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18巻
18-3
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「なんか、どっと疲れたぜ……まさか魔王様直々の呼び出しがあるとか、予想もしていなかったからなぁ」
なんて言葉を零すツヴァイ。見物に出かけたノーラを除くいつもの『ブルーカラー』メンバーは、今回の一件について話をしようと自分の部屋に集まった。
宛がわれた部屋はどこも十分に広かったのだが、自分に割り振られた部屋は特にデカかった。間違いなく、「魔王の代理人」になっているからだろうなぁ。
そして、自分の部屋だけが特別広いことに関する質問は全く飛んでこない。「アースだから、どうせまたなんかやらかしたんだろ」という認識らしい。まあそうなんですが。
「それにしても、魔王様は格好よかったですね~。鎧姿でお顔を拝見できなかったのは残念でしたけど、魔王様にも色々とご都合があるから仕方ないんでしょうし~」
ミリーの言葉に頷く女性陣。あの鎧の中身は女性なんですけどね。
「魔王様が直々に、ということからして、炭不足はかなりマズい状況に陥ってたんだろうな。褒賞がとんでもなかったからな……このペンダント一つとっても相当な逸品だぜ?」
レイジの言葉に反対意見は出ない。
「ともかく、もう完全に窮地は脱したと言えるわけですね。正直ホッとした、というのが私の感想です」
こちらはカザミネの発言。そうだな、自分もようやく肩の荷を下ろしてホッとできたと感じるよ。炭作りを始めたのは半ば思い付きだが、どうにかしなくちゃマズいと強く感じたのも本当だったわけで。
「それにしても、さすがは王ですわね……威圧感というか何というか、圧倒されましたわ。礼を言われているだけだというのに、私、震えが止まりませんでしたわ」
と、エリザ。ふむ、ドリルロールを備えているだけあって、高い立場にある人が醸し出す威圧感みたいなものに敏感なのかもしれない。偏見かもしれないが、どうしても金髪ドリルロールって貴族の子女のイメージが強いんだよね。それを口に出しはしないけど。
「魔王様もそうですけど、その横にいた四天王の皆さんも威厳がありました。よくある『奴は四天王の中でも最弱だ』のネタが一切通じない、強者の雰囲気が漂っていましたね」
エリザの言葉を引き継ぐようにカナさんが言う。実際、四天王の彼女たちもかなりの強者だからね。エキドナに死神、リビングアーマーにサキュバスクィーン。その気になれば鼻歌を歌いながらリアルに無双をやっちゃえる皆様です。
「その上美人揃いだったよね。一人は鎧姿で詳しくは分からなかったけど、あとの三人はおかしいレベル! あの顔、あのスタイル! 下半身が蛇だったり黒いフードを纏ったりしてたけど、それでも分かる! 女からすれば嫉妬しかないよ!」
このロナちゃんの発言に、皆が一斉にずっこけた。おいおい、あの謁見の最中にそんなところに注目してたんかい。今までの神妙な空気が木っ端微塵ですよ。
「あー、えーっと。なんか職人メンバーにも、顔を赤くしてる人が何人かいたねー。やっぱり四天王の皆さんの魅力にやられちゃってたのかもね。ま、まさかレイ君はそんなことないだろうけどね?」
おっと、レイジの恋人であるコーンポタージュの声が、いつもより低いですよ? レイジの返答次第では、小さいお子様にはちょっと見せられない状況が発生するかもしれません。
「当たり前だろ。というよりも魔王様の存在感に圧倒されて、他の人は全く目に入っていなかったぞ俺は。ロナのほうがおかしいんだ」
「ボクがおかしいってなんだよー!?」
──と、レイジは上手く悲劇を回避した。ロナちゃんが頬をハムスターのように膨らませてレイジをぽかぽかと軽く叩きながら怒っているが、それぐらいで済んで何より、と言っていいだろうな、この場では。
「とりあえずロナ、そこまでにしとけ。で、今後どうするよ? しばらくは滞在してもいいってことだから、さっさと行っちまったノーラのようにしばらく魔王城の中のいろんなものを見せてもらうってのも悪くないよな? その一方で、吹雪が収まったから各地にあるダンジョンで素材集めに励むって選択肢ももちろんある。このどちらにするかだけでも決めちまおうぜ?」
ツヴァイの提案に、うーんと首を捻る『ブルーカラー』のメンバーたち。自分は前に一回ここに来ているし、長居しないですぐお暇するつもりだけど……皆はどうするのかな。なかなか入ることができない場所だから、魔王城の中を見てみたい、って意見のほうが多そうな気がするけど。
「俺は魔王城の中を見てみたいな。この機会を逃したら次はいつになるか分からん」
口火を切ったレイジの意見に「ボクもそれに同意見だね」とか「そうですね、こんな機会はそうそうないでしょう」と賛成ばかりが積み重なる。そして結局、ダンジョンに向かおうという意見は一切出なかった。
「なんかあっさり決まったが、簡単でいいか……で、アースはどうするんだ? しばらく魔王城を堪能するのか、冒険を再開するのか」
ツヴァイからの問いかけに「冒険に戻るつもり」と答えようとして、自分はあるものに気がついた。それは、炭の一件で冒険が止まる前まで行動を共にしていたミリー、カザミネ、カナさんの三人の視線。
