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第一章 姿なき百の髑髏は、異界の歌姫に魂の悲歌を託す
骨肉の争いに疲れた女皇帝は、純白の屍衣を身に纏う(15)ある阿呆の歌
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──でもまあ、やっぱり腹は立つわけでな。阿呆は、ある時、春の訪れを歌に詠んだ。
女皇帝は、サラにその歌を伝えた。
『久方の天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも』
──美しい歌であろう?
「ええ…私にも、春の夕暮れの情景が見えるかのようです」
サラの視界の端では、ビギンズが驚愕の表情で和歌を速記していた。
口寄せの最中に、対象とした和歌に関連した新たな歌を採集するというのは、前代未聞の事態なのだ。
(研究班の連中が知ったら、間違いなくここに押しかけてきて、サラを監禁しかねない。新たな歌を搾り取るために。情報の管理が絶対に必要だな。サラが危険だ…)
──汝らの手元にある、我の歌と比べてみよ。
『春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山』
「まるで、歌と歌が姉妹のようですね」
──ああ。ただ、我の歌には、後の世の者の手が入ったようだな。白妙の衣を直接見ずに、夏の到来を推測したようなことになっておる。けれども、我が詠んだ歌の形は、少しばかり違っていてな。
『春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山』
──我は確かに、神の山に干された衣を見ていた。夕べの霞がたなびくなどという、美しすぎるあやつの歌に対抗して、わざわざ喪服の虫干しをしてやったのだ。殯ストレスとやらの発散も兼ねてな!
「皇女様…」
──ふふふふ。皆が、我の詠んだ歌をも美しい、見事だと誉めそやしたものだが、我は内心嗤っておったよ。阿呆の歌こそが至上のものだ。我は、そのことに、少しばかり拗ねておった。それだけのことだったのだよ。
「そうだったんですね」
──つまらん話を長々と聞かせてしまったな。
「そんなことはありません。こうして、皇女さまの真心を分けていただいたご縁に、幸福を感じております」
──心優しい巫女なのだな、汝は。
「本当にお優しいのは、皇女様ではないですか。亡くしてしまわれた皆様を、お一人お一人、大切に思っておられるのが、伝わって来ますから」
──我のほうは、あやつらに心底恨まれておるだろうがな。悔いることも謝ることも、もはや手遅れすぎて無意味だ。となれば、忘れずに、いつまでも思い続けるしかあるまい?
「お強くて、お優しい…」
──それにしても、汝、サラと名乗っておったな。
「はい」
──これも縁だ。我も名告ろう。我が諱を、鸕野讚良という。身内以外には決して明かさぬ、呼ぶことを許さぬ名だ。
「うのの、さらら…様」
──そうだ。汝のように、我もサラと呼ばれることもあったのだ。紛らわしいので、汝は我を、さららと呼ぶがよい。
「嬉しいです、さらら様…」
──ふふ。サラよ。汝に一つ、願いがある。
「なんでございましょう」
──想念の具現化、といったか。汝の巫女の技で、我に見せてほしいものがあるのだ。
「天の香具山、でしょうか」
──そうだ。あの日の光景を、もう一度だけ見たいのだ。あの懐かしき宮で、親しき者たち、二度と会えぬはずの者たちと共に。叶えてくれるか?
「わかりました。心をこめて、歌わせてください。さらら様のお歌を」
サラは、ヒギンズとミーノタウロスを伴って、神殿(仮)の外へ出た。
「サラ、百人一首ではなく、オリジナルのほうの歌を、歌うのだな」
「ああ。それが、皇女様の本当のお心だからな」
「研究班には、今回の口寄せの詳細については報告すべきではないと、私は考えている」
「私もそう思う。今日のことは事業には必要のない情報だ。皇女様の真心を、余計な人間にまで晒したくはない」
「うむ」
サラの真心も晒したくないのだと、ヒギンズは心の中で付け加えた。
「歌うよ」
『春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山』
女皇帝の歌が、澄んだ音色となって、野原に染み渡るように広がると、見たこともない宮殿が、蜃気楼のように現れた。
遠くに、なだらかな丘陵も見えている。
白妙の衣は、丘陵の中腹でしっかりと虫干しされているようで、ミーノタウロスが、早速じゃれつこうと走っていった。
宮殿から、弦楽の音が聞こえてきた。
古代の音曲なのだろう。
色とりどりの服の女官たちが、純白の衣を身に纏った女皇帝に侍り、楽しげに語り合っているようだ。
身分の高そうな男たちが、和やかに酒を酌み交わす姿も見える。
やがて、質素な服を身につけた男が呼ばれ、女皇帝の前で跪いた。
──ヒトマロよ、歌っておくれ。
──何を歌うの?
