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24巻
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「ふう……お茶が美味い」
緑茶の入った湯呑をゆっくりと口から遠ざける。
そよ風が木々の間を通り抜けることで自然の音楽を奏で、空では小鳥達が穏やかな鳴き声を上げる。普段身に着けている防具すら外した楽な恰好で、のんびり茶を飲む気分はなかなか悪くな──
「アース、なにやってるの? 死ぬ少し前の老エルフみたいな表情を浮かべて?」
そんなルイさんの言葉にがっくりとうな垂れながら、自分は彼女のほうに顔を向けてひと言。
「そう言わないでくださいよ。師匠公認の休息の時なんですから……それに、自分はまだまだ死ぬつもりはありませんよ」
ここはエルフの村にあるルイさんの家。今日も「ワンモア・フリーライフ・オンライン」の世界にログインした自分は、まず砂龍・雨龍の師匠ズと合流し、妖精国からここまでやってきたのだった。
その師匠ズは、手荷物を置いた後、外に出かけていった。めったに龍の国から出る機会がないので、少しでも多く外の景色を直接自分の目で見ておきたいと言っていたな。
「うーん、でもね? 外を見ながらお茶を飲むさっきの君の姿に、枯れてるなーって感じが漂ってたんだよね。なんて言うか、やることが全て終わって、後はお迎えを待つだけのエルフとそっくりだったよ。私の師匠も永眠する数年前はそんな感じで──」
ルイさんの言葉に再びがっくり来る自分。そんなに老けて見えたのか……
「いやいや、自分はつい先日まで散々戦いに明け暮れたり厄介な罠と対峙したりで精神的な消耗があったんですから、今くらいはゆっくりしたいんですってば」
ルイさんは自分達を快く出迎えてくれたばかりか、ここに泊っていいとまで言ってくれたので、お言葉に甘えることにしていた。
なお、今回は以前のようなゴミ屋敷状態にはなっておらず、内心でほっとした自分がいた。
師匠ズからも、決戦の日はそう遠くないので、今後は訓練も軽めにして本番に備える形を取ると言われている。
そう、ついに有翼人の待つ空の世界に行く日が明確になったのだ。というのも、この「ワンモア・フリーライフ・オンライン」のアップデート情報が上がり、その実装日というのは今から一か月半後。つまり、有翼人との戦いの火蓋が切られるのもあと一か月半後ということだ。準備はそれまでに終えねばならない。
ドワーフのクラネス師匠から貰った、製作を依頼した各種装備品の完成度合いを示してくれる石の染まり具合は、大体七割ぐらいかな? この感じなら間に合ってくれそうだ。
「大丈夫ならいいんだけどね。でもそこまでして訓練に励んでいるのには、何か理由があるのかな? ただ単に強くなりたい!というのであれば、もうちょっとペースを落としてじっくりとやったほうが身に付くだろうし……」
そう訊かれるが……今はまだ、決戦に備えている、とは言えないな。空の上で待っている連中が友好的な存在ではなく、そのふりをして全てを奪うつもりの悪党どもだという情報が変に広まってしまったら、行動がとりにくくなるから。
「まあちょっと、今後ひと山ありそうなので……時間があるうちに厳しく鍛えてもらっていたんです。で、あとは休息を多めにして体を落ち着かせろとのお言葉を頂いたので、自然が多くて休息にぴったりの場所であるこのエルフの村にお邪魔させていただいたんですよ」
と答えるのが精いっぱいだろうな。これなら嘘を言っているわけでもないし。
だが、自分の言葉を聞いたルイさんは、師匠モードの目つきになった。
「ひと山、ね。そんな言い方してるけど、実際は山どころの話じゃないんでしょ?」
ルイさんの言葉は疑問形であったが、その口調は確信を持っているように思えた。分かる人には、ひと言口にするだけである程度バレてしまうな。
「それはご想像にお任せします。まあ冒険者なんてやっている以上、危険な場所に出向いて新しいものを発見するか、無様に野たれ死ぬかの運命に身を晒すというのは、いつまでたっても変わりませんからね」