三人は一様に自分のことを見ながら、どこぞのテレビコマーシャルに出ていたチワワのような表情を浮かべていたのだ。まるで、「こんな滅多にない機会を、潰さないでくれるよね? ね!?」と言わんばかりに。
そうか……ここで、自分が冒険に戻ると宣言するとしよう。自分の次の目的地は、あの植物系のダンジョン。で、あそこに行くとなれば、以前自分に同行してくれたこの三人も一緒に来ざるを得ない。仮に自分が一人で行くと言っても、ツヴァイはそれを遠慮と考えて、三人を同行させる気がする。つまり、三人は魔王城内の見物ができないわけで……
なるほど。ここで自分が冒険を優先すると、『ブルーカラー』内部に要らんいざこざを呼ぶかもしれないな。
「そうだな、せっかくだし……自分も魔王城でしばしのんびりさせてもらうことにするよ」
そう口にした途端、ホッとした表情を浮かべる三人。さすがにあんな表情を浮かべられてはねぇ。男女関係なしだったな……破壊力の大きさが。
まあいいさ、先を急ぐわけでもない。多分魔王城の中にもあるであろう訓練所を借りて、久しぶりに蹴り技の復習でもしよう。最近は蹴り技の出番がないからな。せめてトレーニングくらいしておかないと、いざという時に困るかもしれない。アクアは寝てるだけになりそうだけど。
◆ ◆ ◆
翌日ログインしてみると、ツヴァイからメッセージが来ていた。「今日は『ドキドキ! 秘密の魔王城の中身をドーンと初公開!』ツアーに行ってくるぜ」という内容だ。
なんなんだそのタイトルは、と突っ込みたくなる。が、まあ放っておこう。リビングメイドさんの先導で魔王城の中を見て回っているらしいので、変な所に入り込む展開にはならないだろう。
さてと、それじゃあ自分は、鈍ってしまっている蹴りの修練に行きますか。
「すみません、少しよろしいでしょうか?」
近くにいたリビングメイドさんに話しかけて、魔王城内に訓練場があるかどうかを確認。やはりあるということなので、自分が使用してよいかどうかを尋ねてみたところ、問題ないとのお返事を頂いた。
城の兵士たちもおりますがよろしいですか?と確認されたが、それは別に構わないですと答える。これといって秘密の技を放つつもりもないし、ひとまず感覚を取り戻したいだけなので、見られても問題ない。
リビングメイドさんに案内してもらって魔王城内を歩き、訓練場へとたどり着いた。
広い。地下にあるにもかかわらず、広々とした空間が広がっていた。運動場に、ダミー人形が配置されているエリア、何らかの特殊な訓練に使うと思われる妙な装置などなど……まあとにかく広い。
その広い訓練場のあちこちで魔族の兵士の皆さんが訓練を行っており、上官からの指示らしき怒号と、それに応じる熱い叫び声が幾つも飛び交っている。彼らの邪魔はしないように気をつけないと。
「それでは、何かありましたら入り口に控えているメイドに何なりとお申し付けください」
そう言い残して、案内してくれたリビングメイドさんは立ち去った。
その後ろ姿を見送った後、ダミー人形の元に向かい、早速訓練に入る。訓練なので、普段足に付けている武具は解除してある。
まずは基本のローキックを左右五〇本ずつ打ってみて、感覚がどれだけ鈍っているかを確かめよう。
(四七、四八、四九、五〇)
しばらく、無心に近い心境でローキックを打ち続けた。
そしてその結果分かったのは、予想以上に鈍っていたということ。
ゲームなので、鈍っていようとステータスは落ちないし、スキルレベルだって落ちはしない。しかし、感覚としては相当な衰えを感じた。これはかなりマズい、今日一日は蹴りの訓練を行って、多少なりとも勘を取り戻さなくては。
それから、ざっと四〇分ほどだろうか? ローキックをメインに据えつつ、ミドルキックにハイキック、水面蹴りモドキや飛び蹴りなど様々な種類の蹴りの練習を繰り返していたところ、声をかけられた。
「なかなか熱心だな。随分くたびれたマントに身を包んでいるが、どこの部隊の者だ?」
振り返ると、そこには黒い鎧に身を包んだ一人の魔族男性が立っていた。顔に刻まれたしわの深さからして、かなりの経験を積んできたベテランの戦士だろう。
この方、自分を魔族の兵士の一人と勘違いしているようだ。そんな誤解はさっさと解いておこうと、自分は頭の装備だけ解除してフードを下ろし、素顔を見せる。
しかし、自分のマントがくたびれて見えたってことは、この方は部隊長とかそれぐらいの役職の人かな? 魔族の中である程度上位の人には、本来の姿が見えるはずだから。
「私はこの城に仕えている兵士ではなく、ちょっとした活動が評価されて、一時的に魔王城での逗留を許された人族なんです」
顔を晒しながらそう返答したところ、魔族の男性は額に手を当てながら天を仰いだ。やってしまったー、という感じが漂う。
「これは大変失礼しました。魔族にはあまりいない体術の使い手でしたので興味を引かれたのですが……いやはや、お客人とは存じませんで……」
おそらくこの方は、自分が前に魔王城に来たときの一件を知らないんだろうな。まあそれは別に構わない。いちいち頭を下げられても面倒だからねぇ。
「いえいえ、こちらもまぎらわしい格好で訓練をしていたのでお互い様、ということにしておきましょう。それでは訓練に戻りますので──」