──そうだな。遥かな未来の歌がよい。
──未来って何? 僕の大王様。
──我は大王ではないと、何度言えば覚えるのだ。
──ええと、じゃ、僕のお姫様?
──僕のでもないが、もうそれでよいわ……未来というのはな、我も、ヒトマロも、我が夫も息子たちも、みんなみんな、この世からいなくなって、何年も何年も、ずーっと何年も後の、誰も知らない世のことだよ。
──神様たちは、いる?
──わからぬ。おるかもしれぬし、我らと共に、天に去っているかもしれぬな。
──未来っていう場所の神様たちに会えるなら、僕は歌えるよ。
──ならば、呼んでみよ。いつものようにな。
──じゃあ未来ってとこに、連れていって、姫様。
──そうだの。皆で行こう。
──皇子様たちも、みんなで行こう! わーい! 行幸だ! うれしいな! 吉野みたいに美味しいもの、未来にもいっぱいあるといいな!
宮殿に、一際賑やかな歓声があがるとともに、丘陵が夕焼けに染まり始めた。
白妙の衣にじゃれついていたミーノタウロスが、空に向かって、にゃーーーーーと、長く鳴いた。
幻の古代の都は、かつてそこに居た者たちと一緒に、しずかに姿を消していった。
+-+-+-+-+-+-+-+-
疲れた女皇帝の夫だった皇帝
「俺が設計した宮、初めて見れたぜ! 結構イカしてたぜ! なあ兄上!」
天から智を授かりし皇帝
「余は、呼んでもらえなかった…」
+-+-+-+-+-+-+-+-
*
久方の天あまの香具山この夕へ霞たなびく春立つらしも
(万葉集 巻10 ・1812 柿本人麻呂)
春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山
(万葉集 巻1・28 持統天皇)
女皇帝は、サラにその歌を伝えた。
『久方の天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも』
──美しい歌であろう?
「ええ…私にも、春の夕暮れの情景が見えるかのようです」
サラの視界の端では、ビギンズが驚愕の表情で和歌を速記していた。
口寄せの最中に、対象とした和歌に関連した新たな歌を採集するというのは、前代未聞の事態なのだ。
(研究班の連中が知ったら、間違いなくここに押しかけてきて、サラを監禁しかねない。新たな歌を搾り取るために。情報の管理が絶対に必要だな。サラが危険だ…)
──汝らの手元にある、我の歌と比べてみよ。
『春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山』
「まるで、歌と歌が姉妹のようですね」
──ああ。ただ、我の歌には、後の世の者の手が入ったようだな。白妙の衣を直接見ずに、夏の到来を推測したようなことになっておる。けれども、我が詠んだ歌の形は、少しばかり違っていてな。
『春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山』
──我は確かに、神の山に干された衣を見ていた。夕べの霞がたなびくなどという、美しすぎるあやつの歌に対抗して、わざわざ喪服の虫干しをしてやったのだ。殯ストレスとやらの発散も兼ねてな!
「皇女様…」
──ふふふふ。皆が、我の詠んだ歌をも美しい、見事だと誉めそやしたものだが、我は内心嗤っておったよ。阿呆の歌こそが至上のものだ。我は、そのことに、少しばかり拗ねておった。それだけのことだったのだよ。
「そうだったんですね」
──つまらん話を長々と聞かせてしまったな。
「そんなことはありません。こうして、皇女さまの真心を分けていただいたご縁に、幸福を感じております」
──心優しい巫女なのだな、汝は。
「本当にお優しいのは、皇女様ではないですか。亡くしてしまわれた皆様を、お一人お一人、大切に思っておられるのが、伝わって来ますから」
──我のほうは、あやつらに心底恨まれておるだろうがな。悔いることも謝ることも、もはや手遅れすぎて無意味だ。となれば、忘れずに、いつまでも思い続けるしかあるまい?
