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第十六話 調査部隊

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 一夜城による瀝青アスファルト防水を終えてから数日が経ったころであった。
 俺はミズイガハラ警備隊の隊長であるヤクマに呼び出されていた。

「ヤクマさん、何の用事だろう......」
 正直俺には呼び出されるような用事は思いつかなかった。
 だが、いざ呼び出されたとなるとありもしないことでも不安に感じてしまう。もしかしたら瀝青アスファルト防水の件がこの国の法に抵触していたんじゃ......。

 そんなことを考え頭を悩ましていると、こちらへ近付いてくる足音を感じた。
 俺はその足音に驚かされるも、とっさに足音の進む先を追ってしまう。
 その足音俺のいるは扉の前で止まり、一拍ののち扉がノックされた。

「はい」
 若干緊張気味の声で俺は答えた。

「失礼する」
 扉が開くとともにヤクマが入室してきた。

 それと同時に室内の空気が引き締まるのを感じる。相変わらずの威圧感だ。
 そんな空気に圧倒されながらも、俺は会話の口火を切った。

「ヤクマさん、お久しぶりです。それで本日はどのようなご用件でしょうか?」

「ああ。今日は“ゴブリン”についてわかったことの報告と、あるお願いがあってお呼び立てした」

“ゴブリン”という言葉に俺の背筋はゾッとした。瞬間、黒い池での出来事がフラッシュバックする。
 心臓が破裂しそうなほどに高ぶるのを抑えながら俺は言った。
「と言いますと?」

「そうだな。まずは“ゴブリン”の報告から話をしよう」
 ヤクマはそう言うと警備隊の調査部隊から上がってきたという話を報告しはじめた。

 --------

 調査部隊は5人1組で構成され、調査が主任務と言えども戦闘訓練を十分に受けた手練れ達だという。そして彼らは俺が“ゴブリン”と遭遇した黒い池から調査を開始した。

 黒い池周辺には俺と“ゴブリン”が争った形跡が確かに残されており、“ゴブリン”がミズイガハラ周辺まで来ていたことが証明されてしまった。“ゴブリン”の話を俺の与太話だとたかを括っていた彼らはさぞかし驚愕したそうだ。

 だが彼らも誇りあるミズイガハラ警備隊の一員だ。すぐに気を取り直し、そして調査部隊は茂みへと姿を消した“ゴブリン”の痕跡を辿っていく。

 その痕跡は深く険しい山中へと続いていた。道なき道を進んでいった調査部隊はとある洞窟の前に辿り着いた。痕跡はその洞窟の中へと続いている。洞窟内に不用意に立ち入ることは命の危険につながる。まして、“ゴブリン”の痕跡のある洞窟だ、その危険は通常では計り知れないほどだ。

 だが調査部隊は臆せずに洞窟の中へ進んでいく。

 もし“ゴブリン”が街への侵攻を企てているのであればどうなる? どれだけの被害がでる?
 その動きの早期発見はミズイガハラに住む全ての人を救うことにもつながるのだ。
 彼らはミズイガハラ警備隊である。彼らには引き返すという選択肢はなかった。知り得る限りの情報を持ち帰る。それが彼らの任務なのだから。

 陽の光が届かない洞窟内部は入り口から1m先も見えないほど暗がりが広がっていた。先頭と殿が松明を手にし、隊列を組んで洞窟へ足を踏み入れる。瞬間、洞窟特有の冷気が体にまとわりつく。
 松明の灯りに照らされた洞窟の壁には水滴が滴り、天井には所々に鍾乳石が形成されている。

 調査部隊は松明を頼りに、一歩一歩慎重に歩を進めた。壁から滴った水滴は彼らの足元にまで広がり、足をすくう機を狙っているかのようだ。

 それでも調査部隊は奥へ奥へと進んでいった。すると三叉路の分かれ道が姿を現した。
 その二つの道は、一方はより下層へと降っていくような道、そしてもう一方は上方へと登っていくような道であった。どちらも緩やかな勾配ではあったが、下層への道には壁から滴った滴が水流となって流れ降っていた。

 調査部隊はまずは下層へと続く道を進むことにした。水が流れているということはどこかしらで水たまりが発生し、通行不能となる可能性が高いからだ。
 そして調査部隊は下層へと進む。しばらく進むと下り勾配一層り急になりはじめた。水が流れる足元は、より滑りやすく、一行の歩みを遅らせる。
 それでも前へ前へと進んだ彼らが行き着いたのは、天井まで水で埋め尽くされた道であった。下層への道は調査部隊の予想通り、通行不能となっていた。

 それを確認した彼らはすぐさま踵を返し、三叉路へと戻ったのであった。そして残された上方への道へと進んでいく。

 しばらく進んだある時、三叉路から道の先へと向けて微かに空気が流れているのを感じた。それは極僅かなものであったが、確かに空気が流れている。

 そしてそれは、その先に生物が生きるための酸素が存在していることも示していた。調査部隊はその流れに背を押されるように、さらに先へ先へと進む。
 すると前方に開けた空間があることに気付いた。その空間の中からはゆらゆらとした光が漏れている。
 それを確認した調査部隊に緊迫が走った。すぐさま松明の火を落とし、息を殺す。
 どうやらこちらの存在には気付かれていないようだ。

 息を潜めながら灯りの下へと近付いていく。ゆっくりゆっくりと物音を立てぬよう。
 そしてついに入り口から内部を見渡せる場所までたどり着く。
 その空間は閉鎖されたドームのような形状となっており、広さとしては領主の館2つ分程度のものであった。
 さらに入り口に近付き内部を見渡した時、調査部隊の目には絶望すら覚える光景が目に入ってきた。そこには30体ほどの“ゴブリン”達が群れをなしていたのだ。

 調査部隊は“ゴブリン”のあまりの数にその場で立ちすくんでしまう。
 瞬間、背後から唸るような声が聞こえてくる。

「ウウゥウオォオオオ!」

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 結局彼らのうち、2名は“ゴブリン”に命を奪われた。
 残る3名も命からがら逃げおおせたが、そのうちの2名は心的な障害を負ってしまったという。

「これが“ゴブリン”の調査報告だ」

「そ、そんな......。俺が“ゴブリン”と出会ってしまったせいで......」
 俺はあまりのことに言葉が出てこなかった。

「いや、それは違う。我々が何も知らず“ゴブリン”の襲撃を受けていたならばもっとたくさんの犠牲者が出ることだろう。だが君が“ゴブリン”を発見したことで、我々はそれを防ぐ機会を得ることが出来たのだ」

「っ......」
 理屈ではわかっても上手く感情が飲み込めない。

「......それでそんな話を俺にしてどうするつもりですか?」
 俺はやり場のない気持ちから、語気を強めてそう言った。

「君には“ゴブリン”討伐隊に参加して欲しい」
 ヤクマから飛び出したのは予想だにしなかった言葉であった。
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