辺境の村の少年たちが世界を救うまでの長いお話

川上とむ

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第一話『セレーネ村』

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「……こりゃあ! ウォルス! いい加減に起きんかぁ!」

 ……何かを蹴り上げる音がして俺の体が宙を舞う。

 次の瞬間には冷たく硬い床に転がり、完全に目が覚めた。

「……村長、おはよう」

「おはようじゃないわい」

 俺の顔を覗き込むように仁王立ちするのは、俺が居候している家の主。この村の村長だ。

 年季が刻まれた白髪頭に、見事な白髭を貯えた顔。そして右手には茶褐色の杖を持っている。

 もう80歳は過ぎているはすだけど、俺をベッドごと蹴り倒す力はどこから出てくるんだろうか。

「ぶっちゃけ杖、いらないんじゃないのか……?」

 思いっきり打ち付けた腰をさすりながら起き上がる。木でできた俺のベッドは、見事に横倒しになっていた。

「何をぶつぶつ言うとる。今日は教会から仕事を頼まれとるんじゃろうが。早く支度をせい」

「へいへい……相変わらず起こし方が荒っぽいな」

 俺は寝起きでボサボサになった頭をかきながら、一度外へ出る。

 表に出たら、床に落とされた時についた埃を落としながら建物を外壁沿いに歩いて、敷地の隅にある切り株に腰を落ち着ける。そこには蓋つきの桶が置いてあって、昨日のうちに汲んでおいた井戸水が入っていた。

「くぅー。さすが朝の水は冷たいし、一発で目が覚めるなー」

 その水をすくって、ばしゃばしゃと勢いよく顔を洗う。季節はすっかり春だけど、一晩おいた水は冷たくて気持ちがいい。

 そして気がつくと、波紋を広げる水面に見慣れた自分の顔が写っていた。

 燃えるような赤毛に、同じような深紅の瞳。村長が言うには若い頃の親父に似てきたらしいけど、俺にはよくわからない。

 その理由は簡単。俺の両親は十年前の戦争で行方不明になったからだ。その記憶も、すでにおぼろげにしかない。

「ま、今の俺にとっては両親の思い出より、この村の皆の方が大事だけどな」

 誰に言うでもなくそう口にしながら、適当に服の袖で水気を拭きとる。そして大きく伸びをすると、済みきった空に浮かぶ雲に交じって、無数の浮島が目に飛び込んできた。

 この世界のあらゆる大陸は空に浮いているんだけど、ここから見る事ができるのは、そのほとんどが無人の浮島だ。

 空のずっと向こうには、多くの人が住む別の大陸もあるらしいけど、ここから視認できる大陸といえば、遥か上に存在する『月の国』だけだ。

 理由はわからないけど、常に太陽と反対方向に見えている大陸なので、いつしかそう呼ばれていた。

 夜になると明かりらしいものも見えるし、人が住んでいるのかもしれない。実際に行ってみたって人の話、聞いたことないけどさ。

「それにしても、いつもの村の朝だなー」

 上げていた視線をゆっくりと戻す。今度は村の全景が見渡せた。

 ……朝食を終えて仕事に出ていく夫と、それを見送る妻と子、洗濯物を干す人、家畜に干し草を用意する農夫、早起きして畑を耕している爺さん、店の前で商品を搬入する商人、早朝から訓練に精を出す自警団、元気に走り回る子供たち……眠っていたセレーネ村が段々と賑やかになっていく。そんな様子が見える場所。子供の頃からのお気に入りの場所だった。

「この景色を独り占めできるのも、村長の家が村で一番高い場所にあるおかげだよな」

「こりゃあ! 支度にいつまでかかっとる!」

 ……せっかく清々しい気持ちになっていたのに、すぐ横の窓から村長の罵声が飛んできた。

「もう着替えんでいいから、これを羽織って早く行け! 遅刻じゃぞ!」

 そして窓越しにカーキ色の上着を投げ渡された。反射的に右手を構えて、それを受け取る。

「よーし、それじゃ、行くとするか!」

 そして俺はその上着に袖を通すと、そのまま駆けだした。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ……村長の家からまっすぐ伸びる長い石段を一気に下ると、村唯一の井戸がある。

