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ヴィヴィアンの婚約
ヴィヴィアンは出番を待った
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埋葬虫たちの陽動作戦が始まる、少し前のこと。
執務室の床で仰向けに倒れて死んでいたコンラート・サポゲニンは、心の底から焦っていた。
(昨日あれほど、『ホウ・レン・ソウ』の恐怖を、イルザが優しく教えて諭してくれたというのに…)
めずらしく定時から大幅に遅れて出勤してきたサポゲニンは、施錠されていなければならないはずの執務室の扉が開いているのに気づきながら、不審な状況だと思わなかった。
昨日は虫騒動だけでなく、ヴィヴィア・ウィステリアによる画期的な治療器の開発のせいで、サポゲニンの秘書たちも、過酷な残業を強いられたはずだった。
疲労困憊した秘書が、執務室の施錠を忘れたのだろう。
そう思ったサポゲニンは、扉が開いているのを不審に思うこともなく、執務室にそのまま入っていった。
(開いている扉を見た時点で、イルザに報せを送るべきだったのだ…)
ぴちゃり。
入室したサポゲニンの額のあたりに、生暖かい液体が一滴落ちた。
その次の瞬間には、サポゲニンは身体の自由を完全に奪われて、死んでいた。
「あはははは! ほんと、あくびが出るほど愚かだよね、君は。隙間を開けておけば覗き見するかなって思ったら、いきなり入ってくるんだもの。おかげで簡単に殺せて助かったけど」
薬壺を手のひらに乗せた若い男が、仰向けに倒れたサポゲニンの顔を見下ろしながら、嘲笑う。
「王都病院を統べる人間が、こうもあっさりとボクに殺られるとはね。昔からずっと、この国の上の奴らは、救い難いほど人を見る目がないよね」
(異変の兆候は、他にもあったのだ。無人のロビー、動いていない魔導昇降機、静かすぎる病棟…愚かだな、私は)
「ねえ、母様。そう思うでしょ。こいつはここには、相応しくない」
(そうだな、イルザ。私は君には、相応しくない…)
「屍鬼のくせに病院で働くとか、人助けとか、結婚までしちゃうとか、ほんと馬鹿だよね、サポゲニン」
(馬鹿だったのだろうな。彼女の深くて重い愛を受け止めそびれたまま、死にながら生きるが如く、闇雲に時を浪費した…)
「ボクの邪魔ばっかりしてくれてさ。ずっと目障りだったよ」
(ん? ボクの邪魔? 目障り?)
薬壺の男の独白に促されるかのように、卑屈な自責の念でひたすら自分を鞭打っていたサポゲニンは、ここで初めて、不法侵入者に意識を向けた。
(この若者は、誰だろうか。顔面に青いひびがいくつも走っているが、入れ墨か? それよりも、何故、私の執務室にいるのだ)
「でも今日からは、この部屋はボクと母様のものさ。病院もね」
(この病院は、ほぼイルザによって生み出され、育て上げられてきたものだが、個人の所有物などではない。「ボクと母様」とやらに奪われるわけには…)
その後、男は執務机の方に回ってブツブツと言っていたが、また戻ってきて、サポゲニンの傍らにしゃがみ込んだ。
「さて、病院中の人間から母様たちにあげる魔力を吸い取る術式は、全部仕掛け終わったことだし、あとは病院長の死体をボクの傀儡にすれば、今日のお仕事は終了だね」
(傀儡……この男、屍術師か。入院患者から生命力を奪おうとしているのか。いかん。自己魔力不全の患者たちは、長くはもたないかもしれぬ…)
「こんな奴に母様の命を注ぎたくないなあ。腹が立つよね。でも、ボクのためだもの、許してくれるよね」
薬壺から、ぽたり、ぽたりと黒い液がシャツの胸のあたりに滴り落ちるが、サポゲニンは密かに体表を死蝋化して、液が身体に染み込むのを避けた。
「一か月で、全てをボクに引き継ぐように手配すること。あ、給料は今より増やしておいてね。終わったら、自分で焼却炉に入ってね。片付けは大事だから、忘れないでね」
(あいにく、その指示には従えないな。幾重にもイルザの防御を施されている私は、焼却炉などでは火葬不能だ。なにより、私の亡き命はイルザに捧げるものだからな)
「傀儡が起動するまで、もう少し時間ががかるかな。ああそうだ、せっかくだから、馬鹿な弟と、目障りな父様を、今日のうちに始末しておこうか。ふふふふふふふ。楽しいねえ、母様」
サポゲニンは、無詠唱で解毒の魔術を発動させながら、上着の隠しにある通信用魔具に意識を向けた。
(あと少しで、身体を動かせるようになるはずだ。そうしたら、男に私の死を少し分けて、それからイルザに連絡を…)
そして、サポゲニンが動けるようになる、ほんの少し前。
──ひゃっはああああああああああっ
