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本編
第40話 ひな祭り
しおりを挟む3月3日(日)
天気【快晴 最低気温8℃ 最高気温16℃】
時刻【11時00分】
大手電機メーカー社宅の近くにある地元スーパーのマルデ・プラザ内、桜の飾り付けがされている。
店内のBGMは、いつもの軽快な音楽ではなく、この日特有の「うれしいひなまつり」のBGMが流れていた。
そんな出入り口の前。
ゴリラは、ここにいた。
「ウホウホ!」
今日の服装は、オーバーサイズのバナナ色をしたフード付きトレーナーと、紺色で内側が起毛処理のされたピッタリめなチェック柄のズボンを履いている。
その手には、黒色の買い物カゴとスマホがあった。
「ウホ、ウホウホ!」
彼はつぶらな瞳で、KEEPメモに書かれたお買い物リストをまじまじと見つめ、それを頼りにまずは入口付近の野菜と果実コーナーへと向かう。
理由は単純だ。
今日は、ひな祭り。
しかし彼は人間ではなく、ゴリラであり、性別はオス。
それにもう子供ではない、立派な大ゴリラだ。
関係ないと言えば、それで終わってしまうが、彼は都会に住まうインテリゴリラ。
その信条は何事も楽しむスタイル。
なので、朝から買う物をピックアップし、ウキウキ気分でスーパーに来ていたのだ。
ちなみに、今日購入する予定の物は、ちらし寿司の材料と本日のデザート用として目をつけていた1本売りの美味なバナナ。
その名もバナナ革命。
追熟加工中に渋みを抜き、甘みを引き出したフィリピン産バナナであり、至高の1本。
その味は、もっちりした食感に渋さを全く感じさせない甘さをしており、その香りはバナナの甘い匂いというよりは、花のような爽やかな匂いが特徴だ。
1本入りをわざわざ買うのは、バナナの食べ過ぎで体重が増加したためである。
これはジムで交流を深めている亀浦マリンから、もらったアドバイスを参考した行動だった――。
☆☆☆
――あれは、ジムに入会してから、6ヶ月後。
1月16日(土)
時刻【13時30分】
週1回の合同トレーニングを終えた1頭と1人は受付横の黒色のテーブルで、食生活について話をしていた。
『ウホウホ』
『そ、そうなんですか!? バナナを絶っているんですか……』
ゴリラは大好きなバナナを絶ち、オートミールなどに置き換えるもしっくり来ず、何だったら前より、大好きなバナナのことが頭から離れなくなってしまっていた。
抱き枕のバナナに齧り付いてしまうほどに。
『ウホゥ……』
『でも、辛いから辞めたいんですね……』
『ウホウホ……』
『では、こうしたらどうでしょうか? 普段から、食べているバナナを突然断つわけではなく、タイミングや量を少し減らすなど……こちらの方がよっぽどいいと思います! あと自炊もお勧めですよ!』
マリンの言葉を受けて、ゴリラは晴れやかな表情を浮かべた。
『ウホ、ウホウホ!』
『うふふ、いえ! お力になれて嬉しいです!』
こうして、その後。
自炊はともかく、まず1日2房から、1日4本に変更したことで、1ヶ月1kgずつ体重を減らすことを成功させていった――。
――そして、今。
その4本の内の1本である、おやつタイムの1本として、バナナ革命を手に取りカゴに入れた。
「ウホウホ!」
ゴリラは目的のバナナを手に入れたことで、子供のような笑みを浮かべて、今度はちらし寿司に使用する具材を確認する為に、もう一度スマホへと目を向けた。
「ウホ……ウホウホ」
上から、順に椎茸・蓮根・筍・田麩《でんぶ》・サーモン・イクラ・玉子が表示されている。
ゴリラは画面を見ながら頷く。
「ウホウホ」
だが、大事なことを忘れていた。
彼はまともな料理はおろか、このゴリラ生の中でキッチンに立つということすら、ほとんどしてこなかったということを。
これは素直なゴリラの性格が影響していた。
