上 下
9 / 24
業務日誌(一冊目)

(9)停戦

しおりを挟む
 アレクシス皇子は、ローザの自室の窓にちらりと視線を送った。

(可愛く寝たふりしてるみたいだね。声は聞こえてるようだ…)

「僕には君たちへの敵意なんてないよ。長くなるから、中に入れてもらえると嬉しいんだけど」

「そちらの穴の底でしたら、ご案内いたしますが?」

「ぶれないなあ……君たちの様子から察するに、彼女の前世の記憶については、ある程度把握してるんだろう?」

「……」

「ノーコメントか。いいけど。彼女は、全ての記憶を語ってはいないはずだ。理由は、あまりにもナンセンスで、彼女には理解不能だから。しかもその記憶は、かなりの部分を改竄されてしまっている」

「……」

「たぶんローザは、前世の自分が僕に滅ぼされたと思っていて、君たちにもそう説明したんだろうね。でもそれは違うんだ。彼女は、僕や君たち……彼女が大切に思う全てのものを守るために、自分で自分を滅ぼしてしまったんだ」

「……」

「今世の彼女も、同じことをしてしまう危険がある。だから僕は彼女を帝国に呼び寄せた」

「呼び寄せた、とは?」

「彼女が逃亡先に帝国を選んでくれるように、好条件をたくさん用意したのさ。君たち全員を連れてきても、安心して楽しく暮らせるように、あらゆる根回しを完了させてね」

「ほう…」

「ああ、あの面倒くさい養父母や、彼らが勝手に決めていた、次のろくでもない嫁ぎ先のやもめ男とかも、こっちで全て処理しておいたよ。あの家に養女がいたという記憶は、あらゆる人間の記憶から、丁寧に消させてもらった。いまごろあの養父母たちは、熱心に領民を守ろうとする善人になっていると思うよ。やもめ男も似たような感じかな。資産を整理して、身寄りのない子どもたちを保護する福祉事業に参加するってさ」

 アレクシス皇子の死角に潜んでいた使用人が、執事長にハンドサインを送ってよこした。


(養父母と次の嫁ぎ先に関しては、全て事実であると確認…か)


「では、お嬢様の元婚約者様につきましても、記憶の抹消を?」

「ああ、彼はちょっと事情があって、ローザに言われた最後の言葉だけ、記憶に残してある。婚約については完全に忘れてるけどね。それと、彼が流したローザの悪評も、全部消したよ。もちろん、君たちがくっつけた尾鰭背鰭もね」

「それはどうも。で、お嬢様の残された言葉の記憶を抹消なさらなかった事情とは?」

「それについては、申し訳ないんだけど、ローザの許可なしには話せない。彼女が君たちに明かしていない記憶につながる話だからね」

「そのことで、元婚約者様がお嬢様に害を為すといった可能性は、ございませんか?」

「それはないと断言できる。彼女への害など、誰だろうと絶対に許さないしね。それは君たちもでしょう?」

「当然でございますな」

「さて、本題に戻るけど、前世のローザは、自分の周囲の人間たちを守るために、自分で自分を消滅させてしまった。僕はこれまでに三度、目の前でむざむざと、彼女を失ってしまったんだ」

「!!!!!!」

 使用人たちの強い怒りと動揺が、地震のような揺れとなって、屋敷を揺らした。

「落ち着いて、よく聞いてほしい。助けようとして、助けられなかったんじゃないんだ。助けようとしたから、失ってしまったんだ」

「どういう、ことですかな」

 執事長の、憎悪と戸惑いの籠る視線を受け止めながら、アレクシス皇子は続けた。

「ローザが、膨大な魔導エネルギーを保持しているのは知っているだろう」

「……」

「あれは、彼女の抱える無限の虚無の裏返しでもある。いまのローザは、君たちを思う気持ちで、温かく満たされているから、虚無を感じることはない。けれども、虚無は常にローザの内にあって、彼女の意思の支配を抜け出し、全てを飲み込もうとしているんだ」

「……」

「ローザの抱える虚無の力は、伝承では神の力とされていてね。その神が滅びをもたらさないように、別の神が戦いを挑み、虚無に打ち勝って世界を守る……そんなふうに言い伝えられているけど、事実は違う」

