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本編

第13話 2つの誓い

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 7月16日(土)

 時刻【10時00分】 

 天気【快晴 最低気温20℃ 最高気温29℃】

 ゴリラが住まう2LDKの社宅から、徒歩10分の場所にある24時間営業の2階建てのジム。

 ゴリラはその前に来ていた。

 彼の服装は、黒のジャージ上下に白色のスニーカーを履いている。

 一見ただのトレーニングウェアといったところだが、ゴリラなりのこだわりポイントがあるものだ。

 それは背中に大きなバナナの刺繍があること。

「ウホ!」

 そんな彼は気合いを入れてインターホンを鳴らそうとしていた。

 ゴリラがここへきたのには、2つ理由があった。



 ☆☆☆



 ――あれは前日、金曜日。

 時刻【16時35分】

 珈琲とバナナの香りが漂う工程管理課のオフィス内。

 この時間帯は、社内郵便の最後の便が来るタイミング。
 ゴリラは、その時間も仕事の真っ最中。
 そして、いつも通り紺色と白のカラーリングの作業服を着ており、バナナの形をした椅子でデスクワークをこなしていた。

『ウホ、ウホ!』

 ただ、リモート打ち合わせ中なので、赤色の骨伝導イヤホンをつけており、ノートパソコンの画面とにらめっこしている。

『なるほど、私もこの生産スケジュールでは無理があると思いますね』
『ウホウホ……?』
『はい、そのように聞いています。こちらの工場のキャパ的に休日出勤となるだろうと』
『ウホウホ……』
『そうですね……最終的な判断は雉島課長代理に委ねるしかありませんね』

 彼と会話するのは、スーツ姿で現在静岡県に出張中の佐久間熊さくまゆう主任。

 熊主任は、現在、世界中で起きている半導体生産による納期遅れを改善する為、取引先の1つである半導体の工場へと赴いていた。

 ただ、改善と言っても、製造元と自社との生産スケジュールのイメージの擦り合わせを行うというのが一番の目的だ。

『ウホウホ……ウホ』
『ですね……頼りの雉島課長代理は、今、アメリカに行かれていますし』
『ウホ、ウホウホ?』
『わかりました。そちらはゴリラ主任にお任せ致しますね』

 熊の『お任せ致します』という言葉を耳にして、白い歯を見せて太い腕をぶんぶんと回している。

 ゴリラは嬉しかったのだ。

 少し前まで、カフェで1人悩んでいた新しい仲間が対等に接してくるようになっていたことが。
 
『ウホ!』

 画面に向けて大きく黒い親指を立てるゴリラ。

『では戻りましたら、新しく作ったココナッツスライスを漬けたはちみつを持っていきますね』
『ウホ!』
『ふふっ、いえいえ。その代わり、また美味しいバナナを教えて下さいね』
『ウホウホ』
『はい、期待していますね』
『ウホウホ!』

 ゴリラは微笑み、少し間を置くと仕事の話を再開した。
 
『ウホ、ウホウホ……?』
『ああ、そうでしょうね。取り敢えず、今現在ある材料でどこまで対応できるかですね』
『ウホウホ』
『承知致しました。工場にはその旨お伝えしておきますね』
『ウホ!』
『そう言えば――』


