上 下
82 / 380
十一章 心の思うがままに

十一話 心の思うがままに その二

しおりを挟む
 黒い影はエリンに抱きつきながら、押し倒す勢いで地面に転がり込む。エリンを捕まえた黒い影とは……。

「ストップ、ストープ! 洒落になってないから! 人に刃物を突き出したらダメだって教わらなかったの? 少しは自重しようよ!」

 黒い影の正体はジャックだった。
 ジャックはエリンを押し倒した後、エリンの腹の上で馬乗りになり、両手首を抑えつけて動きを封じた。エリンは目を丸くしたまま、ジャックを呆然と見上げていた。
 エリンはジャックに捕まるとは思ってもいなかった。
 なぜなら、エリンは立った姿勢から瞬時に地面を滑るようにして、体勢を低くしてターゲットとの距離を詰めていたからだ。
 体勢をいきなり低くすることで相手の視界から外れ、相手からの攻撃を受ける面積を限定することで相手の攻撃パターンを絞り、反撃にあっても対応できるよう備えていた。
 たとえ、真横から襲われても反応できると思っていたのだが、エリンはあっけなくジャックに捕まってしまった。

 エリンは思う。ジャックはやはり特別なのだと。
 エリンがそう感じ始めたのは、ジャックとPVP対策で特訓していたときのことだった。
 エリンはドSの如く、容赦なく矢をジャックに放っていた。
 エリンの仕打ちに対し、ジャックは果敢にもエリンが放つ矢を絶叫しながらも、シールドガントレットで弾こうと努力していたのだ。
 そんなことが可能なのか? エリンは戸惑いつつも、ジャックに矢を放ち続けた。
 流石に顔面や急所は洒落にならないため、意図的にずらしていたが、その配慮が必要ないと感じたのは、数発矢を放った後だった。
 ジャックは驚くべき事に、飛んでくる矢をシールドガントレットではじいてみせたのだ。

 矢の速度はエリンの体感ではあるが、秒速で約六十メートルほど。そのスピードを十メートル離れた場所からシールドガントレットではじいてみせた。
 回避ならまだ理解できる。
 ジャックがボクサーであることは動きを見ていて分かった。
 ジャブの速度は時速四十キロと考えれば、それを回避するボクサーの動体視力なら離れた場所から矢を放たれても、回避することは慣れればできるかもしれないと思っていた。
 だが、シールドガントレットで矢をはじくということは、どこに矢が飛んでくるのか、それを先読み、もしくは目視で確認し、飛んでくるタイミングに合わせてガードしなければならない。
 ジャックはそれをやってのけたのだ。

 一番驚いたのが、飛んできた矢を掴んでみせたことだ。たった一度の事だが、エリンにとって一瞬心臓が止まるほどの衝撃だった。
 どうしたら、そんなことが可能なのか?
 エリンは内心の動揺を隠しつつ、いつものように媚びた態度でジャックに聞いてみた。
 ジャック曰く。

「掴めると思った」

 今度こそ、エリンは動揺を隠すことが出来なかった。
 すごいと思うよりも呆れてしまったのだが、それ以来、エリンはジャックに本格的に興味を持った。
 ジャックを観察して分かったことは、ジャックは気分が乗っているときは素早い動きを見せるが、落ち込んでいたりすると、動きに全くキレがなくなる。
 ジャックはテンションが上がれば、どこまで強くなるのか? どれほどポテンシャルを秘めているのか?
 
 エリンは密かに楽しみにしているのだが、今はそれどころではなかった。

「あ、あの……ジャックさん。公衆の面前でこの体勢はちょっと……恥ずかしいというか……」

 エリンはジャックから恥ずかしそうに顔を背け、頬を染めながら、弱々しくうつむいている。
 ジャックは瞬時に顔が真っ赤になり、頭が沸騰しそうになる。
 エリンの上着から見える健康的な肌と鎖骨、息づかいと共に上下する胸のふくらみ、普段見せない弱々しい態度がジャックの男としての本能、いや煩悩が告げる。

 据え膳食わぬは男の恥だと。

 ジャックはごくりと息をのむ。ここはやはり男として……。

「何やっているの、ジャック」

 頭上から聞こえるリリアンの冷たい声に、ジャックはのぼせ上がった頭が冷水を浴びたかのように一気に冷めていく。冷たい汗が背中につうーっと流れる。

 ――何をしているんだ、僕は。僕にはリリアンがいるのに!

