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十章 アレンバシルの闇

十話 アレンバシルの闇 その四

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 リンカーベル山をしばらくのぼっていくと、ボルシアが急に立ち止まり、右手を挙げる。この合図はスパイデーの住みかである祠の近くまで来た事を意味する。
 否応なく全体の空気が重くなるのをここにいる全員が感じていた。

 スパイデー。
 蜘蛛の怪物だと村人から聞いているが、本当に怪物と呼べる相手なのか。怪物相手にボルシアの作戦で勝てるのか。
 不安が討伐隊を襲うが、それでも、誰も不安を顔に出さず、無理にでも頬をニヤけさせる。
 やせ我慢でもいい。弱みを見せないことが大切なのだ。

「ここからはゆっくりと足音を立てずに進もう。スパイデーを見つけたら、あらかじめ決めていた手話で俺に知らせてくれ。そこからは打ち合わせ通りにいく」

 打ち合わせした内容を討伐隊は頭の中で思い浮かべる。
 スパイダーを見つけたら、気づかれないように取り囲むようにして陣取り、遠距離から一斉に矢を放ち、奇襲をかける。
 スパイデーの動きを止めた後、アタッカー役が背後からスパイデーを攻撃し、主導権を握る。
 戦いには流れがある。その流れをいかに掴み、優勢に戦いを進める事が出来るか、それこそが勝利の鍵となるだろう。

 ついにスパイデーとの戦いが始まる。そう自覚したとき、否応なく緊張感が高まる。
 全員が息を殺して、ゆっくりと前へと進む。
 今まではまるで気にしなかったが、ブーツが草をこする音、息を飲み込む音すら大きな音のように感じる。
 この先にいる……とんでもない化け物が……。

 ジャックはすでにヒシヒシと肌にプレッシャーを感じていた。リザードマンと同じく、出会う前から索敵スキルの警鐘が止まらない。
 警鐘は基本、敵の強さによって音の高さと間隔が変わってくる。自分よりも弱い敵なら音は小さくて間隔も長い。逆に強ければ、音は高く、間隔も短くなる。
 ジャックはリザードマン戦から更に自身の強化に努めた。ソウルを自在に操れるようになったし、武器も防具も強化した。
 それなのに……。

 ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ!!!!!!!!!!!!

 今までで最大で危険な警鐘がジャックの頭に鳴り響き続けている。
 ここから先には踏み込むなとシステムが警告している。本当に洒落になっていない事態だ。
 この先、どんな恐ろしいことが待ち受けているのか、想像すら出来ない。
 今分かっているのは、ジャックは確実にスパイデーに近づいていること。そして、現実では感じることの出来なかった死地へ赴く緊張感と恐怖に襲われている事が更に足を重くさせる。
 
 スパイデーとの対峙は刻一刻と迫っている。
 息苦しい……。

 視界は木々によって阻まれている為、見通しが悪く、木々をぬけた次の瞬間、ばったりとスパイデーと出会い、襲われるかもしれない。仲間の誰かが傷つき、再起不能に追いやられるかもしれない。
 見えない敵の存在は最悪な想像をかきたててしまい、ジャックは自分の胃がチクチクと痛むのを感じる。これなら、さっさと対面した方がマシだった。

 どくんどくん……。

 ジャックは自分の心拍音が高くなることを感じつつ、一歩、また一歩進む。
 全員が徐々にスパイデーの距離を詰めていたとき、視界が広がり、広場へとたどり着いた。
 今までのように木が密集しているのではなく、円上に広がった草と土しかない広場。
 見通しがよく、隠れる場所もないが、敵がいれば一目瞭然いちもくりょうぜん。つまり、スパイデーは近くにいないことが分かる。

 視界が悪かったところから解放され、ここにいる討伐隊は安堵のため息をついた。
 つかの間の安息が張り詰めた空気を和らげてくれたことを全員が感じていた。ジャックも足取りが少し軽くなったことを感じ、肩の力が抜ける。
 気の緩みから隣にいたレベッカに軽口を叩こうとしたとき。

 パパパパパパパパパーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!