ま、バレたらバレたで軟着陸させればいいだけ。カマをかけられてそれに引っかかっても、引っかかったことを認めつつ話をずらして真相に届かないようにする、ってのも話術の一つだ。
それに、今回はあまりにも相手が悪すぎる。ハイエルフと戦うよりもはるかに死亡率が高いどころか、操り人形にされてしまいかねない。
「まあ、それはそうでしょうけど。あ、お茶のお代わりはいるかしら?」
「あ、すみません。頂きます」
訝しみながらもルイさんからそれ以上の追及はなく、その後は二人でお茶を飲みながら近況を話し合う。
エルフの森のほうではこれといった問題はなく、穏やかだったようだ。農作物の生育も順調で、豊作になりそうだとのこと。特に麦の実りがいいそうで、時間があるなら収穫を手伝ってほしいと頼まれたので、了承した。現実世界の時間だと、明後日いつもの時間にログインしてから少し経った頃に始めればよい、というぐらいだそうだ。
「外の農業技術もいいものね。取捨選択する必要はあるけれど、生産性がかなり上がったのよ。もちろん、土に負担をかけない範囲でね」
と、ルイさんは言う。おそらく、農業系統を得意とするプレイヤーの知恵と技術がもたらされているんだろう。何せ、薬草の人工生産に成功するぐらいの人達だから、知識も技術も優れているのは間違いない。
「生産性が上がれば、いざって時のための蓄えが増えますね。飢饉というものはいつやってくるか分かりませんから、備えられるうちに備えておかないと」
飢えってのは辛いからな……飢えることで精神的な安定性が失われ、ドミノ倒しのように次々と事態が悪化するのはよくあることだ。そんな悲惨な展開を迎えないためにも、しっかりと非常時のための備えを蓄えておくべきだろう。
「聖樹様の加護があるから、基本的には飢饉なんて起きないんだけどね……でも、聖樹様に頼りっぱなしってのはおかしいから。私達にできるところは私達が頑張って、どうしようもないところだけ聖樹様のお力をお借りするってふうにやっていかなきゃね」
そうだな、いくら聖樹様の加護があるからといってそれに頼り切りでは、いざという時に困るのは自分自身だ。ルイさんの言った考え方には同意できる。
っと、聖樹様といえば……
「そうだ、聖樹様に挨拶しに行こうかな? 最初に伺った時以降は遠くから頭を下げるだけに留まってたし……」
エルフの村には何回も来ているが、ずっと不義理をしていた。今なら時間もあることだし、会いに行くのも悪くないだろう。
「そうね、行ってきたらいいと思うわ。今の時期ならば聖樹様もお忙しくはないはずよ。あと少しすると、農作物の収穫についての報告と、豊作のために祈りを捧げる行事があるから、挨拶するには騒がしくなっちゃうし」
ルイさんの言葉が決め手になり、家から出る。聖樹様と直接会うのも久しぶりだ……失礼がないようにしないとな。
ルイさんに緑色の外套を借りて聖樹様の元へ。ルイさんも久々に挨拶しておきたいらしく、一緒についてきている。
「聖樹様への挨拶って、定期的にやるものじゃないの?」
「そうなんだけど、最近色々と忙しかったのよ」
そんな会話を交わしつつ到着。順番待ちをしている人はいなかったので、聖樹様を護っているエルフさんから「失礼のないようにな」と念押しの言葉を貰っただけで、すぐにお目通りが叶った。
「聖樹様、ご無沙汰しております」
聖樹様の前に進み出た自分は、そう言ってゆっくりと頭を下げた。隣のルイさんも同じようにしているようだ。
『久しいな、人の子よ。そなたのことはよく覚えておるぞ。そして今、また辛い戦いに身を投じておることも知っておる……我が子、ルイよ。しばしこの者と一対一で話をしたい。せっかく挨拶に来てくれたというのにこのようなことを頼むのは心苦しいのだが、私を護る者に、しばらく誰も立ち入らせるなと伝えてはくれないだろうか?』
雲行きが怪しいぞ? ルイさんも頭の上に?マークを浮かべたが、聖樹様の言うことなら、とこの場を後にした。
『我が子らには後で謝っておくとしよう。さて、アースよ……空の者がまたいらぬ企てを立てていることは、こちらもある程度は掴んでいる。しかし……それを我が子達には伝えておらぬ。あの者達が仕掛ける誘惑に対する対抗策を用意できぬ故に』