と、ダミー人形相手の訓練に戻ろうとしたのだが、そこにまた声をかけられる。
「ダミー相手もいいですが、どうでしょう? 一つ、私と手合わせといきませんか? あそこなら色々と調整もできますから、お客人の体が傷つくこともありませんよ」
魔族の男性はある施設を指さしながら、そんな提案をしてきた。
うーん、とりあえず話を聞くか。有益そうなら乗ればいい。
「申し訳ないのですが、実はここに来るのは初めてでして。あの施設がどういったものなのか全く分からないので、説明をしていただければ──」
そう言うと、魔族の男性は施設の説明をしてくれた。
その装置は、一定範囲の地形をある程度操ることができるという物だった。石畳、滑りやすい足場、足首が埋まる沼など、様々なシチュエーションでの戦いが試せるのだ。
更に、一定のダメージを防ぐシールドの付与もでき、そのシールドが破れた時点で強制転移が発動、訓練中の死亡事故を防ぐ能力もあるそうだ。
ちなみに作ったのは今代の魔王様らしい……これも魔道具研究の一環なんだとか。
「というわけでしてな、あれを用いれば、本気で打ち合いをしても再起不能や死んでしまうような心配がないのです。やはり本気の打ち合いは、戦士を鍛え上げるには最適な方法ですからな。今代の魔王様は、そうした訓練がはかどる様々な魔道具を作ってくださる。我らはその恩に報いるべく、平時でもこうして訓練を欠かさないというわけでしてな」
なるほど、訓練場に熱気が溢れているのはそういう一面があるからか。
とにかく施設の意味と役割は理解した。今日は基本的な蹴り方の修練だけにしておくつもりだったが、そこに固執する理由もない。動かないダミー人形よりも動く相手とやったほうがいい訓練になるのは確かだ。ここは話に乗っておくか……
「分かりました、お付き合いいたします」
さて、魔族の皆さんは基本的に魔法が得意なわけだが、だからといって体がもやしみたいに貧弱なわけではない。直接ぶつかり合うとどうなるのかを知るには、いい機会だな。
以前戦った暴走魔力と似た感じか、それとも全く違うのか……やってみればわかるだろう。
5
「では、今回の訓練にあたって何か制限をつけるといった要望はありますかな?」
そう言ってきた魔族の男性に自分が伝えた要望は──
一つ目、お互いにアーツや魔法、アイテムの使用を禁止し、純粋な体術の技量での勝負とすること。何回か戦った後なら、この制限を解除してみるのもいいが。
二つ目、自らの戦闘スタイルの開示。ちなみに自分は、両手に装備している小盾と蹴り技のみで戦うと宣言した。つまり、盾に仕込んである隠しスネークソードは用いない。愛用の魔剣【円花】もなし。あくまで蹴りの訓練なんだから、当然使っちゃダメだろう。一方の魔族の男性は、剣と盾を使うオーソドックスなスタイルのようだ。
「では次に、戦う場所の希望はありますかな?」
これは魔王領らしく雪原地帯とさせてもらった。これといって障害物も配置しない。蹴り技の確認が目的だから、そういったオブジェクトを利用する戦いは後回しだ。
「──これで設定は完了ですな。バリアの強さは、一般的な魔族兵士が戦闘不能になる体力消耗レベルに設定しております。このバリアを破られて強制転移されれば負けということで」
今回、勝ち負けはどうでもいい。あくまで鈍った蹴りのカンを取り戻すことを最重要目標に置く。
でもおそらく何度も戦っているうちに闘志が燃え上がってきて、悔しい、もう一回!となりそうな自分がいるんだよな。
ま、そうなったらそうなったでいいや。向こうが声をかけてきたんだから、ある程度付き合ってもらいましょうか。この施設の特性上、大怪我はまずあり得ないから、ちょくちょく休息を挟めば何回でも戦えるかな。
「了解しました。とりあえず二、三回戦ってみれば感覚を掴めると思いますので、よろしくお願いします」
フィールドに立ち、まずは一礼。その後、両者共構えを取って様子を見合う形になる。
パッと見た感じ、魔族の男性は中型盾の後ろに身をしっかりと隠して、剣もこちらからは見えない位置に置いているようだ。剣先が見えないというのは、かなりやりづらいが……とりあえずひと当てしてみるか。
一歩一歩ゆっくりと間合いを詰め、相手の剣が届くであろう距離の少し手前まで近寄る。向こうは完全に見に徹するようで、じっとこちらの動きを見極めようとしている。
(アーツと魔法が禁止である以上、向こうにこの距離で仕掛けられる手はないはず。となるとこっちとしては、一気に距離を詰めるか、あえて一回相手に剣を振らせたところを盾で受け流すなどして動きを制限するか、踏み込むと見せかけて揺さぶるかだが……よし、今回はフェイントなしで一気に近寄るか。それで相手の技量も大雑把に分かるだろう)
考えを纏め、雪の降り積もった地面を蹴る。向こうはまだ剣を振ってこない。まだ振ってこない。もう間合いに入っているのに──ならば、遠慮なく初手を頂くまで。
向こうの盾がやや前に突き出されているので、ミドルキックやハイキックではそこに引っかかってしまう。足元を狙った右足のローキックを繰り出して、様子を見ることにする。
だがこのローキック、向こうも予想済みだったようで、一歩後ろに引かれることであっさりと避けられてしまった。そして、その間合いは剣の間合い。