「!!!」

 突然だった。
 何か破裂音がしたと思ったら、広場の中心から火薬の匂いと煙がたちのぼっている。
 ジャックは最初、何が起こったのか分からなかった。

 なぜ、誰もいないところから爆音が聞こえてきたのか? なんのために爆音がしたのか?
 そんな疑問は一気に吹き飛ぶ。最悪な形で。

「みんな、不味いぞ! スパイデーに気づかれた! ヤツが……ヤツが来るぞ!」
「!」

 ボルシアは悲痛な叫びを上げる。もう、隠れて行動する意味がなくなったのだ。
 なぜなら……。

 ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 ジャックの頭の中で警鐘が叩きつけるように鳴り響く。
 索敵スキルからの警告音だ。何かがこちらに向かって突っ込んでくる。
 警告音だけでなく、大地が揺れ、木々をなぎ倒す音がどんどん近づいてくる。
 それはスパイデーの足音。行進。
 死闘の始まりを告げる音がリンカーベル山に鳴り響く。

「全員集まって! スパイデーの攻撃に備えるよ!」

 ボルシアの指示にみんなが一つの場所へと集合する。一人一人なら撃破されやすいかもしれないが、全員が集まればそう簡単にやられはしない。仲間がお互いを護ってくれから安全なのだ。
 しかし……。

 ――ボルシアがいない? ASは? テツもいない!

 みんなが集まっているはずなのに、ボルシアやAS、テツが見当たらない。
 ジャックは彼らをすぐにでも探しに行きたかったが、押し寄せてくる不安に冷や汗が止まらず、足が硬直して動かない。
 大地を揺らす足音が聞こえてくる方向から目をそらしたら殺される。そんな気がして、ジャックは一瞬も目が離せなかった。
 瞬きもせず、前方からやってくる敵に意識を集中させる。

 ――必ず勝つ! もう、誰も失う事なく、勝利してみせる!

 ジャックはそう自分に言い聞かし、自分を鼓舞こぶする。
 今回はリザードマン戦とは違う。隣や後ろにはジャックと同じプレイヤーがいる。仲間が護ってくれる。だから、負けはしない。

 それなのに、前方から近づいてくるプレッシャーがジャックの心拍数をどんどん高くなっていく。緊張は恐ろしいほど体力を消耗させる。
 ソウルメイトには安全装置がついていて、極度の興奮や疲労で肉体に大きな負荷がかかった場合、強制的にソウルアウトさせられる。
 平静を保つ事が大事だとジャックは頭では分かっているが、生きようとする本能がそれを拒絶している。
 体に負担を与え、逃げるようジャックに要求しているのだ。ジャックは歯を食いしばり、その場にとどまる。

 戦いがもうすぐ始まる。
 誰もがそう思い、覚悟したが、ここで予想外のことが起こる。何の前触れもなく、いきなり轟音が止まったのだ。
 地が揺れることもなく、静寂がまた戻ってきた。
 不気味なまでの静寂。轟音に怯えていたのに、今度は静寂に怯えている。異常事態だ。
 
「こ、これってスパイデーが俺達を襲うのを……止めたって事か?」

 誰かが希望的観測を述べる。そんなわけがないと誰もが思ったが、口に出来なかった。安心したかったのだ。危機が去ったことを信じたかったのだ。
 しかし。

 ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 ジャックの頭の中で警鐘が止まらない。音は更に大きくなる。
 けれども、敵がどこにも見当たらない。

 ――どこだ、どこにいる?

 ふいに、ジャックの視界に影が飛び込む。太陽の光が何に遮られたのだ。
 ジャックは上を見上げたとき……。

「危ない!」

 ジャックは隣にいたレベッカの腕を反射的に掴み、力任せに引っ張りながら地面に押し倒した。
 ジャックとレベッカは地面に滑るようにして体が地についた瞬間。

 ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!

 耳を突き刺す轟音が鳴り響く。
 激しい衝撃で、土の塊がジャックとレベッカの体に直撃する。それは炸裂弾のように、二人に襲いかかった。
 ジャックは痛みに顔をしかめながらも、轟音のした方向を見ると……。

「あっ……ああっ……」

 ジャックは言葉にならない声がもれた。

 そこに化け物がいた。

 圧倒的な存在感。
 恐怖、死を具現化した存在。
 スパイデーはその名の通り、蜘蛛。
 だが、規格外の化け物だった。

 ジャックは以前、何かの本で世界最大のクモと呼ばれているゴライアスバードイーターは体長が十センチほど、足を拡げると幅二十センチを超えると読んだ事があった。

 しかし、目の前の蜘蛛は違った。視界がその大きさに覆われてしまう。
 全長十メートルはあるのだろうか? まるでクジラのように巨大な生き物だ。全身が硬い殻に覆われていて、禍々しい赤褐色をしている。
 八本の足には黒色の毛が密生し、先端は黒く染まっていた。
 目は蜘蛛の足の数と同じく八つあり、淡い青色の光を帯びている。
 スパイデーは蜘蛛の性質と全く違う点が一つあった。それはお尻から生えているサソリの尾のようなものがある事だ。

