向いて冷静に生きていくのが賢いスタイルだ。

「ジャック? どうしたの?」

 急に立ち止まったジャックに、リリアンは不安げに見つめている。
 ジャックの口から言葉が漏れた。

「……やっぱり、戦おう」
「えっ?」

 ジャックは拳を握りしめ、自分の想いを叫んだ。

「戦うんだ……無法者達と! 僕はやっぱり、逃げたくない! きっと、ここで逃げたら、一生逃げ続けることになる! 分かるんだ……柔道からも、ボクシングからも逃げてきたからこそ、分かるんだ。いろんなことから逃げてきたから、大事なものが何一つ掴めなかった。リリアンも、正義の心も……全部、手のひらからこぼれ落ちたんだ……もう、嫌だ……逃げたくない……」
「で、でも! 勝てるの? それに、勝てたとしても、エリンの言う通り……」


「堕ちますよ。人でなしに」


 エリンの言葉がジャックの脳裏に蘇る。一度はこの言葉に畏怖し、決意を曲げた。今も足が震えている。
 右腕を斬り取られ、左目をえぐられたあの恐怖と痛みがジャックの決意を鈍らせる。
 自分と同じ想いを誰かに誰かに与える側にまわるのだって、怖い。
 それでもと、ジャックはつぶやく。

「人でなしに堕ちるかもね。でも、いいんだ……たとえ、自己満足でも、独りよがりでも、それでも僕はね、リリアン……」

 リラとアノークの泣き顔を見たとき。
 ゲルトの決意を秘めた顔を見たとき。

 ジャックは思った。彼らは戦っているのに、自分だけ逃げていいのかと。
 それに、自分が行動する事で誰かを助けられるのなら……。
 ジャックは一息つき、リリアンの目を真っ直ぐに見つめて、宣言した。

「正義の味方になりたいんだ……誰かの涙を止められるなら、どんなにキズついてもいい……胸を張って、誰かを護れるような正義の味方になりたいんだ」


 ムサシやカークの涙を止められる存在になれたら……。
 レッキー達を護れる存在になれたら……。
 アノークやリラのような人達を生み出さなくてすむ強い存在になれたら……。
 この残酷な世界で、胸を張って生きることができるのなら……。


 きっと最高だとジャックは思った。
 下を向いて生きていたくない。まっすぐ前を向いて歩きたい。
 リリアンを支えられるような強い男になりたい。

 きっと、それは困難な道だ。途中でくじけるかもしれない。逆に返り討ちにあって、今よりももっと酷い目にあうかもしれない。
 けど、ジャックはもう、やる前から逃げたくなかった。
 理不尽には声を上げ、暴力には歯を食いしばり、前へ、ひたすら前へ進みたい。
 その先にこそ、なりたい自分がいると信じて。正義の味方になれると夢見て……。
 リリアンは優しくジャックに微笑みかけ……。

「無理に決まってるじゃん。弱いくせに何言ってるの? バカなの? 弱虫なのにそんな妄想が叶うと本気で思ってるの?」
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