なるほど、これが狙いだったか。右腕が振るわれ、片手剣の刀身がその姿を現す。
(が、ちょっと遅いかな)
自分から見て左上から右下へと袈裟懸けに振られる――はずだった相手の剣が、自分を捉えることはなかった。
相手が様子見していたように、こちらもまだ様子見。回避されたとはいえ、先程のローキックは体勢を大きく崩すようなものではない。だから、相手の反撃に対して更に反撃を加えることに成功したのだ。
自分が蹴ったのは剣を持つ相手の手。一歩踏み込んでから、左足を回し蹴りのような軌道で遠慮なく叩き込んだ。鈍っていたのはあくまで蹴りの感覚だけ。そしてその感覚も、ダミー人形を蹴ることである程度戻っていた。
加えて、魔王様と共に暴走魔力と戦って得た経験は、きちんと体の中に残っている。今の自分になら、これぐらいのスピードの攻撃であれば後の先モドキの手を繰り出すことも決して不可能ではない。
「な、なんと!?」
一方、対戦相手である魔族の男性はこの反応に驚いたようだ。数歩後ずさって、お互いの間合いの外に出ていく。
もちろん、ここで追撃を選ばない理由は一切ない。自分は距離を詰めると、今度は水面蹴りのような形で再び足元を狙う。
この水面蹴りは命中こそしたが、相手を転倒させるまでには至らず。が、蹴ったのが軸足だったのか向こうの動きが止まった。盾に仕込んでいるスネークソードが使えれば、ここで追撃を続けるのだが……今回こっちは蹴り限定だ。
盾が邪魔で、蹴りの通りそうなコースはない。仕方なく、ここは後ろに下がって間合いを取ることにした。アーツ禁止の縛りも存外に厳しいな。《大跳躍》も《フライ》も使えないので、盾を使う人相手だと攻撃の幅がかなり狭まってしまう。例えば投げ技持ちだったなら、無理やり掴んで投げてしまえるだろう。
そしてしばし睨み合う。向こうがどう思っているのか分からないが、こちらからするとただひたすらに盾が邪魔だ。弾き飛ばすか、一時的に使えなくしたいものの、その手段が思いつかない。【強化オイル】をぶん投げるという手段も採れないし、こちらから崩すのは難しすぎる。相手の攻撃を誘い、そのときに生まれる意識の隙間に攻撃を差し込むカウンター狙いでいくか。それしか手段が思いつかないな。
そのためには、やはり相手の間合いに入るしかない。障害物があればまた違った方法があっただろうな、なんてことを思う。
お互いに無言のまま、距離をじりじりと詰めていく。向こうの間合いに入ると、再び剣が自分目がけて振り下ろされた。しかし、その速度は先程と比べて段違いに速い。ここは無理をせずバックステップで回避する。
なるほど、なるほど。向こうもどうやらそれなりに本気になったらしい。こうなると、さっきやったような後の先モドキは無理だな、盾を使って受け流していかないとマズい。自分が使っているのは小盾だから、アーツが使えない状態ではまともに受け止めるのには向いてない。
息を整えてからもう一度、今度は先程よりも早く前に出る。三度剣が振られ、今度は横薙ぎの形で襲い掛かってきた。なので、こちらは体勢を低くしながら左手に装備した【毒蛇の盾】で受け流し、剣の軌道の下に潜り込む。
ジャリィンと金属のこすれ合う音が頭上から聞こえ、剣が生じさせた風を感じる。
受け流しは成功した。ということは当然、魔族男性の防御には穴が開いている。そこを逃さない。
「セイッ!」
声を発しながら立ち上がりつつ、右の膝を相手の腹部辺りに叩きつける。うっ、といううめき声が上がったのを聞いてから、続けて遠心力を乗せた右の回し蹴りを顔面目がけて叩き込む。
これは結構なダメージになったようで、魔族男性が大きくよろけた。ここで遠慮せずに、回し蹴りを二回、三回と連続で側頭部にぶち込んでいく。
三回目の回し蹴りで相手が軽く吹き飛んだので、倒れたところに追い打ちのニードロップを叩き込んだ。これが決め手になったようで、魔族男性はフィールドから追放された。
なるほど、魔力のバックアップがなければ一般兵士はこんな感じなのか。まあ、実戦ではここに、魔族の特徴でもある魔力による大幅な強化が入る。今回の結果をそのまま当てはめることはできないだろう。
システムが停止したようで、足元が雪原から訓練場のものに戻る。
「いやはや、やられました。まさかあそこまで見事に受け流されるとは、言い訳のしようがありませんな」
魔族男性が近寄ってきて、そう褒めてくれた。しかし、こちらにも余裕があったわけではない。
「いえいえ、こちらもあの受け流しを失敗すれば頭を叩き切られていたわけですから……そうなった場合は、逆にこちらが一発で戦闘不能になっていました」
あの受け流しの成否が勝負を分けたと言っていい。正直に言えば、今更ながら心臓がバクバクと速く脈打っている。アーツなしでの受け流しがあんなに恐ろしいとは……久しく忘れていたことだった。
最近は『ブルーカラー』のメンバーの協力もあってソロの時間が少なく、あまり前線に立たなかったから、尚更そう感じるのだろうか。
「いえいえ、それをやろうと一瞬で決断することができる度胸は素晴らしいものです。さて、ひと休みした後で、もう一戦と参りませんか? そして次はぜひ、アーツや魔法も解禁したいと考えておりますが、如何でしょうか」
──こちらに聞く体をとりつつ、表情は『逃がしませんぞ』と言ってるんですけどねぇ?
