睦月の桜が咲き誇る頃

白糸雪音

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第一章 十八話

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「どうしたんですか?五十嵐君、脚本のことで何かありましたか?」

 昼休みということもあってか、かなりにぎわっている教室の中、突然現れた俺を見て佐久子さんが不思議に思っている。それも当然だろう、脚本づくりを頼んでからそう日はたっていないのだ。完成していることはおろか、まだ進んでいないとでも思っているのだろうから。

「ところがどっこい、違うんだな!!」

「え!?」

「あ、ごめん……、脚本のことです」

 自分の中で勝手に会話していたのが口に出てしまったようだ。かなり不思議そうな目をされた。非情に心苦しい。

「五十嵐君って、たまにおかしくなりますよね……テンションとか」

「え!?そうなの!?そんなに周りに出てる?ていうか、佐久子さんこれが初めてだよね!?」

「いえ、よく噂は耳にしますよ?なんだか少し残念なイケメンだって」

「地味に傷つく言い方だね!?」

 初耳なうえにいくつか心当たりがあるので否定もできない。行事ごとに四人で集まってはバカなことをしたりしているので多分そのことからだろう。良くも悪くも俺たちの集まりは目立つので、周りからよく見られているのだろう。

「まあ、ミステリアスというか、少しもの悲しさというものを醸し出していたりしながらも、陽気にふるまえるのはいいことだと思いますよ?なんか、人間として面白いですし!!」

「それは演劇に使えたりするといった感じで?」

「そうですね!」

「正直でいいね」

 彼女の言ったことに内心俺は驚いていた。表には出さないように心掛けてはいたけど、完全にはできていなかったようだ。当然といえば当然なのだろう。中学の間は隠すことなどせずに孤立していたぐらいだ。すぐに完全に隠せるなんてことはできない。それは余程器用な人間だけができることだ。俺は不器用だ。だからこそ、今のように悩みに悩み、迷いに迷ったのだから。

 それでも、昔のように明るくふるまえるようになったのは、高校に入ってからの友人のおかげなのだろう。彼ら彼女らのおかげで俺はずいぶんと明るくなったと自覚している。それはほんとうに感謝すべきことなのだろう。しかし、恥ずかしくてなかなか伝えることはできない。だけどいつかは伝えようと思っている。

「それで?今日はどういったご用事で?」

「ああ、それはね……」

 本題に戻す佐久子さんに乗じて俺も今まで隠し持っていた脚本を差し出す。

「ほら、これ。できたんだ!」

「え!?もうですか!?数日しかたってないですよ!?」

 差し出した脚本の束と俺を交互に見ながら驚いている。それも当然、普通はこんなに早く出来上がるはずもないのだから。彼女もそれは十分承知で頼んでいたはずだし、少なくとも一か月は見ていたと思う。まあ、演劇自体は八月の終わりぐらいにやる予定らしいので、四月中旬ぐらいにあげてくれとは言われていた。

 だがしかし、当然の反応のはずなのだが、最初に見せた人間が悪かったのか、普通の反応をみるとなぜだか無性にうれしくなってしまう。なぜだかではないな……。理由はわかっている。

「色々とあってね……。すぐに思いついちゃったよ」

「頼んでおいてなんですが、ここまでとは思っていませんでしたよ……。すごいです!!」

「まあ、中身はお気に召すかどうかはわからないから、ぜひ見て意見をもらえたらうれしいよ。気に入らないところがあったら直すからさ」

「では読ませていただきますね」

 そう言って彼女は俺の書いた脚本を読み始めた。そんな彼女の席の前に座って彼女が読み終えるのを待つ。彼女が脚本を熱心に読んでいる姿が、本を読んでいる時の朱里の姿と被った。それは彼女の髪が朱里と同じで黒く、長いからなのだろうか。その髪を耳にかけ直す仕草が、同じだからなのだろうか。

 俺はそんなことをぼんやりと考えながら彼女との先ほどの会話を思い浮かべていた。

 こうも素直に人に褒められるのはあまりなく、なんだかむずがゆい思いをしてしまった。しかし、悪くはない。それはなんだか朱里とのことを思い出すからだろうか。よく彼女と病室でできる遊びをしていた。

 色々な事をする中で、彼女は編み物なんかは俺なんかよりもうまく、色々なものを編んでもらっていた。その代わりというのか、折り紙を折るのが苦手だった。それでよく俺が彼女の代わりに色々なものを折ったりしていた。そのときなんかによく褒められて、その時も、今と同じ感覚だった。

 ただ、今と違うことは彼女はほめてくれる時によく頭をなでてくれた。「すごいねぇ~、智樹は」といって。それを俺は恥ずかしくって、「やめろよな!」とか言いながらよく文句を言っていた。それでも、一回もその手を振り払ったことはない。