──なるほど。聖樹様もその辺は掴んでいるのか。というかよく考えれば、聖樹様はものすごい長生きなんだろうから、過去のことを自分以上に知っていてもおかしくはないか。
『少し長くなるが話を聞いてほしい。もともと、ハイエルフ、エルフ、ダークエルフの仲は良好だったのだ。しかし、いつからかハイエルフ達は自分の力に酔うようになった。そのため、ハイエルフとそれ以外のエルフの仲が徐々に険悪になっていったのだが、そうなった原因のうち、ハイエルフの責任は半分ぐらいなのだ』
今じゃ傲慢そのもののハイエルフだが、最初からそうではなかったと。そして傲慢になった経緯か……この話の流れからすると、当然続く言葉は――
「責任のもう半分は、空の者達がハイエルフ達に『お前達は優秀だ、だから他のエルフよりも上に立つべきだ』などと唆した、ということでしょうか? 確かにあの者達は、見た目だけなら天にいる偉大な存在のようですから」
天使、という言葉は使わなかった。聖樹様に通じるか分からないし、何よりあいつらは支配者になりたがる連中。神に仕えている天の使い、とは喩えにしても言い表したくない。
『そなたの読み通りだ。時に道具を与え、時に言葉を与え、ハイエルフの優秀さから生まれる自信を煽った。そのなれの果てが今の姿だ……他者と協力できず、森の奥に引きこもり、ふんぞり返るだけの存在に堕した。あの姿のどこが優秀であるのか。醜いとしか言いようがない……そして、なぜそんなことをあやつらがやったのか、そこのところはよく分からない』
多分だが、ただおもちゃにしてただけなんじゃないだろうか? 以前、魔剣【真同化】の記憶の世界で襲ってきたときの言葉は、「賭けにならない」だったからな。どれぐらいいじればそういう風になるかを賭けの対象にしていたとしても、自分は驚かない。
更には、傲慢になったハイエルフが他のエルフ達に襲い掛かるかどうか、その結果打ち負かして従えるか、反撃にあって全滅するか、なんてことまで賭けにしかねない。
『行動原理はともかく、あやつらは強い。当時の私達がまだまだ若木であったことを差し引いても、奴らはハイエルフ達を狂わせた。今は我らも成長して力を増したが、それでも奴らの誘惑の力を完全に削ぐことができるかは分からぬ……まして我らの力が届かぬ空の上では、奴らの誘惑に負けて敵を増やすだけになってしまうことは目に見えている。故に、エルフの戦士達は此度の戦いに同行させられぬ。負担をそなたらに押し付けてしまうことを申し訳なく思う』
まあ、その見立ては正しいだろう。過去の魔王様の遺体が姿を変えた例の金属から、どれだけ誘惑に対抗できる装備が生み出せるかは今のところ不明だ。が、エルフの皆さんに配れるだけの量が用意できないのは考えるまでもなく分かる。
「いえ、お気になさらないでください。あいつらは強いだけではなく狡猾です。それに、他者を洗脳して自分達の尖兵に仕立て上げて苦しめ、自分達はそれを笑いながら見ているような外道の一面すらあります。そんな連中にエルフの皆様が毒されないようにする、そう決めておけただけでも安心できるというものです」
これまで結構色々なエルフやダークエルフと知り合ってきたが、個人的にこの世界のエルフやダークエルフは好ましいと考えている。そんな人々が洗脳されて敵に回るなんて展開は、御免蒙りたい。
「それに、それでもエルフの戦士は一緒に戦いに出向きますよ。お忘れですか? 私の弓に宿ったエルフの魂が存在することを」
エルの力が宿って変身時に使える装備となった魂弓は、おそらく今回も大活躍してくれるだろう。何せ空での戦いだ、足場がなくても射撃能力があれば戦える。
『むろん、忘れてはおらぬ。いや、我が枯れるまであの光景を忘れることはないだろう。安易に使いたくない言葉だが、あの時の光景こそまさに奇跡と呼ぶべきものだろうから』
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『そんな戦士に与えられるものがあればよいのだが、残念ながら今の私にはない。その代わり、そなたの無事を祈ることと、そなたの負担にならぬよう我が子らをあの者達の悪意から守りぬくことを誓おう』