 その巨大な尾の先端には鋭く尖った凶悪な針があった。その長さは一メートルほどで針の部分の幅は直径三十センチほどはある。
 あれに刺されたら、人の土手っ腹に大きな穴が開いてしまうだろう。それに毒でもあれば、かすっただけでも毒におかされてしまう危険がある。

 スパイデーの姿は戦車そのものだ。
 誰もがスパイデーの存在におののき、足が硬直し、動けずにいた。
 ジャック達を現実に戻したのは一人の悲鳴だった。

「カーク! カーク! しっかりして!」

 レンの悲痛な声がリンカーベル山に反響する。ジャックは視界に赤く輝くアイコンを見つけてしまう。

 その正体はレッドメールだった。
 レッドメールはフレンド登録、チームのメンバーが死んだときに送られるメールである。
 ボルシアの提案で、ジャック達はスパイデー退治をする前に、討伐に集まったプレイヤー全員にフレンド登録するよう持ちかけた。
 フレンド登録しておけば、緊急事態で仲間とはぐれたときの連絡出来るし、仲間の生死を確認がとれる。

 ジャックも含め、そんな必要はないと誰もが思っていた。
 ここにいるプレイヤー二十人でたこ殴りにしてしまえば、どんなモンスターでも勝てると確信していたからだ。
 その期待は一瞬で裏切られ、スパイデーのジャンピングプレスによって下敷きになったプレイヤーは即死してしまった。

 ありえない。
 討伐隊は誰もが思っただろう。まだ一分も立っていないのに、死者を出してしまったのだ。

 まさか、十メートルある蜘蛛が空から降ってくるなんて、下敷きになれば即死するなんて、誰が予想できたのだろうか?
 スパイデーに潰されて死んでいったプレイヤーは、強制的にソウルアウトされた現実の先で、ようやく自分の身に何が起こったのか知るのだろう。
 そして、嘆くのだ。こんなはずはなかったと。ありえないと。
 だが、それが真実だ。

 アルカナ・ボンヤードは現実の世界と同じで、やり直しも言い訳も許されない世界、つまり……。

 弱肉強食。

 弱ければあっけなく命を奪い取られ、世界から退場させられる。甘い見通しは一切利かない。
 今、強者であるスパイデーは弱者であるプレイヤーを容赦なく、慈悲もなく殺そうとしていた。

 ようやく、ジャックは自分が今どこにいるのか、認識させられた。ここは戦場。どこにも逃げ場はない。
 そのどうしようもない絶望的な運命に抗おうとするプレイヤーがいた。

 スパイデーのジャンピングプレスに足が挟まれ、動けないカークをレンが必死に助けようとしている。

「カーク! カーク!」
「……逃げろ……レン……」

 レンはカークの手を引っ張るが、スパイデーの体に挟まったカークの足はびくとも動かず、全く無意味な行動だった。
 スパイデーの八つあるうちの一つの目が、カーク達を捕らえる。獲物を見つけたような獰猛な目つきになり、今まさに強者による公開処刑が始まろうとしていた。

 スパイデーの尾がゆっくりと上へと伸びる。それはまるで死に神の鎌のように、カークとレンに死の宣告を告げているように見えた。
 ジャックはその光景を目にしたとき、リザードマンに殺された仲間ロイドを思い出した。
 このままでは、また同じ事を繰り返してしまう。仲間を救えなかった虚無感と後悔にさいなむ事になる。

「ぁあああああああああああああ!」

 ジャックは悲鳴とも雄叫びともいえるような声を上げ、右拳を肩の上まで上げてから、スパイデーの足目掛けて思いっきり振り下ろした。
 スパイデーの足はまるで鋼鉄を殴ったかのように固く、手がしびれてしまう。
 しかも、ジャックは恐怖で体が硬直しているため、いつものキレはなく、ウエイトが載ってない手打ちの攻撃になってしまう。
 それでも、タゲをとることさえ出来れば、カーク達を助けることが出来るかもしれない。
 そう信じて……いや、そうあってほしいと願い、ジャックは二撃目を与えようとした。
 だが、スパイデーはまるで自分の周りを飛び回る小バエを振り払うかのように、巨大な足をなぎ払った。

「だっああああ!」
「ジャック!」

 リリアンの悲痛な声がリンカーベル山に反響する。
 スパイデーの足は身長百八十以上あるジャックの体を軽々しく吹き飛ばす。完全に子供扱いされてしまい、タゲすらとらせてもらえない。
 スパイデーは尾の針を身動きのとれないカークに狙いを定める。
 必死に生きようとするカークとレンを嘲笑うかのようにスパイデーは尾の針はゆっくりと照準を合わせ……振り下ろした。
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