まあいいか、「痛風の洞窟」にあった闘技場よりは気楽にやれる条件が整っているし、もう少し体を動かしていこうか。
なんて言葉を零すツヴァイ。見物に出かけたノーラを除くいつもの『ブルーカラー』メンバーは、今回の一件について話をしようと自分の部屋に集まった。
宛がわれた部屋はどこも十分に広かったのだが、自分に割り振られた部屋は特にデカかった。間違いなく、「魔王の代理人」になっているからだろうなぁ。
そして、自分の部屋だけが特別広いことに関する質問は全く飛んでこない。「アースだから、どうせまたなんかやらかしたんだろ」という認識らしい。まあそうなんですが。
「それにしても、魔王様は格好よかったですね~。鎧姿でお顔を拝見できなかったのは残念でしたけど、魔王様にも色々とご都合があるから仕方ないんでしょうし~」
ミリーの言葉に頷く女性陣。あの鎧の中身は女性なんですけどね。
「魔王様が直々に、ということからして、炭不足はかなりマズい状況に陥ってたんだろうな。褒賞がとんでもなかったからな……このペンダント一つとっても相当な逸品だぜ?」
レイジの言葉に反対意見は出ない。
「ともかく、もう完全に窮地は脱したと言えるわけですね。正直ホッとした、というのが私の感想です」
こちらはカザミネの発言。そうだな、自分もようやく肩の荷を下ろしてホッとできたと感じるよ。炭作りを始めたのは半ば思い付きだが、どうにかしなくちゃマズいと強く感じたのも本当だったわけで。
「それにしても、さすがは王ですわね……威圧感というか何というか、圧倒されましたわ。礼を言われているだけだというのに、私、震えが止まりませんでしたわ」
と、エリザ。ふむ、ドリルロールを備えているだけあって、高い立場にある人が醸し出す威圧感みたいなものに敏感なのかもしれない。偏見かもしれないが、どうしても金髪ドリルロールって貴族の子女のイメージが強いんだよね。それを口に出しはしないけど。
「魔王様もそうですけど、その横にいた四天王の皆さんも威厳がありました。よくある『奴は四天王の中でも最弱だ』のネタが一切通じない、強者の雰囲気が漂っていましたね」
エリザの言葉を引き継ぐようにカナさんが言う。実際、四天王の彼女たちもかなりの強者だからね。エキドナに死神、リビングアーマーにサキュバスクィーン。その気になれば鼻歌を歌いながらリアルに無双をやっちゃえる皆様です。
「その上美人揃いだったよね。一人は鎧姿で詳しくは分からなかったけど、あとの三人はおかしいレベル! あの顔、あのスタイル! 下半身が蛇だったり黒いフードを纏ったりしてたけど、それでも分かる! 女からすれば嫉妬しかないよ!」
このロナちゃんの発言に、皆が一斉にずっこけた。おいおい、あの謁見の最中にそんなところに注目してたんかい。今までの神妙な空気が木っ端微塵ですよ。
「あー、えーっと。なんか職人メンバーにも、顔を赤くしてる人が何人かいたねー。やっぱり四天王の皆さんの魅力にやられちゃってたのかもね。ま、まさかレイ君はそんなことないだろうけどね?」
おっと、レイジの恋人であるコーンポタージュの声が、いつもより低いですよ? レイジの返答次第では、小さいお子様にはちょっと見せられない状況が発生するかもしれません。
「当たり前だろ。というよりも魔王様の存在感に圧倒されて、他の人は全く目に入っていなかったぞ俺は。ロナのほうがおかしいんだ」
「ボクがおかしいってなんだよー!?」
──と、レイジは上手く悲劇を回避した。ロナちゃんが頬をハムスターのように膨らませてレイジをぽかぽかと軽く叩きながら怒っているが、それぐらいで済んで何より、と言っていいだろうな、この場では。
「とりあえずロナ、そこまでにしとけ。で、今後どうするよ? しばらくは滞在してもいいってことだから、さっさと行っちまったノーラのようにしばらく魔王城の中のいろんなものを見せてもらうってのも悪くないよな? その一方で、吹雪が収まったから各地にあるダンジョンで素材集めに励むって選択肢ももちろんある。このどちらにするかだけでも決めちまおうぜ?」
ツヴァイの提案に、うーんと首を捻る『ブルーカラー』のメンバーたち。自分は前に一回ここに来ているし、長居しないですぐお暇するつもりだけど……皆はどうするのかな。なかなか入ることができない場所だから、魔王城の中を見てみたい、って意見のほうが多そうな気がするけど。
「俺は魔王城の中を見てみたいな。この機会を逃したら次はいつになるか分からん」
口火を切ったレイジの意見に「ボクもそれに同意見だね」とか「そうですね、こんな機会はそうそうないでしょう」と賛成ばかりが積み重なる。そして結局、ダンジョンに向かおうという意見は一切出なかった。
「なんかあっさり決まったが、簡単でいいか……で、アースはどうするんだ? しばらく魔王城を堪能するのか、冒険を再開するのか」
ツヴァイからの問いかけに「冒険に戻るつもり」と答えようとして、自分はあるものに気がついた。それは、炭の一件で冒険が止まる前まで行動を共にしていたミリー、カザミネ、カナさんの三人の視線。
三人は一様に自分のことを見ながら、どこぞのテレビコマーシャルに出ていたチワワのような表情を浮かべていたのだ。まるで、「こんな滅多にない機会を、潰さないでくれるよね? ね!?」と言わんばかりに。