「どう違うのですかな」

「ローザの虚無に打ち勝っているのは、ローザ自身なんだ。他の神なんかじゃない。ローザは全てを守ろうとして、自分を滅ぼしてきた。何度もね」

「それは…」

「ローザが、空気中に浮遊する魔力を利用して、無限に液体魔力を作ることができるのも、内に抱える虚無のためだ」

「特殊な固有魔法ということでは、ないのですかな」

「違うね。あれは魔法などではない。あらゆるものを無限に吸い込み消滅させるという、絶望的な虚無の力の、ほんの一部分だけを、彼女の意志と努力で安全に利用しているんだ。ローザしにか許されない、奇跡のような技術なんだよ」

「奇跡…」

「そう、血の滲むほどの努力で、ローザは自分の中の恐ろしい力を、君たちを守るための力に作り変えたんだ。今世だけでなく、前世でも、その前の人生でも」

「……」

 アレクシス皇子を取り囲んでいた殺気が、少しづつ薄らいでいく。

 皇子の語るローザの慈愛と献身とは、ローザを慕う者たちにとって、あまりにも自明のことだった。


「もう、みんな気がついているんじゃないかな。彼女は、君たちを守るためなら、惜しみなく命を捨ててしまう。君たちが、彼女を守ろうとして命などかけたりすれば、もはや躊躇なく自分を消してしまうだろう」

「ええ、そうでしょうとも…」

「ローザが抱えている無限の虚無は、彼女を満たしている幸福が少しでも危うくなれば、彼女の人格を押しのけてでも、世界を飲み込んで破滅させようとするだろう」

「……」 

「いいかい? 君たちが不幸になるようなことがあれば、彼女は消えてしまう。まず、そのことを分かってほしいんだ」

 侍従長は、怒りや殺気ではなく、試すような鋭い視線を皇子に向けた。

「一つ、聞かせていただきたいのですが」

「何かな?」

「前の世では、何が、お嬢様を失う原因となったのですかな」

「それは……」

「私どもには、お話いただけないような理由でしょうか」

 アレクシス皇子は、ローザの部屋の窓をちらりと見てから、目を伏せた。

「悪いけど、それだけは話せない。ローザにも、思い出させたくない」

「お嬢様を、傷つけないためにでございますか?」

「危険だからだ。その記憶自体が、破滅の引き金になるかもしれないから。僕は、もう二度と、失敗したくない」

 執事長は、皇子がローザの自室に向けて、音声遮断の魔術を発動したことに気づいていた。

「そこまでの危険があるのですな」

「そう」

「お嬢様は、ここまでの会話を聞いていらした?」

「聞いていたと思うよ」

 執事長が屋敷に目線を送ると、扉が内側から静かに開いた。

「皇子殿下、ようこそおいで下さいました。ローザ様の配下一同、心から歓迎申し上げます」



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。 そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。 いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが── 他サイト様でも掲載しております。

「地味でブサイクな女は嫌いだ」と婚約破棄されたので、地味になるためのメイクを取りたいと思います。

水垣するめ
恋愛
ナタリー・フェネルは伯爵家のノーラン・パーカーと婚約していた。 ナタリーは十歳のある頃、ノーランから「男の僕より目立つな」と地味メイクを強制される。 それからナタリーはずっと地味に生きてきた。 全てはノーランの為だった。 しかし、ある日それは突然裏切られた。 ノーランが急に子爵家のサンドラ・ワトソンと婚約すると言い始めた。 理由は、「君のような地味で無口な面白味のない女性は僕に相応しくない」からだ。 ノーランはナタリーのことを馬鹿にし、ナタリーはそれを黙って聞いている。 しかし、ナタリーは心の中では違うことを考えていた。 (婚約破棄ってことは、もう地味メイクはしなくていいってこと!?) そして本来のポテンシャルが発揮できるようになったナタリーは、学園の人気者になっていく……。

くだらない冤罪で投獄されたので呪うことにしました。

音爽(ネソウ)
恋愛
<良くある話ですが凄くバカで下品な話です。> 婚約者と友人に裏切られた、伯爵令嬢。 冤罪で投獄された恨みを晴らしましょう。 「ごめんなさい?私がかけた呪いはとけませんよ」

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

(完結)その女は誰ですか?ーーあなたの婚約者はこの私ですが・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はシーグ侯爵家のイルヤ。ビドは私の婚約者でとても真面目で純粋な人よ。でも、隣国に留学している彼に会いに行った私はそこで思いがけない光景に出くわす。 なんとそこには私を名乗る女がいたの。これってどういうこと? 婚約者の裏切りにざまぁします。コメディ風味。 ※この小説は独自の世界観で書いておりますので一切史実には基づきません。 ※ゆるふわ設定のご都合主義です。 ※元サヤはありません。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

処理中です...