マリンの助言とバナナを食べられることで、頭がいっぱいになってしまい、自分が料理を作ったことがない事実すら、忘れてしまっていたのだ。
その事実を思い出してしまったことで、さっきまで目的のバナナを手にし、浮かれゴリラとなっていたのに、今や意気消沈ゴリラと化していた。
「ウホゥ……」
背中を丸くして、小さくなっている。
そんな彼に後ろから誰かが話し掛けてきた。
「ゴリラくん、どうかしたの?」
「ウ、ウホ?」
ゴリラが振り返ると白い帽子に白色の衣服。
髪の毛は帽子の中に入れており、青色のエプロンをつけてる薄化粧の女性。
白波珊瑚、45歳が立っていた。
「ウホ、ウホウホゥ……」
「なになに? そんなことで落ち込んでいたの?」
「ウホ……」
「大丈夫よ! 今日は確か……鮮魚コーナーに特価のちらし寿司があったはずよ?」
「ウホ?!」
「ええ! ホントよ!」
「ウホウホ……」
「ふふっ、一生懸命働いているんだから、そこはいいんじゃないかしら?」
「ウホウホ?」
「そうよ、きっとそのお友達さんもゴリラくんを悩ます為にアドバイスしたわけじゃないんだから」
「ウホ、ウホウホ!」
「うふふ、でしょう?」
「ウホ、ウホ!」
「はーい、せっかくのひな祭り! 他にも美味しそうな物、たくさんあるので見ていってね」
「ウホウホー!」
そして、ゴリラは珊瑚の言葉に背を押され、野菜・果実コーナーから牛・豚・鶏肉コーナーを通り抜けて、店内の一番端に位置する鮮魚コーナーへと向かった――。
☆☆☆
――10分後。
時刻【11時10分】
地元の鮮魚や店内で作られたお寿司などが、陳列されている鮮魚コーナー。
ここでは、BGMが変わり「おさかな天国」が流れている。
ゴリラは途中の《お買い得価格》というポップに、足を止めながらも、何とか目的地に着いていた。
「ウホウホ……」
そんな彼は、おすすめされた特価のちらし寿司を前にして、真剣な表情を浮かべている。
その視線の先には《本日のお買い得品》と書かれたポップと《ひな祭り限定ちらし寿司》と書かれたポップが並んでいた。
中身は、ピンク色の田麩が入っているのか、いないのかの違い。
ただし、容器には明確な違いがあった。
ピンク色の田麩が入っているちらし寿司の容器は、正面にはお雛様とお内裏様、その周りには小さな桜の花びらも描かれており、THEひな祭りといった外観をしている物。
もう一方の特価のちらし寿司は、黒色と赤色のコントラストが特徴のいつもの容器を使われた物だ。
価格は50円差となっている。
この差が彼を悩ます原因となっていた。
「……ウホゥ」
手に取り、商品をしっかりと見定めるゴリラ。
その表情は、リモート会議などで打ち合わせをするときより、真剣な表情だ。
太く立派な眉毛も眉間に寄ったままで、ピクリとも動かない。
ゴリラは2つのちらし寿司を持ったまま、目を閉じて考えた。
心から、楽しむスタイルならばどちらがいいかを。
ゴリラは悩んだ末に答えを決めた。
「ウ、ウホゥ!」
そして、目を閉じたまま、選ばなかった方のちらし寿司をそっと戻して、ゆっくりと目を見開く。
「……ウホゥ」
彼の手には、色鮮やかな容器に、ピンク色の田麩の入ったちらし寿司があった。
せっかくのひな祭り、心から楽しむには……という自問自答を重ねた結果。
こちらの方がいいと考え至ったのだ。
悩んでいたことが解決したことにより、彼の頭の中は家に着いてから、美味しい物が待っているということでいっぱいになっていた。
なので、子供ような無邪気な笑みを浮かべていた。
「ウホウホ!」
こうして、ゴリラは今日の戦利品である至高のバナナである、バナナ革命とちらし寿司を購入し、満足そうな顔をして社宅へと帰っていった――。
☆☆☆
――この後、街なかで「うれしいひなまつり」と「おさかな天国」を交互に口ずさむゴリラの姿が目撃されましたとさ。
ウホウホ
ウホウホ
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