そうか……ここで、自分が冒険に戻ると宣言するとしよう。自分の次の目的地は、あの植物系のダンジョン。で、あそこに行くとなれば、以前自分に同行してくれたこの三人も一緒に来ざるを得ない。仮に自分が一人で行くと言っても、ツヴァイはそれを遠慮と考えて、三人を同行させる気がする。つまり、三人は魔王城内の見物ができないわけで……
なるほど。ここで自分が冒険を優先すると、『ブルーカラー』内部に要らんいざこざを呼ぶかもしれないな。
「そうだな、せっかくだし……自分も魔王城でしばしのんびりさせてもらうことにするよ」
そう口にした途端、ホッとした表情を浮かべる三人。さすがにあんな表情を浮かべられてはねぇ。男女関係なしだったな……破壊力の大きさが。
まあいいさ、先を急ぐわけでもない。多分魔王城の中にもあるであろう訓練所を借りて、久しぶりに蹴り技の復習でもしよう。最近は蹴り技の出番がないからな。せめてトレーニングくらいしておかないと、いざという時に困るかもしれない。アクアは寝てるだけになりそうだけど。
◆ ◆ ◆
翌日ログインしてみると、ツヴァイからメッセージが来ていた。「今日は『ドキドキ! 秘密の魔王城の中身をドーンと初公開!』ツアーに行ってくるぜ」という内容だ。
なんなんだそのタイトルは、と突っ込みたくなる。が、まあ放っておこう。リビングメイドさんの先導で魔王城の中を見て回っているらしいので、変な所に入り込む展開にはならないだろう。
さてと、それじゃあ自分は、鈍ってしまっている蹴りの修練に行きますか。
「すみません、少しよろしいでしょうか?」
近くにいたリビングメイドさんに話しかけて、魔王城内に訓練場があるかどうかを確認。やはりあるということなので、自分が使用してよいかどうかを尋ねてみたところ、問題ないとのお返事を頂いた。
城の兵士たちもおりますがよろしいですか?と確認されたが、それは別に構わないですと答える。これといって秘密の技を放つつもりもないし、ひとまず感覚を取り戻したいだけなので、見られても問題ない。
リビングメイドさんに案内してもらって魔王城内を歩き、訓練場へとたどり着いた。
広い。地下にあるにもかかわらず、広々とした空間が広がっていた。運動場に、ダミー人形が配置されているエリア、何らかの特殊な訓練に使うと思われる妙な装置などなど……まあとにかく広い。
その広い訓練場のあちこちで魔族の兵士の皆さんが訓練を行っており、上官からの指示らしき怒号と、それに応じる熱い叫び声が幾つも飛び交っている。彼らの邪魔はしないように気をつけないと。
「それでは、何かありましたら入り口に控えているメイドに何なりとお申し付けください」
そう言い残して、案内してくれたリビングメイドさんは立ち去った。
その後ろ姿を見送った後、ダミー人形の元に向かい、早速訓練に入る。訓練なので、普段足に付けている武具は解除してある。
まずは基本のローキックを左右五〇本ずつ打ってみて、感覚がどれだけ鈍っているかを確かめよう。
(四七、四八、四九、五〇)
しばらく、無心に近い心境でローキックを打ち続けた。
そしてその結果分かったのは、予想以上に鈍っていたということ。
ゲームなので、鈍っていようとステータスは落ちないし、スキルレベルだって落ちはしない。しかし、感覚としては相当な衰えを感じた。これはかなりマズい、今日一日は蹴りの訓練を行って、多少なりとも勘を取り戻さなくては。
それから、ざっと四〇分ほどだろうか? ローキックをメインに据えつつ、ミドルキックにハイキック、水面蹴りモドキや飛び蹴りなど様々な種類の蹴りの練習を繰り返していたところ、声をかけられた。
「なかなか熱心だな。随分くたびれたマントに身を包んでいるが、どこの部隊の者だ?」
振り返ると、そこには黒い鎧に身を包んだ一人の魔族男性が立っていた。顔に刻まれたしわの深さからして、かなりの経験を積んできたベテランの戦士だろう。
この方、自分を魔族の兵士の一人と勘違いしているようだ。そんな誤解はさっさと解いておこうと、自分は頭の装備だけ解除してフードを下ろし、素顔を見せる。
しかし、自分のマントがくたびれて見えたってことは、この方は部隊長とかそれぐらいの役職の人かな? 魔族の中である程度上位の人には、本来の姿が見えるはずだから。
「私はこの城に仕えている兵士ではなく、ちょっとした活動が評価されて、一時的に魔王城での逗留を許された人族なんです」
顔を晒しながらそう返答したところ、魔族の男性は額に手を当てながら天を仰いだ。やってしまったー、という感じが漂う。
「これは大変失礼しました。魔族にはあまりいない体術の使い手でしたので興味を引かれたのですが……いやはや、お客人とは存じませんで……」
おそらくこの方は、自分が前に魔王城に来たときの一件を知らないんだろうな。まあそれは別に構わない。いちいち頭を下げられても面倒だからねぇ。
「いえいえ、こちらもまぎらわしい格好で訓練をしていたのでお互い様、ということにしておきましょう。それでは訓練に戻りますので──」
と、ダミー人形相手の訓練に戻ろうとしたのだが、そこにまた声をかけられる。
「ダミー相手もいいですが、どうでしょう? 一つ、私と手合わせといきませんか? あそこなら色々と調整もできますから、お客人の体が傷つくこともありませんよ」
魔族の男性はある施設を指さしながら、そんな提案をしてきた。
