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第二章 名もなき古話の神々は、漂泊の歌姫に祝福を与ふ
尾の長すぎる怪鳥は、眠れぬ恋を啄み呪う(36)尻と縁談
しおりを挟む廊下を巨大な尻に塞がれるという珍事を見なかったことにしたヒギンズたちは、迂回のために急遽設置した転移ドアを通って、来客の少女とともに食堂へと移動した。
「君の隣人のサラも、まもなく来るだろうから…」
少し待ってくれ、と続けようとしたヒギンズの言葉を遮るように、廊下の方から、サラとメイベルの叫び声が聞こえてきた。
「うっ、うわあああ!」
「オノレ猥褻ブツ! 微塵切り二シテクレル! サラ様、食堂へお飛ばしイタシマスノデ、目をしっかり閉じてクダサイマセー!」
メイベルの叫びが終わるや否や、両手で目をしっかり押さえたサラが食堂に転移してきた。
「…セバスティアヌス、微塵切りを阻止して、穏便にアレを撤去してくれ」
「お任せヲ」
一瞬で茶の用意をしたセバスティアヌスが、一礼して転移すると、ヒギンズは、目を塞いだまま凝固しているサラに声をかけた。
「サラ、もう大丈夫だ」
おそるおそる目から手を離したサラは、目の前にヒギンズがいるのを見て、フーッと息を吐いた。
「なぜ、あんなモノが廊下に…」
「おそらく昨晩の騒動の余波だろう。戦場でも、あれと似たようなものが君の歌によって顕現していた」
「私の精神が、アレを呼び出してしまったというのか…」
頭を抱えるサラに、ヒギンズは淡々と見解を述べた。
「おそらくは元の歌が、ああいった意味合いのものだったのだろう。そのことについては後ほど検証するとして、サラ、客人の話を聞こう。ウィステリア嬢も椅子に掛けてくれ」
その場に崩れ落ちそうになっていたサラだったが、自分を訪ねてきた少女が食堂にいることに気づいて、なんとか気持ちを立て直した。
「情けないところを見せてすまない、ウィステリア嬢」
ウィステリア嬢と呼ばれた黒髪の小柄な少女は、黒縁のメガネの向こう側から、少し緊張したような生真面目な視線を、サラたちに向けていた。
「いえ、こちらこそ、尻でお取り込み中のところに押しかけてしまい、猛省しております」
「…尻については、出来れば忘れてしまってほしい」
悄然とした顔で願うサラに、少女はしっかりと請け合う態度を示した。
「忘れようと思っても思い出せないレベルまで、深く根こそぎ忘れることにします。はい、もう忘れました」
「ありがとう」
廊下のほうから、
「セメテ輪切りにさせてクダサイ! サラ様の仇を取らネバ!」
「なりまセン。屋敷の廊下に猟奇事件は不要デス」
「上司ガ横暴デス!」
「新人ハ黙って従うモノデスヨ」
などという押し問答が聞こえてきたが、食堂の三人は素知らぬ顔で、セバスティアヌスの用意した茶を味わい、会話を進めた。
「ウィステリア嬢、一昨日の竜巻騒ぎでは、大変にお世話になったというのに、お礼も出来ぬうちに居を移すことになってしまい、申し訳なく思う」
「どうかお気遣いなく。引っ越しというものは、概ねやむを得ぬ事情と抱き合わせで発生する事象ですし、我が家もそんな感じで、目下隠れ家状態になってるので」
「それは…ご苦労されているのだな。私に相談事があると聞いたが、どうか遠慮なく話してほしい」
サラに促され、少女は改まった口調で、思いもかけない話を切り出した。
「実は昨日、諸事情のために断りにくい縁談をぐいぐいと持ち込まれたのですが、お相手がダークネルブ家のご嫡子ということで、大変に不躾であるとは存じますが、願わくは、ご本人様との直接交渉のお口添えを、力いっぱいいただきたく」
「え、私との縁談?」
「あ、いえ、私を嫁にほしいという話でしたので、ご家門の跡継ぎの男性ということかと。お名前は、サイラス・ダークネルブ様とうかがっております」
サラは困惑の気持ちを隠さずに、事情を話した。
「ウィステリア嬢、ダークネルブ家に、サイラスという嫡子はいない。というか、私以外に、ダークネルブの人間は存在しないので、跡継ぎは私ということになるのだが」
「ということは、私が直接交渉を熱望しているお相手は、隣人様ということで?」
「そういうことに、なるのか?」
サラは混乱していたが、少女も相当に混乱しているらしかった。
「え、ええと、単刀を直入すべく玉砕覚悟でお願い申し上げるべきか否か、いやでも問題解決のための最善手は両家の婚姻、しかしながらお互いに嫡子相当、ええい当たって砕けろ月下氷人……というわけで、サラ・ダークネルブ様、もし結婚のご予定が当面存在しなければ、なにとぞ我がウィステリア家にお輿入れいただきたく」
「ええっ」
微妙に重苦しい間を経て、ヒギンズが声を上げた。
「ちょっと話を整理すべきだな」
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女皇帝の妹
「あら、お姉様は?」
志斐嫗
「まだフテ寝しておられますよ」
女皇帝の妹
「ということは、宴も延期かしらね」
志斐嫗
「宴は現世のゴタゴタが収まってからになるのでは?」
女皇帝の妹
「収まるのかしら、あれ。妻問いされた側が、逆に妻問いに来るとか、訳のわからないことになってるけど」
志斐嫗
「姫様が起きていらしたら、憤激して、あちらに飛んで行かれそうですねえ」
女皇帝の夫
「で、余計に滅茶苦茶になると。もうしばらく、寝かしておいてさしあげて」
志斐嫗
「そういたします」
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*女皇帝の妹……元明天皇。持統天皇の異母妹で、息子(草壁皇子)の正妃でもあった。
*志斐嫗……持統天皇に仕えていたと言われる女性。
*妻問い……求婚。
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