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ヴィヴィアンの婚約

ヴィヴィアンは気合いを入れた

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 ユアン・グリッドの家を後にしたスカーレットとヴィヴィアンは、そのまま歩いて王都病院に向かった。

 ノラゴは美少年に変化したまま、ヴィヴィアンと手を繋いで同行し、親虫たちは、ヴィヴィアンの服や帆布カバンにしがみついて、青鈍色の渋い光を放ちながら運ばれている。

「ねえスカーレット、病院に着いたら、何をするの?」

「自己魔力不全の患者たちのデータが集まっていると思うから確認しないと。それから症状の重い入院患者に面会して、治療器の試作ね。ヴィヴィアンに無理のないように、進めていきましょう」

「うん、頑張りすぎないことを、頑張る」

 するとノラゴが、ヴィヴィアンを見上げながら言った。

「なあ、その病院ってところに、もしかして、あの家の奴らがいるのか?」

「うん。ユアン・グリッドと、奥さんのメアリー・グリッドが、入院してる」

「生きてるんだよな」

「生きてるよ。ユアン・グリッドは気絶してたし、メアリーは病み上がりだから、すごく元気ってわけじゃないけど」

「そうか…」

 難しげな顔をして黙るノラゴに、スカーレットが話の続きを促した。

「何か気になることがあるのなら、話してごらんなさいな。あなたたちが、あそこでずっと、つらい思いをしていたことと関わる話なのでしょう?」

「おう……だけどまだ、うまくまとまらねえ」

 ヴィヴィアンの胸の辺りにくっついていた親虫の一匹が、ノラゴの頭に場所を変えて、話に加わった。

──姫様、わしらはたぶん、あの家の者が死ぬのを、ずっと待っていた、いや、待たされていたように思うんじゃ。

「それって、誰かがみんなを使って、ユアン・グリッドたちに呪いをかけていたってこと?」

──そこが、分からんのですじゃ。わしらの中の一番古いものが、あの家に憑いたときには、まだあの夫婦者は、あそこにいなかった…ような気がするのですじゃ。

「え、それじゃみんなは、誰が死ぬのを待たされてたんだろう」

 ヴィヴィアンが、ノラゴや親虫と顔を見合わせていると、スカーレットが声を落として言った。

「ヴィヴィアン、たぶん病院で、ユアン・グリッドの父親や、そのほかの家族たちにも会うことになると思うけど、少し用心したほうがいいかもしれない」

「え、用心って、メアリーも?」

 メアリーの甘いパンの差し入れを心から楽しみにしているヴィヴィアンは、大いにうろたえた。

「メアリーは大丈夫よ」

「よかった。でもスカーレット、また何か悪い予感がするんだよね」

「そうなの。ヴィヴィアンに近づこうとしてくる人間は、たぶんかなり危険……だと思うのよ」

(グリッドの家門の者が、ヴィヴィアンに『消される』ようなことになるのは、いまはまずいのよ。ヴィヴィアンが余計な罪を被らないためにも)

 そう思うスカーレットだったけれど、口には出さない。

 ヴィヴィアン本人は、自分の固有魔法が敵対者にどう働いて、何を『消して』いるのか、はっきりとは分かっていない。ただ漠然と、「悪いもの」がいなくなると感じているだけだ。

 魔法の発動後、自ら記憶を封印してしまうために、そういう認識のズレが起きるのだけれど、ヴィヴィアンを守ろうとしている者たちは、そのことにヴィヴィアンが気づかないように、全力で隠蔽している。

(歪んだ守り方なのは分かってる。でも真実を知ってしまったら、ヴィヴィアンは、きっと自分を守ろうとしなくなる。だから、いまはまだ言えない…)

 スカーレットがそんな秘密を抱えていることなど知らないヴィヴィアンは、素直に友人の言葉を受け止めた。

「危険なんだね。分かった。どうすればいい?」

「もし、ヴィヴィアンと個人的に親しくなろうとしてきても、うまくかわすか、はぐらかすって、出来る?」

「誰かに友だちになれって言われたら、『ありがとう。だが断る』って言えばいいかな。それとも、『最高に、ハイっ!て言わない奴が私だ』かな」

 キリリとした顔で、「異世界格言集」から拾ったセリフを練習して見せるヴィヴィアンに、スカーレットはそっとため息をついた。

(ヴィヴィアンに、高度な対人スキルを求めるのは、無理だったわね…)

「うん。どれでもいいわ。なんとかなるから大丈夫よ」

 スカーレットの内心の憂慮を感じとったノラゴが、元気に名乗りをあげた。

「なあなあ、俺も役に立つぜ! 気にいらねー奴を、あるじに近づけなきゃいいんだろ?」

 長い年月、親虫たちが虚無と空腹で弱っていくのを見続けて、心を痛めてきたノラゴは、幼体に似合わず、苦労人(虫)なのだった。

「そうね。あの家に関わってきたノラゴたちなら、何か感じるかもしれない。病院で、少しでも気になることがあったら、できるだけ早く私に知らせてちょうだい。それがヴィヴィアンを守ることにつながるから」

「分かった! 赤い姐御に言えばいいんだな!」

「赤い姐御…スカーレット、なんか、カッコいい」

 親虫たちも、ぶんぶんと羽を震わせて、意気軒昂であることをアピールしてきた。

──暁の空よりも燃えたつ赤髪の姐御ともに、我らクロヒメシデの一族、ぬばたまの闇より深き黒髪の姫様を、必ずやお守りしますぞ!

「ぬば…ぬばぬばの、髪? 私も、カッコいい、のかな」

 いささかおかしなテンションではあるものの、ヴィヴィアンを守ろうとする埋葬虫たちの心意気は、スカーレットにとってもありがたいものだった。

「どうやらグリッド家は、想像以上に闇が深そうな予感がするし、病院でもたぶん何か面倒なことになると思うけど、私たちならきっと何とかなるわ」

「うん。スカーレットと一緒に、メアリーの病気は治す。他の人の病気も治す。ノラオとノラジとノラサブとノラヨとノラゴも、守る。そして、みんなで一緒に家に帰って、鍋料理をする」

「じゃ、気を引き締めて行くわよ」

「うん!」

「おー!」

 ぶんぶんぶんぶんと高らかに鳴り響く羽音と共に、ヴィヴィアンたちは病院の入り口へと向かって行った。



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