 ――熊が言葉を発しようとしたその時。


 オフィスの扉が勢いよく開いた。

『主任、主任! 社内郵便届いていましたよ!』

 画面とにらめっこする彼へと、後ろから元気よく声を掛けるのは、部下の犬嶋犬太いぬじまけんた
 その手には、茶封筒が1通握られている。

『……ウホウホ』

 ゴリラはオフィス内に入るなり、大きな声を出した犬太に向けて、人差し指を口元に当てて注意している。
 
『す、すみません! 会議中でしたか!』

 イヤホン越しにも聞こえるほどの大きな声に、反応する熊主任。

『この声……犬太ですか?』

 その問い掛けに犬太も応じた。

『あ、はい! 出張お疲れ様です! 佐久間主任!』
 
 パソコンの画面に向かって勢いよくお辞儀をしている。
 
『今日も元気ですね……私にもその元気を分けてほしいくらいですよ』

 熊はそう言いながら、モニター越しに微笑んでいる。
 
『えへへ、僕の武器は元気なところっすからね!』

 照れくさそうにしながらも、ゴリラの横にピッタリと付いてイヤホン越しに会話を続ける犬太。

 その姿を間近で見ていたゴリラは、それを大人の1人……いや、1頭の紳士的ゴリラとして優しい眼差しと言葉で諭した。

『ウホウホゥ……?』
『あ、す、すみません! うるさかったですよね……気を付けます!』
『ウホウホ!』

 姿勢を正し勢いよく頭を下げる犬太に、彼は温かい視線を向けてうなづいている。

 そして、思い出した。

 部下が何かを言いかけていた事を。

 彼はそれを優しく問い掛けた。

『ウホ、ウホウホ?』
『あ、そうでした! ですけど――』

 だが、犬太は口籠り、パソコンの画面とゴリラの顔を交互に見ている。

 それは言うまでもなく、先ほどの彼の注意をちゃんと理解していたからだ。

 なので、この打ち合わせが終わってからにしようと考えていた。

 その1頭と1人のやり取りを画面越しで、見ていた熊主任は、深く息を吸い込むと少し呆れたような表情を浮かべていた。

『ふふっ、全く――』

 熊にとって、彼らのこのやり取りは異動してから何度も目にしてきた光景で、この関係が羨ましくも、たまに遠慮してしまう犬太の背を押したくて仕方なかったのだ。

 これは決して相撲好きだから、押したいと言うわけではない。

 なんというか父のような感情かも知れないし、違うのかも知れない。

 ともかくゴリラのことを尊敬し過ぎて、遠慮してしまいがちになる、犬太のお節介を焼いていたのだ。

 そんな熊主任は、彼らに話し掛けた。

『いえ、もう私との打ち合わせは終わったので、気にしなくても構いませんよ?』
『ウホウホ?』
『いえ、大したことではないので、チャットで十分です』
『ウホウホ……』

 ゴリラは、この言葉を受けて申し訳無さそうに、肩を落としている。

 気付いていたのだ。

 熊が、自身と犬太を気遣っていたことを。

『気にしなくても、大丈夫ですよ』

 もちろん、それはゴリラの横に居た犬太も同じだった。
 いや、本人は少し天然な為、気付いてはいない。

 ただ、犬のような直感で、その配慮から何かを感じ取っていた。

『えっ!? 本当に大丈夫ですか?』
『ウホ!』

 この2人? 1頭と1人は顔を並べて真剣な表情でモニター越しの熊主任へ視線を向けていた。

 その光景を目の当たりして、熊は思わず口元が緩む。
 
『ふふっ、2人して――』



 ☆☆☆



 ――こうして、打ち合わせをすること30分。

 時刻【17時05分】

『――性格は違えど似た者同士ですね。とにかく大丈夫ですので。では、また』
『ウホウホー!』
『わ、わかりましたー! また!』

 ゴリラと熊主任が同時にリモート画面を切り、リモート会議を終えた。

『……あのこれ、主任宛っす! あ、でも名前しか見てないですよ』

 熊主任の気遣いとお節介のおかげで、背中を押された犬太は、その手に持っていた茶封筒をゴリラへと手渡すことができた。

『ウホ!』
『いえいえ! どうぞです』

 ゴリラはその封筒を受け取り、裏表を確認する。

『ウホウホ』

 すると、そこには”健康管理室”からと書かれていた。
 彼はそれを100円均一で買ったペーパーカッターを使用して開ける。

 出てきたのは、一番上に健康診断結果と書かれた各種測定データが記された薄い紙。

 ゴリラは、ゆっくりとその紙を上から順に見ていく。

 しかし、特に異常な数値は見られない。

 安堵するゴリラ。

『ウホゥ……』

 だが、そのまま視線を動かしていくと、一番下の欄に医師による問診の結果が書かれていた。

『……ウホゥ』

 その言葉を目にしたことで、頭を抱えて落ち込むゴリラ。

 そこには、こう書かれていた。

 ”現在は特に体重も微増のみで、急を要する異常は見られないが、今後は食生活と運動について見直しが必要”と。

 もちろん、診断結果の記載された用紙には誰がどう見ようと、赤字であるところはなく、数値も全てセンターに近い値を出していた。

 しかし、健康診断の日に看護師や医師から指摘をされたように”食生活や運動の見直しが必要”と書かれていたことが、とてもショックだったのだ。

 ただ彼はゴリラ。

 人間とは違い、そうやすやすとメタボにはならない。

 だが、それでも人一倍……いや、ゴリラ一倍に健康へ気を配っていた。

 なのに、自らをゴリラということを忘れるという、インテリゴリラとしてはありえない失敗をしたのだ。

 そんな自分自身を許せなかった。

 その上、自身に憧れている”部下である犬嶋犬太にとっても誇れる”存在でいたかったのだ。

 勢いよく席を立ちドラミングするゴリラ。

『ウホウホ! ウホウホ! ウホウホ!』

 その轟音に窓がガタガタと音を立てている。

 犬太も含めたオフィス内の社員も、急変したゴリラ様子に慌てふためく。

 でも、ゴリラは冷静だった。

 そう、これは決意の咆哮。

 ただ、興奮し本能に従った野生のゴリラの叫びではない。

 これは、都会のジャングルで、たるんでしまった自分を変える為のインテリゴリラの知性溢れる魂の咆哮だ――。



 ☆☆☆



 ――そこから、更に時間が進み、10分後。


 時刻【17時15分】

 定時時間。

 ドラミングのおかげで、頭の中がスッキリした彼は、周囲にお詫びバナナを配りオフィスをあとにした――。



 ☆☆☆



 ――そして、彼はそのオフィスの扉の前で、拳を握り締めて誓った。

『ウホ!』

 元の体に戻る。

 ”犬太”と”自分”に誇れる素敵ボディなるんだと。


 ――この誓いが、今ゴリラがジムに訪れていた2つの理由だ。
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