うーん、とりあえず話を聞くか。有益そうなら乗ればいい。
「申し訳ないのですが、実はここに来るのは初めてでして。あの施設がどういったものなのか全く分からないので、説明をしていただければ──」
そう言うと、魔族の男性は施設の説明をしてくれた。
その装置は、一定範囲の地形をある程度操ることができるという物だった。石畳、滑りやすい足場、足首が埋まる沼など、様々なシチュエーションでの戦いが試せるのだ。
更に、一定のダメージを防ぐシールドの付与もでき、そのシールドが破れた時点で強制転移が発動、訓練中の死亡事故を防ぐ能力もあるそうだ。
ちなみに作ったのは今代の魔王様らしい……これも魔道具研究の一環なんだとか。
「というわけでしてな、あれを用いれば、本気で打ち合いをしても再起不能や死んでしまうような心配がないのです。やはり本気の打ち合いは、戦士を鍛え上げるには最適な方法ですからな。今代の魔王様は、そうした訓練がはかどる様々な魔道具を作ってくださる。我らはその恩に報いるべく、平時でもこうして訓練を欠かさないというわけでしてな」
なるほど、訓練場に熱気が溢れているのはそういう一面があるからか。
とにかく施設の意味と役割は理解した。今日は基本的な蹴り方の修練だけにしておくつもりだったが、そこに固執する理由もない。動かないダミー人形よりも動く相手とやったほうがいい訓練になるのは確かだ。ここは話に乗っておくか……
「分かりました、お付き合いいたします」
さて、魔族の皆さんは基本的に魔法が得意なわけだが、だからといって体がもやしみたいに貧弱なわけではない。直接ぶつかり合うとどうなるのかを知るには、いい機会だな。
以前戦った暴走魔力と似た感じか、それとも全く違うのか……やってみればわかるだろう。
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「では、今回の訓練にあたって何か制限をつけるといった要望はありますかな?」
そう言ってきた魔族の男性に自分が伝えた要望は──
一つ目、お互いにアーツや魔法、アイテムの使用を禁止し、純粋な体術の技量での勝負とすること。何回か戦った後なら、この制限を解除してみるのもいいが。
二つ目、自らの戦闘スタイルの開示。ちなみに自分は、両手に装備している小盾と蹴り技のみで戦うと宣言した。つまり、盾に仕込んである隠しスネークソードは用いない。愛用の魔剣【円花】もなし。あくまで蹴りの訓練なんだから、当然使っちゃダメだろう。一方の魔族の男性は、剣と盾を使うオーソドックスなスタイルのようだ。
「では次に、戦う場所の希望はありますかな?」
これは魔王領らしく雪原地帯とさせてもらった。これといって障害物も配置しない。蹴り技の確認が目的だから、そういったオブジェクトを利用する戦いは後回しだ。
「──これで設定は完了ですな。バリアの強さは、一般的な魔族兵士が戦闘不能になる体力消耗レベルに設定しております。このバリアを破られて強制転移されれば負けということで」
今回、勝ち負けはどうでもいい。あくまで鈍った蹴りのカンを取り戻すことを最重要目標に置く。
でもおそらく何度も戦っているうちに闘志が燃え上がってきて、悔しい、もう一回!となりそうな自分がいるんだよな。
ま、そうなったらそうなったでいいや。向こうが声をかけてきたんだから、ある程度付き合ってもらいましょうか。この施設の特性上、大怪我はまずあり得ないから、ちょくちょく休息を挟めば何回でも戦えるかな。
「了解しました。とりあえず二、三回戦ってみれば感覚を掴めると思いますので、よろしくお願いします」
フィールドに立ち、まずは一礼。その後、両者共構えを取って様子を見合う形になる。
パッと見た感じ、魔族の男性は中型盾の後ろに身をしっかりと隠して、剣もこちらからは見えない位置に置いているようだ。剣先が見えないというのは、かなりやりづらいが……とりあえずひと当てしてみるか。
一歩一歩ゆっくりと間合いを詰め、相手の剣が届くであろう距離の少し手前まで近寄る。向こうは完全に見に徹するようで、じっとこちらの動きを見極めようとしている。
(アーツと魔法が禁止である以上、向こうにこの距離で仕掛けられる手はないはず。となるとこっちとしては、一気に距離を詰めるか、あえて一回相手に剣を振らせたところを盾で受け流すなどして動きを制限するか、踏み込むと見せかけて揺さぶるかだが……よし、今回はフェイントなしで一気に近寄るか。それで相手の技量も大雑把に分かるだろう)
考えを纏め、雪の降り積もった地面を蹴る。向こうはまだ剣を振ってこない。まだ振ってこない。もう間合いに入っているのに──ならば、遠慮なく初手を頂くまで。
向こうの盾がやや前に突き出されているので、ミドルキックやハイキックではそこに引っかかってしまう。足元を狙った右足のローキックを繰り出して、様子を見ることにする。
だがこのローキック、向こうも予想済みだったようで、一歩後ろに引かれることであっさりと避けられてしまった。そして、その間合いは剣の間合い。
なるほど、これが狙いだったか。右腕が振るわれ、片手剣の刀身がその姿を現す。
(が、ちょっと遅いかな)
自分から見て左上から右下へと袈裟懸けに振られる――はずだった相手の剣が、自分を捉えることはなかった。
