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ヴィヴィアンの恋と革命

(25)薬壺の声

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「母さんたちがどこにいるのか、先生は知ってるのか?」

 次男の質問に、スカーレットはきっぱりと答えた。

「ええ。十中八九、まだ家の中にいるわ」

 次男と三男は信じ難いという表情をしたけれども、四男のボーは、何かに思い当たったらしかった。

「あの壺…」

「壺? もしかして、親父が家宝だって騒いでたやつか?」

 次男の問いかけに、ボーは頷いた。

「ああ。こっちに帰ってきてすぐ、何度か母さんの声を聞いたような気がしたんだ。気のせいだと思ってたけど……今思うと、声は必ず、あの壺のほうから聞こえてきてた」

 弟の話を聞いて、次男と三男は顔を見合わせた。 

「なあ兄貴、親父のやつ、時々あの壺に話しかけてなかったか?」

「してたな。今朝も家を出る前に、『ウィステリアを手に入れて借金返すまで待っててくれ』とか、切羽詰まった声で言ってるから、壺に何話してるんだと思って、呆れてたんだが」

 兄の話を聞いた三男は、真剣な顔で弟に尋ねた。

「ボー、お前、母さんの声を聞いたんだろ? 何て言ってたんだ」

「俺や兄貴たちの名前を呼んでた。ミルザの声もして、『逃げて』って叫んでた気がする…」

「母さん、ミルザ…」

 動揺する息子たちの頭上では、空中戦が大詰めを迎えていた。

 ──残り一匹じゃ!

「ぢゅぢゅん!」

 ノラオとドクムギマキの連携が見事に決まって、最後の肉蠅が地に落ちた。

 スカーレットは無詠唱で肉蠅の死骸を回収し、皆の健闘を讃えた。

「みんなお疲れ様。素晴らしかったわよ」

 ──いやいや、ドクムギマキたちの力がなければ、かなり厳しかったですわい。

 ──わしらは鍛え直さねばなりませんなあ。


「室内も終了かしら」


 ──中に三匹残っておったんじゃが、アーサー殿が一人で倒したようですじゃ。

「あなた方のサポートなしで? それはすごいわね」

「ぢゅぢゅぢゅん」

 ──ドクムギマキたちの話だと、アーサー殿には高位の守護者がついておるとか。

「守護者? 使い魔ではなくて?」

「ぢゅんぢゅん」

 ──わしらのような生き物ではなく、精霊に近い感じだそうですじゃ。

「なるほどね」

 スカーレットは、肉蠅の死骸のそばに、姿の見えない何かがいるのを察知していた。

(肉蠅の魂を浄化して持って行ってたから、薬壺側の者ではないと思ってたけど、アーサーの守護者だったのね。薬壺とも因縁がありそうだし、いずれ事情を聞く必要がありそうだわ)

 ──赤い姐御様、この後はどうされますじゃ。

 ノラオに聞かれて、スカーレットは予定を話した。

「イルザお姉様たちを待って、マルド商会長の処置をしてから、ウィステリア邸に戻るつもりよ。あなた方は先に帰って、ヴィヴィアンたちに経過を伝えてくれるかしら」

 ──分かりましたじゃ。

 ──親父殿よ、帰る前に、アーサー殿にご挨拶申し上げようぞ。

 ──うむ、お礼もせねばの。壺の支配を遮断して下さったおかげで、肉蠅どもが素直に狩られてくれたからのう。

「ぢゅん!」

 埋葬虫とドクムギマキたちは、開いている窓から家の中に戻っていった。

「さて、次の作業の準備が必要ね。息子くんたち、中に戻るわよ」

 マルドの息子たちは、思い詰めたような顔でスカーレットを見つめていた。

「先生、母さんとミルザは助かるんだよな」

 次男の問いかけに、スカーレットは力強く頷いた。

「必ず助けるわ。呪いを断ち切って、あなた方の父親も正気に戻す。協力してくれるわよね」

「もちろんだ」

「何だってやるぜ」

「大っきい兄貴の分もな」


 家の中へと戻って行くスカーレットたちを、密かに見守る視線があった。


──呪いを断ち切る、か。それが可能であるなら、アーサーも、妾たちも、真に救われるかもしれぬ…

 淡く明滅する肉蠅の魂たちが、甘えるようにベラ・レギオネアにまとわりついていた。

──もう少し成り行きを見ておきたいが、薬壺の近くに長居をすれば、この子らが再び取り込まれるかもしれぬな。一度魔樹森林に戻って、ここへ来るツテを探すか。

 ベラ・レギオネアは、小さな魂たちを胸に掻き抱くようにして、その場から姿を消した。



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