「おはようウォルスちゃん。今日も朝から仕事かい? 頑張るねぇ」

「昨日、ゲレスさんの畑にイタチが出たらしいんだけど、ウォルスは何か知っているかい?」

 そこには朝から井戸端会議に花を咲かせるおばさんたち数人が集まっていて、もし足を止めようものなら例外なくその会話に巻き込まれてしまうだろう。

「おはよう! ごめん、急いでるから!」

 走る速度は緩めずに、そんなおばさんたちの脇を走り抜ける。最近は仕事も忙しくなってきたし、ここで足止めをくらうわけにはいかない。

 付け加えると、俺は村長のところに居候しながら便利屋として働いている。仕事内容は村の皆からの頼まれごとが主で、収穫作業の手伝いに雨漏りの修理、買い出しから子供のお守まで多岐に渡る。

 あまり稼ぎはないんだけど、それは余所者として村にやってきた俺を温かく迎え入れてくれた皆への恩返しみたいなものだと思っている。正直なところ、俺はこの仕事に誇りを持っていた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ……そんなおばさんたちの井戸端包囲網をかいくぐり、井戸を左に曲がると目的地の教会だ。

 小さな村には似つかわしくない立派な建物だけど、その壁の至る所には蔦が絡まり、正面扉の両脇にある小さな花壇は雑草に覆われていた。

「掃除するの、ルナだけだもんな……」

 最近あいつも忙しいみたいだし、今度庭掃除を手伝ってやっても良いかもしれないな。

 ……ちなみにルナは俺の幼馴染だ。先の戦争の時、俺と一緒に保護された女の子で、境遇が似ていたのもあってそれなりに仲良く……。

「おーっす! ウォルス!」

 ……花壇の前でそんなことを考えていた矢先、教会の脇に植わっている木の陰から小太りの青年がのっそりと姿を現した。

「……ダン、またそこでルナが出てくるのを待ち伏せしてたのか?」

 こいつも俺の幼馴染……いや、悪友のダンだ。そばかすの残る顔に、赤茶色の髪。大好きなイノシシ肉を食べ過ぎているのか、また少し太った気がする。

「待ち伏せだなんて人聞き悪いなぁ……それより、ウォルスは教会に用事か?」

「ああ、ソーンさんから仕事を頼まれててな」

「……ということは、ルナちゃんにも会うんだろ?」

「そりゃ、会うかもしれないけど……」

「じゃあさー……」

 ダンは含みのある表情を見せつつ、後ろ手でモジモジしながら近づいてくる。正直、きもい。

「あー……渡したいもんがあるなら、直接渡してやった方がルナも喜ぶんじゃないか? だからそれ以上ソバカスだらけの顔を近づけないでくれ。思わず殴っちまいそうだ」

 数歩後ずさりながら、そう助言してやる。これでも長い付き合いだし、こいつの考えはわかっているつもりだ。

「いやほら、ソーンさん怖いし……これ、俺からってことでルナちゃんに渡してくれない? 頼むよ」

 すると、ダンは拝むようにしながら俺の前に真っ赤に熟したリンゴを差し出してきた。この村にリンゴの木はないから、わざわざ商人から買ってきたのか。安くは無いだろうに。奮発したなぁ。

「渡すのは構わないけどさ……相変わらずソーンさん苦手なのな」

「なんて言うか、厳格な父親って感じだろ? すぐに殴ってくるうちの親父とはまたベクトルの違う怖さがあるというかさー」

 リンゴを俺に渡しながら、ダンはボサボサの頭を掻きながらそう言う。言いたいこともわかるけど、俺はそこまで怖く感じないけどなぁ。どっちかっていうと、ぶっきらぼうな印象を受けるし。

「……それじゃ、確かに託したからな! ルナちゃんによろしく!」

 ……俺に獲物を預けたことで目的を達成したのか、ダンは逃げるようにその場を立ち去っていった。

「……まったく。ルナに気があるなら、直接アタックした方が効果的だって何度も言ってるのに。あいつ、どんくさいんだからさ」

 既に姿が見えなくなった悪友に向かって俺は小声でそう呟いて、教会の扉を開けた。


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