実際のところ、恥ずかしながらもどこか落ち着いて好きだった。そのことは彼女にも伝わっていたのだろうか。正直に伝えるべきだったのだろかと、今でも思う時がある。

 彼女が編み物で何かを作ってくれた時は俺も同じように頭をなでることがあった。そのときは俺とは違い、彼女は正直に「智樹に頭なでられるの好き!なんか落ち着くんだよね」といって笑っていた。その笑顔を見るといつも俺は自分の照れ隠しが子供みたいに思えて、無性に恥ずかしくなるのだった。

素直に表に出す表情や気持ちというのはとてもきれいで愛らしく暖かい、それでいてどこか儚いものだ。昔はすぐに向けてもらえ、暖かさを感じることができたのに、今となっては思い出として思い出し、浸ることしかできない。そのぬくもりは感じることはおろか、思い出すことさえ困難になっている。

 俺が昔のことを思い出していると、佐久子さんが話しかけてきた。

「五十嵐君……」

「はい……」

 彼女のいつもと少しトーンの落ちた真剣な声に思わずこちらも姿勢を正して返事をする。

「これ、何かをパクったわけではないですよね?」

「へぇ?当然じゃないか、これは完全に俺のオリジナル作品だよ」

 俺は思いもよらないことを聞かれ、少しすっとんきょうな声を出してしまった。しかし、彼女が何の考えもなくそんなことを聞くとは思えず、よく考えてみるとそう聞く場合があることに気が付いた。

「まさか……、何かの作品と被った?」

「いえ!違うんです!!すごく!すごく良かったです!!」

 俺の恐る恐るの問いかけに彼女は勢い良く否定する。そして、俺の心配していたことと真逆の言葉を返してくれた。

「設定はありきたりな感じもしますが、内容がいいですね!セリフもときめくものがありますし、役者の演技の見せどころも多くあっていいですね!!」

「そう言ってもらえるとありがたいよ」

 俺は微笑みながらそう返す。それを見て彼女は大げさに手を胸の前で振ってから微笑み返してくる。

「いーえ!こちらこそいきなりこんなことを頼んだのにこんなに早く仕事をしていただいて……」

 後半になるにつれて勢いがなくなっていくのはやはり俺に悪いと思っているからだろうか。最初はいやいやだったが、最終的にはノリノリで書いていたのだ。そんなに気にすることではないし、彼女のおかげで自分の中で整理することもできた。むしろ感謝しているぐらいだ。

「かまわないよ、俺も君の造る舞台が気になるからね」

「ぜひ見に来てください!!最高にいいものを見せてみせます!!」

「何か手伝えることがあったら言ってくれよな」

「はい!その時は頼りにしますね!」

 とびっきりの彼女の笑顔を見て、俺は少し未来を想像する。

 彼女の出発点であり、追いつくための指標でもある舞台。

 俺の目指すべき、選ぶべき世界を詰め込んだ、理想の舞台。

 その両方が最高の形で混在する舞台。

 きっとそれはきらきらと輝いていて、明るくまぶしいものなのだろう。少し先なんかを照らすだけの淡いものではなく、ずっと先の未来までも照らしてくれるほどに。

 それはまるで明るく、暖かく照らしてくれる太陽のような、そんな光なのだろう。

だから、この劇のタイトルは『陽光』なのだ。





 放課後、いつもの四人で家路についていた。

「智樹の書いた脚本の演劇、楽しみだな。早く見たいぜ」

「八月の終わりに大会があるらしいから、それまで楽しみにしてろ」

 健斗のぼやきに俺がそう言うと、健斗だけでなく、陽菜からもぼやかれる。

「そうは言ってもさー、気になるじゃん?」

「そうね。なんか親近感というか、親心的なものがわいてしまうのよね」

「俺ならともかく、なんで陽菜がわくんだよ」

「いや、何というか、身内から出てきたものだからというか、そんな感じ?」

 陽菜は何とも言えないといった表情をした後、クスリと笑った。それをみて俺は「意味わかんねー……」とつぶやいたが、内心どこか喜んでいるのを感じた。それは陽菜が俺のことを自分の事のようにとらえてくれているのに喜んでいるのだろうか。

「まあ、私はちょっとわかるかなー」

「涼香もか!?」

「俺もわかるぜ?」

「健斗はどうでもいいや」

「ひどくない!?」

 そんなやり取りをして、みんなで笑った。笑った時に、あの時以降で一番自然に笑えた気がする。

 いつもと変わらない、よくやっているようなことなのに、いつもよりもうまく笑えるのは何でなのだろうか。ここにいるみんなが陽菜と同じように、俺のことを自分のことのように思ってくれているからなのだろうか。

 いや、それは違う。確かにそのことはうれしかったが、そのことが原因なのではない。それはきっと、自分の中での整理がきちんとついたからだ。自分の目をそらせてきたものにきちんと向き合う覚悟ができたから、俺はこんなにも気持ちよく笑うことができるようになったのだと思う。

 まだ何もしてはいない。ただ覚悟を決め、向き合うと誓っただけだ。それだけなのに、今までとは全く違って感じるのだ。それは今まで背け続けてきたものがどれだけ大きく、重く、自分にとって大切なモノであったかの証明なのだと思っている。