ドカドカドカドカッ
ヴィヴィアンに見送られた青白い弾丸が四つ、セイモア・グリッドの急所に、同時に激突した。
執務室の床で仰向けに倒れて死んでいたコンラート・サポゲニンは、心の底から焦っていた。
(昨日あれほど、『ホウ・レン・ソウ』の恐怖を、イルザが優しく教えて諭してくれたというのに…)
めずらしく定時から大幅に遅れて出勤してきたサポゲニンは、施錠されていなければならないはずの執務室の扉が開いているのに気づきながら、不審な状況だと思わなかった。
昨日は虫騒動だけでなく、ヴィヴィア・ウィステリアによる画期的な治療器の開発のせいで、サポゲニンの秘書たちも、過酷な残業を強いられたはずだった。
疲労困憊した秘書が、執務室の施錠を忘れたのだろう。
そう思ったサポゲニンは、扉が開いているのを不審に思うこともなく、執務室にそのまま入っていった。
(開いている扉を見た時点で、イルザに報せを送るべきだったのだ…)
ぴちゃり。
入室したサポゲニンの額のあたりに、生暖かい液体が一滴落ちた。
その次の瞬間には、サポゲニンは身体の自由を完全に奪われて、死んでいた。
「あはははは! ほんと、あくびが出るほど愚かだよね、君は。隙間を開けておけば覗き見するかなって思ったら、いきなり入ってくるんだもの。おかげで簡単に殺せて助かったけど」
薬壺を手のひらに乗せた若い男が、仰向けに倒れたサポゲニンの顔を見下ろしながら、嘲笑う。
「王都病院を統べる人間が、こうもあっさりとボクに殺られるとはね。昔からずっと、この国の上の奴らは、救い難いほど人を見る目がないよね」
(異変の兆候は、他にもあったのだ。無人のロビー、動いていない魔導昇降機、静かすぎる病棟…愚かだな、私は)
「ねえ、母様。そう思うでしょ。こいつはここには、相応しくない」
(そうだな、イルザ。私は君には、相応しくない…)
「屍鬼のくせに病院で働くとか、人助けとか、結婚までしちゃうとか、ほんと馬鹿だよね、サポゲニン」
(馬鹿だったのだろうな。彼女の深くて重い愛を受け止めそびれたまま、死にながら生きるが如く、闇雲に時を浪費した…)
「ボクの邪魔ばっかりしてくれてさ。ずっと目障りだったよ」
(ん? ボクの邪魔? 目障り?)
薬壺の男の独白に促されるかのように、卑屈な自責の念でひたすら自分を鞭打っていたサポゲニンは、ここで初めて、不法侵入者に意識を向けた。
(この若者は、誰だろうか。顔面に青いひびがいくつも走っているが、入れ墨か? それよりも、何故、私の執務室にいるのだ)
「でも今日からは、この部屋はボクと母様のものさ。病院もね」
(この病院は、ほぼイルザによって生み出され、育て上げられてきたものだが、個人の所有物などではない。「ボクと母様」とやらに奪われるわけには…)
その後、男は執務机の方に回ってブツブツと言っていたが、また戻ってきて、サポゲニンの傍らにしゃがみ込んだ。
「さて、病院中の人間から母様たちにあげる魔力を吸い取る術式は、全部仕掛け終わったことだし、あとは病院長の死体をボクの傀儡にすれば、今日のお仕事は終了だね」
(傀儡……この男、屍術師か。入院患者から生命力を奪おうとしているのか。いかん。自己魔力不全の患者たちは、長くはもたないかもしれぬ…)
「こんな奴に母様の命を注ぎたくないなあ。腹が立つよね。でも、ボクのためだもの、許してくれるよね」
薬壺から、ぽたり、ぽたりと黒い液がシャツの胸のあたりに滴り落ちるが、サポゲニンは密かに体表を死蝋化して、液が身体に染み込むのを避けた。
「一か月で、全てをボクに引き継ぐように手配すること。あ、給料は今より増やしておいてね。終わったら、自分で焼却炉に入ってね。片付けは大事だから、忘れないでね」
(あいにく、その指示には従えないな。幾重にもイルザの防御を施されている私は、焼却炉などでは火葬不能だ。なにより、私の亡き命はイルザに捧げるものだからな)
「傀儡が起動するまで、もう少し時間ががかるかな。ああそうだ、せっかくだから、馬鹿な弟と、目障りな父様を、今日のうちに始末しておこうか。ふふふふふふふ。楽しいねえ、母様」
サポゲニンは、無詠唱で解毒の魔術を発動させながら、上着の隠しにある通信用魔具に意識を向けた。
(あと少しで、身体を動かせるようになるはずだ。そうしたら、男に私の死を少し分けて、それからイルザに連絡を…)
そして、サポゲニンが動けるようになる、ほんの少し前。
──ひゃっはああああああああああっ
ドカドカドカドカッ
ヴィヴィアンに見送られた青白い弾丸が四つ、セイモア・グリッドの急所に、同時に激突した。
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