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第二章 名もなき古話の神々は、漂泊の歌姫に祝福を与ふ

尾の長すぎる怪鳥は、眠れぬ恋を啄み呪う(14)赤い川のほとりで

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 臨殿りんでんの下から強制転移させられたサラは、暗闇の地面に叩きつけられた。

 術者である声の主は、サラを痛めつけるために、わざと空中に転移させ、落下させたのだろう。

 幼いころには毎日のようにされていた仕打ちだったので、サラは受身を取って身を守っていたのだけれども、落下地点に尖った砂利があったために、身体のあちこちに傷がついてしまった。
 
「手当をするより先に、場所の確認だな」

 サラは祭服の隠しから携帯用の照明を取り出し、弱めの光を足元に当てながら、ゆっくりと進んだ。

 すると、背の高い赤い草の茂みに行き当たった。

「緋色の千萱ちがや……ここは、バニール川の近くか?」

 魔物が溢れる赤土の荒野には、血のような色の大河がある。緋色の千萱は、その川のほとりにだけ生えることで知られる植物だった。

 耳を澄ますと、風にそよぐ千萱の向こうから、川のせせらぎの音が聞こえてきた。

 川面の見えるところまで移動してみたが、周囲に魔物の気配はない。

「ほんとうに、ここが激しい戦場になるのだろうか」

 サラの先読みで見えた戦場は、川の近くではなかったけれども、暴走する魔物の数が多ければ、戦場が一つとは限らない。

「いずれにせよ、時間の猶予はありそうだな。ミーノは……やはりついて来れなかったか」

 精霊あってこその巫術だというのに、臨殿の者たちは、サラが精霊と親しくすることを嫌い、修行に必要な最小限の接触しか許さなかった。

 あの声の主は、サラを臨殿に呼び寄せるときに、精霊との接触を断つ術式を使ったのだろう。

「まずは傷の手当てだな」

 祭服の隠しから、傷薬を取り出そうとしたとき、首にかけてあった勾玉の鎖が、しゃらりと音を立てた。

「教授…」

 この勾玉に魔力を通せば研究所に飛べると、ヒギンズは言った。

 そのことを思い出したサラは、ぐらぐらと心が揺れるのを感じた。

「……」

 育ての親だった者は、サラには転移の術の資質が低すぎると決めつけ、学ぶことを許さなかった。

 資質が低いのは事実だった。
 けれども身につけられる可能性はあるはずだった。

 多くの巫術師たちは、資質の高低にかかわらず、子どもの頃から転移の術を仕込まれていて、サラもそのことは知っていた。

 精霊たちに願えば、サラにも使える転移の術式を教えてくれたことだろう。

 けれども、執拗に植え付けられた罪人の一族の末裔としての意識が、サラの願いを封じた。

 逃げる手段を手に入れてしまえば、いつの日か、逃げずにはいられなくなるかもしれない。

 けれどもサラは、逃亡すれば、これまでサラと接触のあった全ての精霊を抹消すると、臨殿に繋がる者たちに宣告されていた。

 それだけではなく、ブラックネルブの家門に連なる者の魂に、終わりのない苦しみを与えるとも言われていた。

 サラは両親の顔も知らないが、彼らがすでに亡くなっていることと、その魂が臨殿に囚われていることを知っていた。

 臨殿の温情でサラに与えられていた自宅には、父や母の遺品と思われるものが残っていた。その中には、生まれてまもない我が子への思いを綴った手記などもあり、サラにとって、心の拠り所となっていた。

 サラが戦斧の技を学んだのは、遺品のなかに、父のものと思われる戦斧があったからだ。

 逃げることが許されない自分の立場を思い起こすことで、サラは自分の中の動揺を鎮めた。

「帰るわけには、いかない」

 先読みのなかで蹂躙されていた戦友たちの姿も、サラを荒野に止める楔となった。

「さらら様には、叱られるかもしれないな…」

 自分を思ってくれる者たちのために、身を守れと言ってくれた、女皇帝の厳しくも暖かな言葉を思い返し、サラはどうにも申し訳のない気持ちになったけれども、心がほんのりと温もるのも感じていた。

「叱っていただくためにも、まずは生きて戻らなくては……ん?」

 手足の切り傷の手当てを始めたサラは、精霊の気配が近づいていることに気づいた。

「ミーノか?」

 けれども傷を負ったサラの手元に現れたのは、二匹の子猫だった。

「エキドナとバイラではないか。排除の術を掻い潜ったのか。よく来られたな」

「にゃーん」
「ぴゃーん」

 甘えて身を寄せてくる子猫精霊たちを見て、サラは相好を崩した。

「にゃーん」

 白猫のエキドナが、サラの手のひらをペロリと舐めると、たくさんあった傷が全て消えた。

「ありがとう、エキドナ。助かったよ」

 黒猫のバイラは、警戒するように周囲を見回してから、バニール川の向こう岸のほうを睨み、小さな唸り声をあげた。

「あちらから、何か来るのか?」

 サラは、祭服の隠しから愛用の戦斧と軽鎧を取り出した。

「魔物暴走の気配ではないようだが…」

 軽鎧を身につけながら、バイラの睨む方角を注意深く探っていたサラは、怪しく輝く紫色の煙が、いくつも立ち上るのを見つけた。


「あれは、まさか、魔物寄せの術か?」



+-+-+-+-+-+-

祖父

「小汚い煙が見えるのう」

孫娘

「なんじゃ、おじじ様まで出てきたのか」

祖父

中大兄なかのおおえに、面白き宴があると聞いてな」

孫娘

「クソ親父め、勝手に触れ回りおって…」

祖父

「まあ良いではないか。あれも寂しいのであろうよ。しかしあの煙は、民の煮炊きのものではないのう」

孫娘

「戦をばう、穢らわしき煙じゃ」

祖父

「だろうのう。かの遠つ国の王は、国見もせぬ愚物であるか」

孫娘

「かもしれぬが、大事にはならぬよ、おじじ様。我がここで見ておるのだからな」

祖父

「そうか。では、焼き鳥を食したい」

孫娘

「なんじゃ唐突に」

祖父

「ほれ、あそこにカモメがおるではないか。取って来よ」

孫娘

「カモメなんぞ、美味いものでもなかろうに」

祖父

「さららよ、我の飯はまだか」

孫娘

「おじじ様よ、死んでからボケんでもよかろうに…」


+-+-+-+-+-+-+-+-

*祖父……舒明天皇。

*中大兄……中大兄皇子。天智天皇。舒明天皇の息子。

*孫娘……持統天皇。天智天皇の娘。


*国見……舒明天皇は、国見をして大和の国を讃える長歌を詠んでいる。


大和には  群山あれど  とりよろふ  天の香具山  登り立ち 国見をすれば  国原は  煙立ち立つ  海原は  かまめ立ち立つ  うまし国ぞ  あきづ島  大和の国は

(万葉集 巻一 2 舒明天皇)

【歌意】


大和の国には、たくさんの山々がある。

その中でも、何もかもがカンペキな天の香具山に登って、大王である私は国見をしたのである。

広々とした平野では、民が煮炊きをする煙が、いたるところで立ち登っている。

そして広い湖の上では、カモメたちが乱舞している。

ああ、本当によい国であることよ。
この私が治めている、大和の国は。


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