 ジャックはすぐにどこうとするが、ぴたりと動きが止まる。ジャックの冷静な部分がささやきかけるのだ。

 このままどいてしまっていいのか? ここで手を離したら、今度こそ、取り返しのつかないことになるのではないか?

 エリンがなぜ、ASにこれほどまで敵対心を持つのか分からない。だからこそ、手が離せないのだ。
 手を離したら、エリンはまたAS達に襲いかかる可能性がある。あの疾風のような速さでまたASに攻撃されたら、今度こそ止める自信はないし、AS達との戦いは避けられない。

 勝てなくはない……とジャックは思うのだが、それ相応の被害は覚悟しなければならないだろう。
 もしかすると、仲間の誰かが……もしくは自分が再起不能リタイアになることだって考えられる。

 ――どうする? どうすればいい?

「さっさと離れなさい、この変態」

 ソレイユに後頭部を蹴られ、ジャックを地面に転げ回る。
 ジャックの悩みは、ソレイユの蹴りによって三秒で解決されたが、泣きたい気分だった。
 真面目に考えていただけに、仲間から変態扱いされると余計にショックだった。

「茶番はすんだか?」

 ASの問いにソレイユは何事もなかったかのようにふるまう。

「ムサシ君。キミが決めて」
「じ、自分がか?」

 いきなりの指名に、ムサシは思わず聞き返してしまった。

「キミは私達のリーダーなのだから当然だと思うのだけれど。今回はムサシ君の判断に従うわ」

 ムサシはソレイユの発言に唖然としていた。

 ――リーダーだと認識されていたんだ……。

 妙なところで感心していたムサシだったが、今までのソレイユの態度から気づけという方が無理があるだろう。
 ムサシは気を引き締める。
 任された以上、リーダーとして判断しなければならない。
 ジャックはああ言っていたが、仲間の命を預かる者として危険がある以上、安易にASの提案に乗るわけにはいかない。
 敵がどれほどの戦力なのか分からない以上、判断に渋ってしまう。

 現に、ムサシは仲間ロイドを失っている。仲間を失ったときの無力感、やりきれなさは二度と味わいたくない。
 あのとき、ジャック達に無理にでもついていけば、ロイドを護ることが出来たのではないか?
 そんな無意味な問いを今でもしてしまう。

 ASはどうなのだろうか? 仲間を死地に向かわせて、怖くはないのだろうか? 

「……なあ、ASさん。自分からも一つ、質問いい……ですか?」
「答えられるものなら」

 ASは相変わらずポーカーフェイスのまま、何を考えているのか分からない。
 ムサシは一息のみ、意を決して口を開く。

「アンタ達は何の為にボス討伐戦に参加するんだ?」

 愚問な質問だと思う。
 ボス討伐は死のリスクはあるが、それ以上にメリットがある。
 雑魚からでは手に入れることの出来ないドロップアイテムや強い武器の素材を得ることが出来る。手に入れば、PVPに有利になれる。

 全ては『ソウル杯』に勝ち抜くため。

 当然の考えだ。そんな当たり前のことを聞いて、ムサシはどう判断するつもりだったのか? 同じリーダーであるASにムサシは何を期待したのか?
 ASは気弱になっているムサシを、見下すわけでも失望するわけでなく、じっとムサシの目を見つめている。

 ASは何と答えるのか?

 全く真逆な展開となり、駆け引きが続いていく。
 ASはしばらく黙っていたが、ふいにムサシに背を向け、歩き出した。これまた想像すら出来ない展開に、ムサシは慌ててASを呼び止める。

「お、おい!」
「ついてきてくれ。口で説明するよりも実際に見てほしい。私の戦う理由はそこにある」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔法が存在しない世界でパリィ無双~付属の音ゲーを全クリした僕は気づけばパリィを極めていた~

虎柄トラ
SF
音ゲーが大好きな高校生の紫乃月拓斗はある日親友の山河聖陽からクローズドベータテストに当選したアーティファクト・オンラインを一緒にプレイしないかと誘われる。 始めはあまり乗り気じゃなかった拓斗だったがこのゲームに特典として音ゲーが付いてくると言われた拓斗はその音ゲーに釣られゲームを開始する。 思いのほかアーティファクト・オンラインに熱中した拓斗はその熱を持ったまま元々の目的であった音ゲーをプレイし始める。 それから三か月後が経過した頃、音ゲーを全クリした拓斗はアーティファクト・オンラインの正式サービスが開始した事を知る。 久々にアーティファクト・オンラインの世界に入った拓斗は自分自身が今まで何度も試しても出来なかった事がいとも簡単に出来る事に気づく、それは相手の攻撃をパリィする事。 拓斗は音ゲーを全クリした事で知らないうちにノーツを斬るようにパリィが出来るようになっていた。