相手が様子見していたように、こちらもまだ様子見。回避されたとはいえ、先程のローキックは体勢を大きく崩すようなものではない。だから、相手の反撃に対して更に反撃を加えることに成功したのだ。
自分が蹴ったのは剣を持つ相手の手。一歩踏み込んでから、左足を回し蹴りのような軌道で遠慮なく叩き込んだ。鈍っていたのはあくまで蹴りの感覚だけ。そしてその感覚も、ダミー人形を蹴ることである程度戻っていた。
加えて、魔王様と共に暴走魔力と戦って得た経験は、きちんと体の中に残っている。今の自分になら、これぐらいのスピードの攻撃であれば後の先モドキの手を繰り出すことも決して不可能ではない。
「な、なんと!?」
一方、対戦相手である魔族の男性はこの反応に驚いたようだ。数歩後ずさって、お互いの間合いの外に出ていく。
もちろん、ここで追撃を選ばない理由は一切ない。自分は距離を詰めると、今度は水面蹴りのような形で再び足元を狙う。
この水面蹴りは命中こそしたが、相手を転倒させるまでには至らず。が、蹴ったのが軸足だったのか向こうの動きが止まった。盾に仕込んでいるスネークソードが使えれば、ここで追撃を続けるのだが……今回こっちは蹴り限定だ。
盾が邪魔で、蹴りの通りそうなコースはない。仕方なく、ここは後ろに下がって間合いを取ることにした。アーツ禁止の縛りも存外に厳しいな。《大跳躍》も《フライ》も使えないので、盾を使う人相手だと攻撃の幅がかなり狭まってしまう。例えば投げ技持ちだったなら、無理やり掴んで投げてしまえるだろう。
そしてしばし睨み合う。向こうがどう思っているのか分からないが、こちらからするとただひたすらに盾が邪魔だ。弾き飛ばすか、一時的に使えなくしたいものの、その手段が思いつかない。【強化オイル】をぶん投げるという手段も採れないし、こちらから崩すのは難しすぎる。相手の攻撃を誘い、そのときに生まれる意識の隙間に攻撃を差し込むカウンター狙いでいくか。それしか手段が思いつかないな。
そのためには、やはり相手の間合いに入るしかない。障害物があればまた違った方法があっただろうな、なんてことを思う。
お互いに無言のまま、距離をじりじりと詰めていく。向こうの間合いに入ると、再び剣が自分目がけて振り下ろされた。しかし、その速度は先程と比べて段違いに速い。ここは無理をせずバックステップで回避する。
なるほど、なるほど。向こうもどうやらそれなりに本気になったらしい。こうなると、さっきやったような後の先モドキは無理だな、盾を使って受け流していかないとマズい。自分が使っているのは小盾だから、アーツが使えない状態ではまともに受け止めるのには向いてない。
息を整えてからもう一度、今度は先程よりも早く前に出る。三度剣が振られ、今度は横薙ぎの形で襲い掛かってきた。なので、こちらは体勢を低くしながら左手に装備した【毒蛇の盾】で受け流し、剣の軌道の下に潜り込む。
ジャリィンと金属のこすれ合う音が頭上から聞こえ、剣が生じさせた風を感じる。
受け流しは成功した。ということは当然、魔族男性の防御には穴が開いている。そこを逃さない。
「セイッ!」
声を発しながら立ち上がりつつ、右の膝を相手の腹部辺りに叩きつける。うっ、といううめき声が上がったのを聞いてから、続けて遠心力を乗せた右の回し蹴りを顔面目がけて叩き込む。
これは結構なダメージになったようで、魔族男性が大きくよろけた。ここで遠慮せずに、回し蹴りを二回、三回と連続で側頭部にぶち込んでいく。
三回目の回し蹴りで相手が軽く吹き飛んだので、倒れたところに追い打ちのニードロップを叩き込んだ。これが決め手になったようで、魔族男性はフィールドから追放された。
なるほど、魔力のバックアップがなければ一般兵士はこんな感じなのか。まあ、実戦ではここに、魔族の特徴でもある魔力による大幅な強化が入る。今回の結果をそのまま当てはめることはできないだろう。
システムが停止したようで、足元が雪原から訓練場のものに戻る。
「いやはや、やられました。まさかあそこまで見事に受け流されるとは、言い訳のしようがありませんな」
魔族男性が近寄ってきて、そう褒めてくれた。しかし、こちらにも余裕があったわけではない。
「いえいえ、こちらもあの受け流しを失敗すれば頭を叩き切られていたわけですから……そうなった場合は、逆にこちらが一発で戦闘不能になっていました」
あの受け流しの成否が勝負を分けたと言っていい。正直に言えば、今更ながら心臓がバクバクと速く脈打っている。アーツなしでの受け流しがあんなに恐ろしいとは……久しく忘れていたことだった。
最近は『ブルーカラー』のメンバーの協力もあってソロの時間が少なく、あまり前線に立たなかったから、尚更そう感じるのだろうか。
「いえいえ、それをやろうと一瞬で決断することができる度胸は素晴らしいものです。さて、ひと休みした後で、もう一戦と参りませんか? そして次はぜひ、アーツや魔法も解禁したいと考えておりますが、如何でしょうか」
──こちらに聞く体をとりつつ、表情は『逃がしませんぞ』と言ってるんですけどねぇ?
まあいいか、「痛風の洞窟」にあった闘技場よりは気楽にやれる条件が整っているし、もう少し体を動かしていこうか。
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