「お強くて、お優しい…」
──それにしても、汝、サラと名乗っておったな。
「はい」
──これも縁だ。我も名告ろう。我が諱を、鸕野讚良という。身内以外には決して明かさぬ、呼ぶことを許さぬ名だ。
「うのの、さらら…様」
──そうだ。汝のように、我もサラと呼ばれることもあったのだ。紛らわしいので、汝は我を、さららと呼ぶがよい。
「嬉しいです、さらら様…」
──ふふ。サラよ。汝に一つ、願いがある。
「なんでございましょう」
──想念の具現化、といったか。汝の巫女の技で、我に見せてほしいものがあるのだ。
「天の香具山、でしょうか」
──そうだ。あの日の光景を、もう一度だけ見たいのだ。あの懐かしき宮で、親しき者たち、二度と会えぬはずの者たちと共に。叶えてくれるか?
「わかりました。心をこめて、歌わせてください。さらら様のお歌を」
サラは、ヒギンズとミーノタウロスを伴って、神殿(仮)の外へ出た。
「サラ、百人一首ではなく、オリジナルのほうの歌を、歌うのだな」
「ああ。それが、皇女様の本当のお心だからな」
「研究班には、今回の口寄せの詳細については報告すべきではないと、私は考えている」
「私もそう思う。今日のことは事業には必要のない情報だ。皇女様の真心を、余計な人間にまで晒したくはない」
「うむ」
サラの真心も晒したくないのだと、ヒギンズは心の中で付け加えた。
「歌うよ」
『春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山』
女皇帝の歌が、澄んだ音色となって、野原に染み渡るように広がると、見たこともない宮殿が、蜃気楼のように現れた。
遠くに、なだらかな丘陵も見えている。
白妙の衣は、丘陵の中腹でしっかりと虫干しされているようで、ミーノタウロスが、早速じゃれつこうと走っていった。
宮殿から、弦楽の音が聞こえてきた。
古代の音曲なのだろう。
色とりどりの服の女官たちが、純白の衣を身に纏った女皇帝に侍り、楽しげに語り合っているようだ。
身分の高そうな男たちが、和やかに酒を酌み交わす姿も見える。
やがて、質素な服を身につけた男が呼ばれ、女皇帝の前で跪いた。
──ヒトマロよ、歌っておくれ。
──何を歌うの?
──そうだな。遥かな未来の歌がよい。
──未来って何? 僕の大王様。
──我は大王ではないと、何度言えば覚えるのだ。
──ええと、じゃ、僕のお姫様?
──僕のでもないが、もうそれでよいわ……未来というのはな、我も、ヒトマロも、我が夫も息子たちも、みんなみんな、この世からいなくなって、何年も何年も、ずーっと何年も後の、誰も知らない世のことだよ。
──神様たちは、いる?
──わからぬ。おるかもしれぬし、我らと共に、天に去っているかもしれぬな。
──未来っていう場所の神様たちに会えるなら、僕は歌えるよ。
──ならば、呼んでみよ。いつものようにな。
──じゃあ未来ってとこに、連れていって、姫様。
──そうだの。皆で行こう。
──皇子様たちも、みんなで行こう! わーい! 行幸だ! うれしいな! 吉野みたいに美味しいもの、未来にもいっぱいあるといいな!
宮殿に、一際賑やかな歓声があがるとともに、丘陵が夕焼けに染まり始めた。
白妙の衣にじゃれついていたミーノタウロスが、空に向かって、にゃーーーーーと、長く鳴いた。
幻の古代の都は、かつてそこに居た者たちと一緒に、しずかに姿を消していった。
+-+-+-+-+-+-+-+-
疲れた女皇帝の夫だった皇帝
「俺が設計した宮、初めて見れたぜ! 結構イカしてたぜ! なあ兄上!」
天から智を授かりし皇帝
「余は、呼んでもらえなかった…」
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久方の天あまの香具山この夕へ霞たなびく春立つらしも
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