上 下
47 / 63
本編

特別編 とりあえずバナナ

しおりを挟む


 ――電車に揺られて20分後。

 時刻【17時50分】

 私と佐久間君は、ゴリラ君イチオシのお店の前に着いていた。

 お店の前には、有名な書道家が書いたと言わんばかりの〔天ぷら道〕と書かれた暖簾のれんがかけられており、その横には紅葉が植えられている。

 その外観だけで敷居の高いことが伝わってくる感じだ。

「課長代理……なかなかのお店ですね」
「えっ?! あ、ああ……そうだな」

 サイトには写真が載っていないので、最近できたばかりのお店だと思っていたが、これは間違いなく逆のパターンだ。

 伝統や行きつけである客層を守る為に敢えて載せていなかったに違いない。

 実に困った。こういうお店に部下を連れて来るのは、初めてだ。

 カ、カードは使えるのだろうか……それより、今私の財布には、どれくらいのお金が入っている?

 一応、念の為に多め入れておいて欲しいと妻には、お願いしたが……。

 とにかく確認しよう。

 慌てて胸ポケットに入れていた財布を確認した。

 千円札が、1枚、2枚、3枚……5枚と5000円ある。

 あとは、壱万円札が1枚。

 うん……ダメだ。

 いつもより、1万円多いが、1万5000円では太刀打ちできない。

 ク、クレジット……電子決済は、使えないのか?

 ダメだ……引き戸の前に手書きでデカデカと現金のみと書いてある。

「……困ったな……」

 血の気が引いていくのを感じる。

 部下を誘ったというのに……なんという体たらく。

 純粋に悲しい。

 こんなことなら、無くすのが怖いなんて言わず妻の言う通りキャッシュカードを持ち歩くんだった。

「か、課長代理、ここは普通に割り勘でいきましょう」

 なんと優しい……私の部下はゴリラ君をはじめ思いやりの心持ったできた人間ばかりだ。

 でも、ここは甘えるわけにはいかない。

 恥をかくとしても、前のめり気味でいきたい。

 私はゴリラ君とバナ友になり生まれ変わった新生、雉島千鳥きじしまちどりだ。

「……いや、私が誘っておいてそれはないだろう」

 そんなやり取りとしていると、お店の引き戸がカラカラと音を立てて開く。

 そこには、清潔感の漂う調理白衣を着ている中肉中背の男性がいた。

 その格好からしてここの店主だろう。

「いらっしゃい! ゴリラさんから伺っています。お世辞になっている2人が来るのでよろしくと!」

 なんということだろうか……ゴリラ君は、私が想像していた以上に気遣いの化身だった。

 きっと、普段の私を見ていたのだろう。

 どうにかして部下との距離を詰めようとしている私を。
 恥ずかしい話だ。
 これではどちらが上司かわからない。

「課長代理……どうしますか?」
「うむ」

 答えはもう決まっている。
 ここは上司としての格好良さを見せつける絶好の機会。

「よぉし、いくか……」
「だ、大丈夫ですか? その――」
「うむ、みなまで言わんでくれ! 大丈夫だ」
「わ、わかりました!」

 そうだ、最悪、妻に来てもらおう……いや、娘……息子にしよう。

 こうして、私たちは、その高級感の漂うお店へと入っていった。



 ☆☆☆



 時刻【18時00分】

 天ぷら屋店内。

 店の内側も外の雰囲気に負けておらず、建築材にいい木が使われているのか、店内は木の爽やかな匂いと油の香り、そして耳触りのいい天ぷらを揚げる音が響いている。

 席も木目の綺麗なカウンター席が6つのみで、目の前で揚げてくれるスタイルのようだ。

「凄く綺麗なお店ですね。それに雰囲気もなかなかにないです」
「うむ……間違いなく、いいお店だな」

 私と佐久間君が店内について話し込んでいると、突然、揚げたての天ぷらが目の前に出された。

 縁が青く全体は白い長方形型のお皿に、上品な花が咲いたような衣を纏う天ぷら。

 口元に運ばなくとも、ほのかに香ってくる甘い香り。
 だが、おかしい……まだ私自身は疎か佐久間君も注文していない。

 不思議に思ったので、店主へ聞いてみる。

「あの――まだ注文はしていませんが……これは一体?」
「ああ、うちの突き出しはこの”とりあえず”バナナなんですよ!」

 その言葉を聞いた瞬間。

 顔を見合わせる私と佐久間君。

「うふふ、そういうことか」
「はは、やはりでしたか」
「だな」
「ですね」

 ゴリラ君は、初めからこれをバナ友である私たちに食べて欲しかったのだろう。

 そして、きっと同じバナナを食べたことで仲を深めてくれると考えていたのかも知れない。

 よく”同じ釜の飯を食う”と真の仲間というしな。

 もっとも本当の意味は、休み明けゴリラ君に会って確かめることにしよう。

 あと、お礼も。

「じゃあ、早速頂くとするか、とりあえずバナナというやつを――」
「そうですね、天ぷらは揚げたてが一番といいますし……それに――」
「ん? それに――どうした?」
「いえ、単純にどんな味わいがするのかな? と。あのゴリラ主任が、おすすめするほどの物ですので」
「うむ、確かに……よほど美味しいということだな」

 私たちが天ぷらを前に、あーだこーだと考察をしていると、その目の前にいる店主が緊張した声色で話し掛けてきた。

「お、お2人とも……そんなにハードル”上げない”で下さい。普通のバナナの天ぷらですから!」

 間違いない。これはただの”揚げた”バナナだ。
 うん? 今、店主はわざと上げたを強調してなかったか? もしかして……。

 よぉし、確かめてみるか!

「あははっ、申し訳ない! バナナを前にするとついつい余計なことを言ってしまうんですよ。でも、”揚げた”バナナのハードルをわざわざ”上げる”必要なんてないですよね? もう――」


 と自分の考えを言いかけた時――。


「――”揚がって”いますしね。バナナは」

 私が言おうとしたことを、左隣に座っている佐久間君がするりと口にした。

 どう見ても、このオジサン全開のダジャレを言うようなキャラでないというのにだ。

 こんなもの笑わずにはいられない。

 店主と私は、視線を合わせる。

「あははっ! 最高だ! 佐久間君!」
「はははっ、お若いのになかなか――」

 ダジャレで盛り上がるオジサンたち相手に、「ふふっ」と小さく笑う佐久間君。

 そこから、誰も予想していなかった彼のユーモアたっぷり返しと、初めにバナナの天ぷらが出てきたことで、この呑みニュケーションは、終始和やかな雰囲気のまま進んでいった。
しおりを挟む
感想 30

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

AV研は今日もハレンチ

楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo? AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて―― 薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...