VRMMOで神様の使徒、始めました。

一 八重
SF
 真崎宵が高校に進学して3ヶ月が経過した頃、彼は自分がクラスメイトから避けられている事に気がついた。その原因に全く心当たりのなかった彼は幼馴染である夏間藍香に恥を忍んで相談する。 「週末に発売される"Continued in Legend"を買うのはどうかしら」  これは幼馴染からクラスメイトとの共通の話題を作るために新作ゲームを勧められたことで、再びゲームの世界へと戻ることになった元動画配信者の青年のお話。 「人間にはクリア不可能になってるって話じゃなかった?」 「彼、クリアしちゃったんですよね……」  あるいは彼に振り回される運営やプレイヤーのお話。

ビースト・オンライン 〜追憶の道しるべ。操作ミスで兎になった俺は、仲間の記憶を辿り世界を紐解く〜

八ッ坂千鶴
SF
 普通の高校生の少年は高熱と酷い風邪に悩まされていた。くしゃみが止まらず学校にも行けないまま1週間。そんな彼を心配して、母親はとあるゲームを差し出す。  そして、そのゲームはやがて彼を大事件に巻き込んでいく……!

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

Bless for Travel ~病弱ゲーマーはVRMMOで無双する~

NotWay
SF
20xx年、世に数多くのゲームが排出され数多くの名作が見つかる。しかしどれほどの名作が出ても未だに名作VRMMOは発表されていなかった。 「父さんな、ゲーム作ってみたんだ」 完全没入型VRMMOの発表に世界中は訝、それよりも大きく期待を寄せた。専用ハードの少数販売、そして抽選式のβテストの両方が叶った幸運なプレイヤーはゲームに入り……いずれもが夜明けまでプレイをやめることはなかった。 「第二の現実だ」とまで言わしめた世界。 Bless for Travel そんな世界に降り立った開発者の息子は……病弱だった。

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

言霊付与術師は、VRMMOでほのぼのライフを送りたい

工藤 流優空
SF
社畜?社会人4年目に突入する紗蘭は、合計10連勤達成中のある日、VRMMOの世界にダイブする。 ゲームの世界でくらいは、ほのぼのライフをエンジョイしたいと願った彼女。 女神様の前でステータス決定している最中に 「言霊の力が活かせるジョブがいい」 とお願いした。すると彼女には「言霊エンチャンター」という謎のジョブが!? 彼女の行く末は、夢見たほのぼのライフか、それとも……。 これは、現代とVRMMOの世界を行き来するとある社畜?の物語。 (当分、毎日21時10分更新予定。基本ほのぼの日常しかありません。ダラダラ日常が過ぎていく、そんな感じの小説がお好きな方にぜひ。戦闘その他血沸き肉躍るファンタジーお求めの方にはおそらく合わないかも)

Select Life Online~最後にゲームをはじめた出遅れ組

瑞多美音
SF
 福引の景品が発売分最後のパッケージであると運営が認め話題になっているVRMMOゲームをたまたま手に入れた少女は……  「はあ、農業って結構重労働なんだ……筋力が足りないからなかなか進まないよー」※ STRにポイントを振れば解決することを思いつきません、根性で頑張ります。  「なんか、はじまりの街なのに外のモンスター強すぎだよね?めっちゃ、死に戻るんだけど……わたし弱すぎ?」※ここははじまりの街ではありません。  「裁縫かぁ。布……あ、畑で綿を育てて布を作ろう!」※布を売っていることを知りません。布から用意するものと思い込んでいます。  リアルラックが高いのに自分はついてないと思っている高山由莉奈(たかやまゆりな)。ついていないなーと言いつつ、ゲームのことを知らないままのんびり楽しくマイペースに過ごしていきます。  そのうち、STRにポイントを振れば解決することや布のこと、自身がどの街にいるか知り大変驚きますが、それでもマイペースは変わらず……どこかで話題になるかも?しれないそんな少女の物語です。  出遅れ組と言っていますが主人公はまったく気にしていません。      ○*○*○*○*○*○*○*○*○*○*○  ※VRMMO物ですが、作者はゲーム物執筆初心者です。つたない文章ではありますが広いお心で読んで頂けたら幸いです。  ※1話約2000〜3000字程度です。時々長かったり短い話もあるかもしれません。

処理中です...