それで十分です。これでエルフと……おそらくダークエルフも大丈夫。そこに確信を持てるだけでどれだけありがたいか。
「後ろの守りは、よろしくお願いいたします。前の戦いは、任せてください」
あえて、そう言い切る。ここであやふやな言い方をしてはいらぬ不安を残してしまうから。そしてその不安が亀裂を生む。ああ、そういうものはリアルでいっぱい見てきたよ。
『戦士よ、幸運を』
掛けられた言葉に一礼を返し、聖樹様の元を後にする。聖樹様がエルフの領域を護ってくれるということが分かっただけでも、ここまで来た甲斐があった。
後は、こちらが期待を裏切らなければいい。
聖樹様への挨拶を終えてルイさんと合流したときには、日がやや傾き始めていた。
「結構話し込んでいたみたいだけど、何か問題でもあったの?」
「いえいえ、これからも頑張りなさいと優しいお言葉を頂いたぐらいです。ただ、久しぶりの直接の挨拶だったので、少々積もる話がありまして」
そう答えると、ルイさんもそれ以上踏み込んで聞いてくることはなかった。
それからルイさんの家に帰りながら雑談を重ねていたところ、そういえば、とルイさんが話の方向を変えてきた。
「アース君はお風呂好きだったよね? 新しいお風呂屋さんが出来たんだけど、そこへ行ってみる?」
へえ、新しいお風呂屋さんか。それは是非行ってみたい。そうルイさんに伝えると、ルイさんも「じゃあ私も行くよ。時々あそこのお湯につかると、美人になれるってもっぱらの噂だからね~」とのことだった。
もしかすると、温泉でも湧いたのか? なんにせよ、これは確認せねばなるまい。
「じゃ、軽く準備してから行こう。あ、もちろん男女別になってるから」
ああ、それが普通だろう。混浴が好きだ、という人もいるだろうが、自分はそうではない。
そして向かった先は、かなり大きなお屋敷風の家だった。その外見から、龍の国の影響がかなりあるような気がする。
「ここだよ。作られた直後はエルフの家とは全く作りが異なるから、話のタネになってたね」
ルイさんからそんな説明が。そうだなぁ、木の内側を改造して家にするエルフ達の村に、日本家屋風なお屋敷がでん!と姿を現せば、確かにそうなるのも不思議はない。
だがそれ以上に異様だったのが、そのお屋敷の真下に川が流れていることであった。いや正しくは、川の上にお屋敷を建てた、か?
「ルイさん、川の上にお風呂屋さんがあるんだけど……これは意味があるのですか?」
この自分の質問に対してルイさんは「入れば分かるよ」とだけ答えた。
お風呂屋さんのドアを開けると、いらっしゃいませと声をかけられた。その声を発したのは……エルフじゃなくって龍人だった。
ああ、ここのお風呂屋さんを経営してるのは龍人さん達なのか……
「本日はようこそおいでくださりました。ごゆるりと楽しんでいってくださいませ」
そんな挨拶に続いて簡単な説明を受ける。うん、銭湯と大差ないシステムだな。
ただ違うのは、覗きをしたら永久追放かつ、覗いた人の名前はこのお風呂屋さんの経営が幕を閉じるまでずーっと入り口に晒されるっていう点か。すでに一〇名弱の名前が載っている……男だけかと思いきや、女の名前もあった。
「覗きなんかやるつもりは初めからないから、ペナルティは考えなくていいね」
服を脱ぎ、アクアを頭に乗せ、腰にタオル&湯気ガードを装着して、風呂場へといざ出陣。
そうして浴場の扉を開けた瞬間、このお風呂屋さんがなぜ川の上に建てられたのかを理解した。
なるほど、こう来たか……温泉が流れている。いや、川のど真ん中に温泉が湧いているんだ。
(リアルでもこういう温泉があるってことを知識としては知っていたけど、実際に行ったことはなかったからなぁ。まさかこんな場所で体験できるとは)
早く入りたいが、まずは体を清めないと。頭も体もしっかりと洗い、アクアもしっかりと磨いてあげる。アクアは綺麗好きだから普段から不潔ではないが、念入りに洗ってやるとより綺麗になる。水を含んだ羽根が、天井に吊るされている装置から出ている光を反射して輝いている。