 朱里のそばにいるために、俺は強く、そして優しくならなくてはいけないのだ。どんな辛い現実であろうと、逃げずに受け止め、彼女を支えなければならない。そして誰よりも何よりも彼女にやさしくならなくてはならないのだ。

 そしてそれは誰のためでもない、自分のためにするのだ。それがひいては彼女のためになるのだから。彼女は俺が彼女のため何かをしようと戻っても、絶対に喜ばない。

 それは俺が彼女を失った時に傷ついてしまうと考えるからだ。実際、俺はあの時に彼女を失い……、いや、失ってしまうという現実を目の前に突き付けられ、傷つき、そしてそれ以上傷つくまいと逃げた。

 俺と彼女はお互いに依存していた。互いに互いが大事だったのだ。それはもちろん自分自身よりもだ。それゆえに彼女は俺を遠ざけ、そして俺は彼女が去っていくのを受け入れた。自分が傷つくのを避けるためというのもあったが、最初は彼女が、俺が傷つくのを見てさらに傷つくのを避けたかったというのも大きかった。しかし次第にそれは前者の理由が大きくなっていってしまい、今になるまで身動きが取れずに腐っていたのだ。

 だが、そんな自分はもう捨てた。俺はもう変わったのだ。俺は俺のために朱里に会いに行く。朱里のためにではなく、俺自身のためにだ。そして、その為に必要なことは自分の中に決まっている。

「みんなにさ、言いたいことがあるんだ」

「言いたいこと?」

 俺がそう切り出すと、みんなが俺のほうを向き、涼香がそうこぼした。

「ああ、俺さ、今回のことでやりたいことがはっきりしたんだ」

「やりたいこと?」

「智樹にやりたいことができるなんてなぁ……」

「珍しいわね」

 健斗と陽菜が何か失礼合ことを言っているような気がするが、気にしないことにする。

「俺、演劇部に入ろうと思うんだ」

 俺はそう真剣な表情で言い放った。そんな俺に対して皆少し驚いた表情を浮かべる。

「どうしたんだ?急に?」

「ほんとに急だと思う。でも、俺にとってこれはしなくちゃいけないことなんだ」

 俺の答えにならない返答にさらに困惑の色を濃くする。

「智樹君、別に否定はするつもりはないけどなんで?」

「そうよ智樹。どしたの?」

「佐久子さんと今日話して、最後のほうに言われたんだ。この演劇の大会で優秀な成績を収めれば、東京で公演されるって」

 今日佐久子さんに脚本を見せた後、帰り際に彼女に言われたこと。例の大会は北海道・東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州、で同時に行われているもので、各ブロックで金賞三組だけが東京で行われる大会に出場できるのだ。そこで彼女の姉は銀賞で止まり、いけなかったと。彼女の目標は姉と同じ舞台に立つこと、そして姉がいけなかった東京に行くことなのだ。

 そこで俺は思ったのだ。東京には朱里がいる。そしてこの脚本は朱里と歩みたかった理想の世界だ。それを彼女に見せ、その理想を現実にしていこうと。

 そう自分の中で決めてからは行動が早かった。俺はすぐその場で演劇部に入ることを彼女に告げ、彼女に協力することにした。いや、彼女と協力することにしたのだ。お互いの夢をかなえるために。

「それと何の関係があるの?」

 涼香の質問は全く持ってその通りだ。何も知らない人からすればそう思うだろう。

「俺の目標を、夢をかなえるためには必要なことなんだ」

 俺の真剣な表情を見て、健斗はどうやら気づいたようだ。彼の表情はどこかうれし気で、そして誇らしいものであった。そしてなぜか陽菜の表情もまた同じようなものだった。

「今の俺にかなえられるかはわからない。でも、どうしてもかなえないといけないことなんだ」

 そう言って俺は空を見上げる。彼女と今つながっている唯一のものを。そこで想い馳せる。彼女の隣で笑えている自分を。

「失ったままにはしておけないから」

 今何をしているのかわからない。何を想っているのかもわからない。でも、たった一つだけはわかる彼女のことを。それは、ただ好きだということ。

 今も変わらず、ただ好きだということだ。

「それって……」

 涼香がなにか気づいたようにつぶやく。きっとそれはあっているだろう。

 その反応に俺は笑って答える。

「今度話すよ。昔のこと、全部。聞いてほしいんだ」

 その表情は今までの自分からは想像もできないほどにすがすがしいものだっただろう。それは今の自分の中でかかっていた靄が晴れたからだ。そして、目指すべき先が見えたからであろう。

 俺と彼女との悲劇の終幕。そして、台本のない即興劇の開幕が。

「そうか、なら楽しみにしとくよ。話してくれるのを」

「ああ、近いうちに」

 そう健斗と言葉を交わす。他の人は何も言わないが健斗と一緒の考えなのだろう。

 俺たちは何も変わらず、普段通り帰路についた。

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