「では入るか……すまないが、アクアはこれでな」
桶に湯船からお湯をとってアクアをその中に入れた後、自分もゆっくりと体を湯の中へ沈めていく。
ちなみに、先客は数名いたが、アクアの入浴をとがめる人はいなかった。
(あー……ああー……やっぱり温泉は良いものだなぁ……)
声が漏れないように抑えるのに結構苦労した。
こうして実際に入ってみると、温泉の仕組みがよく分かった。川の底から熱湯が噴き出していて、それが冷たい川の水と混ざり合うことで、いい塩梅の温度になっているらしい。
中央部分には、熱湯が出ていますので近寄らないでください、という立て札があって、近寄ってみると確かにかなり熱い。自分にちょうどいい温度の場所を探して落ち着くのが、この温泉のやり方なのだろう。
(うーん、自分には端っこぐらいの温度がちょうどいいかな。ちょっとでも中央に近づくと熱くてくつろぐって感じじゃなくなってしまう)
アクアの入っている桶のお湯を交換した後、再び温泉に深く体を沈める。川が流れる音の中にいるような感じもしてきて、なかなか面白い温泉だ。リアルではそうそうできない体験だろう。心身ともに癒されていく気がする。
(実際に温泉に入っているわけじゃないから体が癒されることはないだろうけど、プラシーボ効果は十分ありそうだよな……こんなことを考えるのは無粋だけどさ。でも心は実に癒される、仕事でたまったストレスが流れ落ちていくような気がする。実にいい温泉だ)
誰もしゃべらないので、水の音だけが静かに、そして心地よく耳に届く。ゆっくりと目を閉じて、その音を楽しむ。そうしていると、心が穏やかになっていく。普段の喧騒を忘れ、この世界でやってきた戦いや訓練が瞼の裏に浮かんでは消えてゆく。そして出会った人々の顔も次々と浮かんで消え、さまざまな思い出が蘇ってくる。
(色々な場所を見てきたな。色々な人を見てきたな。良かったことも悪かったことも、全てに意味があるんだろう。それが分かるのは、きっとそう遠くないこと)
そんなことを思う。理由はない、そう言い切れる材料もない。でも、それがなんとなく分かるのだ。世界を回った、地下へも足を踏み入れた、そして次は空へと上がる。その先は? 宇宙にでも飛び出すか? 並行世界で一から開拓事業に乗っかる? もしかしたらあるかもしれない展開だが……なんとなく「その展開はないな」と思ってしまう。
(ひとまずは、空で起こるであろう一件だな。そっちを何とかしていい方向に持っていけば、その先も見えるようになるだろう。あと一月半を無駄にしないように、しかし思いつめたりはしないようにやっていこう。そのときが来たら、全力でぶつかるしかない。どのみちぶっつけ本番なことはどうしても出てくるんだ。くよくよと悪いことばかり考えても仕方がない。最悪を想定するのと、ただただ嫌なことを考えるのは完全に別だ)
っと、それなりに長く入っているし、体も十分に温まった。そろそろ上がるか。
目を開けてお湯から出て、アクアを回収。脱衣所で体を拭いたら服を着て、風呂屋の外へ。そこで冷たい飲み物が売っていたので、果実水を二人分買い、アクアと一本ずつ分け合う。自分は腰に左手を当てながら飲むスタイルで、アクアはストローで飲んでもらう。欲を言えばコーヒー牛乳があればよかったのだが、残念ながらここにはない。
「あ、アース君も上がってたのね。おじさん、私にも果実水を一つくださいな」
「あいよ、よく冷えてるぞ」
と、ルイさんも上がってきたか。意外なことに、ルイさんも腰に手を当てて一気飲みのスタイルで果実水を飲み干した。それを見たお店の龍人さんも「相変わらず気持ちいい飲みっぷりだな」と満足そうに頷いている。
「じゃ、アース君、帰りましょう。おじさん、また入りに来ますね」
「おう、待ってるぞ。またな!」
どうやら顔なじみのようだな。気軽なやり取りからそれを感じる。
さて、今日はこのままルイさんの家でログアウトだ。エルフ領にいるうちは、このお風呂屋さんに通い詰めるのもいいかもしれない。
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